挿話76 巴御前(ゼドラ国将軍)
ローカーク門。その奥にある白起様の私室に、私と呂布が呼び出された。
思えば少なくなったものだ。最初は5人いた面子が、2人欠けて3人になっていた。しかも欠けるはずのない2人。あれほどの武の持ち主がどうして死ぬと思えるだろうか。
それでも項羽、そして為朝様。その2人は消えてしまった。永遠に。
あの豪放で大気を震わせるな声を聴くこともないし、義仲様の少年期に似ただろう少年の調子のよい声を聴くこともない。
呂布は気にしていないふりをしているが、間違いなく彼らの死に、どこか責任のようなものを感じているようだ。
だが白起様はどうだろう。あるいは何も感じていないのではないか。そう思ってしまうほどに普段と変わらない。それが怖くて、多分二度と聞けないだろう。
そんな3人の集まり。
琴は呼んではいない。いくら共に戦ったとはいえ、数か月前は敵だった人物だ。私に心を開こうとしているものの、それを是として全てを伝えるほどお人よしではない。
そうやって集まった3人の話し合い。
それはほぼ白起様の通達の場。そしてそれの最後に、白起様はこう告げた。
「話は聞いたな。では出る」
「白起様! まさかこの門を捨てるのですか!? この鉄壁の守りを誇るローカーク門を!」
「言った通りだ。後方を脅かされれば、ここの守りは万全ではない」
「それは……そう、かもですが」
ただここは戦略上の要所。そうそう簡単に捨てていいものではないのに。
だがそこに笑声1つ。
ずいっと体を乗り出した男――呂布が高らかに言い放つ。
「いいだろうよ。ここでいつまでも引きこもってたら、赤兎も退屈そうにしている」
「しかし……」
まだごねる私をたきつけるように、白起様が淡々と告げてきた。
「巴。状況は変わった。帝都付近に賊が跋扈している。その名は、イリス」
イリス……。白起様を傷つけた女。
「門の前でたむろしてる連中をやるより、あの活きのいいやつを潰した方が楽しめる」
呂布は高揚した様子でニヤリと笑った。
その気持ちはわからないでもない。それでも懸念はある。
「分かりました。ただ、白起様の怪我は治っていません。中軍にて兵に囲まれて移動するようにお願い――」
「ああ。これか」
先の戦いで、両腕と左肩の骨折をした白起様。そう数日で治るはずもない。
しかし白起様はつまらなさそうに、両の腕を眺め、
「我罪天通」
パキン、と何かが割れる音がした。
表面上は何も変わっていない。しかし、白起様は何事もなかったかのように、両腕を持ち上げると、手のひらを握ったり開いたりしてみせる。
いままで動かせることのなかった腕を。
「これで治った」
「え!?」
「我が異能はあったことをなかったことにする力。本来なら敵の異能を消す、敵の行動を止めるなど一時的なことでしかないが、数日にかけて日に3回、異能をかければこのように怪我自体をなかったことにできる」
「はぁ……」
「滅茶苦茶だな」
さすがに呂布も呆れたようだ。
けど、白起様の怪我が治ったのは重畳。あのもぐもぐ白起様を見られないのは残念だけど、健康に勝る喜びはない。
「巴。お前の懸念はこれで払しょくされたな?」
「……あ、いえ……はい!」
「では出よう」
なんだか強引に押し切られた気もするけど、あまり考えることも得意ではないし、ま、いいか。
私自身も、ずっと敵を前にして籠るのは飽き飽きしていた。
それより戦場を駆け、白起様に傷を負わせたあのイリスとかいう女を叩きのめす方が性に合っている。
「ではすぐに準備をします!」
「ああ。頼む」
白起様は感情を交えずに小さくうなずく。ただその直後。唇だけを弓にして、
「今、イリスを殺せば。高まった敵の士気もどん底になる。騒いでいた帝都民どもも二度と歯向かうことはないだろう」
ゾクリ、と背筋を通る氷のような声でそう言った。
白起様の声は。まるで羽虫をつぶすかの如く、人の生死を扱い。そしてその瞳。まるでガラス細工のように透明で、かつ作り物のように見えて。一体、その奥には何を写していられるのか。
分からない。
けど不安もない。
分かる必要もない。
私は白起様についていくだけ。義仲様と共に戦ってきたように。
それは変わることもないこと。
これからも。ずっと。
「巴殿」
白起様の部屋を出て、兵に通達しようと兵舎に向かうところで琴に呼び止められた。
何かを感じ取ったのか、どこか強張った面持ちをしている。彼女の立場。同情はしても、命令を覆すことにはならない。
「門を出ることになった。すぐに準備を」
「……戦うのですか」
「ええ」
「……」
沈黙。
かつて共に戦った仲間と戦うのが苦しいのか。
「琴、すぐに出てって」
「え」
「あなたを助けたこと、それを恩に感じているならもういいから。どこにでも出てって」
それが彼女にできる精一杯の温情だった。
彼女には敵に寝返ってでも生き延びて会いたい人がいるに違いない。もし自分が彼女の立場なら……義仲様と戦うなんてゾッとする。だから私が生き延びた時点で死を選ぶ。
けど彼女は生を選んだ。
それは弱さではない。
敵となっても再び会うために。そう思えばその強さは私の想像を絶する。
だから彼女にそう告げていた。彼女に一方的に慕われたこともある。白起様から独断で動こう、そう思えるほどに彼女はどこか特別だ。
「……」
数分の沈黙。
やがて彼女は口を開き、
「お断りします」
「な、なんで!?」
迷いなく受けるだろう。そう思っていたから驚くしかない。
「ここで逃げては、僕は死んでしまう。魂を悪魔に売り渡した当世愚人の象徴となってしまう。僕が立ったのは義のため。それが壊れてしまう」
「琴……」
「心遣いはありがたいが、僕には無用だ。好きに使ってくれ」
そう告げる彼女の顔は、ひどく歪んで今にも泣き出しそうだった。
嘘が苦手なんだなと思う。それもまた好ましい。
「いいのね」
「ああ」
そう言った時にはすでに迷いは晴れた顔をしていた。表向きは。
「わかった。なら頼むわ」
そう言うしかない。彼女の気持ちを受け止めるには。
「何をしている」
その時だ。
背後から声。そしてこの声は、
「白起様!」
「何をしている、巴」
その責めるような声色に少し驚きながらも、なんとか口を開く。
やましいことはしていないはずなのに、なぜか緊張で口がカラカラだ。
「これは、その……琴に軍の準備を命じていました」
「……そうか」
そう言って私と琴を見つめる白起様。
「ならいい」
それだけ呟くように言うと、私たちの横をスッとすり抜けていった。
ドッと疲れが出た。
白起様の期待に背くようなことはしていないのに。どこか胸が苦しむ。
それに……。
今見つめてきた白起様の瞳。先ほどイリスと言った時にしていた、ガラス細工のようなどこか不確かな色をしていたのが、さらに気になってしまっていた。




