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暁降ち  作者: 木之本 晶
本編
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16/21

空白の終わり

「オルティーヌ嬢が亡くなったとか」

 サリアネス侯爵家の後継ジークフリートがさりげない会話の中で披露した情報に、ウォルセイドは目を剥いた。

「何故?」

「詳しいことは知らないが……ファヴァイナ侯爵が領地に引き篭もったままだからな。聞こえてきた噂によると、雇っていた正騎士と恋人同士だったとか」

「こいびと!?」

 あの勝気で人の話を聞かない令嬢に!? とウォルセイドは二度驚いた。

「静かに。妻が拾ってきた噂だ。変に広めるなよ。特に殿下のお耳にはしばらく入れない方がいい。少なくとも俺たちからは、な」

「わかっている」

 后と娘をもがれたばかりの主君には、それでなくともやらなければならないことが山積している。通常の執務をこなすだけでも半日以上は確実に執務室にいなければならないのだ。

 補佐を務めるのはジェレストールだが、最近、二人の仲は良好とは言い難かった。

「どうも姫様が強引に〈界渡り〉をしたときに悶着したらしい」

「険悪というのとも違うが……ぎこちない、というか」

 揃ってこめかみを揉んだ二人である。

 ヴィーフィルドの将来を担う最高位と次位に就くことが確定している二人の仲が芳しくないのは、全くもって喜ばしくない事態だ。

「どうするんだ? ジェスのところのソルディース殿と姫様は成人したら結婚する話が出ていたと思ったが」

「今はまだ関係ないだろうが……姫様の行方がいつ判明するかにもよるな」

「戻られなければ皇位はどうなると思う」

「フィオルシェーナ様が継ぐか、殿下がアルトレイス殿を養子に取るかだろう。実際、陛下はアルトレイス殿への王子宣下を考えておいでのようだ」

 ウォルセイドはぐっと眉根を寄せた。アルトレイスとはフィオルシェーナの息子で、ファナルシーズにとっては甥にあたる。皇位継承権は第四位だ。ありえない話ではないが。

「今の段階で、そこまで?」

「喪失の衝撃こそないが、全く神気が追えないらしい。神殿は半狂乱だ。手の空いている皇族方は皆神殿に詰めておられるが、人数を投入したところで感知できなければ意味がない」

 ちなみにジークフリートが語っているのは、近衛騎士団団長である父侯爵からの情報である。彼自身も数少ない秘密を明かされた者だったが、詳しい捜査状況を知ることはできない――離宮への襲撃を許したのも同じ臣下の一、情報を漏らしてなるものかと皇族達が拒否したのだ。

 ジークフリートは重い溜め息をついた。

「せめて姫様と妃殿下、どちらかだけでも戻ってくれればいいのだが」

 それは、事情に通じる皆の心を代弁していた。



 しかしいつまで経っても皇女は見つからなかった。

 皇女が行方不明となってから四年が過ぎようとしていたヴィーフィルド皇紀4007年二の月、ついに皇王と皇太子は密かに一つの決断を下した。

 同年八の月、皇王の外孫であるヴィシュアール公爵家の嫡子アルトレイス=ラウルスが聖騎士としての叙勲を受ける。同時に王子宣下を受け、これにより彼は臣籍にありながら他国の王族と同等の地位を得た。

 それ以前からアルトレイスが頻繁に皇王に呼び出される姿が見られており、皇女が病弱であるとの発表とも併せて、皇女廃嫡が噂されるが、皇王も皇太子も表向きはそれを否定した。

「当たらずといえども遠からずだがな」

 皇王の眉間には深く皺が刻まれている。

「散々言っておいたことだが、アルトレイス」

「わかっています」

 こちらも不満そうな顔のアルトレイスは、母から艶めく黒髪を、父から青金石の瞳を受け継いだ皇族特有の絶世の美貌を持つ少年である。まだ幼さを残す顔立ちだが、数年もすれば消えるだろう。

「シェランが見つからなければ、俺が皇位を継ぐ。……母上に任せるよりはましでしょう。でもシェランが見つかったら、絶対絶対そんな目的で俺に王子宣下したなんて言わないで下さいよ!?」

「は? 何故だ」

「シェランに嫌われるかもしれないからです! 俺は皇位なんて面倒臭くて忙しくて、あっち立てればこっち立たずな、とばっちり人生送りたくないですし、何より戻ってきたシェランに『泥棒! 私のものを盗ったわね!』とか言われたら絶望して死ねます!」

「お前の妄想癖は年々ひどくなるな」

 さりげなく自分が面倒なことを可愛いはずの従妹に押し付けようとしていることを、ジェレストールの長子で彼より一つ上のイルヴァースが指摘すると、アルトレイスは胸を張って主張した。

「シェランの場合は俺が完璧に補佐するからいいんだ。でも俺が即位することになったら、お前、俺を完璧に補佐できるか?」

 全く、どこにも根拠のない自信である。

「唯我独尊我儘大王だな。制御できるのは姫だけだ」

 呆れて首を振ったイルヴァースに、アルトレイスと同い年でこちらは皇女の母方の従兄にあたるライゼルトが微妙な顔をして、言った。

「シェラン様があいつの上司をやるのはともかく、俺達はあいつの部下か、良くても同僚でいなきゃいけないよな?」

 イルヴァースはもちろん、その場にはイルヴァースの弟であるソルディース、ジークフリートの息子ジスカール、ロハルシュの息子セイルードも同席していたが、揃って彼等は沈黙してしまった。十代半ばになっていた彼等だったが、今まで誰もそのことに気付かなかったのだった。


 多くの者が、それぞれの事情を抱えながらも、一様に皇女の帰還を切望していた。



***********************



 異世界に流された皇女の行方が判明したのは、彼女の悲鳴が鳴り響いてから九年が経とうとしていた、ヴィーフィルド皇紀4012年一の月になったばかりの頃だった。

「本当ですか、陛下!」

 喜色満面で叫んだ三人は、九年前には八歳ほどの子供だった。今では青年となったアルトレイス、イルヴァース、ソルディースは、最年少のソルディースでも先頃成人の儀を終えている。

 皇女は十三、もうすぐ十四になるはずだった。

 三人を呼び出した皇王と皇太子は、苦笑を禁じえない。だが何より、その場の誰もが、久しぶりに皇太子が見せた本物の笑顔に内心安堵していた――この九年というもの、ファナルシーズが感情を表に出したのは片手の指で足りるほどだったからだ。

「今朝方、大神殿から連絡があった。ある異界に皇族の魂が見えるという。今のところ在所の明らかでない皇族はシェランティエーラだけだ。まず間違いないだろう」

 青年達は色めきたった。九年に及んだ別離が、ようやく終わるのだ。彼らは主を取り戻せる。

「国境視察中に呼び出すことになって悪いが、すぐに動けるのがお前達だけでな」

「そのようなことはお気になさらず、伯父上。それでシェランはどの世界のどこにいるのですか?」

 アルトレイスが勢い込んでファナルシーズに迫った。

 これに更にファナルシーズは笑う。

「言ってわかることではないだろう? その辺りについての詳しいことは大神殿で話そう」



 それから数日足らずで青年達は異界へ渡ることとなった。二つの世界に共通し比較的安定して存在する「水」という空間に干渉する要素を利用し、できる限り負担を少なくしたのにも関わらず、術を行ったファナルシーズは終わった後どっと冷や汗が全身から噴き出し、思わず大神殿『暁の間』の冷たい床に膝をついた。

「殿下!」

 立ち会っていたヴィライオルド公爵ルークセイドが声を上げるが、ファナルシーズは自力で起き上がり大丈夫だと首を振った。

「どうも波動の合わぬ世界らしいな」

 皇王が、こちらは些か難しい顔をして呟く。「世界」にも人にもそれ自体が放つ生命の鼓動――特有の波動があるのだが、時折これが「合わない」組み合わせがある。珍しいことではない。

 ファナルシーズは厳しい表情で頷いた。このやり取りを見て、こちらも立ち会っていた皇妃の顔色がはっきりと変わった。

「そんな…………では、シェランは……あの子の体は――!」

 両の世界を「繋ぐ」だけでこれほど負担がかかるのなら、かなり「合わない」世界だと言える。九年もの間それほど波動の合わない世界にいた皇女の具合が案じられた。ただ生きていればいいというものではないのだ。

「落ち着け、ユーリ。まだ最悪の事態というわけではない」

「でも……ああ、やはりあの時あのようなことを、わたくしが言わなければ!」

 最初に現在の事態の発端となった皇太子妃の視察への皇女の同行を提案したのは皇妃自身である。彼女は九年間それを悔やみ続けており、彼女に親しい人達の間ではその話題は長らく禁句となっていた。

「今更言っても詮無いことだ。それにあの時、結局皆が同意した。ユーリ、お前のせいだけではない」

 泣き崩れた妻の肩を抱いて、皇王は忍耐強く宥めた。

「何はともあれ、ようやくあの子は帰ってくるのだ。泣いてばかりはいられん。まずはゆっくり休めるようにしてやらねば」

「え、ええ……そうね。そうだわ……」

 皇妃ははらはらと真珠の涙を零しながらも、夫の言葉に頷いた。既に皇女が帰ってきたときのための皇女宮の手配は済んでいるが、それはそれ。皇妃は様子を確認すると言って一旦皇城に戻った。

 しかし残念なことに、最初の異世界探索では皇女本人を発見できなかった。

「絶対にあの世界のどこかにいる!」

「感じた神気は微弱でしたが、確実にあの世界においでであることは間違いありません!」

「降りた地域が違うのかもしれません。もう一度座標を変えて渡ります!」

 丸一日、異世界を彷徨ったにも関わらず手ぶらで帰らざるを得なかった青年達は、しかし三対の双眸に希望という名の光を灯して一層熱心に異世界に通った――そう、「通った」。ほとんど自邸には帰ることなく、日によっては何度も〈界渡り〉を行って座標を変えて方々を探し回った。

 そうして、何度目の〈界渡り〉の末か、数えることも面倒になった頃――青年達は、ついに求める少女を見つけたのだった。



 当然のことながら世界が違えば時間の流れ方も違う。

 何度目かに旅立った(という表現も正しいのかは疑問だが)青年達が皇女を連れて帰還するまでに、ヴィーフィルドでは二日ほど時間が過ぎていた。時間の流れの比較が不規則で、「こちらの三日であちらの一日」などという風に確定できないのも、世界同士の波動が合わないことの特徴である。

 これこそが頻繁に「帰る」必要があることの理由でもあるのだが、今度こそは伯父に失意を土産にすることはないとアルトレイスは歓喜していた。

 住宅街らしき場所を当てもなく歩いていたとき、ふと、覚えのある神気を感じたのだ。

 同じく渡ってきているイルヴァース、ソルディースのものではない――幼い頃に分かれたきりとはいえ、従妹のそれを、この自分が感知し間違えるはずがない!

 確信を持って細い路地を駆け抜ける。

(近くにいる!)

 何度目かの分岐に差し掛かったときだった。

「……の風、何だったんだろうねって」

 天から降り注いだ光の矢が体を貫いたとしても、そのときアルトレイスが感じた衝撃と感動には遠く及ばなかっただろう。

 声が聞こえた方を見ると、背中の中ほどまで髪を伸ばした少女二人が並んで歩いていた。

 どちらが従妹なのかは、全く迷わなかった。

 近付く時間すらも惜しかった。自分の足をこれほど重く感じたことはない。

「シェラン!」

 腕を捉え、振り向いた少女を見て――特に大きな怪我も、障害もない、少なくとも健康に見える従妹の姿に、アルトレイスは安堵のあまり、大きく息をついた。



 帰還した皇女が数日寝込むであろうことは、予測がついていた。

 「帰って」きたことで一気に緊張がなくなったのか、それとも「合わない」異世界に無理に合わせていた反動が来たのか、とにかく皇女は疲労の極致にあり、ソルディースから娘を受け取ったファナルシーズはあまりの顔色の悪さに顔を――顰める前に皇王が声を発した。

「これは……!」

 まもなく十四になろうという少女としてはあまりに小さな体。投げ出された四肢は少し力を込めて握っただけで折れそうなほど細い。彼等の常識にしてみれば無惨なほど短い髪は、艶を失って見えた。

 だが、生きている。

 微かに上下する胸が、それを伝えていた。

 思っていたよりも軽いが、それでも腕にかかる重さは、娘が確かにここにいるのだという証明だった。

 生命の重さだった。

「気脈が大変細くなっておいでです。やはり長らく異界におられたことがお体に大きな負担となられたのでしょう。成長途上だったことも大きいかと。……ですが本来あるべき世界から切り離されて九年も生きながらえることなど普通はありえませぬ。肉体よりも先に魂が衰弱してしまいますゆえ……。曲がりなりにもこのように大きくお育ち遊ばしましたは、さすがは皇族直系と申し上げるべきです」

「大巫女、御託はいらん。それより皇女殿下はこの状態からご快癒なさるのか」

 皇太子の傍らに膝をついたジェレストールは、焦燥と苦渋を含んだ表情で大巫女を見上げた。

 初老の大巫女は目を伏せた。

「今の時点では……まだ、何とも申し上げられませぬ。皇女殿下の生命力に賭けるしかないかと」

 誰もが悔しさを顔に滲ませた。

「せめて回復の為に消費する体力だけでも肩代わりできないのか!」

 アルトレイスが叫ぶが、大巫女は首を左右に振るだけだった。

「このままここにいても姫にして差し上げられることがないのなら、早急に皇城へお運びするべきでは」

 イルヴァースの言に皇王が頷く。

 ファナルシーズは娘を抱いたまま立ち上がり、転移のための術陣を展開した。


 待ち構えていた母皇妃に娘を渡した直後、レテ河下流の治水工事の進行が遅いと報告が上がり、ファナルシーズは視察のため皇城を後にした。

 このことが良かったのか悪かったのか、後々ファナルシーズは思い返して悩むようになる。

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