真相の痛み(3/3)
「じゃあ、あの三日間、私は何を待っていたの?」
「私は、子どもを返してもらえるのを待ってたのよ」
「でも本当に私が産んだ子は、もうとっくに、お前たちに死なされて、処理されて、それで終わってたっていうの?」
ゾルは答えなかった。
いまこの場では、沈黙こそが最も正確な答えだったからだ。
傍らに立つ明は、全身が冷えていくのを感じていた。
自分は代用品だった。
その事実こそが一番痛いのだと思っていた。
だが違う。
本当に痛いのはそこではない。
彼女を慰める資格さえ、自分の中で揺らぎ始めていることだった。
彼女が失った本当の子どもは、確かに自分ではないのだから。
そのとき、ゾルが再び口を開いた。
しかも今度は、その声音には本当に、かすかな賞賛のようなものすら混じっていた。
「ですが、あなた方人類には、私の好きな言葉があります」
「最後まで行かないうちに、結論を急ぐな」
白石紀惠が、はっとしたように目を上げる。
琉璃もまた、ゆっくり顔を上げた。
ゾルの視線は、彼女――天城琉璃へ向けられる。
「あの個体は、確かに一度、あなた方人類の手の中で死にました。
ですがその後、我々が拾い上げたのです」
空気そのものが凍りついたようだった。
白石紀惠の瞳が、ゆっくりと見開かれていく。
そこに、もう一度だけ希望が灯りかける。
ゾルは、一語ずつ、明確に告げた。
「我々は、その個体を蘇生した。
再び生命徴候を安定させ、
再び培養し、
再び看護した」
彼は少し間を置く。
「最も長くその個体を見守り、最も多くを注いだのは、四十八号です」
天城琉璃の顔色が、少しずつ白くなっていく。
ゾルは琉璃を見つめ、わずかな遺憾を滲ませて言った。
「だから私はずっと思っていたのですよ――あなたは、我々をそこまで拒絶すべきではなかった、と」
明が、ようやく何かに気づいたように、勢いよく振り向く。
白石紀惠もまた、少しずつ、少しずつ、視線を琉璃へ移した。
その目には最初、空白しかない。
次に、信じ難いという色が差す。
最後に、ほとんど本能に近い震えが宿る。
「……そんなはず、ない」
彼女は言った。
それはゾルを否定する声であると同時に、心の底でとっくに浮かび上がっていた答えを、自分で否定する声でもあった。
ゾルは、その答えを穏やかに言葉にした。
「あなたが本当に産んだその子は、完全には消えていません」
「ここにいます」
その視線が、再び天城琉璃へ落ちる。
「天城琉璃――それが、その子です」
その瞬間、白石紀惠は呼吸することさえ忘れた。
目の前の少女を見る。
以前からどこかおかしいと感じていた顔。
見覚えがある気がしていた顔。
理由もなく胸が痛んでいた顔。
錯覚ではなかった。
憐れみでもなかった。
自分の身体のほうが、自分自身より先に気づいていたのだ。
「天城……琉璃?」
白石紀惠が名を呼んだとき、その声はもう、砕けた欠片のようだった。
天城琉璃は、その場に立ったまま、最初から最後まで静かだった。
人前で叩き割られ、それでもまだ倒れずにいるガラス像のように、静かだった。
長い沈黙のあとで、彼女は低く一つだけ問う。
「じゃあ、私は……作られた存在じゃなかったのね……」
ゾルは彼女を見る。
「あなたは奪われ、そして我々に拾い上げられたのです」
その言葉が落ちたあと、天城琉璃はようやく目を閉じた。
自分には家がないと思っていた。
その後は、自分は最初から最後まで道具にすぎないのだとも思っていた。
だが本当は、もっとずっと前に。
彼女も一度は、ひとりの「人」として、ある女にちゃんと産まれていたのだ。
ただ、その身分ごと奪われていただけだった。
白石紀惠は、もう立っていられないように、よろめきながら半歩前へ出た。
触れたい。
けれど、触れていいのかわからない。
これもまた新しい夢なのではないかと、恐れているようだった。
その隣で、明の指先は少しずつ、白くなるまで握り締められていた。
彼は紀惠を見て、そして琉璃を見た。
胸の中を、大きく何かが抉り取っていくようだった。
けれど、その空洞の中にあったのは憎しみではない。
言葉にならない鈍い痛みだけだった。
彼はようやく理解したのだ。
自分は、彼女が本当に産んだ子ではない。
だがこの十六年、彼女が自分に与えてくれた食事も、衣服も、手当ても、庇護も、待ち続けてくれた時間も、全部が嘘だったわけではない。
自分は白石紀惠の血の繋がった子ではない。
それでも、たった一言「代用品」で消せるような存在でも、もうなかった。
ゾルは、目の前のすべてに満足しているようだった。
だからこそ、ゆっくりと最後の説明を継ぎ足す。
「では、白石明についてですが――」
「あなたのもとへ送られたE-0として、当初は安定的に成長していました。
ところが予想外にも、あなたの庇護の下で、彼は想定以上に良く育った。
やがて門を開ける閾値へ近づき、あと一歩というところまで来た――そこで我々は考えたのです。共鳴によって信号を増幅させれば、『門』を前倒しで開けるのではないか、と」
「だから沈星璃を、彼の住む都市へ移し、同じ学校へ転入させたのです」
明の目が、鋭く冷えた。
あれ以降に起きた一連の出来事――あまりに急で、あまりに容赦のなかったことどもが脳裏に蘇る。
「最初から全部、計算してたのか」
「いいえ」
ゾルは微笑んだ。
「計算していたのは半分だけです。
残り半分は、あなた方人類が自分で与えてくれた」
その声は柔らかい。
だが語っているのは、あまりに成功した実験の総括だった。
「人類上層部の監視下では、我々はあまり多くをできない。あまり露骨にもできない。だから待つしかなかった――十分に大きな事故が起こるのを」
「ですが我々も、あなたたち二人が安寧署の追跡の中で、あそこまで互いを追い詰めるとは思わなかった」
「生死、恐怖、牽引、共鳴……」
ゾルは小さく笑う。
「そして、『門』は本当に開いたのです」
明は彼を睨みつけた。
その目には冷気しかなかった。
そのとき、琉璃もまた、ゆっくりと目を開く。
その瞳には、もはや驚愕だけではない。
これまで一度も宿ったことのない冷たいものが、はっきりとあった。
けれどゾルは、まるで意に介さない。
三人を眺めるその目は、ようやく自分の望んだ位置に収束した劇を眺める観客のようだった。
「ですから、私は言ったでしょう――」
「我々はいつだって、あなた方がもたらす“想定外”を好んでいるのです」
銀色の高空の彼方で、極めて遠い光がゆっくりと掠めていく。
まるで、さらに高位の何かがここを見下ろしているかのように。
あるいは、銀海星では珍しい霊潮能の揺らぎを、静かに味わっているかのように。
そしてついに、白石紀惠は震える手を、天城琉璃へ伸ばした。
琉璃は避けなかった。
ただ、立っていた。
十六年遅れの震えを宿したその手が、そっと自分の頬に触れるのを、そのまま受け入れた。
とても軽い触れ方だった。
けれどそれは、どんな真実の言葉よりも、重かった。




