04. 戦いのあとに
夜。
魔王軍との戦いが終わっても、息をつく暇はなかった。
負傷した兵士たちが次々と運び込まれる兵舎を、僕はセレネやリリアと駆け回った。回復魔法を使い、次の兵士のもとへ向かう。その繰り返しだった。
ようやく手が空いた頃には、すっかり日は沈んで辺りは暗くなっていた。
グレゴール将軍に誘われ、僕たちは宴が開かれる城塞の大広間へ向かっていた。
近づくにつれ、扉の向こうから笑い声が聞こえてくる。
扉を開けると、料理の匂いと兵士たちの話し声が押し寄せてきた。
大広間には長い卓がいくつも並び、その上には肉やパンを盛った大皿が置かれている。
席に着いていた兵士たちが、次々とこちらを振り向いた。
「勇者様だ」
その声に、軽く頭を下げる。
いくつもの視線を感じながら、僕は案内された席に腰を下ろした。
全員が席に着いたところで、グレゴール将軍が立ち上がった。
「皆、よく戦ってくれた。諸君のおかげで、フォルティアは守られた」
兵士たちの話し声が静まる。
「そして、救援に駆けつけてくださったアステル殿と、その仲間たちにも感謝を。共に戦ってくださったこと、心強く思う」
将軍がこちらへ顔を向けた。
周囲からも声が上がり、僕は慌てて頭を下げた。
将軍は広間を見渡し、杯を掲げた。
「今夜は十分に食べ、身体を休めてくれ。諸君の奮戦と、勇者一行の活躍に――乾杯!」
「乾杯!」
一斉に声が上がり、あちこちで杯が打ち合わされた。
兵士たちが料理へ手を伸ばし、大広間はたちまち賑やかになる。
ガルも隣の兵士と杯を合わせ、笑っていた。
僕は手にした杯を置き、目の前の皿に視線を落とした。
朝からほとんど何も食べていないはずなのに、料理へ手が伸びなかった。
卓の下で、自分の手を見つめる。
剣を振ったときの感触が、まだ残っている気がした。
そっと指を握り込んだ。
「お疲れ様です。勇者さま」
顔を上げると、隣に座ったセレネが僕を見ていた。
「う、うん。セレネもお疲れ様。回復魔法すごかったよ」
「ありがとうございます」
セレネは微笑んだ。けれど、僕の皿へ目を落とすと、少し声を落とした。
「……お疲れではありませんか?」
「うん。少しだけ」
そう答えて、卓の下の手をほどいた。
「でも、疲れてるだけじゃなくて……」
セレネは何も言わず、僕の言葉を待っていた。
「目を閉じると、思い出すんだ。僕が斬った魔族のこと」
口に出すとまた手が震えた。
「戦うって、そういうことだって分かってたはずなのに。終わってからも、ずっと……」
うまく続けられず、俯いた。
隣でセレネが、静かに杯を置く音がした。
「兵舎で、勇者さまのお話をしてくださった方がいました」
僕は少しだけ顔を上げた。
「もう駄目だと思ったとき、光る剣が見えたのだと。そのおかげで、自分も踏みとどまれたと仰っていました」
「……僕は、必死だっただけだよ」
「はい。それでも、その方は感謝していました。また家族に会える、と」
広間の向こうで、笑い声が上がった。
兵士の1人が隣の男に何かを話しながら、その背中を叩いている。
「私が兵舎で治療できたのも、皆さんが負傷した方を運んできてくださったからです。勇者さまたちが前で戦ってくださったから、助けられた命があるんです」
「……そっか」
あのときは、目の前の敵しか見えていなかった。
剣を振った、その先にあるものなんて、考える余裕もなかった。
「セレネは、怖くないの?」
「怖いです」
迷いのない返事に、僕は彼女を見た。
「今日も、間に合わなかったらどうしようと、何度も思いました。それでも、私の力を待っている方がいましたから」
セレネは膝の上で手を重ねた。
「聖女として、できることを果たしたいんです」
僕はもう一度、広間を見渡した。
包帯を巻いたまま食事をする兵士。
疲れた顔で、それでも仲間と笑い合う兵士。
僕にも、この人たちのためにできたことがあったのだろうか。
「……僕も、果たさないと」
小さく呟くと、セレネがこちらを向いた。
「勇者として、僕にできることを」
まだ、次の戦いを考えると怖かった。
それでも、自分の力を待っている人がいるのなら。
「はい。でも、今夜は休んでくださいね」
セレネはそう言って、卓の上のパンを僕の方へ寄せた。
「私も、少しお腹が空いてしまいました」
僕は小さく頷いて、パンに手を伸ばした。
翌朝。
王都から次の指令が届くまでの時間を使って、僕はリリアと旅に必要なものを買いに出ていた。
「よ、よろしく。リリア」
「そんなにかしこまらなくても。ただの買い物よ、勇者くん」
そう言って、リリアは手元の紙を広げた。
僕は少し迷ってから、口を開いた。
「……アステルでいいよ」
「え?」
「その、勇者くんじゃなくて。僕もリリアって呼んでるし」
リリアは紙から顔を上げ、僕を見た。
「……そうね。じゃあ、荷物持ちはよろしく。アステル」
自分から言ったのに、名前を呼ばれると少し照れくさかった。
「うん。任せて」
リリアは紙に目を戻すと、通りの先を指差した。
「とりあえず、食料からね。君たちよく食べるから、少し多めに買っておかないと」
通りにはいくつもの露店が並んでいて、多くの人で賑わっていた。
野菜を並べる店主の声に、荷車を引く音が重なる。僕たちは行き交う人を避けながら、軒先に干し肉を吊るした店へ向かった。
「これと、そっちの干し肉もください」
リリアが品物を指しながら、店主と言葉を交わす。
僕も隣から、棚に並ぶ食料を眺めた。
棚の隅には、乾燥させた果物が籠いっぱいに盛られていた。
隣の干し肉と見比べていると、リリアが僕の顔を覗き込んだ。
「何か気になるものでもあった?」
「あ、いや。色々あるんだなって」
「買い物、あまりしないの?」
「うん。必要なものは、大抵用意してもらってたから」
リリアは少し考えてから、果物の入った籠を指差した。
「じゃあ、これはアステルが選んで。どっちがいい?」
「僕が?」
「食べるの、私だけじゃないでしょ」
片方は薄く切った林檎で、もう片方には小さな赤い実が入っていた。
「こっち、かな」
林檎の方を指すと、店主が小さな欠片を差し出してくれた。
「味を見てみるかい?」
礼を言って口に入れる。
思っていたより歯応えがあったけれど、噛むうちに甘酸っぱさが広がった。
「……おいしい」
「じゃあ、それも一袋ね」
リリアが店主に頼む。
僕は受け取った品物を袋へ詰めながら、林檎の包みを一番上に置いた。
それから何軒かの店を回り、パンや塩、糸や包帯を買い足していった。
必要なものが、両手の袋がすっかり膨らんでいた。
持ち手を握り直すと、隣から手が伸びてきた。
「片方、貸して」
「これくらい持てるよ」
「私も何か持ってないと落ち着かないの」
リリアは軽い方の袋を受け取り、紙をもう一度確かめた。
「うん。これで全部」
そのとき、通りの先から甘い匂いが漂ってきた。
小さな店の軒先に、焼き色のついた丸い菓子が並んでいる。
リリアの足が、少しゆっくりになった。
「……少し休んでいかない?」
「うん」
僕が頷くと、リリアは店へ向かった。
「2つください」
受け取った菓子の片方を、僕に差し出す。
薄い紙越しにも、まだ温かかった。
店先の長椅子に腰を下ろし、足元に荷物を置く。
手を離すと、指に袋の持ち手の跡が残っていた。
ひと口かじると、表面がほろりと崩れた。
中には煮詰めた果物が入っている。
「……おいしい」
「でしょ」
リリアはそう答えてから、慌てたように付け足した。
「匂いで、そうだろうと思っただけだけど」
僕はもうひと口かじった。
隣を見ると、リリアは口元についた欠片を指で払っていた。
「……何?」
「いや、口元に、まだついてる」
僕が自分の口元を指すと、リリアは慌てて頬に触れた。
「こっち?」
「反対」
欠片を払ったリリアと目が合い、思わず笑ってしまった。
「そんなに笑わなくてもいいでしょ」
「ごめん」
そう言いながらも、少し笑いが残った。
リリアは最後のひと口を食べ、包み紙を畳んだ。
「そろそろ戻りましょ。皆も待ってるだろうし」
「うん」
足元の袋を持ち上げる。
もう片方へ伸ばした手は、リリアに先を越された。
「これは私が持つって言ったでしょ」
僕は頷き、隣に並んだ。
昨日のことを忘れたわけではない。
次に剣を握るとき、また手が震えるかもしれない。
それでも、今はこうして誰かと笑っていられた。
「ねえ、リリア」
「何?」
「また買い出しに行くときは、僕も誘ってよ」
リリアはこちらを見て、少し笑った。
「ええ。次は買うものも覚えておいてね」
僕たちは荷物を手に、城塞へ続く通りを歩き出した。




