挿話107 望月千代女(イース国間諜)
倒れた。
それは理解できた。
同時に理解したこともある。
視界はどうやら天井を見上げているらしく、そこにある硝子細工というらしい、火をつけるための灯篭みたいな照明装置が天井にあることは理解した。
そしてそこに立つ影も。
男はただ突っ立っている。いや、わずかな動き。光を受けて影と化した男の動きは分かりづらい。けど脳に響く危険の鐘の音。それが行動を急がせる。
視界がはっきりした。あげられた足。くつの裏がはっきり見える。つまりそれは私の頭上に相手の足裏があるということで――
「っ!!」
床を転がる。その直後。自分の頭があった場所を、男が踏み抜いた。
バキィ!!
足音を殺すこのふかふかな敷物にもかかわらず、何かを破砕する音が響いた。
男の足。踏み抜いた床が、少し陥没して周囲が飛び出ている。
なんて破壊力。
あのままいたら、脳までぺちゃんこに踏みつぶされていた。
それにしても今のはなに? いつの間にか転がされていた。
今更ながらに左足に痛み。しかも外側。いつの間に攻撃されたのか分からない。
けどそれが逆説的に何をされたかを証明していた。
「奇妙な術を使う」
「術ではありません。功夫です」
「わけわかんない」
「分からなくて良いです。ではもう一度」
ふたたび男が距離を詰めてくる。それはただ歩いているだけのように見える。だがその後に異常が来る。
慌てて起き上がって迎撃態勢を取る。
相手の右。今度は右だ。大きく弧を描く軌道で顔面を狙ってくる。手は握りこんでいない。殴り倒すというより、鞭のようにしなる腕で頭部を揺らす、あるいは目を叩く。それを狙ってきた。
来るのは分かっている。だからその対処法も。
まずはこの初撃。それを一歩引くことで避け――
「くっ!!」
右足に痛みが来た。
まさか。という思いと、やっぱりという気持ちが走る。
半ば予想していたからこそ、対処はできなかったが心構えはできていた。
対処できていないのは右足を軸にして一歩、左足を引くために宙に浮かせていたからだ。
その軸足を刈られた。
そこで耐えればまたさっきみたいにすっ転ばされるか、あるいはそのまま足を折られる。
それほどにこの相手の蹴りには容赦がない。
そう、蹴りだ。
当然だ。蹴り以外で下半身に攻撃が来るわけがない。ましてやさっき、相手は両手をさらしていたんだから。
っと、それより先に今だ。
払われた右足。そこで留まるのは愚策。だからそのまま跳んだ。宙に浮いた体はただの棒だ。その下部に横の力を加えれば、体が回転するのは必然。
だからそれを利用した。
回転する視界。それが逆になったところで両手を頭上へ突き出した。床に触れた。力を込めて回転を止めると、逆立ちした状態で相手の足元が目の前にある。
このままだとまた足が飛んできて、今度こそ顔面を蹴り飛ばされる。けど相手はこちらを払う蹴りをしたばかり。足を戻すにはわずか時間がかかる。
その時間が勝機だった。
右足を前に蹴り上げる。
逆立ちの状態。ならば蹴り上げは蹴り下ろしに相当する。相手の頭上――身長差から顔面にちょうどつま先が来るが問題ない。とにかくこちらの蹴りが相手の顔面を――
「ぐっ!」
「ちっ!」
左手で防御された。さすがの反射神経。
それでも初めて相手に攻撃がちゃんと当たった。それはすなわち、相手も無敵でもなんでもないということ。
蹴りに押されてたたらを踏む相手の隙に、両腕を一瞬縮めて一気に押し出す。それによって跳躍を得た行く先は当然、たたらを踏んだ相手。距離を取って仕切り直しなんて愚か者のすること。
勝機をつかんだら一気に行く。
体重を乗せた、体ごと蹴りを飛ばす。
それを相手は避けることも出来ずに、両腕を盾にして防いだ。しかし防いだだけではない。蹴られて後ろに飛ぶのと同時に足を蹴り上げてきた。
空中にいるこちらは身動きができない。だから足を丸めて相手の蹴りに対する。
蹴られた。膝を。威力もそこまでない。後ろに下がりながらの蹴りあげにそこまで威力はない。
だが時間を稼がれた。
着地すると、そこにはすでに構えを取っている相手がいる。惜しい。けどとりあえず一矢は報いた。そしてもう1つ。
「攻撃を上半身に集中させ、相手が防御に出る瞬間に蹴れば、何が起きたかもわからないうちに寝転がる。そこを踏み砕くって戦法ね」
今の謎の見えない攻撃。それが分かった。
やっていることは単純。けど、それを引き出すためには、まず拳での攻撃で脅威を与えなければならない。回避か防御を選ばせるような、それ自体でも一撃必殺の攻撃。
そしてその一撃必殺の攻撃をしている最中に、同時にこちらも必殺となる蹴りを放つ。しかもどこを狙うかを瞬時に計算して、最大効率の蹴りを放つ。
どれもが超一流。それゆえに見えない。
しかもこれが厄介なのはいつくるのか分からない点だ。
最初は2発目に合わせてきた。次は初撃にいきなりきた。
これを何度もやられると、完全に思考が追い付かなくなる。蹴りを警戒すれば殴り殺される。拳を警戒すれば足が飛んでくる。どちらも警戒なんてできるはずもない。とんでもない技だ。
「やれやれ、こうまで簡単に見破られるとは」
「見ることは得意だから」
お屋形様の眼となって各国を回った。それだけ見る力は養われたと思う。
「隠しても仕方ありません。私の見えない蹴り。それを人はこう呼びました、無影脚、と」
影の無いほど素早い蹴りってこと。確かに今のは防いだものの見えはしなかった。よく言う。
今回、相手はそれを攻撃で使ったけど、きっと防御でも使えるんだろう。上に集中させて下、その逆もあり得る。
だからつまり一対一で戦う分には、密着して戦う分には圧倒的に相手の方が上。
なら、一対一じゃなくせばいい。
「さっき、一度見たらくらわないって言った」
「はい。二度目に対処できなければ死。それだけです」
正しい。一度見て、それの対処法を編み出す。二度目にくればその対処法で逆襲する。基本だ。
それをさっきの奇襲で自分がやらかしたかと思うと猛省すべきところ。
けどそれは後回し。
今はこの男に勝つ。それだけ。
「じゃあ、行く」
「ええ、どうぞ」
瞬間、視界がぶれた。
同時、自分の体が軽くなった感覚。違う。軽くなったんじゃない。増えた。
様々な視点から相手に迫る。風を受ける体の反応。肌にこすれる巫女服の感触。どれも複数。
それでいて自分は1つ。体も1つ。
きっとこれは誰に言っても理解できないだろう。
それが私の分身の異能。
「ほぅ、分け身ですか。素晴らしい。ならば私もお見せしましょう」
だが相手は一瞬目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻す。
小癪な。
その余裕。
その慢心。
今度は私が刈り取る。
5つに別れた分身体が向かう。
相手は動かない。
攻撃は同時――からわずかに一拍ずらしている。
とった!
「ふっ!」
呼吸の音が聞こえた。
バキッ
何かが割れる音。
それはさっき聞いた、床を踏み砕く音。あるいは自分の骨が折れた音だったのかもしれない。
途端。衝撃が5つ。力士に張り飛ばされたような激しい衝撃。
「くっ、はっ!」
飛んでる。
それが分かるほどの滞空時間。
そして背中から床に落ちた。
受け身を取ることもできない。今の衝撃に体が麻痺していた。
倒れたまま、首をなんとか起こして相手を見る。
男は右足を地面に突き刺すように(実際に床が少し陥没している)まっすぐ突き出して、わずか左足を浮かした状態で立っていた。
その額には汗が浮かんでいるものの、まだ十分な余力を残しているように見えた。
そしてつぶやくように言う。
「これが“この世界での”無影脚です」




