挿話101 望月千代女(イース国間諜)
あの変なやつを追って、イリスたちは先に行った。それでいい。
本懐を果たすためには、私みたいなのは切り捨ててさっさと先に行くのが正解。
お屋形様(武田信玄)ならたぶんそうした。
そしてイリスはそうした。
そのことに少し驚きを持っている自分がいる。お屋形様のたどり着いた領域に、彼女はいったいいくつで到達しているのだろう。
そう考えると末恐ろしい。
同時に面白くもある。
その果てを、どこまでやれるのかを見ていきたい。それまで支えたい。そう思わせるのは、お屋形様を除いて存在しなかった。
生涯を尽くしてもいいと思わせる主君に出会えるだけで幸運なのに、それが2人もいるなんて私は本当に幸せ者だ。
だからこそこんなところで、どこの馬の骨とも知らないオッサンに負けてなんかいられない。
「やれやれ。しようのないお方だ」
オッサンが、逃げるように去っていった味方の方向を見て嘆息する。
「主に抱くには、器が足りてない」
「別に主と見ているわけではありませんよ。ただ戦う場を与えられるから戦う。それだけのことです」
「何が目的?」
「武術家が目指すものは1つです。最強の証明」
「なら別にゼドラ国じゃなくてもいいでしょう」
「おっと、私を引き抜きですか。それはいけません」
「なんで?」
「そちらが勝てば、戦いはなくなってしまう。アカシャ帝国のもとで統一される」
「…………それは、いいことでしょ」
「いえいえ。あなたは分かっているはずだ。もちろん天下泰平は良いことです。無益な争いが消えれば、武の発展は更なる段階に至れる。しかしですね。在る時きづいたのですよ。いえ、この世界に来て気づいたと言いますか」
「なに」
「戦の中にこそ、新たな武の発展があるということに」
「…………」
「あなた、闇に生きる者でしょう? 戦いの裏で忍び、駆けるもの。そのような人種が、戦がなくなればどうなるか分かっているのではないですか?」
その言葉は自分の何かをえぐった。
戦がなくなればいい。そう思わないことはなかった。
自らの出生。父も母もなく、ただ生きるために雑草を食べ、泥水をすすったあの日々。
あんな日が続くなら、他の誰かが同じ苦しみを味わって生きるなら。戦なんてなくなった方がいい。
けど同時に恐れた。
戦があるからこそ、お屋形様は、イリスはわたしを重宝してくれる。けどもし戦がなくなれば……。
戦がなければ、敵の位置を知ることも、敵の人格を知ることも、敵の同行を知ることも、敵を暗殺することも不要。
だって戦うべき敵がいなくなるってことだから。
つまりわたしが要らなくなる。
自分という存在価値が揺らぐ。
その果てにあるのはなにもない無の空間。
あの時。村を襲われて親兄弟を殺されて無様に生き残ったわたし。そこには無しかなかった。その無がとても怖かった。
それが再びわたしを包むのだ。
そんなこと許されるわけがない。あっちゃいけない。
わたしはイリスと共にここにいるのに。その果てにあるのは永遠の無だというのか。
…………いや、違う。
そうじゃない。
もし世界が平和になっても、お屋形様とイリスなら。きっとわたしを構ってくれる。ずっと、一緒にいてくれる。
それは願望じゃなく確信。そしてありあまる未来だった。
その未来のために今、命を賭す。
それでいいじゃないか。
こんなどうでもいい男の虚報に踊らされるなんてそれこそ馬鹿らしい。
「ふっ。心理戦を仕掛けようなんて浅はか」
「おっと、これはいけませんね」
「わざとらしいのよ、ジジイ」
「これでも30にはいっていないんですがね」
「老成とでも? ならさっさと老衰で死ねばいい」
「やれやれ、日本の者にしては礼儀がなってないですね」
「礼儀なんて殺し合いには不要でしょ。それとも礼儀正しいならさっさと討たれてくれる?」
「それはできません。私にもやることがあるので」
「じゃあどいて」
「それもできません」
「じゃあ、死んで」
「それも――」
男が答えを言い切る前に、一気に距離を縮めた。足首の運動、そしてつま先の蹴り。それだけで爆発的な加速を得る。そのまま手にしたクナイで斬りつける。
だが男は体を少し揺らしただけでその一撃を避け、振り回したクナイの勢いのまま宙での右の回し蹴りを放つ。
だがそれも空を切るだけで相手には届かない。
逆襲に相手が一歩踏み込む。こちらは宙にいる。絶対不可避の一撃が来る。それを感じてさらに腰を使って体を回転させた。左足を大きく振り上げて、そのままかかとを相手の頭上に落とす。
相手は攻撃の動きに入っている。しかもそのうえで、死角となる頭上からの一撃。避けられるはずがない。
だが、
「できません」
そう言ってぐっと足の力で背を伸ばした。振り下ろす左のかかと、それに伸びるように逆に向かって来る男。そのまま叩きつける。が、そうはならなかった。
男の左手が、逆に突きあげるようにしてわたしの左足首を掴んだ。
マズい。そう思ったのは一瞬。
足首を掴まれれば、そのままねじられるか、握りつぶされるか、とにかく足一本が持っていかれる。そう感じた時には右足を足裏から突き出す。狙いは相手の右肩。わたしの左足首を掴む右腕の発着点となる肩。その腕と体の付け根の部分に思いきり蹴りを入れた。
するとボタンを押したようにパカッと、左足首を拘束していた手が開いた。とっさに引っこ抜いて、両足を自由にした。
そのままようやく床に転げ落ちる。そのまま絨毯を転がって一時距離を取る。
相手からの追撃はない。
ふぅ。さすがにやる。
「けど生意気。年下のくせに」
「おっと、意外とお年を召されてる」
「さぁ。年齢を数えるの、やめたから」
「いいですね。何が飛んでくるかわからない。それもまた、よし。さぁ、楽しみましょうか。極限の武の極みというものを」
そう言って男は構えを取る。
腰を落とし、右手をだらんとさげつつも、左手は前に伸ばす。
大陸の武術とイリスは言っていた。
よくわからないけど、こうして最後に立ちはだかる以上、今までの動きを見る以上、タダ者ではないのは分かってる。
だからこそここで。
絶対に討ち果たして、イリスにいいこいいこしてもらおう。それが今のわたしのやる気となるのだ。




