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挿話108 立花誾千代(キタカ国将軍)

 ――――白起がイリスの元に到達する7分前。



 ハッと目が覚めた。


 どれくらい気を失っていたのだろう。

 分からないけど、まだ自分の傍で転がっているスパルタクスが起き上がっていないことから、ほんの数分というところだろう。


 それでもこんな敵地のど真ん中で落ちるなんて。

 なまってるわ。いくらギリギリの戦いだからって、油断しすぎ。


 頭を振って意識をハッキリさせる。

 床に転がる男を見た。時折ぴくぴくと筋肉を痙攣けいれんさせることから、生きていることは間違いない。


 とどめを刺そうか。そう思ったけどやめた。

 私は別に人殺しがしたいわけじゃない。そしてそれはきっとイリスも望んでいない。あの優しい子は。きっと。


 だから今は。戦いと気絶で無駄になった時間を取り戻すべく、奥に向かうべきだ。


 立ち上がる。頭がふらつく。

 左肩と右腕。

 今更ながらに痛みが走り、めまいがした。


 傷は深くはない。けど血が断続する痛みと共に流れ出しているようで、放置できるものでもない。

 だから傷薬を塗って、腰布を引き裂くと患部の血止めをする。これでいい。


 そのまま部屋の奥へ。扉がある。なぜか開いた扉の向こう側から矢が突き立っているが、今は脅威はない。

 何の妨害もなく、それを潜り抜けた。


 そこで見たのは破壊の跡だった。


 並べられた椅子はことごとくが破壊され、壁や柱には矢がささり、さらには穴があいた跡も見える。


 うちらの中で矢を持っているのはいなかった。つまりこれは敵の攻撃。そして対するこの穴、銃によるものだ。これも銃を持っているのはいなかったけど、それが異能によって果たされるとするなら、ここにいるのは――


 人の気配を感じてそちらに足を運ぶ。

 壁を背にして座り込んだ少女がこちらに気づいたように顔をあげた。


「確か、八重」


「ああ……立花の」


 疲弊しきった様子で八重が応える。

 その額には汗が浮かび、疲労と貧血で顔色が少し青くなっているように思えた。

 おそらくその原因は、赤に染まった両手。そして左手を貫通した矢の存在だろう。


 そして対するのは、彼女の傍に横たわるもの。血だらけの女性の死体が、この激闘を物語っていた。


「…………」


「見ての通りさ。そっちは無事なんだね」


「とにかく、傷の手当てを」


「……ええ、お願い」


 私は彼女の隣に膝をつくと、脇差で八重の左手に刺さった矢の、矢羽根の方を切り落とす。そうしないと矢を手のひらから引き抜けないからだ。


「いくわよ」


「ええ」


「1つ、2つ……3つ!」


 同時に矢を引き抜く。

 押し殺した悲鳴を聞いた気がした。矢傷は男でも悲鳴を上げると旦那から聞いた。それをこらえたこの人は、生中な覚悟ではないだろう。


 私はその手に傷薬を塗り込み、余った布でぐるぐるに巻く。


 出血はそこまでじゃない。

 どちらかというと貫通した矢。それが砕いた骨のことを考えると、再び元に戻るかは微妙だ。確か彼女は鉄砲撃ちだったか。この手で再び銃が握れるかは分からない。


「心配してくれている?」


「え?」


「銃坐を固定する左手。じっと見つめられれば、そう思う」


「……その、なんというか」


「いいの。別に銃を撃つことが好きだったわけじゃないから」


「そう、なの」


「ん。生き延びるために、守るために必要だっただけ。けど、これでもう終わるんでしょう? だったら、私に銃はもう要らない」


 そういうものなのか。

 私にとって、武器を置くというのは死と同義だった。生き延びるため、守るため。それは生きることと同じ。太平の世になっても、次なる戦が呼び起こされて続いていく。そういうものだと思っていたから。


 これが時代の差なのか。


 そう思うと、この出会いも不思議なものだと思う。


 そして、お互いに目指すものが同じというのも。


「あなたはここで休んでて。私は先に行くから」


 雷切の乱発で頭痛はするわ、スパルタクスとの戦いで体中が痛いけど今は急いでイリスの元へ駆けつけるべきだ。そう感じた。


「私も、行く」


 だからそう、八重が言い始めた時にはどうしようかと迷ったものだった。


「でも、その傷じゃ……」


「傷は手だけ。動けはする、わ」


 それにしてはいたるところから血がにじんで満身創痍なわけだけど、彼女の覚悟にこれ以上水を差すのはよくないと感じた。


「分かった。立てる?」


「ええ」


 手を差し伸べた。真っ赤に染まった彼女の右手が握り返してくる。もうほぼ血は乾いていて、かさかさとした感触が返って来た。


 八重を起こして、次の部屋へと向かう。


 その時だ。


 ゾクッとした。


 足音が響く。

 奥からじゃない。私が来た、前の部屋からだ。

 誰かがこの部屋に入って来た。まさかあの倒した男か。

 いや、けどそれにしては存在感と殺気が段違い。私にやられたことで怒り心頭というならもっと荒々しい足音になっているはず。

 なのにその音は、ここが戦場のど真ん中だということを忘れさせるように、冷静で乱れがなく、かつ力強かった。


 男だ。

 すらっとした体躯。それでも近寄りづらいほどの圧が、その人物から発せられている。

 その顔は先ほどチラッと見た。イリスから聞いた情報とも整合性が多い。


 つまり――


「……白起っ!!」


 敵の総大将。そしてウェルキンゲトリクスをはじめ、様々な男たちを討ち取って来た人物。


 すでに疲労困憊の私と八重。それでこの男に勝てるのか。

 隣の八重も緊張で強張ったのを感じた。


 対する白起は、私の方を一瞥して、そして視線は下へ。女の死体へと視線を移すが、それもまた一瞬。

 興味のなさそうに視線を前に戻すと、そのまま歩き出す。


「待て!」


 このまま見逃せない。イリスのもとに行ったら何が起こるか。その前に、たとえガス欠の私でもなんとか――


 けど、その足は一歩で止まった。


 足を止め、振り返る白起の視線。

 その射抜くような、魂を消し飛ばすような視線が、私の足を止め、反抗する気力を萎えさせる。


 勝てない。

 そう一瞬で感じるほどに。


 殺されるのか。何もしないまま。


 そう思ったが、男が口にしたのは意外な一言だった。


「命を無駄にするな」


 それだけ言うと、さっさと次の部屋へと向かっていく。


 伝え聞く白起という男の残虐性、異常性。


 なのになんだろう。

 今の彼は、なにかあの男。違う。そう感じてしまった。

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