挿話80 立花誾千代(キタカ国将軍)
およそ1千の騎兵を指揮して平野を駆ける。
イリスに指示された方向。そちらに向けて、ただひたすら駆ける。
頭が痛い。
体中が冷えたように感じ、動作が緩慢になって息が荒くなる。
ふとすれば意識が頭頂から抜け出していきそうだけど、それをした瞬間に全てが終わる。
背後から馬蹄。敵の追っ手が来る。落馬なんて問題外。少しでも速度を落とせば追いつかれてなます切りにされるだろう。
だからひたすらに駆けるしかない。その先にあるのは生か死か。それを決めるのは神仏なのか。あるいは人間か。
それを知るため。いや、それを決めるために。ただ、走る。
だがその結末は、
「前方に敵影!」
無残にも打ち砕かれた。
左右から前を塞ぐように現れたのは2千ほどの歩兵。動きもいい。精鋭だ。
すぐにこちらに対して陣形を組み、待ち受けるようにして槍を突き出してくる。
「くっ……」
「包囲を二重三重にしている。わずかな隙間から逃げ出すネズミは、それで捕殺できる」
振り返る。そこにはあの白起と呼ばれていた男がいる。
この男。最初に見た時からとんでもない男だと思った。
こんな人間がいるのかと……いえ、当然威厳や態度といったものは父上の方が格段に上だけど。
それでもこの男から立ち上る……気? あるいは圧というべきか。それは人智を超えたものに思えて。
少なくとも旦那はこの圧に及ぶべくもないだろう。
それにしてもネズミ?
あんな汚くて気味の悪いものと一緒にしないでくれる? そっちこそネズミみたいにこそこそと動いているじゃない。
そう皮肉を言おうと思ったものの、そんな言葉が通じる状況じゃない。
前は塞がれた。後ろからは白起。
「全員、私が雷切を打ったらひたすらに逃げなさい」
「そんな! タチバナ将軍を捨てていけません!」
「そうです! それにイリス様を置いても……」
ここにいるのはキタカ軍の私の部下と、イリスらイース国の連合軍。
短い間だけど、色々と付き合いがあってここまで来たので、今ではどちらも私やイリスを慕ってくれている。
けど、だからこそ言わないと。
「それがあの子の願いでしょ!」
「っ!」
兵たちが悲し気な顔を刹那浮かべたものの、すぐに覚悟を決めた表情をした。
あの子もちゃんと教育してるんだ。そう感じた瞬間だった。
「末期の祈りは済んだか。では死ね」
「白起。伝説の殺戮将軍。そのとどめを、私がさす」
「不可能だ。やれ」
白起の号令のもと、包囲が狭まる。これまでのある程度、距離のある包囲じゃない。
「穿て、雷切!」
雷を呼ぶ。イリスの示した先、南東の方向にいる敵にそれは炸裂した。
その隙間をかいくぐろうと兵たちが走り出すが、それも敵の数の前にはすぐに隙間は修復される。
ならもう一発――
「うっ!」
途端、頭に激痛が走った。
さらに体がガクガクと震えて動きが止まる。
限界挙動。
これ以上撃てば死ぬ。戻ってこれなくなる。
それはダメだ。私は立花の当主。父のため、家臣たちのため……あとついでに旦那のため。お屋形はどうでもいい。こんなところで死ぬわけにはいかない。
だが同時に思う。
イリスは私に託した。ここの皆を無事に外に出すことを。それを破って、のうのうと生き延びることは、それこそ立花の名を貶める愚行じゃないのか。
判断は一瞬。
「雷切……最大解放!」
刀を抜いた。その刀に自分の力の全てを乗せる。
もう痛みも寒気も消えた。ここで死んでもいい。
だからせめて。あの子との……初めての友達のために。
「命を捧げて敵を討つ!」
白起。前にいる。剣。遅い。貫いた。いや、弾いた。弾かされた。剣で防御。それでも剣を奪った。両断した。とどめ。いや、敵の壁。くそ。邪魔なのよ! 刀で左右に打ち払う。敵に触るたびに、刀がバチバチと弾ける。刀が雷をまとっているらしい。斬れなくても、それで敵は落馬していった。
白起、どこ!?
敵兵の決死の守りで、白起が後方に下がったのを知った。
こちらの後方でも騒ぎが起きた。
いけない。後ろの味方が歩兵に襲われている。
馬を返させると、そのまま先頭に出る。歩兵が槍を突き出してくる。それ以上は馬が進めないように。ふざけないで。
怒りと共に、鐙を外して鞍の上で膝立ちになると、そのまま跳躍した。
一瞬の浮遊感。直後に落下感に変わる。
敵の群れ。こちらを向く敵が何人か。だから雷を宿した刀を思いっきり振った。
すると刀の先――斬撃の形に雷が放出された。それが敵の群れに激突し、弾けた。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
着地と同時、刀を左右に振りまくる。敵も防具で固めている。そうやすやすとは斬れない。けど、当たるたびに雷が弾けて敵が飛ぶ。
もう少し。あと少し。
だがそこで、何かが変わった。
あ、切れた。何かが。何か、大事なものが。
体を動かそうとしても動かない。声を出そうにも出ない。視線を動かそうにも固まっている。
何もかも。刀を振り切った態勢で止まる。
戦場に、わずかな静寂が広がる。
だがそれはすぐに動きに代わる。
周囲にいるのは敵ばかり。2千の中にたった1人、突入した私は完全に包囲されてしまっている。
逃げ場はない。いや、そもそも動けない。
そんな私を、敵兵は最初は怯えたように、だが動かないのを見て下卑た笑みを浮かべると、こちらに槍を突き出して徐々に近づいてくる。
まさか立花である私が、雑兵に首を取られるなんて。
こんなことなら白起にやられた方がマシか。
「ギンチヨ将軍を守れ!!」
後ろから部下たちが勢いを取り戻してこちらに飛び込んでくる。けど遠い。あと数秒でこの雑兵たちは私を殺す。
もうそれは避けられようのない事実。
だから私は、雑兵が突き出す槍の穂先が、自分の左胸のわずか先に置かれようとして――
「新選組、突撃っ!」
吶喊の喚声と共に衝撃が来た。
何が起きたか分からない。
けど結果は疑いようがない。敵の雑兵たちが慌てふためいた様子で右往左往している。突然の強襲には、さすがの彼らもどうしようもないのだろう。
南からの強襲。5千はいるんじゃないか。そこに部下たちの兵が後ろから襲えば、2千もの歩兵は壊滅も同然だった。
白起の率いていた後ろの敵も、いつの間にかいなくなっていた。
終わった。
生き延びた。
もうこれ以上戦わなくていい。そう思うと、体から力が抜けて刀が地面に落ちる。乾いた金属の音が響く。
視野が段々と狭くなる。
ああ。もう終わったのなら、このまま倒れてしまおうか。あるいは、それで目が覚めなくても構わない。
そんな風に思って、目を閉じようとして、
「ふははは! そこにいるのはギンチヨか!」
「うるさい、若ハゲ!」
反射的に怒鳴っていた。
それで急に視界が開けた。
周囲は合流した強襲隊――土方らが率いるツァンの軍と、スキピオのキタカの混成軍だ。
「ハゲではない!!」
「ハゲはハゲでしょ! だいたい遅いっての!」
苛立ちと共に、鞘を外すとスキピオに投げる。
それをなんとかかわしたスキピオは、
「し、仕方ないだろう! それぞれ敵の拠点を排除しながら、敵の強襲を感知したら急行しろだなんて、イリスはなんでこんなめんどくさい策を選んだんだ!」
「良い策って言ったのはあんたじゃない」
「言うのとやるのとじゃ全然違う!」
この男。本当に舌から生まれたように、あーいえばこーいう。
「スキピオ、ここを頼む。俺たちは中に入って敵を食い荒らしながら頭を叩く!」
そんな私たちの言い合いに割って入るのは土方だ。
この男もイリスから大きな信頼を寄せられている。それだけでも腹立たしいけど、今は戦いの真っ最中。彼の言い分はもっともだ。
「おお、任せろ。他の生き残りも回収してみせるさ」
「頼む」
それだけ言って土方は部隊を連れて駆けていく。
これでなんとかなった。自分も。イリスも、それからあの琴って子も無事になる。
そう思うと本当に気が抜けて、ふらりと体が揺れる。
あ、やば。
思ったものの手足は動かない。このままだと顔面から地面にーー
ドンっ
と何かが体の前面に当たった。暖かい。布の肌触り。
「おいおい、ギンチヨ。大丈夫か」
スキピオだった。最悪だった。
「うっさい、ハゲ」
「若でもなくなった!?」
「だから……うるさいん、だよ……ハゲ」
悪態をつくのもつらい。立っていることもできなくなって、今はもうスキピオに体を寄せるしか起き上がる手段はない。
それがもう。どこか心の休まる何かを感じさせた。
普段はイキがってウザくて、でも締めるところはきっちり締める。あの宗茂みたいな。そんな錯覚。
「――――、スキピオ」
「え、なんていった!?
「うっさい」
意識が遠ざかる。
消えゆく意識の中。きっと私は顔を真っ赤にしていただろう。
だって言えるはずもない。
こんなやつに。ありがとう、だなんて。
まさか。




