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挿話90 白起(ゼドラ国大将軍)

 夜だ。

 帝都内は静かだったが、なかなか寝付けない。

 夢を見るからではない。よく他人に悪夢は見ないのかと聞かれる。だがそれがなんだというのだろうか。悪夢だろうが良い夢だろうが夢は夢だ。現実に何かを影響させるわけではない。死んだ人間が、現実に何かを引き起こすわけではないのと同じように。

 だから過程は無意味だ。


 すでに帝都を包囲されて3日が経つ。


 ただその中で、負けたという感覚は日増しに、心に積もっていく。

 どこからどこまでがあの少女の思惑だったかは分からない。ただうまく乗せられたという気分はある。何より、狙った相手を始末できないまま、呂布と巴を失ったことに失意を覚えていた。そんな自分に驚かざるを得ない。

 戦場での死は、ただそこにあるだけの結果だ。そこに一喜一憂しては長い統一という戦いについていけない。

 だからそういった感情は全て捨てた。そのはずだった。


 あるいは彼らが。あれほどの武威を持ちながらも、闊達かったつとして生きる様が、逆に眩しかったからかもしれない。

 それなのに自分だけが生き残った。生き残らされた。

 それがなんとも気分が重い。


 いや、残されたのであれば、そこには何か意味があるのだろう。

 それとも全てに決着をつけろという天の差配なのかもしれない。


「我が罪は天に通じ、天は我が罪を許さず、か」


 つぶやいてみる。

 それはなんとも面白みのない言葉で、この先に待つ結末そのものを暗示しているようだった。


 それにしても何もない。静かだ。

 この静かな夜にはこの自分にさえも哀愁の思いも募らせるのか。


 こちらから攻撃をすることは許可していないので、この3日は平和だった。

 敵側もこの帝都を攻めあぐねているのだろう。


 こちらに兵糧は十分だが、相手は遠征軍。ましてや元は自分の領地だ。略奪などはできない。

 ならばこのままじっとしていれば相手は撤退するしかない。それを追撃すれば、この戦いは勝ちだ。

 だがそれをよしとしない自分がいるのも分かる。

 一体、自分はこの戦いをどこに持っていきたいのか。それすらも決めていない自分が軍を指揮してよいのか。そう思わないでもない。


 それにしても平和か。

 そんな言葉が自分から出るとは思わなかった。


 ただそれも一時のものだろう。


 敵は攻めあぐねていると言ったが、それによって尻に火がついているのも敵側だ。

 やるとしたら今日か明日。今夜が新月なのだから、やるとしたら今日だ。自分ならそうする。


 何かが起こる。

 その思いが自分を眠らせない。


 そう思って自室を出る。

 帝都の中央区だ。ここまで奥まった場所にいると、現場の気配を感じにくいが、この帝都を守るとなれば、中央にいた方が動きやすい。そう考えてここにいた。

 ゼドラ太守――もとい皇帝に呼び出されるなら近い場所の方がいいというのもあったが。


 ふと胸騒ぎが起きて、皇帝の眠る宮殿に向かう。

 夜でも衛兵がしっかり扉の番をしていて、自分を判別すると、さっと扉を開けた。この緊張感は兵にはよい。


 そして寝室への道へと向かう。

 400年も続いたという帝国の最上位の人間が住む屋敷だ。それ相応に広く、長い。


 それでも顔を見せに向かうべきだ。

 仮にも一国の主であり、自分が(気持ちはどうあれ)仕えている人間だからだ。


 だが寝室に至る最初の扉の前。そこに人がいた。

 その姿はまるで自分をそれ以上先に進ませないよう壁になっているようで、そもそもその男の肥満体はドアを隠すにはちょうどよいというのもまた皮肉だ。


「これは白起将軍。このようなお時間に何の用か?」


 この男。太守――いや、今は皇帝となったクダールの側近にして防衛隊長。皇帝親衛隊とか名乗っていたな。名前は……忘れた。いや、知らない。どうでもいい。


「陛下に用がある」


「陛下はお休みである」


「では御尊顔を拝するだけでよい。通るぞ」


「なりませんな。ここは我ら皇帝親衛隊が任された領域。許可なき者の通行は認めません」


「ならば今許可をもらう」


「私に、ですかな? お断りします」


「なんだと」


「ふふふ、そうおかしなことではないでしょう。陛下はお休み中であられる。それゆえにここを通すことは、この皇帝親衛隊四天王最強のこの私――」


「ならばいい。邪魔をしたな」


「っ! おのれ白起。その傍若無人なふるまい。陛下は許しても、この私は許さんぞ! この私、暴虎馮河ぼうこひょうがと言われたこの私――」


「興味はない。ではな」


「っ!! ふ、ふん。まったく、この私が連夜陛下を守ることの意味を考えていただきたいな。各将軍を、そして大勢の兵を死なせ、のうのうと生きて陛下の庇護のもとこうして逼塞ひっそくせざるを得ない状況に追い込んだのですから。もっと責任を感じていただきたいですな。それこそこの私――」


 きびすを返して立ち去ろうとした体が、自然に動いていた。

 鞘から剣を抜く。その動作までが自然。一歩を大きく踏み込み、雑魚を両断するまでが1つ。


 斬った。


 そう感じた。


 だが違った。


 斬ったのは残像。いや、剣を振るったことすらも残影。


「ひっ!」


 目の前で雑魚がしりもちをつく。だが斬れていない。

 剣を握った右手。それが宙で押さえつけられている。


 振り下ろそうとした右腕。その死角の部分に男がいた。その男が自分の右腕――その肘を手のひらで押さえていた。いや、ただ添えられているように思える。だが動けない。

 なんだこの男は。いつの間にいた。この廊下にはこの男と自分しかいなかった。なのに。


 どこにでもいるような普通の男だ。年齢は30から40。髪は短く剃られた丸顔に浮かぶ瞳は、どこか眠たそうにしている。ただその顔形、それからゆったりとした布をまとった服装は、秦のものに似ている。

 そう思うと、自然力が緩んだ。


「誰だ」


黄飛鴻ウォン・フェイフォンと申します」


「大陸の者か」


「はい。貴方様よりはるか先の未来を生きさせていただきました。白起将軍」


「……そうか」


 一歩、右足を下げた。

 すると黄も一歩下がった。


 それだけで張りつめた空気が消えた。


 この男。できる。

 呂布や項羽とはまた違った武の強さ。軍を率いるでもない、ただ単に1対1を制する武芸者とでも言うべきか。

 このような者がいたとは。自分の預かり知れぬところで何かが動いている。そんな気がして少しかんさわった。


「皇帝親衛隊とやら、捨てたものではないらしい」


「と、当然であろう! 陛下の安眠を妨げる者を排除しての皇帝親衛隊! この男とは別に3人の凄腕が陛下をお守りしているのだ。しかもそれらをまとめるのは、最強にして尊大なこの私――」


「ならばいい。失礼する」


 この名前の知らない雑魚のことは除外しても、この男に等しい凄腕が3人いるならここは安全だろう。


 ならば自分は外を見るべきだ。

 あり得るならば内と外。その同時攻撃こそ、城に籠る敵勢を打ち破る最良の方法なのだから。

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