第102話 出発の前に
方針が決まって、じゃあすぐ出発となるかというと、そうはならなかった。
というのも連日の戦いで兵は疲労の極致にあり、迅速な動きができなかったからだ。
たとえここで1日休みを入れたところで、むしろここで強行軍した方が疲労困憊で戦闘どころじゃなくなる可能性だってある。
戦闘の緊張感がなくなることの懸念があったけど、策が始まるまで少し時間がある。そこまで緊張を続けさせるよりは、という判断だった。
だからこの日は完全に休憩の日にした。
といってももちろん全員が全員、ゴロゴロとしていたわけじゃない。万が一にも備えて、ゼドラ軍の同行はうかがっているし、偵察の兵は交代で四方八方に向けている。
治療を受けている人間以外は極力体を休めつつ、武具の手入れと陣地の改修をしていて、休暇というよりは次の戦いの準備をしているという方が正確だろう。
それでも無益な殺し合いをしないというだけで、兵たちの顔色は少し穏やかになっているわけで。それを見ると、やっぱり戦争なんてものはくだらない上の人間のエゴを通すだけの蛮行でしかないんだと思う。
それ以外にも当然理由はある。
方針を決めたとはいえ、僕ら3人でのこと。各国の代表との意思疎通や、何より皇帝の許可は必要になってくる。そのための時間は必要だった。
各国の代表との話はすぐに終わった。
誰もがこの陽動作戦を効果的と見たのだろう。
ただ1つだけ。いや、厳密には2つか。問題、というか少し時間を割いたことがある。
「1つ聞きたいことがある」
そう手をあげたのは謙信だ。
「門の向こうは敵地だ。1千だろうが5千だろうが、人はものを食わなければ生きていけない。水を飲めなければ死ぬ。どうするつもりだ?」
そう。それは確かに大問題。
さすがは上杉謙信。遠征もお手の物ってわけか。
「まさかと思うが、略奪なんてしないな?」
「む、イリス。それは困るぞ。吾輩が帝都に戻った後に、民心を離れさせるわけにはいかない」
謙信の言葉に皇帝が眉を顰める。
うん。皇帝も昔はクソガキと思ってたけど、なかなかどうして。略奪しようが勝てばよかろうなのだ、と言い始めたらどうしようかと思った。
なんていっても戦場になるのは旧帝都近辺。そしてゼドラを撃退すればそこに皇帝が居座ることになる。そこで略奪なんてすれば、味方になるはずの領民が反旗を翻す。つまり略奪といっても自分の手足を食うようなもの。
ただそうなると途端に苦しくなる。
補給といっても船でいつまでも往復で運ぶなんてできないだろうし、田畑を耕す時間も暇も土地も何もない。
何より僕らは敵の奥地に付け入るつもりだ。仮に船で運んでも僕たちのいる場所まで届けるのには敵中突破するしかない。かといって食料を受け取りに港に戻れば本末転倒。
じゃあどうするか。
当然、答えはある。
というか、これしかないというか……。
「略奪しますよ」
「イリス!」
「ただし、敵からね。智将は務めて敵に食む、ってやつです」
「む、イリスよ。まさかそれは……」
「ええ、謙信さんのご存じ。孫子です」
「あのクソ坊主か!!」
「え!?」
孫子がクソ坊主って……あ、武田信玄のことか。風林火山の。
いや、そこからそっちに着火するの? めんどくさ、この人。
「いや、孫子は別に信玄だけのものじゃないし……」
「ほぅ、つまり貴様もあのクソ坊主ということか、イリス」
「なんでそうなるの!?」
なんか話通じない。というかここに千代女がいなくて良かった! いたら絶対血の雨が降った。
「えっと、つまりイリスは敵の補給物資を襲うってことが言いたいのね」
と、僕らの言い合いを遮ったのは誾千代だった。ナイスタイミング!
「そう、それ! ローカーク門はそれ単体で成り立ってるわけじゃない。生産能力のないただの城壁だからね。そこに数万の人間がいるなら、定期的に食料やら武具やらを運ばないと戦えない。だからそれをそっくりいただく」
智将は務めて敵に食む。
これは戦いの上手い人は、味方に食料とかを送ってもらうんじゃなくて、敵から奪った方が合理的ということを孫子は言っているのだ。
これは補給路の問題だけじゃない。もし敵の物資を奪えば味方のプラスになるだけでなく、本来敵が使用するはずだった物資が消えることでマイナスになる――そして敵のマイナスは味方のプラスと考えれば単に奪うだけの2倍の戦果になるということ。4点分の働きといえば分かりやすいだろう。
どうせ敵の胃袋に入るのだから、(敵以外は)僕らが奪っても誰も損はしないってこと。
それをつらつらと述べていくと、
「ふぅ。作戦は気に入らんが、後は問題ない。勝手にやれ」
結局はそんな感じで謙信が折れて(?)ようやく議論は収着した。
そしてもう1つの問題。
いや、これは問題というか、個人の問題というか。
「私もイリスちゃんと一緒に行く」
そうラスが挙手した時には僕が困った。
生きて帰れるか分からない危地。そこにラスがひょっこりついていくなんていうんだから、それはもう困惑困憊困窮混乱だ。
「ラス。いや、気持ちはありがたいんだけど」
「私もいく」
食い気味にグイグイ来るな。
「お前は陛下の親衛だろ。そうほいほいと立場を放棄して――」
「でも、ここで負けたら陛下は二度と帝都に戻れない。だからここでイリスちゃんを助けることは、結果的に陛下を守ることになるでしょ」
「ぐっ」
屁理屈だ。けど屁理屈も理屈。
現に皇帝陛下はラスの意気込みに感極まっている。
「陛下も後方に下がるから、お身柄も大丈夫。それに万が一の時はアイシャちゃんがいるし」
「ラス……」
「それに私だって帝都は見てきたんだから。きっと役に立つと思うよ」
別にラスが役立たずだからというわけで拒んでいるわけじゃない。むしろいてくれるとありがたい。
今回、別動隊を率いるのは僕と新島八重の2人だけ。姉さんはまだ寝てるし、他は自国の軍の統括で離れられない。
だから1人でも多く、選択肢が取れる人員がいてくれるのはありがたい。色々相談できるだろうし。
けど危険は間違いない。万が一も全然あり得る。
けどそれはラスも分かっているからこそ、こうやって同行を願い出ているに違いない。鶴のことを羨ましいと言ったくらいだ。そこにどこか不吉なものを感じてしまうわけで。
だから結局これは僕が折れるかどうかの問題。他の皆も、だいたいがこの問題には無関心。唯一アイリーンとマシューが口を開いたけど、それはラスの覚悟を確認するくらいで、彼女たちも反対しているわけじゃないらしい。
というわけで味方もいない僕は、正直、出会ったばかりの八重と話が弾むかどうかという超個人的な問題の解決策としてラスの同行を許可することになった。
はぁ……ま、いっか。なんとかなるだろ。
そしてその日の夜。
僕が何より待ち望んでいたものが来た。
正確には帰って来た。
「生きてる?」
そうぶっきらぼうな物言いで、影も形もなかったところから目の前に突如現れた1人の小柄な少女。白地に赤でミニな巫女服というこれ以上ない人目を引く服装なのに、どうしてここまで気配を絶てるのかと思ってしまうほど。
それでも彼女は凄腕の諜報部員だというのは僕がしっかり知っている。
だからこそ、彼女の帰りを待っていたわけで。
とにかくこれでピースは揃った。
あとは半ば博打だけど、これ以上の悲しみを産まないためにも。さっさとこの戦いを終わらせよう。そうでもしないと、僕の寿命もなくなる。
だから僕は彼女に向けて、精一杯の情愛を示して迎えた。
「待ってたよ、千代女」
切野蓮の残り寿命79日。




