第142話 最高と最凶
思いはもう、止まらなかった。
禅譲など許せない。だから当初の予定通り、ゼドラ太守を捕縛して人質にする。
「イリスちゃん」
ラスが呼びかけてくる。
その瞳には決意の色が厚く浮かんでいた。
彼女も分かってる。僕らが何をすべきか。
この偽皇帝を捕まえ、
それは皇帝の意思に反することだ。帝国の法からすれば処刑されても文句はない罪状。不敬罪。
だけどもうそうするしかない。ここまでの戦いを、犠牲を無駄にしないこと。それでありながらこの少年皇帝を救う。
それには自分が犠牲になるしか。
そしてそれはラスにも伝わっていた。
それが嬉しくて、やることが決まれば体も軽くなる。
だから僕とラスが同時に踏み出した。その時だ。
「待て、イリス」
皇帝から待ったが入った。
けどそれで止まらない。止まるはずもない。
呆然としたアイリーンとマシューの横を通り抜け、なにかぎゃーぎゃーわめいていたゼドラ太守。その顔色が真っ青に染まり、言葉を失って固まっている、未だにベッドから起き上がろうともしない無防備な男に向けて迫る。
これですべてが終わる。
そう確信した。
――その時だ。
「待てと言っている」
ぞくり、とした。
皇帝と言ってもまだわずか10歳。そもそもが僕らに嫌がらせをしたり、我がままばかりのクソガキでしかないから、尊敬などないし、そもそも臣下になった覚えもない。
というか僕が本気を出せば1秒で制圧できる。それだけの力の差もある。
だが今の言葉は。
僕に命令するその言葉は、百戦錬磨の僕をしても肝を冷やすような威厳と重厚に満ち溢れたもので、思わず立ち止まってしまった。
それはラスも同じようで、ピタリと固まったまま動かない。
「しかし、陛下」
抗議の意味を込めて返す。あなたにも分かっているはずだ、と。
この戦いの結末。何もかも投げ捨てて終わらせるか、全てを受け入れて続けるか。僕らにはその二択しかない。
そして人を思いやる優しさがあるならば。
それは後者しか選ぶべき道はなく。
きっと彼はそういう人間だと、僕は知らなくても、ラスがずっとそばにいるのはそういうことだろうと思うから。
「吾輩はようやく悟った。ゼドラの太守に帝位を譲る。それで全てが終わるんだと……」
だから誰もが黙って彼の言葉を聞く。それが受け入れられない内容だとしても。
いや、1人を除いて。
「おお、そうだ。譲れ。余に帝位を! そうすれば神聖なるゼドラ帝国皇帝の寝室に侵入したという貴様らの大罪を、一等減じてやろうではないか!」
そろそろ頭が痛くなってくる。どうやって育てばここまで自分本位な人間が出来上がるのか。
しかも不運なのは、これが一国のトップということ。太守はイース国以外世襲ではなかったはず。だとすれば、この男はどうやって太守になったんだろう。まぁきっと綺麗な方法ではないだろうことは容易く分かる。
誰もがゴーヨのことを無視し、皇帝の次の言葉を待つ。
そしてその視線を受け、苦笑に似た小さな笑いを1つ浮かべた皇帝は、次のように言い切った。
「やはりだめだな。貴様のような下賤の者に、くだらなくてどうでもいいものでも明け渡すわけにはいかない」
「陛下!」
アイリーンの声に活気が戻る。
ラスの顔がこちらを向いた。僕も見返す。それですべてが伝わった。
「アカシャ皇帝の名において命ずる! イリス、ラス! この不埒者を捕まえ、吾輩の前に引きずり出せ!」
「はっ!」
軽快に答えた。
それだけに愉快だった。
こうして国のトップに命令される。そんなことが自分にできるのかということ。
何より過去。僕は会社のために次々と指示された相手を貶めてきた。それが正義だと信じ、自分の未来のためになることだと思って。
その果てが、自分自身の追放という、ブーメランのように戻ってきた罪に対する罰。トカゲのしっぽ切り。
何の意味もない、誰も幸せにならなかった結末。
それが今は。これで僕が切り捨てられたとしても、構わない状況だ。
この後に僕が罰を受けても、少なくともこのゼドラ太守という全ての元凶は取り除ける。確実に未来は残る。ラスたちの、平穏という名の褒美は受け取れる。
それでいいと思った。
それがいいと思った。
こんな嘘と欺瞞と血にまみれた、この世界とはまったく関係ない僕が生き残るより。
ラスや姉さんのような人たちの未来の方が、万倍素晴らしい。
1つ、心苦しいと言えば。
僕と同心のイリス・グーシィンという存在。
「イリスちゃん」
ラスが視線を向けてくる。
僕はうなずいた。
そして歩き出す。
迷いは断ち切った。賽は投げられた。あとはもう、進むのみ。
距離はそうない。
ラスと2人。横並びで進む。
「な、な、ななな……なんだ、貴様ら! よせ! 近づくな!」
近づいて改めて男を見る。怯え震える、肥え太った30代の男。醜悪だ。そう思えるほどに、この男は俗物すぎた。
「命までは奪わない。けど、自分のしてきたこと。自分の起こした罪。それを受け止めながら、獄に繋がれ」
「よ、余が何をした! 余は何もしていない! むしろしたのは皇帝だろう! 帝位にあることを驕り、圧政で人々を苦しめ、世界の富を独占した! 余はそれを正しただけだ! 革命だ! それによって世界に平和が――」
「もういい、喋るな」
「う、うるさい! だ、誰か! 誰かぁ!!」
わめき叫ぶ子供のような大人。
近づきたくない。けどラスにはもっと近寄って、というか触れてほしくなかった。
だから僕がさっさと終わらせようと一歩、さらに踏み出した時だ。
「っ!?」
何かを感じた。
それは毎度のごとく。軍神の勘。
それが危険だと告げている。
けど何が。この男? 泣きわめき、ただ駄々をこねるだけの子供が?
違う。ここじゃない。この部屋じゃない。
外。この部屋の外から感じる何か。
危険。
「ドアから離れて!」
咄嗟に叫んだ。
ドアの近くにいる皇帝とアイリーンとマシュー。
その体が弾けた。
轟音と共に。
思わず立ちすくむ。
吹き飛ばされた皇帝たちの安全も二の次。
目の前で起きた状況が信じられない。
ドアは蝶番から吹き飛び、床に2つ転がっている。さらに僕が重しとするために置いた棚も、真っ二つになって床に転がっている。
鍵を閉めて重しで封じたはずの寝室のドア。それが今や、完全に破壊されて防ぐものも何もなくなっていた。
自然現象でそうなるはずがない。
起きたのは人為。
起こしたのは1人の人物。
ドアのあったところに立つ、背の高い男。それだけなら、ただの青年としか思わない。
だがその発する気は、常人ならへたり込んで命乞いをするほどに凶悪。重圧感もあるこの男の存在感に目が離せない。
「白起……!」
最凶が
最後の最後で僕の目のまえに立ちふさがる。




