第37話 受け継がれる魂
37.受け継がれる魂
防衛省特別事象防衛対策局——通称、特事の地下訓練室は、今日も静かだった。
白い壁。無機質な床。天井には計測用のモニターがいくつも浮かび、空間の中央には円形の機械が床に埋め込まれている。百合さんの訓練に付き合っていた時は、まさか自分がここに立つとは思っていなかった。
僕と狛人くんは、今ここで穢力のコントロールを学んでいる。
「集中して」
はるかさんの声が、静かに響く。
「穢れを外に見るのは、もうやめなさい。今日は内側を見る訓練よ」
内側……
僕は目を閉じる。
穢れは、怒りや恐怖、悲しみから生まれるものだと教わった。なら――僕の中にも、あるはずだ。
だが、自分の内側に目を向けることに、躊躇してしまう。
最初に浮かんだのは、あの言葉。
――全てを救えるなんて思うな。
雪村くんの声が、胸の奥で反響する。救えないかもしれない未来。力の代償。誰かを失う可能性。
それらは、確かに負の感情だった。そう認識すると同時に、ざらりとした霧が漂い始めた。
「自分の中の感情を否定しないこと」
はるかさんが続ける。
「穢祓師は、穢れを消すだけの存在じゃないわ。自分自身の穢れを感じて、己の力に変換する存在よ」
胸の奥のざわめきを、逃げずに受け止める。
すると、不思議なことに――それは、形を変えた。黒い霧のようだったものが、淡い光に溶けていく。その確かな温もりを感じながら、体中に力を巡らせていく。
「……穢力」
狛人くんが小さく呟く。モニターに数値が表示される。僕の体から発せられた、エネルギーの測定。
「そうよ。それが穢祓師の源になる力」
はるかさんはモニターを見ながら言った。
「穢れを己の中で中和し、別の力へ変換する。それが穢祓師の本質」
「……つまり、自分の弱さを力に変えるってこと?」
「ええ、そうとも言えるわね。だからこそ、制御が重要になる」
狛人くんは、僕よりも滑らかだった。彼は感情の波が少ない分、変換も安定している。
ただ――出力が荒い。
「如月くん、流れが偏ってるわ。察知型なのに放出が強すぎる」
「……あ、ほんとだ」
彼の周囲で、空気がざらついている。
「穢力は用途が広いわ。強化、感知、防御、穢場。使い方次第で何にでもなる」
はるかさんは、ゆっくりと言葉を区切った。
「穢祓師は通常、穢力を自身の肉体や武器、道具に乗せて祓う」
「彼たちも同じなんですか?」
狛人くんが問いかけると、はるかさんの視線が変わる。
「いいえ……あの力は、SBは別よ」
空気が一段、重くなる。僕は目を開ける。
「SBは、穢力を武装として具現化する存在。それは、通常ありえない事よ」
「どういうことですか?」
「この世に存在しない物を作り出すのよ。それは途方もないエネルギーが必要だわ」
確かにそうだ。みんな当たり前のようにしているが、普通じゃない。
「……仮にできたとしても、維持だけで精一杯になるはず。戦闘なんてできる訳がないわ」
恭介くん、桜さん、そして百合さん。あの人たちが普通じゃないってことは、分かってたけど。
再び狛人くんが口を開いた。
「彼の……小之野くんのSBは見たことないですけど」
「雪村は、最も異質……彼は与える人」
「与える、人?」
僕も雪村くんのSBは見たことがない。
「雪村が認めた人は、SBに目覚める」
「百合さんのように?」
「そうね。穢祓師は世界中にいるけど、彼の関与無しで目覚めた者はいないわ」
想像以上に、雪村くんは別格だった。彼という存在は一体何なんだろう。
「そして、穢祓師の頂点にいるのが――」
はるかさんは一度、言葉を止めた。
「SBを持つ者たち——Xblades」
空気が、わずかに変わる。
「雪村が集めている、十本の刃」
「十人……?」
心なしか、狛人くんの声が固い。
「ええ。彼のための——十の刃。それがXbladesよ」
僕はただ唖然とするだけだった。恭介くんたちの置かれた立場に。そして桜や百合さんも、同じ場所に立っているということに。
しかし疑問は残る。なぜ十人なのか、なぜ雪村くんが選ぶのか。そもそも、なぜ彼はXbladesを集めているのか。
「連盟も、特事も、Xbladesを支えるために存在していると言っても過言じゃないわ」
その言葉の重さに、僕は息を呑んだ。雪村くんは、そこまでの存在なのか。
「連盟というのは?」狛人くんは怯まずに質問する。
「全国穢祓師連盟――通称、全穢連。穢祓師の認定、派遣、育成を担う組織よ」
そして、最後にもう一言。
「XBladesは、その全ての頂点なのよ」
つまり――雪村くんは、組織の上に立つ存在。僕は、胸の奥がざわつくのを感じた。
その時、訓練室の扉が静かに開いた。
空気が変わる。はるかさんが、姿勢を正す。
「噂をすれば、ね……お久しぶりです、武士園会長」
「あぁ、久しぶりじゃな、はるかくん」
入ってきたのは、柔らかく微笑む一人の老人。だが鍛え抜かれた体が、服の上からでも分かるほどだ。その後ろには、黒髪の若い女性が控えている。
彼らが入った瞬間、場の圧が一段階上がった。
「君が、真田大祐くんじゃな。そして如月狛人くん」
優しい声だった。けれど、鋭い眼光をしている。僕は目を逸らすことが出来ない。
「……はい」
僕は何とか返事だけ返した。
「大祐くんだけでなく、僕の名前も把握しているんですね」
狛人くんは怯まない。
「もちろん。君たちのことは雪村から聞いている」
大きい声ではないが、体に響く低い声。
「二人とも、紹介するわ。こちらは全国穢祓師連盟の会長、武士園定光会長よ」
「武士園だ、二人ともよろしくの」
そう言いながら、武士園会長は手を差し出してくれた。狛人くんは、何のためらいもみせずに握り返した。
そして……次は僕の番だ。ゆっくりと手を握り返す。まるで大きな岩に触れているような錯覚に陥った。そして、僕は静かに感じ取る。その風格、内に秘める研ぎ澄まされた穢力。穢祓師としての格が違うと思い知らされた。
武士園会長は、手を握ったまま、僕を見つめている。全てを見透かされているような視線。僕は呼吸を忘れていた。
長いようで短い時間が過ぎ、武士園会長が言う。
「雪村を護ってくれ」
唐突な言葉に、僕は瞬きを忘れた。
「君はもう、雪村に認められた人間だ」
心臓が大きく鳴る。僕はSBも無いどころか、まだ訓練中の身だ。
でもこの世界で、僕はもう無関心のまま過ごすことはできない。
「力は優しい。だが、優しさは刃になる」
武士園会長は、静かに微笑んだ。
「覚悟は、できておるか?」
「はい、僕は彼と共に歩みます」
これだけの言葉で、伝えきれたかは分からない。それでも、武士園会長は満足げに頷いた。
「君たち二人は、何か……大きなものを背負っているようだ。儂は手に触れてそう感じたよ」
僕と狛人くんは顔を見合わせた。
「それがどんなものかは儂にも分からん。だが、覚えておきなさい」
「何を、でしょうか?」
先が知りたくて、思わず聞き返してしまった。
「この先、君たちに何が起ころうとも——乗り越えられないことなど無い」
「何故……そう言い切れるのですか?」
狛人くんは、冷静に聞き返す。
「魂じゃよ」
武士園会長は、ゆっくりと僕たちを見た。
「人は肉体で生き、名で記される。だが、本当に大切なのは受け継がれる魂そのもの」
その視線が、僕の胸を射貫く。
「何を護り、何のために刃を振るうか——」
自分の唾を飲み込んだ音がした。
「そして、その選択こそが魂であり、穢祓師なのじゃ」
その言葉が、僕の心に刻み込まれる。
それだけ言うと武士園会長は、はるかさんに振り返った。
「さて、はるかくん。Xbladesの現状を知りたいのだが……」
はるかさんは顔を伏せた。
「まだ、四名だと聞いております……」
「ふむ、そうか」
僕の知る限り三人のはずだ。四人目がいるのか。
「あ、あの、武士園会長……」
申し訳なさそうに言葉を続けようとしたはるかさんを遮り、武士園会長は告げる。
「はるかくん、今日儂はXblades候補者の推薦をしにきたのじゃ——」




