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暁降ち  作者: 木之本 晶
君を想う空
21/21

 誰だって、一生に一度は「もっと自分に力があれば」と思うときがある。



*************************



 密やかに始まった逢瀬は薄氷を踏むような危うさを秘めており、それが一層互いを焦がれさせたのかもしれなかった。

 とはいっても二人きりで会える時間などそうそうありはしなかった。時折姿を見かけ、視線を交わし合う。込められた熱は互いにだけそうとわかるもので、越えることのできない壁がある二人にはそれだけで満足できた。

「皇女殿下に御名を差し上げてきたの。皇族の皆様ったら、千年振りの聖女降誕だからって舞い上がりすぎて収集がつかなかったのよ」

 楽しそうに話す彼女を、以前であれば家臣の一として、もしくは兄代わりとして聞いていただろう。だが今のロマンカールは、笑いながら肩にもたれかかる恋人の髪を梳いた。

「今の話し方ですと……幸運なのか不運なのかよくわかりませんね。大変な名誉でしょうに」

「名誉は名誉よ。でも生まれたばかりでそんな大騒ぎの渦中に入らなければならなかった皇女殿下は確かに不運だったかもしれないわね」

 ルトニの河岸にある滅多に人の踏み込まぬ森が、侯爵令嬢と侯爵家に仕える騎士という仮面を外して、二人が恋人になれる唯一の場所だった。しかし頻繁に邸を抜け出す次期領主の動向に、邸の家人達が注目しないわけがない。

 この逢瀬が、実は邸の家人達による沈黙と黙認という名の協力があったからこそとは、そのときのロマンカールには知る由もなかった。きっとオルティーヌも知らなかっただろうと思う。

 無知の元に成り立つ幸福は、苦かったけれども、この上なく甘い極上の甘露のようだった。夢を見ているようにどこかぎこちなく、しかし手の届かないはずの愛しい者は確かに互いを見つめ、触れ合うことができた。

 そのときはわからなかった。


 人は、甘い夢ばかり見られることはないということを。




 時は流れ、隣国デルフィニアとの間で大きな戦が始まった。ロマンカールが二十六歳のときのことだった。

 無論のこと剣を取り神術を振るって応戦したが、力及ばず、トスタル島に続いてファヴァイナ侯爵領のナクソスが陥落したときには、ロマンカールは歯を食いしばって屈辱と悲しみに耐えた。

 ルトニ河岸を追われ、ロートリンゲンまで後退し、その後じりじりと国境防衛線は下がっていく。前線で東部領主を指揮していたヴィランド公爵が敵の術により重傷を負い、意識不明の状態となったのはフェスカ――国内部の隣領、サランハーディス準侯爵領の中ほどでの戦闘中のことだった。

 後継となって指揮を執るべきハルトウィン卿は身体的にも精神的にも、また経験の面からいって幼すぎ、即座に皇太子の出陣が決まった。

 ロスタロイド防衛戦は熾烈を極めた。だが桁違いの神術を行使し、最前線で戦う皇族達に遅れを取ってはならじと一兵卒に至るまで我を忘れて剣を振るった。途中、何度も脂にまみれて使い物にならなくなった剣を躊躇いなく捨て、敵味方問わず死体から使える武器を捥ぎ取るようにして振り上げたのを覚えている。

 この戦いから一気に形勢は逆転し、一月を待たずトスタル島の奪還を果たした。

 オルティーヌが領地に帰還したのは、停戦協定が結ばれる前のことだった。

「ウェスタール卿のご薨去、臣に責があると存じます。何卒、公平なるご処分を」

 到着直後、旅装を解きもせず皇太子の御前に上がり膝をついた彼女に、次期領主としての片鱗を見たが、それ以上に背筋が凍るような思いをさせられた。

 皇太子は首を振って立ち去ったが、彼女は厳しさを増し始めた日差しの下で、頭を垂れ続けていた。

 嫌な予感がした。



 オルティーヌがいつになく蒼白な顔で縋りついてきたのは、トスタル戦役から一年がたとうとしていた三の月、きんと冷え込んだ早朝だった。

 季節の変わり目だったから、最初は体調を崩したのかと心配したのだ。

 しかし彼女が告げた内容は、そんなものを吹き飛ばした。

「父上が妃殿下を弑逆したの。わたくしは……わたくしが為すべきことは、一つしかない」

「お嬢様」

 彼女は途方にくれた末に恋人に混乱を打ち明けるのではなく、自分の覚悟をしっかりと伝えるため、震える体を支える目的で彼に縋っていた。

 そのときロマンカールの腕の中にいるのは、かつて裏庭の木の上で隠れるようにして泣いていた幼い少女ではなく、国に忠誠を誓う臣下の一人として毅然と、清廉であろうとする女性だった。

「陛下に罪の告解を奏上するわ」

 これが迷いながらのことであればどれほど良かっただろう。少なくともそうであれば、ロマンカールは彼女を説得できていたかもしれなかった。

 しかしオルティーヌの瞳に迷いはなかった。

 止められないことを悟ったロマンカールは、ただ彼女を抱き締めた。

「ごめんなさい」

 不意にオルティーヌが囁いた。

「何が」

「卑怯だとわかっているわ。でも……願いを、聞いてくれる?」

「俺に叶えられることなら」

 答えると、オルティーヌは甘えるように更に身を寄せてきた。

「わたくしが皇都に発つまで、わたくしだけの貴方でいて。でもわたくしが死んだ後は、どうか……わたくしのことは忘れて、幸せになって」

「……最後が震えてますよ」

「う、煩いわね。茶化さないで」

 自分の胸板を叩こうとした彼女の手を包み込んで、口付けた。

「生憎と、できない約束はしない主義なんです――オルティーヌ」

 耳に注ぎ込むように告げると、腕の中で彼女が震えた。

「…………ずるいわ」

 ただ、子供のように震える体は、温かかった。




 彼女を恨んでいるか、と誰かに訊かれたら、その後の苦労も全てひっくるめても、答えは否だ。



 あのとき、もっと自分に神力があれば、とっさに結界を張って彼女を守れたのかもしれない。

 しかし終わってしまった今となってはそうした仮定は全て無意味であったし、それ以上に彼のそれからの人生は激変の一途を辿ることとなったから、思い悩む余裕も少なかった。

 ロマンカールはオルティーヌを愛したことを些かも後悔はしていなかったし、この先彼女以上に愛せる女性が現れるとは思えなかった。

 激しい恋ではなかった。傍から見れば物語のような悲劇だっただろうが、自分達はそんなものに自身を投影して不幸に酔うほど愚昧ではなかったと思いたい。

 いつの間にか紡がれた秘めやかな想いは、ただ穏やかに、時折熾き火のように燃え上がり、しかし燃え尽きることなく淡々と彼の心に光を灯し、それだけが彼女を喪った後の九年間、彼を生かした。

 ファヴァイナ侯爵の逆鱗に触れた彼は故郷を追われた。残った家族がどうなったかは知ることはできず、ひたすらに各地を転々とした。正騎士として得た位階は国から承認されたものだから、一侯爵の勝手かつ、一方的な思惑で剥奪できるものではない。それだけがある意味で救いだった。

 自分よりも国への忠誠を取った彼女を、責める気持ちは湧かなかった。手に手を取り合って逃げたとて、行き着く先は見えている。立場が逆でも、きっと自分もそうした。誇りに思うと言っては嘘になるし、彼女への侮辱だ。そして選んだ主君に対して誠実であろうとする彼女の心は、真実だったから。



 九年という月日は、瞬く間に彼を通り過ぎた。

 一時期、ファヴァイナ侯爵から差し向けられていた多くの刺客もこの頃にはぱったりとなく、デルフィニアとの再度の決戦も間近かという噂も気になり、ロマンカールは密かに侯爵領へと戻った。

 そこで彼は、頭が真っ白になるという事態を経験した。いや、頭どころか全身真っ白になっていただろう。

 何せ、戻った直後に感慨深く眺めていたトスタル島からいきなり光の粒のようなものが出てくると、一気に水嵩が増し、下流に架かっていた完成間近の石橋が綺麗さっぱり押し流されていったのだから。

 唖然とした。

 たぶん一生に一度曝すか曝さないかくらいの馬鹿面だったはずだ。周囲に人がいなくて幸いだった。

 石橋を破壊したいならもっと効率的な方法がある。しかしそれ以上に消費された神力の量と質が半端でなく高く、これはトスタル島に皇族の誰かが来ていると確信した。

 まさか自分が目にしたのが、当代聖女の覚醒に伴う光臨の奇跡とは、思わなかった。

 千年に一度の瞬間に遠目からとはいえ立ち会ったわけだが、ロマンカールにそんな感動は一切なく、これは九年前のことを奏上する絶好の機会だと、皇族の逗留場所に押しかけた。

 謁見叶ったのがライシュタット卿と知り、更に皇太子が登場したときには何の騒ぎかと思ったが、聞けばファヴァイナ侯爵は既に捕らえられたという。かつてファヴァイナ家に仕えていたと言うと、皇太子とその側近達の姿勢が変わった。

「貴重な諫言だ。肝に銘じておこう」

 話を終えての皇太子の声掛けに、説教じみてしまったかと謝罪も込めて頭を下げた。

(思っていた人格と、違う……)

 怜悧冷徹冷酷非情と噂ばかりが先行しているらしい。かつてオルティーヌはこの男に膝を折った。生涯唯一の主君と認め、忠誠を誓った。噂に惑わされて皇太子の人格を疑い出していたが、あの誇り高いオルティーヌが膝を折った理由がわかった気がした。

 自分の主君も彼にしてやってもいいか、と不遜なことを考えるくらいには。

 部屋の扉が開いたのは、ちょうどそのときだった。

「皇女殿下!?」

 誰かが言い、思わず視線を向けると、扉の向こうから漆黒の髪と瞳を持つ少女が顔を覗かせていた。

 途端に皇女への小言が始まる。無理もないことだったのでロマンカールは敢えて無言だった。だが皇女の興味が自分へ向いたのは予想外だった。

「そちらの方はどなたですか?」

 娘に対する皇太子の答えは、非常に簡潔なものだった。正直、皇太子を主君に決めようと決意した自分にちょっと待て考えろ早まるなと言いたくなるくらいには。

「お前の名付け親が、将来を約束されていた方だ」

 目の前の小さな少女が、愛した人の名付け子だと、そのとき初めて気が付いた。

 それは不思議な感慨だった。

 この少女は至高の貴人であると共にオルティーヌの名付け子であり、そういう意味ではオルティーヌがこの世に確かに存在した証とも言える存在だった。少女の名が歴史に残り後世に伝えられていく限り、オルティーヌが存在したという事実も――知る人は少ないだろうが確実に――受け継がれていくような気がした。

 と、父と何事か言い合っていた皇女が、突然窓の外を指差した。

「見て、お父様。夜明けよ」

 ロマンカールはつられるように皇女が指した東の空を見遣った。少し空気が湿っているのか、曙光は紅の輝きを纏っていた。

 もう二十四年も前になる。初めて会ったとき、目を奪われた彼女の朱金の髪を、思い出した。

 石造りの窓から見える空は、春先という季節には珍しいことに雲一つなく、どこまでも高かった。地平を彩る金と紅から始まって、薄紫、薄水色、青、西はまだ紺青と移ろい、それが目を通して違和感なく自分の中に溶けていくような心地がした。

 まるで彼女と過ごした日々のように。

 ロマンカールは目頭が熱くなるのを感じた。

(オルティーヌ――)


 ――君を想って見上げる空は、こんなにも美しく澄み渡っている。

 ロマンカールさんは『蒼の女神~』の方にも出演予定でございます。

 読んで下さった全ての皆様に感謝いたします。


 そして某友人Nへ。

 君が読みたいと言わなければ、この番外編は生まれませんでした。君の一言で、また一つ物語を語ることができたようなものです。

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