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暁降ち  作者: 木之本 晶
本編
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17/21

暁降ち

 終わりよければ全て良し――という言葉がある。

 この場合、この言葉を当てはめるのには、ファナルシーズはかなり抵抗があったが、それでもことの経緯を見ればそう形容されるのだろうと無理やり自分を納得させざるを得なかった。

 結果的に、多くの問題が解決したことは事実だったからだ。



***********************



「――星の輝きさえ隠されし 深く暗き夜の底

   咲き誇るは千の祈り 舞い散るは億の願い

   永遠を越えた夜の果て 光の蝶が舞い上がる

   其は紅き光より生まれし夢幻 泡沫に帰して運命を呼ぶ

   女神は大いなる祝福をもって 暁の前に聖女を贈る

   其は蒼き闇より生まれし無限 幾何に散じて生命を呼ぶ

   聖女は尊き光とともに 力と世界をその身に抱く

   見よ、栄光は暁の下 我等は真実の帰還を知る――」


 かつては自分の膝の上でまどろんでいた娘。まだ幼さを残すとはいえ今は比べ物にならないほど大きく育った娘が、光臨の予言を編み変える。

 闇女神の代行者――聖女として覚醒していく。

 威勢の良すぎる啖呵を切ってほとんど勢いのみで謳い始めたように聞こえたが、その後の言葉にファナルシーズは瞠目した。

「真実が偽りに、偽りが真実になるように――」

 本人も何を言っているのか、半分もわかっていなかっただろう。

 悪意によって歪められた現実をあるべき姿に戻す――「紅き光」と「蒼き闇」で見事に対比を織り上げた娘は、自分の父親が自ら謳い上げた詩篇に例えられる半生を送ったことを知らないはずだった。

 未来に希望など見出せなかった十七の秋。

 祖国に掛けられた呪詛を解くため奔走した十八の春。

 生まれて初めて「誰か」を欲しいと願った十八の夏――それが叶った十九の春。

 戦で大切な人を亡くした二十四の初夏。紅に染まっていた視界が少しずつ元に戻った後、見上げた空が限りなく蒼く澄んでいたことを覚えている。

 そして、全てを失ったと思った二十五の冬――。


 差し込んできた曙光が、薄暗かった空間を朱金に染め上げる。


(ああ――)

 詩篇の通りに舞い上がる光の蝶は、純粋に娘の神力のみで作られたもの。

 舞い上がった蝶や花弁は泡へと姿を変え、激流を生み出し下流に架けられかけていた橋を押し流した。だがファナルシーズがそれを知るのは、もう少し後になる。

 光臨の奇跡を起こした反動で神力も体力も限界に来たのだろう。皇女の細い体は崩れ落ちるように傾いだが、すぐに傍にいたセイルードの手によって受け止められる。そのまま力なく抱き上げられた様子を見ると、気を失ったようだった。セイルードが娘を運んで来るのを待って、ファナルシーズはその状態を確認した。

「消耗が激しいようですが、お命に別状はないようです」

 受け取った娘の顔色は、「こちら」に帰還した直後よりもずっと良い。だが疲労していることは間違いないので、皇都に帰る前に少しでも休ませた方が良かった。転移神術は、あれはあれで体力を使うのだ。

「トスタル砦に参りましょうか」

「待て、砦内はファヴァイナ侯の管轄だ。それよりは隣のハイルズ男爵領に行った方が良い」

 ジェレストールの指示にファナルシーズが頷くのを見て、青年達が皇女を受け取り踵を返そうとしたときである。

「ん……」

 漏れ聞こえた声にはっと振り向いたファナルシーズは、石の台に横たえられていたイリアーナが身じろいたのを見た。

「イリアーナ……!」

 見たところ怪我はなかった。心配なのは地下中に焚き染められていた非合法の香『冥眠香』の影響だが、目覚めたということはとりあえず生命の危機はないということだ。

「イリアーナ!」

「妃殿下?」

「イリアーナ妃殿下、お目覚めですか」

「イリア? 私だ、兄のウォルセイドだ。わかるか?」

 ファナルシーズは妻に手を伸ばそうとしたが、見えない何かに阻まれた。よく見ると妻の体を薄い金の膜が覆っている。

「これは……」

「皇女殿下の神気、ですな」

 全員が一斉にセイルードの腕の中の皇女に視線を向けるが、当の本人は深く眠っている。

 ファナルシーズは溜め息をついた。彼ならば強引に妻の体を覆う結界を破ることはできるが、それをすると今度は娘が傷つく。

 幸いにも周辺には先程の光臨の奇跡の『痕跡』である神気が濃く残っていたため、それを利用し少し複雑な手順を経て、ファナルシーズは慎重に結界を解いた。

 イリアーナの、固く閉ざされていた金茶の睫毛がふるりと(ほど)ける。

 そこから覗いた若草色の瞳は、しばらく焦点が合わず彷徨っていたが、やがて一点で止まった。

 唇が動く。

 イリアーナにしてみれば、この時点では本人に自覚こそ無いが、散々眠った末の、九年ぶりの発声である。空気を震わせるはずの音は、(かそけ)く、ともすれば唇から出た瞬間に空気に溶けてしまいそうだったが、ファナルシーズには確かに聞こえた。

「…………ファース?」

 どれほどこの声で、そう呼ばれることを渇望していたのか、ファナルシーズは自分でも理解していなかった。

「イリアーナ!」

 生きていて良かった――そんな言葉では、足りない。

 掻き抱いた体は、意外にも相応の重さを残していた。皇女の神気に満ちた結界に引き寄せられて、自然界に存在する精霊達が精気を分けていたのだろうか。帰還直後の皇女よりも顔色はずっと良かった。

 最も手足には力は入らないらしく、イリアーナはされるままになっていた。

「ファー……ス」

 少しだけしっかりした声でもう一度、自分を呼んだ妻を、ファナルシーズはしっかりと抱き締めた。



*************************



 『幾何に散じて生命を呼ぶ』という詩篇の一節の意味を、デルフィニアとの交渉を終えたジェレストールは考えていた。


 幾何、とは上下左右の限りない空間のことを指す。

 舞い上がった光の蝶は、紅き光から生まれた夢幻。それが実体のある泡沫へと変わり、弾けて空間に散じることで水を生み、やがて河に激流を生むという運命を呼ぶ。さらに激流が、ルトニ河に架けた橋を破壊することでデルフィニアの戦意を削ぎ、戦を回避することになった。長い目で見れば、戦に苛まれることなく、人々は日々の生活を営み、命を繋いでいく――生命を、呼ぶ。

 更に今回は実際に皇女と皇太子妃、両方が戻ったことで二人ともの生命も救われた。皇女帰還から全ては始まったが、デルフィニアとの関係が再び不穏に成り始めていたこの時期に皇女が見つかったことでさえ、何らかの操作があったのではないかとさえ思えてくる。

(……考え過ぎか)

 自分で自分の考えに苦笑したジェレストールは、執務用にと割り当てられた部屋から出た直後、部下から皇太子と自分を含めた皇太子の側近に来訪者があると報告を受けた。

 もう時刻は夜だったが、一連の騒動に一応は決着は付いたのだ。いいだろうと、彼は軽く目通りを許可した。



「――それが、全ての真相です」

 ロマンカール・フォルジュと名乗った騎士は、そう長い話を締め括った。時刻は深夜を回っていた。

「ファヴァイナ侯爵の逆心は事実です。彼の方は確かに、皇太子妃殿下、皇女殿下に対し殺意を抱いておられました。ですが侯は侯なりに、皇王家への忠誠を貫こうとされておられました」

 ジェレストールは、勝気で華やかだった幼馴染の恋人だったと名乗った男を冷めた目で見た。

「それがどうした? 結果的に敵国と通じ、妃殿下と皇女殿下の御命を危険に曝した罪は消えることはない。侯は反逆者として処刑されることは疑いなく、これを覆すことは我が国の秩序を乱すことになる」

 魔力保持者と通じていたことは国民の動揺を防ぐため伏せられるだろうが、裁判で審議されるのは処刑の仕方である。ファヴァイナ侯爵自身が罪を自白――というか、いかに自分の行為が正当なものであるかという風に語った上、証拠も証人も出揃っているので、これで無実だ減刑だという話が出たら、ヴィーフィルドは司法制度を改革しなければならない。

 そうではありません、とロマンカールは強く言った。

「侯には侯の信念があったのだと思います。そして、同じ思いを持つ貴族がもういないとは断言できませぬ。実際に行動に移したのはファヴァイナ侯お一人でしたが、また同じことが起きぬよう、殿下、閣下方におかれましては細心の注意を払われることと思われます。そしてそれらも含めて、今後多くの改革をされることでございましょう。その際にやはり、伝統や慣習という壁は常に立ちはだかることとなりましょう」

 そもそも今回のことは、妃殿下の御出自が最初の発端でございました。そうロマンカールは続けた。

「伝統という名の不文律というものは、それだけで何かありがたく見えるもの。始まりは意味のないことでも、伝統と名がつけばそれを盾として保身を図り、あるいは剣として野心を成そうとする者が必ず出て参ります。皇太子殿下におかれましては、そのような輩を決してお見逃し下さいませんよう、切にお願い申し上げます。……わたくしめも国に命を捧げた騎士の端くれ、御下命がございますれば国のため、命を捨てる覚悟はございます。ですがどうか今回のように、無用な犠牲が出ることだけは、防いで頂ければと」

 ファヴァイナ侯爵の内心を見抜くことができなかったのは、確かにファナルシーズ達の落ち度だった。彼の強硬な反対に深く理由を聞くこともせず、また納得させることもせず、挙式に踏み切ったのだから。

 侯爵が凶行に走った原因の一端は、侯爵の主張をきちんと聞かなかったファナルシーズ達が、確かに背負うべきものだった。

 若気の至りと片付けるには重過ぎる。九年の別離は、その意味では対価だったのかもしれない。

「……貴重な諫言だ。肝に銘じておこう」

 ファナルシーズがそう返すと、まさか皇太子から直接、御声掛けを戴けるとは思っていなかったらしいロマンカールは恐縮したように更に深く頭を下げた。

 この男には謝罪しなければならない、とファナルシーズは思った。彼の恋人だったオルティーヌは、自分と関わりがあったために命を落としたようなものだ。自分はあまり意味のない伝統を振り切れたが、彼等はそうはいかなかった。できなかったのだ。

 伝統、慣例、忠誠、名誉、体面、形式、正義、責任――思えば、自分達は何と多くのものに縛られているのだろう。自分の心すら、立場はもとより感情によってさえ偽ることがある。

(自由であるとは、一体どういうことなのだろうか……)

 かつての自分は、今は妻となったイリアーナの中にそれを見たと思った。だからこそ彼女に憧れ、それはいつしか恋情へと変わり。

 しかし彼女は、本当に自由だったのだろうか。自由という言葉そのものに疑念を抱いた今、それさえ疑える。彼女への愛情が変わることはないが、初めてファナルシーズは、イリアーナに聞いてみたいと思った――君は、自由であるとは何だと思う、と。

(私は君がそうであると思っていた。だが実際は、君も忠誠や責任に急かされていたのではないのか)

 まあ、答えを急ぐことはない。これから共に過ごせる時間はたくさんあるのだから――……

「では皆、戻ろうか。出立まで少しでも仮眠を取っておいた方がいいだろう。ロマンカールとやら、その方、皇都へ同行せよ。もう少し詳しく話を聞きたい」

 そう言って、ファナルシーズが立ち上がろうとしたときだった。

 閉め切られていた部屋の扉が、控えめに叩かれた。

「入れ」

 少しうんざりした風情でジェレストールは入室を許可したが、ひょこっと顔を出したのは何と皇女であった。

「皇女殿下!?」

「いかがなさいました、このような時刻に」

「護衛の者はどこに? 皇城ではないのですから、御身の安全のためにも必ず二人は護衛の騎士をお連れおき下さい!」

「って言っても、もう明け方ですよ? 何だか早くに目が覚めてしまって、ちょっとうろうろしてたんですけど、この部屋から灯りが見えたから、どうしたのかと思って」

 覗いてみたらしい。開けた途端にこんなに怒られるなら黙って通り過ぎとけばよかった、と皇女は肩を竦めた。

「そちらの方はどなたですか?」

 こんな時間に話をしていた上、見慣れない人物の存在に純粋に疑問が湧いたのだろう。一定の距離こそ保っていたが、皇女は興味津々な様子でロマンカールに漆黒の双眸を向けた。

 ファナルシーズは何と説明しようかと少し悩んだが、一番簡単でわかりやすいものを選んだ結果、次のような言葉になった。

「お前の名付け親が、将来を約束されていた方だ」

 省くところは全て省いた、簡潔すぎる説明である。ジェレストールもジークフリートもウォルセイドもロハルシュも非難の眼差しを主君に向けたが、ファナルシーズは今この場でこれ以上詳しい説明は無理だと(視線で)返した。

 だが皇女は納得したらしい。違うところに首を傾げた。

「名付け親? お祖父様達が適当に付けたんじゃないんですか?」

「……そんな訳がなかろう。しきたりに則って考えられたものだ。『シェランティエーラ』と提案したのが以前話した、ファヴァイナ侯爵の息女オルティーヌ嬢だ。イリアーナやフィオルシェーナとも親しくしていた」

「…………確か、お父様のお妃候補だった人ですよね」

 それについてはファナルシーズは頷きを返すに留めた。

 人物相関が繋がったらしい皇女は、前に会っていますかとロマンカールに問いかけた。

「いえ、自分は一介の正騎士ですので。皇女殿下にお目通りを賜るのは初めてでございます」

 皇女という雲の上の身分に加え、瞳にも漆黒の色彩を持つ、文字通り伝説の少女から初めましてと頭を下げられ、三十も半ばを過ぎているはずのロマンカールは慌てて騎士の礼として最敬礼の角度まで腰を折った。傍から見ると、少女と成人男性の頭の下げあいっこという非常に珍妙な光景である。

 見ていた一同は笑いを堪えていた。

「それはそうとお父様、もうすぐ夜明けですけど、今から寝るんですか?」

 見れば窓から見える東の空は大分白くなってきている。別に徹夜で訓練をした経験がないわけではない、むしろ十代の頃は鍛えられまくっていたが、三十を過ぎて徹夜で馬を飛ばすのは少々辛い。ファナルシーズはこめかみを揉んだ。

「今日は行程を少し遅らせることになるかもしれないな」

「遅らせたら何か支障でもあるんですか」

「その分、執務が溜まる」

「……そこは誰かに任せてきましょうよ」

 その通りだったので、ファナルシーズはそうだなと苦笑した。

「あ……」

 何かに気付いたように、皇女は感嘆に満ちた声を上げた。

「ね、見て。お父様。夜明けよ。私、初めて見た」

 はしゃぐ娘の指先には、まさしく地平から起き上がろうとしている金色に輝く太陽があった。

 ファナルシーズは口元に笑みを佩いてその光景を見つめた。娘が生まれたときも同じ光が降り注いでいたことを教えてやるのは、きっとそう遠いことではない。


 今、永遠とも思われた絶望の夜を越えて――


 暁が、降る。

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