01. 最前線へ
——翌日。
教会の一室で、アステルは見慣れない天井を眺めながら目を覚ました。
昨日まで暮らしていた部屋とは違う。
広い部屋に大きなベッド。
壁には上品な装飾が施され、部屋の一面を占める大きな窓からは朝の光が差し込んでいる。
ここは、勇者のために用意された部屋だった。
勇者……。
昨日、僕は聖剣を抜いた。周囲が歓喜に沸く中、僕だけが状況を飲み込めないまま、気づけば世界が変わっていた。
少し前まで世話係のあの人とゆったりと生活していた。
それなのに昨日からは、大勢の大人たちが僕の周りで忙しなく動き回っていた。
聖剣を抜いた。その瞬間から自分は勇者になったらしい。まだ、実感は湧かなかった。
……あの人に何も挨拶できないまま、ここへ連れて来られてしまったけど、大丈夫だろうか。連絡は行くと神官の方が言っていたが心配だ。
子供の僕には大きすぎる鏡の前で、用意されていた白銀の軽装鎧一式と黒いブーツを身につけた。
その白銀の輝きが僕には眩しかった。自分でも分かるくらい装備に着せられている。
まるで、未熟な僕を隠す仮面のように感じた。
最後に、壁に立てかけられていた聖剣へ手を伸ばす。
柄を握った瞬間、昨日感じたあの不思議な感覚が嘘だったかのように、剣は僕の手に馴染んだ。
毎日のように素振りに使っていた木剣よりも、ずっと自然に手に収まる。
その感触が、嫌でも思い知らせてくる。
——この剣は、僕のものなのだと。
恐ろしくなった僕は、すぐに聖剣を鞘に収め、腰に差した。
「ふぅ」
そっと一息つき、鏡の自分を見つめる。
目の前にいる少年が勇者だということが信じられない。まるで自分が自分ではないかのようだ。
それでも、腰にある聖剣の重みだけは消えてくれなかった。
どうしてだろう。どうすればいいんだろう。
「なぜ、……なぜ僕なんだ」
昨日からずっとそのことが頭から離れない。きっと僕より強い人はたくさんいる。僕より賢い人だっている。なのになぜ僕なのだろうか。頭の中をスプーンでかき混ぜられているような気分だった。
——コン、コン、コン。
「勇者様、お目覚めでしょうか?」
扉の向こうから声が聞こえた。
「はい。起きてます。」
「入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
僕がそう返すと、扉を開けて入ってきたのは、昨日、装備を部屋に届けにきた見習いの神官だった。
「大司教エドガル様がお待ちです。」
「父が……?」
それから僕は神官に案内され、教会の廊下を歩いていた。
しばらくして、重厚な扉の前で足を止める。
——コン、コン、コン。
「大司教様。勇者様をお連れしました。」
「入れ。」
扉の奥からは父の声が聞こえた。
「では、勇者様どうぞ」
そう言って神官が扉を開ける。
扉の先には広々としているが、どこか落ち着いた雰囲気の部屋が広がっていた。
部屋の奥には大きな机が置かれていて、その周囲には、いくつもの本棚が並び、聖典や魔導書、分厚い資料などが隙間なく収められていた。
壁には教会の紋章が精巧に縫い込まれた旗が掛けられ、窓から差し込む朝日が、床に敷かれた重厚なウールの絨毯を照らしていた。
質素ではあるが、どこか重々しい。ここが父の部屋。
「よく来たな。アステル」
その机の向こうに、神官にしてはがっしりとした体格の男が立っていた。
父、エドガルだった。
「お久しぶりです。父さん」
「ああ、こうして会話をするのも5年ぶりか……」
そう言った父の顔はぴくりとも動かなかった。
「まあいい、座れ。雑談をするために呼んだわけではない。お前も分かっているだろうが、聖剣についての話だ」
改めて父は僕を呼び出した理由を説明し始めた。
「聖剣を抜いたからには今日からお前は、勇者だ。わかっているな?」
「はい」
「よし、お前にはこれから魔王軍との戦争に本格的に参戦してもらう。準備はこちらで進めておく、お前はただ、命令に従って敵を殺せばいい。」
「……わかりました。」
そう告げた父の目はどこまでも冷たかった。
「まずお前にやってもらうのは、王都から北へ向かった先にあるフォルティアへの救援だ。あの街は魔王軍との戦線に最も近い街の一つだ」
父は一度、僕の顔へ視線を向けた。
「現在、あの街では魔王軍による激しい侵攻が続いている。魔王軍幹部の出現は確認されてないが……勇者としての初任務だ。失敗は許されない。心して行け」
そう言って、父は一枚の命令書を僕の前に置いた。
「詳しい作戦内容は、そこに書いてある。着く前によく読んでおけ」
「分かりました」
机に置かれた命令書を手に取る。
僕は勇者として、ただ命令に従えばいいんだ。
きっと、そうすれば大丈夫だろう。
「最後に、お前には仲間を用意してある。そのうちの一人が、この教会の聖堂で待っている。合流した後、王城へ向かえ」
そう父に告げられ僕は部屋を後にする。
——聖堂
鮮やかなステンドグラスから色とりどりの光の雫が降り注ぐ身廊の奥、淡い金色の刺繍が施された純白の法衣を纏い、金糸のような髪が肩から流れている。
まるで、御伽噺の中からそのまま現れたかのような少女が祈りを捧げていた。
……綺麗な人だ。
それが彼女を見た僕の最初の感想だった。
熱心に祈りを捧げる彼女に、僕が話しかけるのを躊躇していると、彼女はこちらを振り向いた。
その金色の瞳が、まっすぐ僕を見つめていた。
「貴方が……勇者様?」
「は、はい。一応……」
僕の返答を聞くと、彼女は小さく微笑んだ。
「お初にお目にかかります。リュシア教の聖女、セレネと申します。よろしくお願いいたします、勇者様」
「僕はアステルです。えっと……セレネ、さん?」
「セレネで大丈夫ですよ」
「うん……」
「「……」」
気まずい……。会話が途切れてしまったがセレネの金瞳は僕をじーっと見つめている。
な、何か話さないと
「あっあのー」
「なんでしょうか?」
僕が話を切り出そうとすると不思議そうに首を傾げる。
「聖女様が神託を受けたんですか?」
「はい。そうです。私が勇者様が誕生することをリュシア様からお告げいただきました」
そもそも、僕たちが王都に集められたのは、神託があったからだ。
そして、その神託をリュシア様から授かったのが、目の前にいる聖女だった。
「……じゃあ、僕が聖剣を抜くことも、神託で分かっていたんですか?」
「いいえ」
セレネは静かに首を横に振った。
「神託で告げられたのは、勇者様が現れることだけです。誰が選ばれるのかまでは、私にも分かりませんでした」
「そう……なんだ」
僕は腰に差した聖剣へ視線を落とした。
神託で僕が選ばれたわけではない。
それなら、どうして僕だったんだろう。
「ですが……」
セレネの声に、僕は顔を上げた。
「聖剣が貴方を選んだことに、私は意味があると思っています」
そう言って、彼女はまた小さく微笑んだ。
「きっと、リュシア様のお導きなのでしょう」
「……リュシア様の?」
「はい」
セレネは迷いなく頷いた。
その言葉を聞いても、僕の胸の中にある疑問は消えなかった。
けれど、聖女である彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
今の僕には、それ以外に信じられるものがなかった。
「では、勇者様。他のお二人も王城で待っているそうです。参りましょう」
そうセレネに諭され、僕たちは王城に向かった。
——王城
王都の中央にそびえ立ち、街のどこからでもその姿を見上げることのできる王城。
この国の絶対的な象徴ともいえる場所に、僕は今、足を踏み入れていた。
「ここが王城……」
廊下ですら今まで暮らしてた家より大きい……
初めての王城に僕は呆気にとられていた。
「勇者様は王城に来るのは初めてですか?」
「うん。小さい頃は孤児院にいたし、今はお世話係の人と小さい家で過ごしてたから……王城ってすごいね!」
「ふふふ、そうですね私も初めて来た時は驚きました」
初めての王城に興奮する僕にセレネは優しく微笑んでくれた。
「やっぱりセレネは来たことあるんだ」
「そうですね…仕事柄、何度か」
「セレネがいてくれて嬉しいよ。正直僕1人だったら迷っちゃってたとこだったよ」
「ふふっ。そう言っていただけると嬉しいです」
セレネはそう言って、柔らかく微笑んだ。
「それに、これも私の役目ですから」
「役目?」
「はい。勇者様をお支えすることも、聖女である私の務めです」
「そっか……」
そう迷いなく告げるセレネの言葉に、僕は少しだけ安心した。
こうしてセレネの案内について王城中を通っていくと王城の中でも一際大きな、門にも見えそうな扉の前でセレネは立ち止まりこちらに振り向いた。
「この先が騎士団の訓練所です。そこで残りのお二人が待っていらっしゃいます」
「この先に、僕の仲間が……」
どんな人が待っているんだろう。勇者の仲間というと、歴戦の屈強な騎士?どんなに離れていても、的を外さない弓の名手とか?それとももしかしてなんでも情報を持ってる一流の斥候とか……
セレネのような優しい人だといいけど。でも例えどんな人だろうと、これから命を預けて戦うんだ。最初から嫌われたりしないといいんだけど……。
心の中で期待と不安が混ざりつつ、覚悟を決めて扉を開ける。
広くて開けた訓練場の中、その真ん中に1人の人影が佇んでいた。
そしてもう1人は……槍で素振りをしている、いかつい青年だった。
「あっ来た!」
「お?あれが……」
1人が僕たちに気づくと、槍で素振りをしてた青年も素振りを止め、こちらに歩いてくる。
「君が勇者だよね?」
そう言って魔道士の格好をした女の子が声を掛けてきた。
「は、はい。一応……」
「なんだよその返事は!」
槍を担いだ彼はそう言って豪快に笑った。
「紹介させて頂きます。彼はアステル。昨日勇者の証である聖剣を抜いたので新しい勇者様です」
2人は、セレネに紹介された僕を興味深そうに見つめていた。
「そして、こちらのお二人が、私と一緒に勇者様とパーティを組んでサポートさせて頂く、魔法士のリリア様と戦士のガルヴァン様です」
「リリア様は若くして宮廷魔法士に選ばれた非常に優秀な魔法士様です。そしてガルヴァン様はすでに戦場でも名を上げていて、是非勇者様の仲間にと推薦された槍の名手です」
そうセレネが説明を終えると……
「おうっ、俺がガルヴァンだ!肩苦しいのは嫌いだ!気軽にガルって呼んでくれ」
「うん。よろしく……ガル。僕も勇者様って呼ばれるのは慣れてなくて……是非アステルって呼んで欲しいな」
「もちろんだぜ!」
見た目通り、好青年のガルはそのままニカッと笑顔を浮かべた。
「私も、リリアって呼んでね。君が勇者様か……なんて言うか……気を悪くしないで欲しいんだけど、思ってたより普通ね、君」
「うん。僕も自分が勇者だなんてまだ信じられないよ。よろしくリリア」
「まあ正直、『俺が勇者だ!』って威張られるより、君みたいな子の方が私もやりやすいよ。まぁよろしく……」
2人とも心配していたような怖い人や大人ではなく、僕と歳が離れていない青年と少女だった。
僕はそっと胸を撫で下ろし2人に向き直る。
「僕はまだ勇者になったばかりで、3人には迷惑をかけちゃうかもしれないけど、役割を与えられたからには全力を尽くしたいです。どうか僕と一緒に戦ってください!」
はぁ、はぁ……よし、ちゃんと伝えられた。
「もちろんです。私こそ全力で支えさせていただきます」
「ふんっ当然ね」
「よし!俺らが今から勇者パーティだ!俺らで魔王をぶっ倒すぞ!」
僕が勇気を振り絞って口にした言葉に、3人は頷いてくれ、ガルが声を張って槍を掲げる。
そうか。僕たちが勇者パーティか……。
こうして4人で顔を合わせた後、セレネの指示に従って国王陛下への謁見に向かう。
国王陛下……失礼なことをしないようにだけ気をつけないとと自分に言い聞かせ、セレネについて行く。
——王城。玉座の間近くの一室
謁見を前にした僕たちは玉座の間近くの一室に通された。
部屋の中ではリリアは用意されている鏡の前で身だしなみを整え、セレネはお茶を飲んでゆっくりしていた。ガルは槍を取り上げられ少し不服そうにしながらソファでくつろいでいた。
僕はというと椅子に座ったまま固まってしまっていた。
「ふぅ……緊張するなぁ」
「なーにそう怖気付くことないさ。なんせお前は天下の勇者様だぜ。ちょっとの無礼くらい許されるさ!」
嬉しいな。きっと緊張する僕を気遣っての励ましだろう。
「あんたそんな事言わないの!いくらその子が勇者だからといっても国王陛下の前なんだからしっかりしないと!」
「そ、そうだよね……しっかりしないと」
「おい!そんな今からビビらせてどうすんだよ」
リリアには怒られてしまった。そうだよね、国王陛下の前で無礼なんてはたらけないよ。
「大丈夫です。勇者様なら大丈夫です」
セレネは僕の目を見つめながら励ましてくれた。
そうやって心配しながら待っていると扉がノックされた。
「失礼します!勇者様ご一行の皆様、国王陛下がお待ちです。こちらへどうぞ」
僕たちを呼びに来た騎士に連れられ玉座の間の前に案内された。玉座の間の扉は訓練所の扉よりは小さいが他の王城の扉には無かった細かな細工がいくつも施されていた。
「勇者アステル様、聖女セレネ様、宮廷魔法士リリア様、戦士ガルヴァン様——国王陛下へのお目通りです!」
騎士がそう告げると、豪華な扉が開かれ、その先に広がっていたのは、今まで見たこともないほど広大な部屋だった。
高い天井まで伸びる柱が左右に並び、壁にはアルケイオン王国の紋章が刻まれている。
長く伸びた赤い絨毯の先には、一段高くなった壇上があり、その中央に一つの玉座が置かれていた。
その玉座に座る男こそ、この国を治める国王――レオニス3世だった。
左右には何人もの騎士や重臣たちが並び、僕たちを静かに見つめている。
その光景を前にして、僕は思わず息を呑んだ。
ここが、この国の中心なのだ。
昨日まで小さな家で暮らしていた僕には、あまりにも遠い世界に感じられた。
多くの人に見られながら玉座の間を進み陛下の前で膝をつく。
少しの沈黙の後、陛下が口を開く。
「余がアルケイオン王国18代国王、レオニス3世である。アステルよ、良くぞ聖剣を抜いた。余の名のもとに其方を勇者として認めよう」
「はっ。謹んでお受けします」
陛下がそう告げると玉座の間で大きな喝采が上がった。
こうして僕は、国王陛下によって正式に勇者として認められた。
けれど——。
大きな歓声の中、僕だけが取り残された気分だった。
「それではアステルよ、早速其方に勇者として任務を与える。魔王軍の侵攻を受けるフォルティアへ仲間を連れて向かえ」
「はい」
「人類の未来は其方達にかかっている。頼んだぞ。」
「……はい。」
僕が返事をすると、国王陛下はそれ以上何も言わなかった。
謁見を終えた僕たちは、すぐに出発の準備へと移った。
用意されていた馬車に荷物を積み込み、必要な装備を確認する。
昨日まで、こんな大きな戦いに関わることになるなんて考えたこともなかった。
それなのに――。
気づけば僕は、王都アルヴェリアの門前に立っていた。
「……本当に、行くんだ」
僕は北へ続く街道を見つめる。
その先にあるのは、魔王軍との戦線。
僕たちの最初の戦場、フォルティアだった。




