08. ささやかな宴
「お二人とも、装備が汚れていますね。浄化の魔法をおかけします」
セレネが手をかざすと、淡い光が僕とガルを包んだ。
聖剣や槍、鎧にこびりついていた狼の血が、みるみるうちに消えていく。
「ありがとう、セレネ」
その間に、リリアが狼の死骸を魔法で焼いてくれた。森に放置して腐らせないためだ。
火が消えたのを確かめ、僕たちは再び周囲を調べて回った。
一刻ほどかけて探したものの、ほかの狼の姿や気配は見つからなかった。
ようやく警戒を解き、僕たちは討伐の報告をするため、村長の家へ戻った。
「もう戻ったのか。何かあったか?」
戸を開けた村長が、僕たちの顔を見回した。
「狼の魔物を5体倒しました。その後も周りを調べましたが、ほかには見つかりませんでした」
村長は目を見開いた。
「5体も……。もう退治してくれたのか?」
僕が頷くと、村長は僕たちの姿を確かめるように見回した。
「怪我はないか?」
「ああ。全員、無事だよ」
ガルが答えると、村長はようやく肩の力を抜いた。
「そうか……。まずは入ってくれ。詳しく聞かせてもらいたい」
僕たちは家へ入り、出発前と同じ卓を囲んだ。
ガルが狼の大きさや、灰色の毛並み、群れで襲ってきたことを話すと、村長の表情が険しくなった。
「……魔狼だったか」
「知ってるんですか?」
僕が尋ねると、村長は頷いた。
「昔、戦場へ向かう途中で出くわしたことがある。普通の狼より力も強いし、すばしっこい。しかも、仲間と回り込んでくる。あのときは、追い払うだけでも苦労した」
村長の視線が、ガルの槍へ向いた。
「それを5体も倒して、誰も怪我をせずに帰ってくるとはな」
「こいつが3体倒したんだよ」
ガルが僕を親指で示した。
「俺の方が先に戦い始めたのに、あっという間だったぜ」
「リリアとセレネも助けてくれたからだよ」
慌てて言うと、リリアが小さく笑った。
「それでも、倒したのはアステルでしょ」
村長が僕を見る。
少し照れくさくなって、膝の上へ視線を落とした。
「アステル……」
村長は名前を繰り返してから、僕の腰元へ目を向けた。
「あんたたちは、一体……?」
僕は顔を上げ、3人を見た。
ガルが軽く頷く。
「……僕は、王都で聖剣を抜いた者です」
そう言って、腰に下げた剣へ手を添えた。
「勇者として、グランヴェルへ向かう途中なんです」
村長は口を開きかけたまま、しばらく動かなかった。
それから、僕と剣を交互に見た。
「では……新しい勇者が現れたというのは、本当だったのか」
「はい」
セレネが僕の隣で頷いた。
「私はセレスティオン神聖国の聖女、セレネと申します。アステル様と共に旅をしています」
「私は魔法使いのリリアよ」
「ガルヴァン。ガルでいいよ」
村長は椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「そうとは知らず、失礼なことを……」
「いえ、顔を上げてください」
僕も慌てて腰を浮かせた。
「泊めていただけて、僕たちも助かっていますから」
村長はゆっくりと顔を上げた。
まだ驚いた様子だったが、やがて小さく息を吐いた。
「勇者様が、こんな村の頼みまで聞いてくださるとはな」
「困っていると聞いたので。僕たちにできることならと思って」
村長は僕の顔を見つめ、それから改めて4人へ頭を下げた。
「ありがとう。これで、村の者も安心して森へ入れる」
その声を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
隣を見ると、ガルも満足そうに笑っていた。
「今夜は、ぜひ礼をさせてくれ」
村長はそう言って立ち上がった。
「村の者にも知らせてこよう。あんたたちは、しばらく休んでいてくれ」
日が傾き始めた頃、村の広場に焚き火が焚かれた。
その周りに、料理を手にした村人たちが次々と集まってきた。
焼いたパンを籠に入れた女性。
野菜の煮込みが入った鍋を、2人がかりで運んできた男たち。
卓の上は、見る間に料理で埋まっていった。
「こんなに、いいんですか?」
僕が尋ねると、皿を並べていた女性が笑った。
「森へ入れなくて、みんな困ってたんだよ。これくらいさせておくれ」
「そうそう。たくさん食べていってくれ」
椅子が足りなくなり、近くの家から長椅子まで運び込まれてきた。
昼間は静かだった部屋が、人の声と料理の匂いで満ちていく。
ガルは大きな鍋を卓へ置くのを手伝い、リリアとセレネも皿を配っていた。
僕も空いている場所へ椅子を運んだ。
やがて皆が席に着くと、村長が杯を手にした。
「今日は、この4人が森の魔狼を退治してくれた。今夜は存分に食べて、休んでいってくれ。ありがとう」
僕たちへ向けて、あちこちから杯が上がった。
「ありがとう!」
「さあ、冷めないうちに食べてくれ!」
隣に座った男が、大皿をガルの方へ押しやった。
ガルは礼を言うと、早速肉へ手を伸ばす。
僕の前にも、湯気の立つ煮込みが置かれた。
「お口に合うといいんだけどね」
料理を運んできた女性が、少し心配そうに僕を見た。
僕は匙を取り、ひと口食べた。
柔らかく煮えた野菜と、肉の旨味が口の中に広がる。
「……おいしいです」
そう答えると、女性は嬉しそうに笑った。
「よかった。おかわりもあるからね」
僕は頷き、もうひと口すくった。
旅と戦いで空いていた腹に、温かな料理がゆっくりと収まっていった。
食事がひと段落する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
焚き火の向こうでは、ガルが村人たちと笑い合っている。
セレネとリリアは先に二人で部屋に戻って行った。
「少し、隣に座ってもいいかね?」
声に顔を上げると、杯を手にした村長が立っていた。
「はい、どうぞ」
僕が少し横へずれると、村長はゆっくり腰を下ろした。
「食事は足りたか?」
「はい。とてもおいしかったです」
「それならよかった。作った者たちも喜ぶよ」
村長は、焚き火の向こうで話す村人たちへ目を向けた。
僕は少し迷ってから、口を開いた。
「あの……昼間、戦場へ向かう途中で魔狼を見たって、言っていましたよね」
「ああ」
「村長さんも、兵士だったんですか?」
村長は頷き、自分の膝へ手を置いた。
「ずいぶん昔のことだがな。この脚を痛めるまでは、槍を持っていた」
「だから、森での戦い方にも詳しかったんですね」
「痛い目を見て、覚えたことばかりだよ」
そう言って笑うと、村長は僕へ顔を向けた。
「……先代の勇者様も、一度だけ戦場でお見かけしたことがある」
僕は杯を持つ手を止めた。
「先代の勇者を?」
「ああ。直接言葉を交わしたわけではないが、戦う姿は、今でも覚えている」
先代勇者——魔王軍の幹部を半分も倒したという女性。
今の僕には、どれほど強かったのか想像もつかない。
そんな人と同じ「勇者」と呼ばれていることが、まだ信じられなかった。
「やっぱり……強かったんですか?」
実際にその戦いを見た村長なら、先代勇者の強さを教えてくれるかもしれない。
「ああ、強いなんてものではなかった。とても美しい方だったが、その姿からは想像もつかんほど、戦いぶりは苛烈だったよ」
村長は懐かしむように目を細め、焚き火へ視線を移した。
「一太刀で敵の陣を切り崩し、たった1人で戦況を変えてしまう。あの方が前に出ると、もう駄目だと思っていた兵士まで、再び武器を握ったものだ」
そこで言葉を切り、村長は静かに息を吐いた。
「……間違いなく、人類の希望だった」
人類の希望。
その言葉を胸の内で繰り返し、僕は自分の手を見下ろした。
初めての戦場で震えていた手。剣を振るうだけで精いっぱいだった僕とは、あまりにも遠い。
それでも、今は僕が勇者と呼ばれている。
いつか僕にも、そんなふうに誰かを奮い立たせることができるのだろうか。
焚き火の向こうで、村人たちが笑っていた。
僕はその声を聞きながら、膝の上でそっと手を握った。
「だからこそ……あの方が亡くなったと聞いたときは、皆が悲しんだ。もう駄目かと思っておったが、まだ希望は残っておったんだな……」
そう言って、村長は僕に向き直った。
「もう戦えない老骨だが、あんたたちを迎えて、温かい飯を用意するくらいはできる。また近くを通ることがあったら、寄っていってくれ」
僕は村長の顔を見た。
焚き火に照らされたその表情は、穏やかだった。
「……ありがとうございます」
先代勇者のようになれるかは、まだ分からない。
それでも、僕を見て希望が残っていると言ってくれた。
その期待に応えたいと思った。
「また、寄らせてもらいます」
僕が答えると、村長は嬉しそうに頷いた。




