挿話103 新島八重(クース国砲術師範)
「ぐっ……」
痛い。
けど歯を食いしばり耐える。
左手のひら。それを貫通する矢。矢先が手の甲を貫通してこちらににょきっと顔を出している。
咄嗟に出した左手。それを犠牲にしてなんとか掴んだ。
だが、それでも止まらない。
「っ、うぅぅぅぅ」
痛い。
矢がこちらに向かう。そのたびにずりずりと左手に開いた穴を押し開けるようにして矢が進む。痛い。
左手を閉じて、なんとか矢の侵攻を遅らせようにも、どんどんと入り込んでくる。痛い。痛い。
右手も使って矢を掴んだ。ものすごい力。少しでも力を抜けば、一気に貫通してくる。
ここまで殺意を持った矢は初めてだ。じりじりと、1センチ、1ミリを矢は詰めてくる。
痛い。痛い。痛い。
このままだといつか力が尽きる。すでに度重なる発砲で腕は疲労の困憊だった。あと1分も持たない。そう体が訴えている。
その間に何か打開策を――
「っ!」
右手が滑った。それで一気に5センチくらい矢との距離が縮まった。
汗――じゃない。血だ。左手を貫いた矢は、流れ出る血で滑りやすくなっている。
どれだけ力を込めても、それが逆に手を滑らす。矢はどんどんと肉薄してくる。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
「あ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
耐えきれず叫ぶ。
なんでこんな目に遭わなくちゃいけないの。私が何をしたっていうの。助けて、兄さ。
……いや、撃った。相手を。殺そうとして。銃を撃った。だからこれは罰だ。殺そうとしたから殺される。その前に痛めつけられる。それが因果。報いが返って来ただけ。
そうだ。そもそも、この戦いには意味がない。
私が望んだわけでもなんでもないのに。国を守るという意気は、会津ほどないというのに。
なんで私はこんな痛い目と怖い目に遭わなくちゃいけないのか。
要らない。
もうなにも。
自分の命さえも。
ついに矢が自分の左胸、心の臓辺りに到達した。
このまま貫かれ、死ぬ。
死ぬ。
死。
それもまた。いい。
ふと矢を握る手が緩む。矢は加速をはじめ、私の胸部やや左の辺りに触れると、そこからずぶずぶと矢先が肉に食い込んでくる。
あと数秒で死ぬ。
こんなどうでもいい世界。国も家族もないこの世界で。何もなかった自分が――
『八重、逃げろ!』
不意に声が聞こえた。
男の声。ここにいるはずのない。いや、この世にいるはずのない声。
あの晩。私を逃がすために、命を捨てたあの人の声。
逃げろという言葉の中に、生きろという言葉が隠されていた。そんな気もする命がけの叫び。
そして、
『お願い』
彼女の声もした。
ここを任せると。
それはつまり、自分に彼女の命を任せると。
あって間もない自分に、どうしてそこまで言えるのか。
甘いから。そう言えば簡単な気がする。
けどそれじゃあいけないと体が、心が訴えかける。
生きろと言って死んでいった河井殿。
自分に命を預けてくれたイリス殿。
その2人の命を預けられたおらが、
「こんなところで死ぬわけにはいかね!」
叫び気合を入れる。
すると急に視界が開けた気がした。
肉に食い込んだ矢。それを引き抜こうと必死に力を入れる。それでも矢の力はすさまじい。貫くまで、獲物を仕留めるまで決して止まらない不可避の矢。
これがあの板額御前とやらの異能。
どうする。現状を維持する以外、もうどうしようもない。
いっそ貫かれればどれだけ楽か。
けどそれはあり得ない。受けた命令を果たすことなく果てるなんて。逆にこの矢は命令を果たすだろうけど…………。
「っ!」
閃いた。
この矢から逃れる術。あるいは無理かもしれない。けどやってみる価値はある。
「ぎっ、ぐぐぐ……」
矢を握った右手に力を入れる。
矢の進み、その反対に力を入れるわけじゃない。食い込んだ矢。それを少しでも上に逸らそうとする。
この矢が貫くのはもう規定事項。ならそれを逆手に取る。
「う……あ、ああああああ!!」
痛い。辛い。苦しい。
それでも諦めきれなかった。何もできなかったおらを、信じてくれたあの2人。その命に報いるためにも。
そして――
矢が。
体を。
貫いた。
…………。
「終わった、わね」
薄れゆく意識の中、足音がして板額御前が姿を現したのを感じた。
獲物が仕留められるのを確信するまで近づかね。狩人そのものだった。
けど――
「残念ね、私の勝ちよ」
勝ち誇る彼女がおらの目のまえで止まる。
あとはもうとどめを刺される、いや、時間が経てば勝手に死ぬ運命の果て。
返すとすればこの言葉。
「ああ、おらの勝ちだ」
「っ!!」
板額御前が弓を構えようとする。
その前に、意識を一気に浮上させた。動かすのはそこらに散らばる銃。自分の異能で呼び寄せ、銃撃戦の果てに廃棄したはずの銃。
自分の異能はそれら銃を無限に(じゃないけど)呼び寄せるもの。
それは河井殿と似たものだと思っていた。けど、
『自分の限界なんて誰が決める? 自分じゃねぇ。自分自身はいつでも甘くなる。自分は頑張った。ここまでよくやったってな。だから自分を信じるな。限界は自分が信じたその先にある。それは天だったり、お前を見てくれてる誰かだったり。その誰かが言うぜ。お前はまだ伸びる。だから頑張れ――ってわけで、もういっちょ地獄級のしごき、行っとくか八重ちゃん?』
孫一殿。
あなたは酷い人だ。
そんなこと言われたら。
もっと頑張ろうって気になる。
自分は信じなくていい。
けど自分を信じてくれた人……孫一殿、河井殿、イリス。
そして、兄さ。
その全てを信じて、
「あんたを討つ!」
「っ!!」
矢が構えられる。それが成る直前。
銃声が響いた。
何発も同時に。
そしてその発せられた銃弾は、間違いなく目のまえの女性を幾条も貫く。
血が一拍遅れて吹き出した。
「馬鹿……な」
彼女は何が起きたか分からないだろう。自分は今、銃を握っていない。けど銃で撃たれた。
それがどこから飛んできた銃弾か。それを判別する前に、目がぐりんと裏返り、そのまま倒れた。
血に塗れ倒れる板額御前。
その周囲に散らばり転がる銃のうち、スペンサー銃だけが銃口から硝煙をのぞかせていた。
兄さのくれた銃。それが自分に応えてくれた。
それだけでなんとも心が落ち着く。
心臓から少しずらして貫かせた矢を引き抜く。血が噴き出るのを、たすきにしていた布で縛って止血する。
貫くまで止まらないなら、一度貫かせればいい。そう思ったけどその通りだった。だから左肩の辺りをわざと貫かせた。貫かせれば、その下にある心臓には届かない。
けど、
「ごめんなさい」
倒れた板額御前の体を見る。二度と起き上がらない。当然だ。自分が殺した。けどそれはお互い様。ほんの少しの技量、いや、技量は相手が完全に上回っていた。
けどおらには信じてくれる人がいる。それがおらを助けてくれた。
そう思えば、なんと嬉しいものか。
「ふぅ……」
ふたたび起き上がる気はなくて、よりかかった壁にさらに体を預けて、天井を仰ぎ見た。




