03. 初陣
「魔王軍が動いたぞ!」
その声を聞いた瞬間、周囲の空気が一変した。
さっきまで話をしていた兵士たちが、一斉に持ち場へと走っていく。
「弓兵は城壁へ! 迎撃部隊は俺に続け! 敵を分断して各個に叩くぞ!」
「負傷者を後方へ運べ!」
怒号が飛び交い、兵士たちの足音が重なる。
何が起きているのか、頭では分かっている。
魔王軍が来た。
でも、身体がその現実についていかなかった。
僕はただ、その場に立ち尽くしていた。
「アステル!」
ガルヴァンの声で我に返る。
「俺たちも行くぞ!」
「……どこへ?」
「平原だ!」
ガルヴァンが指差した先では、兵士たちが次々と城門へ向かっている。
グレゴール将軍もすでに剣を手にしていた。
「勇者様!」
「は、はい!」
「我々は城壁の防衛と、平原での迎撃に分かれる! 勇者様たちは迎撃部隊へ!」
「分かりました!」
返事をしたものの、声が少し震えていた。
平原。
つまり、城壁の外。
魔王軍と直接戦うということだ。
「君も行くよ!」
リリアが僕の肩を軽く叩いた。
「……うん」
僕たちは兵士たちとともに城門へ向かった。
大きな門が開かれる。
そこには、広大な平原が広がっていた。
僕たちは魔王軍を迎え撃つため、城壁から少し離れた場所まで進んだ。
後ろにはフォルティアの城壁。
そして、遠く前方には――魔王軍。
先ほどまで小さく見えていた軍勢が、今ははっきりと見える。
武器を手にした魔族たち。
巨大な身体を持つ魔物。
「……あれと」
喉が鳴る。
「あれと、戦うのか……」
怖い。
逃げたい。
そんな思いが、胸の奥から込み上げてくる。
だけど、僕は勇者だ。勇者になってしまったんだ。
「やらないと……」
そう、小さく呟いた。
その瞬間だった。
遠くで魔王軍が一斉に動いた。
「来るぞ!」
兵士の叫び声が響く。
「アステル!」
ガルが僕の名を呼び、槍を構える。
僕も聖剣を抜く。
ふぅ……落ち着け、落ち着け。
「――星装」
刀身に光が走る。
地面が、少しずつ震え始める。
魔王軍がこちらへ向かってくる。
僕は聖剣を強く握りしめた。
初めて立つ、本当の戦場。
――轟音が響いた。
その瞬間、戦いが始まった。
遠くでは魔法が放たれ、城壁の上から無数の矢が飛んでいく。
兵士たちの怒号が響き、剣と盾がぶつかる音が重なる。
「来るぞ!」
目の前から、1体の魔族兵が迫ってきた。
「はっ!」
その前にガルヴァンが飛び出す。
振り下ろされた剣を受け止め、勢いを利用して横へ受け流す。
「おらぁっ!」
体勢を崩した魔族兵へ、ガルヴァンが踏み込み、槍を突き刺した。
魔族兵が倒れる。
「ガルヴァン……」
一瞬の出来事だった。
僕が呆然としている間にも、別の魔族兵がこちらへ向かってくる。
「下がって!」
リリアの声が響いた。
リリアが杖を構える。
「――ファイアーボール」
杖の先から火球が放たれ、迫っていた魔族兵を吹き飛ばした。
「まだ来るわよ!」
リリアの視線の先から、さらに数体の魔族が迫ってくる。
「えっ……」
僕が思わず後ずさる。
その横を、セレネが静かに駆け抜けた。
「リュシア様、どうか彼らに力を」
セレネが手を掲げる。
淡い光が広がり、僕たちの身体を包み込んだ。
「身体が……軽い」
「これで少しは動きやすくなるはずです!」
セレネはそう言って、僕へ微笑んだ。
けれど、その直後。
「アステル!」
ガルヴァンの声が響いた。
振り向く。
そこには、僕へ向かって走ってくる魔族兵がいた。
「……っ!」
身体が動かない。
怖い。
明らかな殺意が僕に向いている。
そして今、その剣が僕へ向かって振り上げられている。
「勇者様!」
セレネが叫ぶ。
僕は反射的に聖剣を構えた。
魔族兵の剣が迫る。
「――っ!」
ガキィン!!
激しい衝撃が腕に伝わった。
重い。
これが……戦うってことなのか。
僕は歯を食いしばり、目の前の敵を見た。
やらないと。
今、ここでやるんだ。
逃げるわけにはいかない。
僕は勇者になってしまったんだ。
僕は聖剣を握り直した。
そして――
力いっぱい、剣を振り抜いた。
「星斬!」
光を纏った聖剣が、魔族兵を斬り裂いた。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸が漏れる。
足元を見る。
そこには、さっきまで僕に剣を向けていた魔族兵が倒れていた。
殺した。
その事実が、頭の中を駆け巡る。
訓練で藁人形を斬ったことなら何度もある。
けれど、あれとは全く違った。
剣を振ったときの重さ。
手に残った、あまりにも生々しい感覚。
「うっ……」
胃の奥から込み上げてくるものを、必死に飲み込む。
覚悟はしていた。
戦場に行けば、敵を傷つけることになる。
場合によっては、殺すことになる。
そんなことは、分かっていたはずだった。
それでも、実際に生きている相手を斬った瞬間、その覚悟が何の意味も持たないほどの恐怖が込み上げてきた。
僕は震える手を見つめる。
だけど。
僕は勇者だ。
ここで立ち止まっているわけにはいかない。
それに、仲間だってついている。
1人じゃない。
そう思うと、震える手にもう一度力を入れることができた。
遠くでは魔法が飛び交い、剣戟の音が響いている。
そして、その向こうから新たな魔族兵がこちらへ向かってきていた。
怖い。
それでも――戦わなければ。
僕はもう一度、前を向いた。
――それから、しばらくの間。
「押し返せ!」
兵士の1人が叫んだ。
魔王軍との戦いは、すでに混戦になっていた。
それから何度、聖剣を振ったのか分からない。
目の前に敵が現れるたび、僕は剣を振った。
怖かった。
それでも止まることはできなかった。
「勇者様だ!」
どこかから声が聞こえた。
「勇者様が戦ってるぞ!」
「俺たちも負けるな!」
周囲の兵士たちの声が上がる。
……僕が?
僕はただ、怖くて必死に剣を振っているだけだ。
それでも、僕が戦うことで誰かが勇気を出せるのなら。
「……っ!」
迫ってきた魔族兵へ踏み込み、聖剣を横薙ぎに振り抜く。
「星斬!」
光を纏った聖剣が魔族兵を薙ぎ払う。
「すげぇ……」
近くにいた兵士の口から声が漏れた。
その声を聞いている余裕なんて、僕にはなかった。
別の場所では、ガルヴァンが槍を振るって魔族兵を牽制している。
その背後から、リリアの魔法が飛んでいく。
「――アイススピア!」
氷槍が敵の足元で弾ける。
さらにセレネが手を掲げた。
「どうか、彼らに加護を」
淡い光が僕たちや周囲の兵士たちを包み込む。
僕だけじゃない。
ガルも、リリアも、セレネも戦っている。
「敵、まだ来るぞ!」
兵士の声に前を見る。
新たな魔王軍がこちらへ押し寄せてくる。
まだ、終わらない。
僕は荒く息を吐きながら、もう一度聖剣を構えた。
――敵の足音が遠ざかっていく。
撤退を告げる濁った角笛の音が、夕闇の戦場に虚しく響いていた。
「……終わった、のか?」
撤退する魔王軍の背を見ながら、僕は立ち尽くしていた。
鎧には返り血がこびりつき、いくつもの傷が残っている。
鼻を突く血と汗の匂いが、戦いに必死だった僕を現実へと引き戻していく。
沢山の魔族を殺した。
戦争だから。
勇者だから。
……仕方のないことだ。
そう思おうとしても――
僕が殺した。
「うぷっ」
胃の奥から込み上げてくるものを、必死に堪える。
どうして、僕は勇者なんかになったんだろう。
あの時、聖剣を抜かなければ。
こんな場所に来ることもなかった。
こんなにも多くの魔族を、この手で殺すこともなかった。
……勇者になったことを、後悔した。
その後悔を抱えたまま、僕の初陣は終わった。




