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挿話96 立花誾千代(キタカ国将軍)

 スパルタクスが剣を構え、つぶやく。


「ゴースト」


 意味は解らなかったが、その言葉にどこか不吉なものを感じ取った。

 するとスパルタクスはトンっ、トンっと片足で何度も跳躍する。剣は下に向け、両手をだらんとさせている。そのどこか子供じみた動きに、一瞬眉をひそめる。

 何か来ると思った、のに、スパ、ルタク、スは、そん、な、動、きを――


「え――」


 それは刹那のことだった。

 スパルタクスの意味不明な行動。それを目で追っていると、いつの間にかいなくなっていた。


 消えた。


 文字通り。


 影も形もなく。

 あれほどの筋肉と金髪をひけらかしていた男が、目の前から消え失せた。


 どこに、と左右を見回すが人なんて誰もいない。

 4つの柱のかげかと思ったがそうでもない。いない。消えてしまった。男が1人、目の前から。


 そんな馬鹿なことはない。

 いるはずだ。奥のドアに向かったのなら、それは見えているはず。


 瞬間。何か。風の動きを感じた。

 それが嫌で、刀を握った手をそっちに振る。


 途端。


 ギィィン!!


「あ」


「ほぅ」


 手に衝撃。

 スパルタクス。すぐ横にいた。 なんで。なんで気づかない!?

 嫌な感じがして叩き込んだ刀が、偶然、剣に当たった。それで命を繋いだ。

 ただ、何気なしに振った刀と、明確な殺意を持って振られた剣では重さが違う。しかも不安定な態勢で、踏ん張りも効かない。咄嗟に力を込めたものの、一気に重さが増して、


「ふん!」


 弾き飛ばされた。

 そのまま叩き斬られなかったのは、咄嗟に身を投げたから。きっとそのまま無理に耐えようとしたら首が飛んでいただろう。

 弾き飛ばされて床をごろごろと転がったが、首が飛ばされるよりはいい。


「うっ」


 ただ熱が走った。

 右肩だ。斬られた。浅いとは言えない。血がどくどくと流れていく。右手に持つ刀の重さが増したような気がした。


 いや、それより。

 今の奇襲同然の攻撃。何が起きたのか。あの男が消えたことと何の関係があるのか。


「運がいいな。いや、勘がいいのか」


 スパルタクスはそう言って笑う。

 見えている。そこにいる。姿かたちがある。なのに見えなくなった。なんでか全く分からない。

 今は夜とはいえ、この室内は部屋を取り巻くようにランタンが灯っていて暗くはない。昼間のようだとはいわないが、人1人を見失うほどのものじゃない。


 となるとあの動き。謎の跳躍に意味があるのか。


「まぁ、次で終わる」


 そう、どこか意地悪げな笑みを浮かべると、再びスパルタクスは再び跳躍を始める。

 今度は両足だ。

 左足で地面を蹴り、右足で着地すると右足で蹴って再び跳躍。左足で着地すると再び左足で跳ぶ。右足で着地し、1つ遅れて左足で再び跳ぶ。右足、右足で飛ぶ。左足、左足で跳ぶ。左足、右足――


「っ!!」


 消えた。

 マズい。また来る。見えない相手、見えない方角、見えないタイミングでの攻撃。

 さっきはたまたま防げたけど、次も同じになるとは限らない。むしろ確実にそうなる。


 ならどうする。打つ手なし!? いや、逆に考えて。相手は必ず襲って来る。ならそこに合わせて反撃を……っつってもこれもまた運次第。なにか確実に相手の動きを制限する……制限!


 ふと閃いた。これならいける。いや、やる。


「姿が見えないなら!」


 刀を左手に持ち替えて目の前に掲げる。そこに力を、異能を注ぎこんだ。

 途端、周囲に天井からいかづちが落ちた。

 しかも敵を逃がさないよう何本も、周囲すべてに断続的に落ちる。


 そう。相手は見えない。それはもう疑いようがない。

 けどいる。この部屋には確実にいる。ならこの部屋を覆うほどの雷を落とせばどこかで当たる。雷より早く動ける人間はいないし、雷を斬るのは……うん、父上以外はありえない。

 だからこの広域攻撃なら、間違いなくあの男を補足できる――はずなのに。


「なんで!?」


 悲鳴が聞こえない。

 雷が当たった様子もない。


 ただただ地面に落下して、熱と焦げ跡を残すだけ。そこに雷に打たれた人間の姿はない。

 そんな。じゃあもうあの男はこの部屋にいないの? でもドアのどちらも開いた形跡はない。ならこの場にいるはず。なのにいない。意味が分からない。


 迷う。これ以上は異能の無駄遣い。でもいるはずなのに。けど当たらないのは――


「っ!」


 途端、ゾクッとした。


 何かが迫っている。そこにいる感覚。

 いや、いる。目の前。今までただの床が映っていた視野の中に、肌色と鉄の銀が混ざった色が突如として現れた。


 迷いはない。

 咄嗟に後ろに跳ぶ。だが、


「あっ!!」


 左肩に痛み。左肩を剣でえぐられた。血が噴き出した。痛みに耐えきれずに刀を落とす。

 そのまま何度もたたらを踏み、なんとか踏みとどまったものの受けた痛手は大きかった。


「いくら雷を落とそうが、自らを焼くことはない。つまりお前の傍は安全ということだ」


 スパルタクスが冷笑を浮かべながら言う。


 この男。見かけ以上にしっかりと考えて戦っている。

 それに反して私はどうだ。ただ感情と感覚に身を任せ、与えられた力を頼りに戦うだけだ。けど仕方ないだろう。戦いなんて教わってこなかった。父上にしごかれたものの、それを実際に使う場面はなく、他は旦那がやってることを見様見真似でやってきただけ。

 勝てるはずもなかった。

 イリスが言っていた、一対一ではほぼ無敵、そして無敗だというなら猶更だ。


 それに今。両腕の動きを失って、肝心の刀も手放してしまったこの状況。

 間違いなく次は防げない。確実に殺される。


「では、次で終わらそう」


 そうスパルタクスが告げる。明日の予定を決めるように、あっさりと。


 待って、と。命乞いをしたくなる。

 けどそれはできなかった。立花の家名を汚すようなことはできない。それに、最期だとしても。私は私でありたいから。


 確定した死。

 それが体を覆う。寒い。怖い。どうして。どうしてこんな時にあの男はいないの。本当に役立たず。馬鹿。のろま。頭が筋肉。ホント、ホントふざけんな。怖いのに。痛いのに。辛いのに。どうして。


 どうして、誰も私を助けてくれないの?


 父上も私を跡継ぎとして育てるだけで助けてくれなかった。

 いきなり割って入って来た旦那も何もしてくれなかった。

 旦那の父親も、武門の誇りを守って散っていった。

 あの馬鹿当主おおともも、何もしないどころか全てを放り出してしまった。


 誰も助けてくれない。

 怖かったのに。島津の大軍。鉄砲を朝も昼も撃ちまくって。怖かったのに。侍女も、立花の家臣も、誰もかも私に構わずに戦うだけ戦って死んでいった。


 …………我がままなのはわかってる。それでも。それでも。

 泣き言を言ってはいけない立場の家の娘だったから。あの男には泣き顔なんて見せたくなかったから。

 だからいつも毅然としているように見せて、それが旦那との心の溝を広げていたのだと理解したくなかった。


 けど本当は。

 怖かったんだよ。父上の作り上げた立花の家を守れるか。貴方に誇れる妻でいられるか。その全てが。私を縛り。そしてむしばんでいった。


 今こうして死を目前にして思う。


 本当。なんだったんだろう、私の人生はって。城督じょうとくとしての役目も果たせず、子を産むという妻の役目も果たせず、奥を差配することも敵わず。

 本当に。なんだったんだろう。


 それでも。


 ……うん。そうだよ、イリス。


 ほんの1か月の出会いでしかなかった。けど、その1か月は本当に楽しかった。嬉しかった。悲しかった。色々なことが起きて、それでいて私が私でいられた。


 なにより今、ここでこうしているのが。何もできなかった前の私じゃなく。何かができる私としてここにいられて。それがとても嬉しくて。誇らしくて。ありがたくて。


 だから。そうなんだ。


 死ぬ。

 私はこれから死ぬ。


 それは避けようのない未来。怖くないといったら嘘になる。


 けどそれで逃げてしまったら。

 命乞いをしてこの男を通してしまったら。


 きっと私は後悔する。

 この1カ月。私が私であることを許してくれた。最愛の友達に顔向けできないから。

 それは旦那に対する不義理と同じような意味を持っていて。


 ああ。だから。

 これからすることは、私の全てを賭けた戦い。

 それがきっと、貴女への恋文として。いつか、分かってくれるといいな。


 覚悟は決まった。

 怖いけど、後悔する方が怖いから。


 うん。きっとすべては一瞬。勝とうが、負けようが一瞬。

 だから全てを賭けるのはその一瞬だけでいい。


 っと、その前に。

 とりあえず一言だけ言っておこうか。そもそも、この男、スパルタクスがいけないんだ。私とイリスとの間を邪魔する。

 だから言ってやろう。こんな武器も何もない私に負ける。それを無敵だとか無敗だとかの男にぶつけてやろう。


 それが、屈辱的な想いになるように。


「舐めるな、よ」

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