2.ちいさな鍵
そっと、小さな銀の鍵を手に取ってみる。特徴的で細やかな装飾が施されたそれは、ドアか何かの鍵に見えたが、単なる装飾品の類にも見えた。
どちらにしろ、こんな所に放置されているのだからこれと言って重要なものではないのだろう。そう思って裏返してみると、そこには見覚えのある紋章が彫られていた。
「これは――レディエンスの紋章?」
眉をひそめ、鍵の紋章を何度も見る。孔雀をモチーフにした紋章は間違いなく、レディエンス――ここクライストと敵対する、その国の紋章であった。
神国レディエンス――大層な名がついたその国は、平和を象徴するクライストとは間逆の、混乱の国。
訪れた事はないが、書物などでクレアも何度も見聞きしたことがある。レディエンスの特色と言えば、不老種族や亜人などの「人ならざるもの」を抹消する、「神の代行」――
平たく言ってしまえば、殺戮である。
長い歴史の中、クライスト領のいくつかの国や集落も陥落させられている。つい十数年前も、レディエンスの国境沿いに位置していた不老種族ドライアドの集落が陥落した。
この百年の間だけでも、学問都市モルガ、飛竜人の里、そして先述のドライアドの集落と、陥落させられた領地は少なくない。
問題はそれが、侵略ではなく"絶滅"を目的としていることだった。
当然それを救済することもできなかったクライストは、復旧にも踏み切れず、領地には無残な廃墟だけが取り残される。レディエンスのこうした徹底的な「代行」で、絶滅してしまった、または希少種となってしまった種族はかなりの種類に上るだろう。
それはレディエンスの領土でも同じことではあったが、立場が違う。あくまで加害者のレディエンスが、領土に穴をあけても自国なのだから問題はない。
当然、クライストも侵略されてばかりでいるつもりはない。いつか起こるであろう戦争に向けて兵力を増強していたが、ここ数百年以上はなぜか冷戦状態だった。
そんな国の紋章がついた鍵を、国王であるルカがなぜ――
そういえば、以前彼にレディエンス関連の書籍を見せられた事があった。冷戦状態とはいえクライストとレディエンスの間は、商業都市ネクロミリアの運営する商人ギルドの人間や、一般の旅人が行き来している。どこでどんなものが手に入ってもおかしくはない。
しかし――紋章付きの鍵、ともなれば話は全く別だ。
クライストでもそうだが、国家の紋章がついた品は基本的に王族や、それに仕える人間たちしか持つことを許されない。
加えて、身分証などでもなく日用品や装飾品の類は、正当な王位継承者やその家族でなければ滅多に持たされることがない。
どこかで手に入れた――そう思いたい気持ちが、クレアの中で芽生える。
自分の知っているルカと、この鍵はどうしてもかみ合わない。
平和を心から願い、国民のために自らも剣を持つ王。それが、クレアの中でのルカだった。
その彼が、レディエンスの人間かもしれない――
考えたくなかった。
どうしても否定したくなり、鍵を裏返して机に置こうとした瞬間、不意に執務室のドアが開け放たれた。
「――!」
慌てて、軍服のポケットにそれを隠す。幸いにも積み上がった書類が視界を妨げてくれたのか、来客はその事に気付かないようだった。
当たり前だがルカがいると思っていたのだろう、よく顔を合わせる補佐官が不思議そうな顔をする。
「――陛下は今お休みだよ。……あと、ノックを忘れないように」
「は、失礼しました。書類のほうはお済でしょうか」
仕事の事を言っているのだろう、恐らくは書類を回収するためにやってきた補佐官に、終わっているけど……と山のような書類を示す。一人で持っていけるような量ではない。
「次は管理部か。――仕方ない、半分持つよ」
溜息を吐いて、書類を一抱え持ち上げる。ポケットに入れた鍵を元に戻す余裕は、どうしてもない。
後で戻しに来るしかない――そう思い、クレアは補佐官とともに執務室を出た。




