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挿話106 望月千代女(イース国間諜)

 目の前で火花が散った。


 殴られた。目がちかちかする。

 それでも距離は手の届く位置。なら、と反撃に移ろうにも相手がそれをさせない。


 突き出した拳を引くことなく、次の攻撃につなげてくる。指が伸びて喉をついてきた。それを払って逃げようとすれば、そのまま手のひらを回転させて、手のひらを振り下ろして来る。ただの手を振り下ろす動作じゃない。お屋形様やイリスのなでなでとは全然違う、手の甲を突き出し、頭を叩き折りに来る必殺の攻撃だ。

 左腕を振り上げ、突きあげるように攻撃を受ける。だがその反動を活かして、相手の右手がまた動く。肘を支点にぐるりと上腕を回して今度は横から来た。

 手のひらを縮めて、親指以外の4本の指先を集中させるようにする。それはまさに手で作ったきりだ。その先端が確実にこちらの左のこめかみを狙って来る。

 身をかがめて頭の位置を下げれば、次に来るのは同じきり状の指による突き降ろし。延髄を狙ったそれは、なんとか床を転がって回避した。


 そこでようやく距離が取れて、止めていた呼吸を再開させる。


「ふぅぅぅぅ」


「ほぅ。私のていを避けるとは」


 少しも意外そうじゃない、これまでと変わらない淡々とした様子で男がつぶやく。


「…………そんな遅い、隙だらけの攻撃。どうしようかと迷ってた」


 嘘だ。


 その拳の速さは目にも止まらぬ。下忍どころか中忍なら確実に2発目で殺されていた。

 上忍ならそれを見切って反撃はできるだろう。


 だがそれは間違いなく危険な行為。

 相手の攻撃は全て急所を狙って来る。それに対し、無防備で反撃するなど自殺願望がある人じゃないと不可能だ。


 もちろん、忍たるもの。自らの命を捨てて勝ちを拾うことは重要だ。

 けど今の私には命令はない。命を捨てることもない。

 というかイリスがそれを禁じた。命を簡単に捨てるなと言われた。だったらしょうがないよね。相打ち狙いの下忍がするようなことを私が実際する必要はない。


 というより、そもそもの作戦では私たちは勝たなくてもいい。

 あの皇帝とかいう少年が、ゼドラの代表に会って会談ができればそれで任務は達成だ。こんなところで無駄な命の張り合いをする必要はまったくもってないのだ。


 けど、感じる。


 別に手も足も出ないとかそういうんじゃなく。

 この男。会談の成果を問わず、放置したら危険な人物だ。


 何がというのは当然、イリスのこと。

 ここでこいつを逃がせば、間違いなくイリスに挑む。実際に手合わせはしなくても、戦場での働き、一騎討ちの結果を見聞きすれば。この男が目指す先にイリスが立っていることは間違いない。


 だからここで私がしとめる。

 これは誰に命令されたわけじゃない。あえて言えば、私が私に命令した必須項目。


 だからこんな攻撃で手こずってる場合じゃない。


「悪いけど、殺す」


「ええ。本気で来てもらわなければ。武の研鑽は真剣勝負でこそ――」


 満足そうに頷く男に向かって左手でクナイを投げる。同時、跳んだ。正面と上。右手でもう一本のクナイを引き抜く。2方向からの同時攻撃。

 頷くなんて行為。目の前に敵がいる状態でするなんて愚か者のすること。それだけ視界がずれて、相手の行動を一瞬見失う。それが命取りだなんて、この老成した男に――


「――向上するというもの。奇襲は通じません」


 男が無造作に手を振る。何を、と思ったがクナイが軌道を変えた。クナイを下からすくい上げるようにして叩き、こちらに軌道を変えたのだ。


「っ!」


 飛んできたクナイを、握ったもう1つのクナイで弾く。

 自分で投げたクナイを自分で処理する。そんな馬鹿らしいことはない。何より、


「ダメですよ、相手から視線を切らしちゃ」


 男の声。目の前。いや、視線は同じ高さ。つまり相手も跳躍して、体を開いて右からの回し蹴り。

 刃物を所持している相手に蹴り技など愚の骨頂だ。刃物で防御されればそれだけで足を傷つける。

 だがこの男はまずクナイの軌道を変えて自分がクナイで防御せざるを得ない状況を作った。そうすればこちらの左側、つまり右足での蹴りが有効になる。


「ちっ!」


 体をひねって右の蹴りに攻撃を切り替える。空中での行動に、わずかな遅れと威力の減衰がある。

 だがそれは相手も条件はほぼ同じ。あちらは跳躍の段階で腰のひねりが入った。だが余裕のつもりか。ギリギリまで跳躍を怠った。つまり威力を加速させるための助走が足りていない。

 対してこちらは5メートルはあった距離をゼロにしての助走が加わっている。


 助走つきだが回転が足りない自分の蹴り。

 回転は十分だが助走が足りない相手の蹴り。


 いや、勝てる。勝つ。

 綺麗な蹴りじゃなくていい。体を弾丸のように飛ばして、体ごとぶつかるようにして蹴ればいい。行け。


 ガンっ!


 鉄を蹴ったかのような衝撃が足に来た。

 相手の足とこちらの足がぶつかった。だが押されたのはこちら。ぐいっと押されてそのまま何もなかったかのように足を振り切られた。それに押されて自分の体が駒のように回転しながら後ろに飛ぶ。


 負けた。

 けどやられっぱなしでいられない。

 右回転した体。その回転を利用して、右手に握ったクナイを敵の方向目掛けて投げつけた。


はっ!!」


 だが、奇妙な掛け声と共に上から振り下ろした拳の甲で叩き落された。


 ……なにそれ。


 地面を滑るように着地しながら眉をひそめる。

 奇襲という奇襲が全て通用しない。刃物を前にしてもひるまずに迎撃する。とんだ化け物だ。


 こちらと距離が開いたからか、男は構えを解き、


「なかなかよい攻撃でした。速さも連携コンビネーションも申し分ない。しかし、重さが足りませんね」


「うっさい。太れっての?」


「ああ、そうですね。そういうのはあまり女性に向けて言う言葉ではない。失礼しました」


「殺し合いの相手に何言ってんの」


「中国武術はまず礼から始まります。相手に対しての礼。自然に対しての礼。血肉になる食物に対する礼。内なる気、精神、こころ。導いてくださる先達、共に競い合う朋輩ほうばい、そして何よりわが身をこの世に生み出してくれた父母に対する礼。すべてに礼を尽くして、ようやく開始線スタートラインに立つことができるのですよ」


「お説教は不要いらない。御託を並べる前にさっさと消えて」


「それはできません。私にも立場というものがある」


「じゃあぶっ飛ばす」


「ええ、どうぞ。来てください。しかしもう先ほどのような奇襲は通じませんよ。二度も見ましたし。一度見ればくらうことはありません」


 そのやれるものならやってみろって澄ました顔がムカつく。


 けどどうする。

 どうやら相手は体術に一日の長があるらしい。それは少なくとも自分の矜持きょうじを傷つけた。

 これでも体術には自信があったからだ。

 歩き巫女である以上、脚力は必要だ。つまり蹴り。それにどこにでも移動するなら、危険は常につきまとう。女だからと甘く見て数を暴力に襲い掛かってくる馬鹿ども。他国を調べるにあたって、当然相手も防御策を取って来る同業。山を進めば獰猛な獣に襲われることだってある。

 だから自然、体を鍛えることは必然だった。その力でお屋形様の役に立てるのは間違いないことだった。


 だがこの目の前の、どうでもないように見えるただのオッサンに負けるなんて。


 許せない。


 ただそれだけに固執しない。熱くならない。

 体術の戦いでは劣っていることは認めないわけにはいかない。負けてないなどとそれに固執する者は馬鹿だ。無駄な矜持きょうじにこだわって自滅する愚か者を多く見てきた。


 だからまずは認める。

 敵は最強の体術使い。


 そのうえでどう戦うか。どう勝つか。


「来ないのですか。ではこちらから行きます」


「え」


 思ってもなかった声に一瞬、虚を突かれた。


 その虚の中、相手がこちらに向かって歩を進めてくる。虚を突かれたからか、いや、歩いている。そう見えているのに走っているかのような速度だ。

 数メートルの距離が一気にゼロになる。


「くっ!」


 咄嗟に着物のたもとから取り出したクナイを相手の顔面に叩き込む。

 だが相手はそれを予知していたかのようにすっと横に避けると、そこから戻る動きを利用して左拳を突き出してきた。

 右腕を前に掲げて防御。衝撃。骨が叩き折られるかのような痛み。けど耐えた。


 またあの連撃が来る。

 そう思い、身構える。


 だが突き出された左拳は、こちらの右腕に押し付けるようにして離れない。代わりに右の腕が動いた。拳は握らない。かといって開いたままではない。

 わずかに中指を曲げ、人差し指と薬指と高さを合わせ。そのまま前に突き出す。抜き手だ。


 狙いは顔面。あるいは喉。どちらにせよあれをくらうのはマズい。


 そう思って左手を内側から外に振るようにして相手の抜き手の軌道を変えようとする。

 それは半ば成功した。

 半ばというのはピタリと相手の右腕の動きが止まったから。弾いたわけじゃなく、相手の動きを止めた。そこから再び加速すればもう一度やる。それだけ。だから防いだ。


 だが。


 衝撃が走った。


 足。どっちの足か分からない。けど痛み。同時、視界がぐるりと回った。どちらが地面か分からなくなる。すべてが狂った世界。

 何が起きたか分からないまま、私は再び床へ伏した。

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