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穢祓師 ー負の感情が穢れとして視える僕は、命を削る治癒の力で、人の心を治すー  作者: 早谷 蒼葉
第三章 孤独な闘い

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第19話 明日への境界線

第19話 明日への境界線


 放課後、教室の空気が少しずつほどけていく。でも、昼間の熱だけが、まだ残っていた。


 鞄を持って立ち上がる生徒、部活へ急ぐ足音、廊下から聞こえてくる笑い声。いつもと変わらない光景のはずなのに、今日は理由の分らないざわめきが、ずっと残っている。


「大祐」


 名前を呼ばれて振り返ると、雪村くんたちが教室の入り口に立っていた。腕を組んで、いつもの軽い笑顔を浮かべている。


「今日、時間あるか?」

「え? うん、特に予定は……」


 今日は狛人くんもすでに帰宅していて、何も用事はない。


「じゃあ、ちょっと付き合え」

「どこに?」

「いいところだ」


 そう言って歩き出す。説明は、それだけだった。


「雪村……また、言葉が足りませんよ」


 いつものため息をつきながら恭介が言う。


「大祐くんにとって、今後必要な場所だから……」


 桜さんが、少しだけ付け足してくれた。


 校舎を出ると、夕方の空気がひんやりと肌に触れた。僕たちは校門を抜け、駅とは反対方向へ向かう。いつもの帰り道とは違うルートだ。


「……雪村くん?」

「ん?」

「どこ行くの?」

「特事」

「……とくじ?」


 聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。


「正式には、防衛省特別事象ぼうえいしょうとくべつじしょう防衛対策局ぼうえいたいさくきょくといいます」


 恭介くんの言葉の重さに、足が一瞬止まりそうになる。


「ぼ、防衛省……? それって……政府の?」

「そうです。しかし、大祐くんが想像しているような組織ではありません」

「けど、国の機関だよね? 自衛隊とか……警察とか」

「まぁ、名前だけ聞くと大層だよな」


 雪村くんは軽く言い放った。


「でもな、別に自衛隊とか、そういうのとは違う」

「じゃあ、何をするところなの? 僕が行っていいの?」

「簡単に言うと……」


 一瞬だけ、言葉を選ぶ間があった。


「世の中で、無かったことにされてる現象の、後始末をしてくれるところだ」


 冗談めいた口調なのに、背中に寒気が走った。


「……それは、一般の人は知ってるんですか?」

「知らないし、知らなくていい」


 きっぱりと言い切る。


「政府に認められた組織ですよ。でも公表はしないでしょう。書類上は存在しますが、表には出ない組織です」

「……謎の組織だね」


 僕は小学生のような答えを出した。


「正解」

 

 僕の答えを聞いて、雪村くんは楽しそうに肩をすくめた。


 電車を乗り継ぎ、さらに少し歩く。繁華街から外れた、静かなエリア。オフィス街というには人通りが少なく、住宅街というには無機質な場所だった。目的地に近づくにつれて、看板が減っていく。


「……ここ?」

「ここだ」


 目の前にあるのは、古い雑居ビルだった。外観は地味で、目立つ表示もない。入り口にあるのは、小さなインターホンだけ。


「本当に……ここなんですか?」


 雪村くんは答えずに、インターホンを押す。


『はい』

 

 少し低めで、落ち着いた女性の声が返ってきた。


「俺だ」

『……久しぶりね。入って』


 ロックが外れる音がしてドアが開いた。中は、外観から想像していたよりもずっと整っていた。無駄のない受付、清潔な床、静かな照明。


「いらっしゃい」


 奥から現れたのは、スーツ姿の女性だった。長い髪をひとつにまとめ、無駄のない動きでこちらを見る。雪村くんとは、随分年が離れているようだが。


「久しぶりね、雪村」

「はるか、相変わらず怖い目してんな」


 はるかと呼ばれた女性は、部屋全体を把握してから、最後に僕を見た。


 彼女は雪村くんを見て、少しだけ表情を緩めた。


「なかなか、タイミングが合わなかったわね」

「まぁ、元気そうでなにより」

 

 軽く手を振る雪村くんに、彼女は小さくため息をついた。


「……こっちから呼び出さないと、会いにきてくれないのね」

「——っ!」


 桜さんの肩が僅かに跳ねた。


 雪村くんは、聞こえないふりをしている。


 やれやれ、といった様子で彼女は視線をこちらに向ける。


「その子が?」

「そう。真田大祐」

「は、はじめまして」

 

 慌てて頭を下げると、彼女は穏やかに微笑んだ。言い方はそっけなく聞こえるが、声色は優しい。


「私は綾瀬川(あやせがわ)はるか。ここの局長をやってるわ、よろしく」

「きょ、局長……」


 その言葉だけで、背筋が伸びる。


「そんなに緊張しなくていいわ」

「でも……」

「ここに来た時点で、もう普通じゃない世界に片足突っ込んでるんだから」


 僕は返す言葉がなくなった。綾瀬川さんは雪村くんを見る。


「で? 今日は何の用?」

「用があるのは恭介だ、こないだの公園の件……ちょっと温くね?」

「それだけ?」

「それと、大祐の顔見せだ」


「雪村、私は報告してきますね」


 恭介くんは慣れた様子で、奥の部屋に入っていった。


「今後、大祐のことも頼むぜ」

「……あなたね」


 綾瀬川さんは、額に手を当てた。


「昔からそうだけど、説明が足りなさすぎ」

「必要ないだろ」

「あるのよ。特に今回は」


 そう言いながら、横目で僕を見る。


「この子、まだ何も分かってない顔してる」

「まぁ、そのうち慣れるさ」

「雪村」


 名前を呼ばれて、雪村くんは一瞬だけ黙った。


「……あなたの(やいば)なんでしょう?」


 空気が止まった。雪村くんの表情は変わらなかった。


「……ちげぇよ……」


 短い返事で、その声は低い。


 綾瀬川さんは、目を細める。


「……本当に、変わらないわね」

「悪いか?」

「いいえ」彼女は小さく笑った。

「だから、昔――」

 

 そこで言葉を止め、首を振る。


「いえ。今は仕事の話ね」


 その一瞬の間に、何か言いかけた空気を、僕は感じ取ってしまった。


「真田くん」

「は、はい」

「ここは、君みたいな子を守る場所でもあり、試す場所でもある」

「試す……?」

「覚悟を、ね」


 綾瀬川さんに正面から見つめられて、視線を逸らせなかった。


「今日は説明だけ。深く踏み込むのは、もう少し先ね」

「……踏み込む?」

 

 足の裏が、床を確かめるように動いた。


——僕の踏み込んだ世界。


 雪村くんはその向こう側に、当たり前のように立っている。


「ここは表向きには、存在しないことになってる」


 綾瀬川さんも同じだろう。


「所属している人間も、立場もバラバラ」

「……しかし、政府管轄の機関なんですよね?」

「そうよ。だけど、一般的には知られていない」


 言葉が、出てこなかった。


「ここに来たからって、何かを強制することはない」

「……はい」

「でもね」


 少しだけ、声のトーンが落ちる。


「一度知ってしまったら、戻れないこともある」


 胸の奥に、重たいものが沈んだ。


「君はまだ、完全に力がある側じゃない。だからこそ、今は選ぶ側でいてほしい」


——選ぶ。再びその言葉を聞いた。


「帰りなさい。今日は、ちゃんと日常に戻って」


 その言葉が、不思議と優しかった。


 ビルを出ると、外はすっかり夕暮れだった。さっきまでの静けさが嘘みたいに、街の音が一気に押し寄せてくる。


 出口の前で、恭介くんが壁にもたれている。


「恭介、終わったのか?」

「もちろん、昨日のうちに、あらかた済ませておきましたから」

「はっ、さすが」


 歩き出してから、僕はやっと口を開く気になれた。


「……あんな世界があるんだね」

「あぁ」


 雪村くんは、いつも通り軽く答える。


「それに、はるかは、ああやって言ってたけど、あそこは戦う場所じゃない」

 

 少し間を置いて、続けた。


「俺たちの帰る場所だ」


 うしろから付いてくる、桜さんの呟きが聞こえる。


「……はるかって……呼んでる……まだ」


 僕は思わず、笑ってしまった。


 みんなとなら、明日への境界線を超えていける気がした。


 駅へ向かう途中、繁華街の手前で、ふと足が止まった。人の流れの中に、見覚えのある姿があったからだ。


 少し先を歩く、明るい髪。昼間に見た笑顔とは違う、硬い表情。その隣には、明らかに雰囲気の違う男たち。普通なら、近づきたくない空気をまとっている。

 

 彼女は、一瞬だけ立ち止まって、後ろを振り返った。誰かを探すような仕草。そして、何事もなかったかのように、また歩き出す。その背中が、昼の教室で見た姿と、どうしても重ならなかった。


 まだ何も起きていない。けれど、確実に——次の闇は、もうそこまで来ていた。

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