第081話 華麗じゃない下車
走って来る馬車が二重に見えるのは、疲労だけによるものではない。シャポーは大きなブルーグリーンの瞳に、溢れんばかりの涙を溜めていた。
彼女に向かっていた馬車は、まだまだシャポーとの距離が離れている位置で、牽引しているクウィンスに振りまわされてドリフトを開始する。
シャポーの周囲を、灼熱の炎が取りまいているため、安全な距離を置いて停車を試みたのだ。
横すべりする車輪が、悲鳴を上げるかのような音を響かせ石畳を削る。御者の二人は、その動きに慣れているのだろうか、もの凄い形相をしつつも振り落とされることはなかった。
馬車の側面には、教会の印が刺繍されており、組織における高位の者が乗っているのを現す意匠が施されている。
ちょうど半回転したところで車体がぴたりと停止すると、馬車後方から三つの影が飛び出した。
『親しき隣人たる大気の上位精霊「無なる存在者」に願う。我が呼びかけを聞きとどけ、我が友を護る力を分け与えたまえ』
精霊に語りかけながら、深緑の髪色をした青年が、シャポーの左側へと並び立った。
人族の大人と比べて上背こそないが、身動きのしやすい軽装の上から、日々鍛えているバランスの良い体つきがうかがえた。
シャポーの目に、なじみ深い均整の取れた青年の横顔が映る。彼の特徴的な長く尖った耳が、森の民と称されるエルート族である事を示していた。
「シトスさん!」
名を呼んだのと時を同じくして、シトスの頭上に半透明の人型が姿を現した。
その両腕を組んだ魔人が、口の先から「ふう」と業火に息を吐くと、シャポーに届いていた熱気と白光が和らぐ。
「間に合ったと言うのもおこがましい状況のようですね。しかし、大事には至っていない様子で、安心しました」
シトスは、シャポーが無事であることを確認して笑顔を向けたが、すぐさま方眉を上げ「相変わらずですね」といいたげな表情を浮かべた。
(はわ~。シトスさんは、上位精霊から力をかりられるようになっているのですね。無なる存在者と聞こえたのですけれども、それが精霊さんのお名前なのでしょうか。一息で炎を弱めたというよりも、自身の属性である大気の領域を広げたというのが正しそうなのです)
シャポーは口をぽかんと開けて、シトスの頭上に現れた精霊を、興味津々な顔で見上げていたのだった。
『切り裂く風の上位精霊リアンナクランナよ、私の願いに応じ、害するものを引き裂いて』
はきはきとした女性の声による精霊魔法の詠唱が、シャポーの右手側から響く。
「ムリューさん!」
振り返ったシャポーの前には、両手を炎へとかざした薄桃色の髪の女性がいた。
桃色の長い髪が、ふわりと宙に浮きあがった刹那、数えきれないほどの空間の断裂が生じ、取り囲んでいる炎の一部を切り裂いて消滅させる。
彼女もシトスと同じく、エルート族の戦士が愛用する硬い獣皮を使用した軽鎧を身に着けている。
「ちょっと、なんでシャポーが一人で戦ってるの。この国の軍隊は、人手が足りていないにも程があるんじゃない!?」
頬を膨らませる勢いで怒っているムリューだが、整った顔立ちで知られるエルート族の中でも、飛びぬけた容姿の持ち主なのであった。
(はわ~、ムリューさんも上位精霊による魔法を使っているのです。風で空気を引っ張って、疑似的な真空による空間断裂を作り出したのですね。炎を切断したみたいなのですけれども、燃焼する物質を無くすことによって、同様の現象を起こした感じなのです)
シャポーは、行使された精霊魔法の行方を追いつつ、並列思考の端で分析していた。
ムリューの魔法によって、シャポーに迫っていた炎が消えると、防御魔法にかかっていた負荷がなくなる。
前方に出来た炎の無い空間――シャポーとほのかの間に、三人目の人影が割って入った。
修道女風な衣装に身を包み、腕と足には金属製の防具を装備している。黒いベールからのぞく前髪は、炎に照らされ金色に光を反射していた。普段は眠たげに見える半眼が、ロボリ軍全体の動きを把握するため、鋭く細められる。
右手に『修道の槍』と呼ばれる、護拳部の付いた三角錐状の槍を握っている。身長以上の長さを有するランス状の武器だが、全長の三分の一ほどが両刃の剣となっている特徴的な武器だ。
その長さや重さから扱いが非常に難しく、修道騎士と呼ばれる者達が使っていることから『修道の槍』と呼ばれるようになったのである。
シャポーに背を向けて立つ女性は、クレタスにおいて最強と名高い修道騎士なのだ。
「トゥームさん!」
その後ろ姿は、先の内乱のおりに、何度も護られ見慣れたものだった。
「シャポー、怪我は無いわね」
言うと同時に、トゥームは修道の槍を横薙ぎに振るう。
すると、彼女を中心に教会魔法による守護の効果が発揮され、膨大な精霊力によって燃焼し続けていた大気を押し返した。
「三人とも凄いのです。エルート族の中でも上位精霊と親交を持てるのは一握りと聞いていたはずなのです。それにそれに、トゥームさんは教会の守護魔法を? シャポーの記憶が正しければ、高位司祭が扱う等級の魔法では無いのでしょうか。でも、詠唱も印をきることもしなかったということは――」
シャポーは興奮した顔で、握った両手を上下に動かす。言葉尻は、考えに耽るかの調子となってゆく。
「大きい怪我はしていなさそうね」
背を向けたまま、トゥームは口元を少し緩め、ため息交じりに呟いた。
猛烈に駆けていたクウィンスはといえば、世は事もなしといった様子で石畳の上に座り込み、自分の役目は終わったとばかりに大きなあくびをしているのだった。
その時、新たに一人の人物が、お世辞にも華麗とは言えない足取りで、停車している馬車から降りて来ていた。
次回投稿は8月23日(日曜日)の夜に予定しています。




