第20話 LOVE FOOLISH
第20話 LOVE FOOLISH
防衛省特別事象防衛対策局——通称、特事のビルを出てから、駅へ向かうまで、街は明るいのに、足だけが重かった。
「……百合さん」
少し先、人の流れの中。見慣れた後ろ姿があった。百合さんは、数人の男女と一緒に歩いている。いつもと違う横顔に、僕は眉をひそめる。
「なんだ、あの頭の悪そうな連中は」
雪村くんの声は低かった。
「友達……というには、距離感が遠い感じがしますね」
「百合さん、浮かない顔してるわ」
「いくぞ」
雪村くんの一言で、全員が動き出す。
繁華街に入ると、入ってくる情報が一気に増える。光と音が増えるほど、感情だけが薄く濁っていく。呼び込みの声、笑い声、音楽。人の感情が、雑に混ざり合い浮いていた。
百合さんたちの集団は、街の中に溶け込んでいる。その集団の中に、同じ年頃の女の子がいた。
「雪村くん、百合さんの隣……あの子知ってる?」
「あぁ、百合の親友のひなの……三崎ひなのだ」
さすが雪村くん、即答だった。
百合さんの隣にひなのさん。そして、その隣にはひなのさんの彼氏らしい男。年は多分僕たちより少し上。髪は派手で、声が大きい。ひなのさんの肩を、ずっと抱きながら歩いている。
「ひなのー、今日どこ行く?」
「どこでもー」
男の声だけは、この雑踏の中でも拾える。声がデカくて距離感が近い、僕の苦手なタイプだ。
男はしきりに話しかけていて、ひなのさんはよく笑っている。
——ふいに、百合さんの足が止まった。
「ひなの」
呼び止める声は僕らまで届いた。その後は、よく聞こえない。「必要ある」とか「心配だから」とか聞こえる。
彼氏が、割って入ってきた。
「平気平気ー、カタイこと言いっこ無し!」
「ひなのを行かせたくない」
百合さんが、はっきり言った。明らかに怒りが滲んでいて、空気が止まる。ひなのさんが、百合さんをじっと見つめている。
「さすがに、これじゃ何もわかんねぇな」
「雪村くん、もう少し近くに行く?」
「いや、こういう時の恭介様だ」
雪村くんは、恭介くんの肩に手を乗せた。
「はい、大丈夫ですよ。私に任せてください」
そういうと恭介くんは、集中するため目を閉じた。
「発現しなさい——くだぎつね」
以前のように恭介くんの背後が歪み始めた。ほどなくして背後に亀裂が入る。割れた空間から、小さくて細い二匹のきつねが、するりと出てきた。
「きゃーー、可愛い!」
真っ先に反応したのは桜さん。目を輝かせながら、きつね達を撫でている。
「この子たちがいれば、あちらの会話も拾えます」
「そ、そんなこと出来るの?」
「あまり、人に知られたくない能力ですので……それに長くは持ちません」
恭介くんは片方のきつねに「行け」と命令した。きつねが足場のない空中を走っていく。
「桜さんは、その子を抱いてください。それから……」
「分かったわ!」
満面の笑みで抱き抱える。
「……それから、小さな穢場を、我々の見やすい位置に転界して下さい」
「——こうね」
極小の穢場が僕たちの目の前に広がった。
「……百合」
「なに」
「そんな言い方しなくても……よくない?」
まるで半透明の液晶画面で、動画を見ているように、向こうのきつねが見ている世界を映し出した。
(これは、便利だ……)
僕たちは、映し出されたものに集中する。
ひなのさんの声は、少し苛立っていた。
「せっかく楽しいのに」
「ひなの! 楽しいかどうかと、正しいかどうかは別」
「……またそれ」
ひなのさんは、目を伏せた。
「百合って、いつもそう」
「そうだよ。間違ってるって思ったら……うちは言うよ」
彼氏が、笑いながら百合さんを見る。
「ひなのは俺と来てるんだよ?」
「だから?」
「だから、あんたは関係ないでしょ、百合ちゃん」
その言葉に、百合さんの視線が鋭くなる。
「……関係あるし」
「なんで?」
「友達だから」
きっぱりとした答えだった。男は肩をすくめる。
「友達ねぇ」
「バカにしてるの?」
「別にそういうつもりじゃないって」
ひなのさんが、百合さんの袖を引いた。
「百合……もういいから」
「よくない!」
「私は行くから」
その言葉に、百合さんの表情が消えた。
「……ひなの」
「大丈夫だから……もっと一緒にいたいの」
ひなのさんは、それだけ言って歩き出す。その後から彼氏と、その友達数人が続く。百合さんは、その場に一瞬立ち尽くしてから、深く息を吐いた。
「……ちょっと待って」
そう言って、後を追う。百合さんの小さな背中だけが、街に溶け込んでいなかった。
「百合さん、行かせたくない……」
僕の隣で、桜さんが小さく呟いた。
「それでも、彼女は行くんですね」
「……百合はそういうやつだ」
しばらく歩いて、集団は一つのビルの前で立ち止まった。雑居ビル。古くて、看板も目立たない。入り口には何もない。
——BAR。
「ここだ、ひなの……入れよ」
男が言うと、ひなのさんは一瞬だけ不安そうな顔をした。それを、百合さんは見逃さない。
「ひなの……やめとこ。今からでも」
「百合、もう来ちゃったし」
「来たからって、入る必要はないよ」
「大丈夫だって!」
ひなのさんは少し強めに言った。百合さんは唇を噛んだ。百合さんの指が、ひなのさんの袖を掴みかけて離れた。
「……分かった」
「百合?」
「——うちも行く」
「別に……いいけど」
彼氏が、面倒そうに言う。
「嫌なことあったら、うちとひなのは、すぐ出るから」
「はいはい」
百合さんは、ひなのさんの隣に立った。まるで、盾になるように。集団が、ビルの中へ入っていく。
僕たちは、少し離れた場所で立ち止まった。
百合さんが、ふいに振り返る。そして、穢場の画面越しにこちらをじっと見ている。気付いているのだろうか。いや、そんなはずはない。
でも、百合さんは目を逸らさない。
「百合さん……」
桜さんの呟きが漏れる頃、百合さんは前を向いた。その未練を振り切るように、ビルの中へと溶けていった。
やがて——扉が閉まる。音楽だけが、外に漏れてきた。
「……帰るぞ」
「えっ、だ、大丈夫なの?」
「百合が選んだ」
「でも」
「今踏み込んだら、百合との関係は二度と戻らねえぞ」
その言葉の重さで、足が動かない。
繁華街の喧騒の中で、あのビルだけが闇を含んでいた。
最後に見えた百合さんの横顔が、僕の中に焼きついて離れない。




