第36話 神様からの贈り物
36.神様からの贈り物
遊園地に、ようやく朝が来た。
夜の間に張りつめていた空気はすっかり薄れ、保安灯だけが残った園内は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
あれほど溢れていた穢れの気配は、もう感じない。全てを祓えた訳ではないが、揺り起こされたものが再び眠りにつく。
僕たちは中央広場に集まり、明けて行く夜を感じていた。
特事の人たちが忙しなく動き回り、機材の撤収や計測を進めている。床に設置されていた穢場用の装置が一つずつ解除され、現実が元に戻っていくのが分かる。
「お疲れさま。全員、無事で何よりよ」
局長である、はるかさんが直々に声をかけてくれる。
「はるか、観測の結果はどうだ?」
「今のところ問題無しね。数値も安定しているわ」
はるかさんは少し疲れた顔をしているが、いつものように背筋を伸ばして立っている。事後処理をテキパキとこなしている姿もいつも通りだ。雪村くんとの話が落ち着くと、僕の方を見た。
「よく、頑張ったわね」
「はい……なんとか」
僕はそう答えながら、胸の奥に残っている感覚を確かめていた。
あの時、抱きしめた温もり——もうそこにはいないはずなのに、まだ残っている気がする。
「大祐くん」
はるかさんが、少しだけ真剣な顔になる。
「あなた、これからは穢祓師として、きちんと訓練を受けなさい」
「……え?」
突然の言葉に、思わず声が出た。
「今回の件で、あなたの力ははっきりしたわ」
「治癒能力……のことですか?」
はるかさんは頷いた。
「ええ。でも、治癒だけで終わらない」
「……?」
「穢れと対極の力、だからこそ祓えたと私は考えているわ」
僕には理解できず、眉をひそめる。
「穢れは、負の感情から生まれる。怒り、恐怖、悲しみ、絶望……」
「はい」
「あなたの力は、その真逆。安心、受容、温もり……そういうものを直接流し込んでいる」
だから——
「穢れが、あなたに引き寄せられるんじゃないかしら」
確かにあの時、少女は僕の後ろに隠れた。僕を選んだということか。
「穢れを消しているわけじゃないの」
「……癒しているとか?」
「ええ。だからこそ、あなたにしかできないことがあるわ」
僕にしかできないこと。今回の事件で、僕なりの祓い方を見つけたような気がする。
「それに、あなたもよ。如月くん」
「……僕もですか?」
「あなたも穢力のコントロールは学んだ方がいいわ」
狛人くんは、今回かなり貢献していた。その察知能力と持ち前の鋭さで。彼は評価されて当然だ。
だが、狛人くんは浮かない表情をしている。そして控えめに、でもはっきりと口を開く。
「なら……教えてください。禍心というのは何ですか?」
その一言で、場の空気が張りつめた。だが、それは僕も知りたい。
「禍心は、もう救えない堕ちた人間だ」
はるかさんが答える代わりに、雪村くんが、はっきり言い切った。
もう……救えない……人間——
はるかさんは、首を横に振る。
「禍心は、もう人でも穢れでもないわ」
「人が、引き返せなくなった先……ですよね」
狛人くんの声は、いつもより低かった。
「ええ。心そのものが壊れて、穢れに溶け込んだ存在」
「だから……治らない?」
「治す対象が、もう残っていないの」
その言葉に胸が痛んだ。いや、何か方法はあるはずだ。昨日、桜さんも百合さんも禍心を祓っているはず。
「……じゃあ」
僕は、思わず口を開いていた。
「じゃあ、祓った禍心はどうなったの? 昨日、僕も消えるところを見たよ!」
誰も答えてくれない。だが、狛人くんだけが、静かに理解させてくれた。
「大祐くん、分かるだろ。祓われたら、その人間は死ぬ。そういうことだ」
「そうだ」
再び、雪村くんは現実を突きつけてくる。はっきりとした言葉で。
そうか。みんなそれを分かって、祓っている。穢祓師として立っている。確かに僕にはその覚悟まで無かった。救いたいなんて、綺麗事だけだった。
「みんな……強いね……」
僕の口から本音が漏れる。みんなは乗り越えて、今ここにいる。それなら僕も気持ちを強く持とうと思った。それに、救えるものが、まだ残っている。
「昨日の……あの子は」
はるかさんが、僕を見る。
「あなた、見えたのね」
「はい……場所も、状態も」
寝たきりで、動かない足。それでも、生きている。
「あの子は……堕ちてないです」
「ええ。だから、可能性はあるわ」
狛人くんが、息をのむ。
「……治せるかもしれないですよね?」
「そうね……でも」
はるかさんが何か言いかけた、その瞬間だった。
「大祐」
低い声で、雪村くんが呼んだ。
「お前の力は、誰よりも優しい」
「……」
「だがな、強すぎるんだよ」
雪村くんは、真っ直ぐ僕を見た。
「世の理を超える力だ。それはお前にとって危険なものになりうる」
その言葉は、責めるでも、止めるようでもなかった。やさしさを感じる声だった。
「それほど強力な力、代償なしに使えると思うか?」
「……!」
そういうものかもしれない。何かを得るためには、何かを犠牲にする必要がある。それも世の理だ。
「小さな怪我とは訳が違うんだ」
雪村くんは、続ける。
「全てを救えるなんて思うな」
「……」
「それは、傲慢だ」
胸に重く響いた。確かにそうだ。救えないものはある。禍心のように。
この世の全てを救いたいとは思っていない。それは僕の手に余る。だが、この手で抱きしめた少女。あれは穢れだったとしても、手の中に存在した。それを僕は無視できないと思った。
僕は、また覚悟を求められている。選択を迫られている。穢祓師として、立つためのそれらを。
無意識に自分の手を見つめる。まだ、あの温もりが残っている気がして。
迷いも躊躇もある。逃げ出したいほど怖い。
だけど、僕は——
……まぶしい。
朝比奈未来は目を覚ました。
天井の白い光が、少し眩しい。
ここは、病室。いつもの場所。動かない足。慣れたはずの感覚。
でも、今日は——何だか、気持ちが落ち着いている。こんなに穏やかな目覚めは、いつぶりだろう。
(お母さんは、まだ来てないんだ)
いつも時間があれば、未来の傍にいてくれる。いつも励ましてくれる、やさしいお母さん。いないと心細い。
しばらくすると、ドアが静かに開いた。
お母さんかと思ったが、入ってきたのは、二人のお兄さん。
一人は、優しそうな人。もう一人は、ちょっと怖そうだけど……カッコいい。
「こんにちは」
優しそうなお兄さんが、声をかけてくれた。声も優しい。
「こんにちは」
私も、ちゃんと挨拶を返す。
「また……会えたね」
優しいお兄さんが、そう言った。
会ったことあるかな。覚えてない。
けど——覚えているような気がする。不思議。
優しいお兄さんが何も言わずに、足に手を置いた。
少しびっくりしたけど……すごくあったかい。
「怖くない?」
うん、怖くないよ。
「少しだけ眠くなるかもしれない。けど大丈夫だから」
なんのことだろう。わからないけど、安心する。
「起きたら、このパンフレットを両親に渡してくれ」
かっこいいお兄さんがそう言って、私に紙を渡した。
「中学はここに来い。いいか、必ず渡せよ」
「うん、わかった」
かっこいいお兄さんは、頭をなでてくれた。ちょっとうれしい。
「じゃあ、目を瞑ってくれるかな」
「うん」
「少しだけ、僕が手を貸すね」
私は目を閉じた。さっき起きたばっかりだから、眠くないよ。
けど、あったかい、お日さまみたい。
「起きたら、ちゃんと前を向けるよ」
その言葉を聞きながら私は——眠ってしまった。
「未来、そろそろ起きなさい」
私はお母さんに起こされた。あれ、また寝てたの。
それとも夢……だったのかな。不思議な夢だったな。
「あら、その紙なあに?」
……あれ、この紙は。かっこいいお兄さんの紙。
——夢じゃないんだ。
あの人たちは何だったんだろう。やさしくて、あったかくて、どこか懐かしい人たち。昔、遊んでくれた人かな。
あれ……なんだろう。
「ん……?」
「未来、どうしたの?」
足に力が入る。
「え……?」
「み、未来!」
指が動いた。
「うそ……未来」
うそみたい……
——私、立っちゃった。
そこからは大変だった。みんなすごい騒いでた。ここ病院だよ。
お母さんが泣いて、お父さんが泣いて、先生が慌てて。私は笑った。たくさんの嬉しそうな声が聞こえた。
先生は奇跡だって言ってたけど、私は知っている。
あのお兄さんたちは、きっと神様だ。私がお願いしてたから。お父さんとお母さんが祈ってくれていたから、来てくれたんだ。
これは神様からの贈り物だよ。
ちゃんと自分の足で歩いて、ありがとうって言いにいかなくちゃ。けど、それはお母さんたちには内緒にしておくつもり。私と神様たちの秘密。
なんとなく、そう思ったの。だって、神様たちも内緒で来てくれたから。今度は私から会いにいこう。
——きっと、また会えるよね。
「……退院したら、どこ行きたい?」
お母さんは泣きながら、私に聞いてきた。
そんなの決まってるよ。
「遊園地!」




