10. 岩山の咆哮
岩山の道を登るにつれ、木々はまばらになり、剥き出しの岩肌が目立つようになった。
足元の小石を踏みしめながら、僕は先を行くガルの背中を追った。
曲がりくねった道を抜けると、不意に視界が開けた。
山腹から張り出すように、平らな岩場が広がっている。片側には切り立った岩壁が続き、反対側の縁からは、下の谷が見渡せた。
ガルに続き、僕たちも広い岩棚へ足を踏み入れた。
かつん、と小さな音がした。
岩壁の上から落ちてきた小石が、僕の足元で跳ねる。
顔を上げた、その瞬間だった。
大きな影が、僕たちを覆った。
「上だ!」
ガルの声に見上げる。
翼を畳んだ巨体が、岩壁すれすれを滑るように降下していた。
鋭い爪が開く。
「皆さん、動かないで!」
セレネが両手を掲げた。
「リュシア様、どうか守りの光を。迫る刃を阻む壁となれ——聖壁!」
淡い光が僕たちの頭上に広がり、一枚の壁を形作った。
直後、凄まじい衝撃が響いた。
光の壁に爪が食い込み、目の前で火花のような光が散る。
巻き起こった風に砂埃が舞い、僕は思わず腕で顔をかばった。
「……っ!」
セレネが歯を食いしばる。
結界の表面を、細かなひびが走った。
巨体は僕たちの頭上をかすめると、大きく翼を打った。
風に煽られた小石が岩棚を転がり、その縁から谷へ落ちていく。
僕はようやく聖剣を抜いた。
「今の……」
見上げた先で、灰褐色の翼が広がった。
硬そうな鱗に覆われた身体。後ろへ伸びる長い尾。
その脚には、結界を引き裂こうとした爪があった。
——竜だ。
本の挿絵でしか見たことのない姿が、今、僕たちの頭上にある。
さっき見た影は、こいつだったのか。
竜は上空を大きく旋回し、再び僕たちへ頭を向けた。
「セレネ、大丈夫?」
リリアが杖を構えたまま尋ねる。
「はい。でも、何度も受け止めるのは……」
「散らばるぞ! 縁には近づくな!」
ガルが槍を構え、岩棚の中央へ進んだ。
僕も周囲を確かめた。
岩場は広く、互いに距離を取っても動けるだけの余裕がある。ただ、外側へ逃げれば、その先は谷だった。
僕はガルから少し離れ、背負っていた荷物を足元へ下ろした。
リリアとセレネも岩壁寄りへ移動する。
頭上から、鋭い鳴き声が降ってきた。
翼が傾いた。
また、来る。
僕は聖剣を両手で握り、魔力を込めた。
「——星装」
刀身に光が走る。
足を踏ん張り、降下してくる竜を見据えた。
「俺が止める!」
ガルが前へ出た。
突き出された鉤爪を槍で受け止めた瞬間、鈍い音が響く。
ガルの足が岩肌を擦り、わずかに後ろへ滑った。
それでも踏みとどまり、竜の爪を押し返す。
僕はその横から踏み込んだ。
「——天墜!」
光を纏った聖剣を、竜の脚へ振り下ろす。
硬い手応えとともに鱗が砕け、刃が深く食い込んだ。
「ウィンドカッター!」
続けて、リリアの放った風刃が砂や小石を巻き上げながら竜へ迫る。
翼の付け根を切り裂かれ、竜が咆哮を上げた。
大きな翼が激しく空気を叩く。
吹きつける風に目を細めながら、僕は聖剣を引いて身を退いた。
竜はガルの槍から爪を離し、傷ついた身体を持ち上げるように上空へ舞い戻った。
「私が上に回って、叩き落とすわ! ガルフォンは落ちてきたところをお願い! アステルは下から光魔法で狙って。セレネはその援護を!」
リリアの足元で風が渦を巻いた。
砂埃を押し広げながら、その身体がふわりと浮き上がる。
竜がリリアへ首を向けた。
僕は聖剣を鞘へ収め、両手を空へ向けた。
掌に魔力を集める。
光が膨らむにつれ、竜の視線がこちらへ移った。
喉の奥が、赤く輝いた。
「セレネ!」
「大丈夫です。続けてください!」
竜が顎を開く。
轟音とともに、炎が滝のように降り注いだ。
思わず足が退きかける。
けれど、僕は踏みとどまり、両手の光へ意識を戻した。
セレネが守ってくれる。
今は、僕にできることを。
「リュシア様、どうか守りの光を。迫る刃を阻む壁となれ——聖壁!」
頭上に広がった結界へ、炎が激突した。
視界が赤く染まり、光の壁の向こうで炎が荒れ狂う。
「……っ!」
隣から、セレネの息を詰める声が聞こえた。
それでも結界は消えない。
僕は掌の間に集めた光を、さらに強く輝かせた。
やがて炎の勢いが弱まり、竜の姿が見えた。
大きく翼を広げたその胴体へ、両手の狙いを定める。
「我が光よ、無数の星となりて敵を射抜け——星雨!」
掲げた手の先から、無数の光弾が一斉に走った。
竜が身を捻る。
けれど、光はその動きよりも速く、胴体へ次々と突き刺さった。
鱗が弾け、咆哮が響く。
片翼が大きく揺らぎ、竜の身体が傾いた。
その上へ、リリアが回り込んでいた。
竜は激しく羽ばたき、姿勢を立て直そうとする。
しかし、リリアの杖はすでにその背へ向けられていた。
「炎よ、燃え上がれ——炎柱!」
竜の頭上で火が膨れ上がった。
渦を巻く炎が柱となって降り、広げかけた翼ごと巨体を呑み込む。
竜が悲鳴のような声を上げた。
翼を打とうとするたび、炎の勢いに押され、身体が沈んでいく。
「ガルフォン、落ちるわ!」
リリアが風に乗って離れる。
ガルはすでに、岩棚の中央へ走っていた。
落ちてくる巨体を見上げ、槍を握り込む。
「雷よ、我が四肢に宿れ。踏み出す一歩に速さを与えよ——迅雷!」
青白い雷が、ガルの全身を駆け巡った。
金髪が逆立ち、槍を握る腕にも細い稲妻が走る。
次の瞬間、竜が岩棚へ叩きつけられた。
足元が揺れ、砕けた石が跳ねる。
巻き上がる砂埃の中で、ガルが低く身を沈めた。
雷光が、地を走った。
竜が首をもたげる。
その喉元へ飛び込んだガルは、突進の勢いを乗せて槍を突き出した。
穂先が逆鱗を砕き、深く突き刺さる。
耳をつんざく咆哮が響いた。
竜は岩肌を爪で掻き、全身を激しくよじった。
太い尾が持ち上がる。
槍を握るガルの背後へ、叩きつけようとしていた。
僕は聖剣を抜き、駆け出した。
「——星穿!」
光を纏った刃を、振り下ろされる尾へ突き立てる。
重い衝撃が両腕を襲った。
歯を食いしばり、剣を押し込む。
刃は尾を貫き、その下の岩へ食い込んだ。
「ガル、離れて!」
僕の声に、ガルが槍を引き抜いて飛び退く。
竜が再び身をよじり、聖剣を握る僕の腕まで引かれた。
「そのまま、少しだけ!」
セレネが両手を掲げた。
淡い光の壁が竜の左右に立ち上がり、暴れる巨体を挟み込む。
頭上にも結界が広がり、翼が押さえられた。
尾にかかる力が弱まった隙に、僕は聖剣を抜いて後ろへ跳んだ。
竜はなおも結界を爪で掻いた。
けれど、その動きは次第に鈍くなり、喉から漏れる唸り声もかすれていった。
やがて首が力なく落ち、岩肌に横たわった。
僕は聖剣を構えたまま、その姿を見つめていた。
翼も、尾も、もう動かない。
荒い呼吸の合間に、岩山を吹き抜ける風の音が戻ってきた。
「……終わった、のか?」
ガルの呟きに、僕はようやく聖剣を下ろした。
しばらく休み、息も整ったところで、僕たちは出発の支度を始めた。
岩棚を後にした僕たちは、再び山道を歩いていた。
ガルの荷物には、来たときにはなかった袋が括りつけられている。
「それ、竜の鱗?」
僕が尋ねると、ガルは頷いた。
「ああ。リリアが使えるって言うから、いくつか採ってきた」
「牙も少しね。せっかくだから、持っていこうと思って」
リリアが振り返る。
「あんなに硬いもの、何に使うの?」
「鱗なら防具ね。硬くて丈夫だから、加工できればいい素材になるのよ」
「……確かに」
竜の身体を覆っていた鱗が、今度は誰かを守るものになる。
そう考えると、少し不思議だった。
「次の街で、扱える職人がいるか聞いてみるつもりよ」
「僕も一緒に行っていい?」
「もちろん。気になるものがあったら、自分で聞いてみるといいわ」
ガルが肩越しに笑った。
「だったら、俺も槍を見てもらうかな。あの爪を受けたからな」
言いながら、手にした槍へ目を落とす。
「皆さんも、痛むところがあったら教えてくださいね」
セレネの言葉に、ガルは空いている方の腕を軽く回した。
「今のところは平気だ。アステルは?」
「僕も大丈夫」
答えてから、聖剣を押し込んだときの感触を思い出し、そっと指を開いた。
少し疲れてはいたけれど、痛みはなかった。
「じゃあ、暗くなる前に山を下りましょ」
リリアが道の先へ目を向けた。
僕も頷き、足元の石を踏み越えた。




