第080話 懐かしき幻聴
「ほのかちゃん、今すぐお助けいたしますのですよ」
アジェライードの命令を受けて、ほのかが攻勢を強める中、シャポーは超高速で防衛の魔法を構築しながら呟いた。
輝きを強めた炎は、シャポーの防御魔法を加速度的に消滅させてゆく。
完成させた円環の解呪術式に耐熱を中心とした保護魔法を付与し、解き放つタイミングを見測ろうと、シャポーは体内魔力によって視神経を強化して、目が潰れてしまうかのような白光をじっと観察した。
流れ落ちる汗と鼻から滴る血が混じりあう。口元に触れると、舌先に微かな鉄の香りを感じさせた。
意識を集中したシャポーの両目は、高温となった大気の発する白い光が、呼吸しているかのように強弱を繰り返しているのをとらえた。
「ここなのです!」
耐性の付与によって縁取りを幾重にも重ねられた円環の解呪術式は、シャポーの防御魔法の範囲から抜け出した。
円環の術式を保護する魔法達は、金属が破裂するかの音とともに、次々と灼熱の炎になぶられ壊されて行く。
(計算上、ほのかちゃんまで、届くはずなのです)
シャポーは、思考空間からの魔力だけでなく、体内魔力をも円環の術式に注ぐのだった。
解呪術式がほのかへ向かって行くのを、アジェライードが黙って見過ごす分けがない。しかし、炎の嵐を抑えつけるかのごとき精霊魔法の制御を行っている彼に、シャポーが新たに繰り出した魔法に対処する余裕は無かった。
『炎の上位精霊ほのかに命ず。その魔術ごと敵を焼き払え』
アジェライードの精霊語による命令は、語り掛けただけに終わり、目に見える効果を発揮しなかった。
「ちぃ」
苛立たしげに舌打ちするアジェライードであったが、これ以上ほのかの力を解放しようとすれば、呪術による束縛を弱めてしまう恐れがあると理解していた。アジェライードの術師としての能力では、異なる系譜からなる呪術と精霊魔法の均衡を保ちつづけるのが、現状で手一杯となっていたのだ。
その時、ほのかに接近した解呪の術式に異変が起きた。
術式保護のために組み込まれた耐性魔法が、金属音を連鎖的に鳴り響かせて、一息に弾け飛んだのだ。
解呪を開始するまで、あとわずかという距離でだ。
「なぁぁ!?」
驚きの声を上げたシャポーだったが、すぐさま原因を究明しようと、ほのかや解呪術式の観察を始めた。
解呪の術式には、込めた魔力量による強度と術式の複雑さによる深度を過剰なほど盛り込んでおいたため、業火にさらされながらも魔法としての形を保てている。しかし、長くは持ちこたえられそうになかった。
(ほのかちゃんは『地核』の精霊さんなので、想定しうる保護魔法をかけておいたはずなのですけれども、何か見落としがあったのかもです。攻撃に変化はありませんでしたので、術式がほのかちゃんに近づいたのが原因と考えますと――見えない防御壁、付与していなかった魔法、地核属性――)
シャポーは、答えを導き出そうと脳をフル回転させた。
「地磁気のような力場が存在するのかもです。完全に失念していたのですよ」
惑星は、内部流体の対流と自転が組み合わされることで、磁気圏を形成して大気や表層を守っている。星の中心とされる『地核』の始原精霊であるほのかが、それに似た防衛の手段を持っていてもおかしくはかなった。
シャポーは、ほのかの周囲を取り巻く力場の存在を目視で確認すると、大急ぎで解呪術式に新たな保護魔法の付与を試みる。
だが、耐性を失った解呪の術式は、瞬く間に灼熱の炎の中に溶け入ってしまうのだった。
鈍器で殴られたかの衝撃がシャポーの頭を襲う。制御中の術式が、強制的に破られた際に起こる魔力のフィードバックだ。
「うっく……魔力をいっぱい込めていたので、思っていたよりも強く返ってきたのです」
鼻下の血をぐいと袖で拭い、シャポーは気持ちを切りかえるかのように表情を引き締めた。
「術式は完成してますので、耐性の付与さえきちんとすれば――」
解呪術式を再び起動しようとしたシャポーの視界が、ぐらりと揺れる。まばたきを何度かしてみても、物が二重に歪んで見えた。
(まだ、思考空間にも魔力は十分にあるので、魔力枯渇ではないのです。脳の過負荷はありますけれども、並列思考も問題なくできてますし、防御魔法の構築速度だって間に合っている……はず?)
微かな違和感であったが、シャポーは、積層魔法陣の操作に遅れが生じているのに気付く。
(これは、良い状況ではないのです。ほのかちゃんの熱にさらされすぎたのかもです)
防御の魔法を隔てていても、数千度にもなる熱と対峙しているのだから、シャポーの体が限界を訴えはじめても無理はない。その上、常識的にありえない数の上級魔法を同時に発動し、維持し続けているのだ。
シャポーは唇をぎゅっと噛みしめた。
(攻撃魔法を使うべき、なのかもしれないのです。シャポーが、ロボリの人達を捕まえようなんて考えたから、ほのかちゃんを呪詛に絡めとられてしまったのです。捕まえるのに失敗しても「足止めさえできれば」なんて考えていましたし。攻撃を選択肢に入れないように遠ざけていた結果なのですよ)
尊敬する人に「例え盗賊であっても法で裁くのが大切だ」と教えられたのも、攻撃を躊躇する大きな理由の一つだ。それ以上に、クレタスで起きた内乱の際に、とある魔導師を「存在ごと消滅させた」のが、シャポーの心に小骨のように刺さっていた。
俗に呼ばれる「魂」すら残さない魔法――魔術を悪用されたことが許せずに行使した魔法だった。
後になって、消滅させた魔導師の血縁であるミシルパと友人になったことが、シャポーの心境に多大な影響を与えているのかもしれない。
(でも、ほのかちゃんを取り戻すためなのですから)
攻撃を決意したシャポーは、白熱する大気の先に、ロボリの兵士達を見据えた。その中央で、ほのかを呪術によって縛り付けているアジェライードが、勝利を確信した笑みを浮かべている。
それら全てが二重に見えてしまっているため、解呪術式に新たな耐性の付与を行っていては、自分の体力が持たないとシャポーは感じた。
(ほのかちゃんを、できるだけ傷つけないようにしないと――)
シャポーは、広範囲の攻撃魔法を使うため、頭上に思考空間の入り口を出現させた。
一度で確実に決着をつけるため、破壊力のある魔法を使うことを選択する。
敵の後方にある建物への被害を出さぬよう、術式を調整している時間はないので、シャポーが罪悪感を胸に抱いた時であった。
「クェェェェ」
聞き覚えのある獣の鳴き声が、遠くから響いてきた。
シャポーの脳裏に、長い間ともに旅をした空色の友獣の姿が浮かぶ。
「幻聴なので……幻聴まで聞こえちゃったら、いよいよまずいのですけれども!」
「クェェェェ」
焦りの表情を浮かべたシャポーの耳に、はっきりとワロワ種である友獣の声が届いた。
業火の上げる音をも貫通し、彼女へと向けられた鳴き声だ。
振り向かずにはいられなかったシャポーの視線の先に、懐かしさを覚える光景があった。
友獣は、ふわりとした頭部の白い羽毛とは対照的に、頑強そうな嘴を有し、立派な体躯を晴天の空を思わせる色の毛がおおっている。後方には馬車が繋がれており、二人の御者が制動をかけようと必死に手綱を引いていた。
「クウィンスなのです!」
馬車を牽引しながらも、猛烈な勢いで駆けて来るその姿は、シャポーの知る友獣ワロワのクウィンスで間違いないのだった。
次回投稿は8月16日(日曜日)の夜に予定しています。




