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第073話 ロボリの王

 猫科の騎獣きじゅうが、複雑に入り組んだ裏路地を音も無く駆け抜ける。


 騎手が巧みに操る獣は、平地を四足で疾走しつつ、塀などの障害物があれば、腹部に畳んでいる足を出し計六脚となって軽々と乗り越えてみせた。大型の猫科である騎獣は、建物の壁を蹴り障害を飛び越えて難なく進軍して行く。 


 百騎からなるロボリ軍の別働隊は、巧妙な姿隠しの精霊魔法と騎獣の静かなる足音によって、姿無き部隊として移動しているのだった。


 そんな部隊の中ほどで、隊長らしき兵が若い男に騎獣を寄せて声をかけた。


「我らがアジェライード・ロボリ王。今少し後方にお下がりください。密偵の情報が確かとはいえども、万万が一ということもございます」


 アジェライードと呼ばれた青年元首は、他の兵とは異なる上質な服を羽織り、誰よりも上手く獣を従わせている様子であった。


 兵士らの身に着けている服は、金属糸の縫い込まれた布で織られていて高い防御力を誇る。板金の鎧には防御面で見劣りするものの、高い静音性と、寒暖の激しい気候でも蒸れることも凍えることなく戦いに臨める利点を有していた。砂漠地帯が戦場となることが多い東の国々ならではの装備である。


 開戦前、大軍でクレタ山脈の峡谷を越えた際にも、カルバリの巡回兵がロボリ軍を発見できなかったのは、装備と騎獣の静かさによるところが大きいのは言うまでもないだろう。


 アジェライードは、他の者が兜がわりに巻いているターバンを身に着けておらず、風に任せるまま金色とも銀色ともつかぬ髪をなびかせていた。彼の髪色は、大気の精霊と血の盟約を交わした王族のなかでも稀に顕現けんげんする色彩で、精霊との深い親和性を意味するとされる。


「前後の隊列が伸びているのだ、姿隠を行使する私がこの位置におらずしてどうする? お前が代わりに精霊魔法で部隊の存在を隠匿してみせるか?」


 アジェライードは冷たい声色で隊長の男に返した。「出過ぎたまねを」と兵士は険しい表情で畏まる。


 この兵士が表情を硬く強張らせたのにも理由がある。アジェライードは若き国家元首ながらも、治政の手腕から賢王として一目置かれる存在であり、人柄も別働隊の隊長である彼の心配を冷たくあしらうような人物では無かったのだ。


 だが、カルバリ攻めが始まってからというもの、村や町を必要以上と思われる程に破壊させ、クレタス人を一人残らず惨殺せよと命令し、人が変わったかの印象を周囲に与えていた。


「そんな事に気を回す余裕があるなら、後方に遅れるなと発破でもかけておけ」


 ロボリの王は控えろとでもいうかのように顎先を軽く振って兵を下げた。


 東の君主制国家の元首達が、クレタス侵攻のために『クセ条約』を締結した会議の場で浮かべていた落ち着き払った表情とは、別段変わっていないようにも見える。しかし、側近の兵士らは全く違うものをアジェライードの顔に見出していた。


(まずは技研国カルバリとその魔導師達を完膚なきまでに蹂躙する。商業王国ドートに二の足を踏んでいるデルアボリやクセ、ラメア、ネーシミジアへの援護なぞ遅れても構うまい)


 アジェライードは、胸の奥に巣くっていたものが表出しているのを己でも感じていた。最初の標的と定めていたカルバリの陥落を目前にして、どろりとした感情が溢れ出し口元を冷たく歪めさせるかのようだった。


(精霊信仰など、度を過ぎれば害悪でしかない。精霊に愛されねば人として扱わぬとは、どれほど精霊が偉い存在だと思い込まされていたことか。精霊など、武器と同じ我々の道具にすぎぬと、この戦いが証明したようなもの)


 幼き頃、彼には年の離れた姉がいた。


 今となっては薄ぼんやりとしか顔を思い出せないが、聡明で優しい人物であったことだけは、はっきりと記憶している。世継ぎとしての厳しい教育を受けていたアジェライードに、難しいことを易しく教えてくれた人であり、先王である父や母と違い、良き姉として優しく接してくれた人でもあったからだ。


 だが、彼女には王族の特権ともいうべき精霊との「血の盟約」が発現していなかった。それどころか、精霊との親交をも持てずに、その存在を感じることも使役することも出来なかったのである。


 姉は自分の置かれた状況を悲観せず、未来の王であるアジェライードを内政面で支えると約束してくれさえした。若いながらに誰よりも国政を理解し、その才覚を発揮し始めていたからだ。


 しかしながら、精霊との親交が無いのは、王族としてあまりにも致命的すぎた。


 王位継承権が正式に発生することで私兵を持つことが許され、重要な公務も任されるようになる十八の歳になる直前、アジェライードの姉は病死したとして公表された。病の感染を防ぐためにと、遺体の無い葬儀が内々に執り行われたのである。


 事の詳細をアジェライードが知るのは、己が王位継承権を得て自由になる部下を持ち、調査の術を得てからであった。


 聡明であった姉は、クレタスの魔導師に研究材料として高額で売り払われていたのだ。それも、一介の奴隷と身分を偽装されて。


 売り手であるロボリ王家としては、精霊に愛されなかった「血筋の恥」を秘密裏に処分するのが目的であり、買い手の魔導師としては、精霊信仰国家の王族の血を研究するまたとない機会であったのが理由だった。


 明るみに出るのを怖れたロボリ王家は、即刻命を絶つことを売却の条件に加えており、魔導師はその約定を果たしていた。購入者側である魔導師はカルバリの大貴族であったため、秘密の取引は容易く闇に葬られたのである。


 アジェライードは、あまりにも愚かしい行いに手を染めていた先王と王妃を、突然死に偽装して葬った。


 それは、顔もうろ覚えとなって久しい姉の復讐なぞではなかった。単に身内を売るという愚行が許し難かったのだ。そして、道具や武器と同列である精霊風情の気まぐれに支配されるような自国の者らも、愚かしく許し難い存在に感じられた。


 アジェライードにとって、人を実験材料と考える魔導師の傲慢さも、それを容認し放置しているクレタスの人族達も、並べて許し難かったのであった。


「我らがアジェライード・ロボリ王、商業王国ドートに展開している連合軍総司令バーゲニア・デルアボリ・オフリウム王から至急連絡です。カルバリの首都を陥落させたのち、速やかにドート戦線に加わるようにとの要請が入っています。こちらが交戦中だと知っていながら、よくも送れたものです」


 アジェライードは、別働隊の隊長の声に昔の記憶から呼び戻された。


「こちらが終わり次第だとでも返しておけ。不興を買わぬようにな」


 アジェライードのいかにも興味が無いといった言葉に「はっ」と隊長は略式の敬礼で答えた。


 デルアボリの王バーゲニアは、クセ条約締結の際に、会議の場を仕切っていた男だ。齢六十を超えても尚、肉食獣を思わせる血気盛んな王であるため、アジェライードがこの戦争へと焚き付け、神輿として担ぎ上げるには楽な相手であった。


(土地枯れの原因が呪詛による精霊の酷使だとも知らず、クレタスに抱いた長年の敵愾心てきがいしんから、こうも簡単に乗せられてくれるとはな)


 バーゲニア王の厳つい顔と年齢を思わせぬ体躯を思い出しながら、アジェライードは騎獣に低い壁を飛び越えさせた。


 新しい軍事技術と称して呪詛を組み込んだ精霊魔法を、デルアボリ軍に取り入れさせるのも容易いことであった。同盟国であるロボリとデルアボリの共同軍事演習を実施し、その威力を見せつけるだけで良かったのだから。


 そんな、精霊を縛る呪詛の存在を知ったことこそ、偶然の産物と呼んでもいいだろう。


 アジェライードの治めるロボリの北には、小競り合いの絶えない小国家が乱立している。小国家群は魔女の巣くう呪いの森とも隣接しており、内一国との外交の席において、魔女の操る「闇の精霊魔法」の噂を耳にしたのがきっかけだった。正確には、魔女の使う対精霊魔法用の呪術で、精霊魔法の権限を術者から奪い取り、精霊に術者を巻き込んで自爆させるといった類の物であった。


 呼び出した精霊のエネルギーを、精霊魔法として変換せぬまま利用するソレは、恐ろしくも強大な威力を有していたのだ。


 アジェライードは、魔女との取引によって、禁忌たる呪詛の知識を得ることとなった。魔女の行う小国家群内での人攫いに、ロボリが手出しをしないと言うのが前提の条件とされ、小国家間の争いをロボリが内外から誘発することで、魔女達が呪術の生贄を得やすくすることこそが真なる条件とされた。


(クレタス全土を破壊しつくしたならば、魔女も森ごと焼き尽くしてやらねばなるまいな)


 それ程までに戦争が進んだ時、ロボリをも含む君主制国家の軍も致命的な打撃を受けているであろうことは、賢明なロボリの若き王にとって想像することなど難しくはなかった。


 アジェライードは、精霊も精霊を信仰する国々も、魔女もクレタスの魔導師達も、総じて許し難い存在であるため、全て消し去ってしまおうと考え動いているのだ。何よりも、体の中に流れる王族の血が、彼にとって最大の嫌忌の対象なのであった。

次回投稿は6月21日(日曜日)の夜に予定しています。

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