第1章 その6
こんばんわの声に驚いて振り返る――丁度右手の木の枝に、誰かが両手を枝に乗せて座っていた。
白っぽいルーウェアのような、そしてフードを被っている。フードには半円月の耳が付いていて――コリラックマのアニマルウェルフェアというやつか。
ふと雲が晴れ、月が顔のぞかせたのだろう、フードの少女らしき人物の顔が照らされた。どこかいたずらっぽい瞳をしてこちらを見返している。
驚かそうとしたのか?
「えっと……こんばんは?」
「にひひ。ビックリした?」
破顔する少女。どんぐりみたいな瞳に月を宿している。フードからこぼれた髪がそれに合わせて揺れた。
「えっと、まあ初めて? なので……?」
言葉は返せたものの、内心冷静ではいられなかった。
敵というか死神の類ではなさそうだが。そもそもメジコンの幻覚なのか?
「あーねー。初めてにしては何か手慣れてない?」
「…………昔からしたくてさ。もしした時のこととか考えてたから」
「あーねー。あ、私はレテ! 君は?」
「九十九だよ」
「あ! 珍しいやつだよね? 漢字が九十九」
指で漢字を書きながら、レテと名乗った少女が続ける。年は少し下だろうか。
「あっ――いや、えっと、それで何してるの? おまじない?」
何だろう。一瞬変な間があった。チャックは空いてないよな。
「何ていうか、≪幽体離脱≫したらその証拠を残そうって。身体に戻ってからここに来て確認すれば、ホントか分かるじゃん?」
「私とおんなじ!」
枝から腰を上げて、レテは喜んでいるようだった。浮いているのがちょいシュールだが。
「レテさんはオカルト好きなの?」
「Can't you see what I am doing〜?」
(見ればわかるでしょ?)
流暢だが、聞き取りやすい英語だった。英語にはあまり自信がないがこれくらいならわかる。
しかし、女子の英語好き率は何なのだろう?
それはともかく、彼女の言うことももっともである。≪幽体離脱≫を楽しんでいる人間。しかもかなり手慣れていそうだ。
さて、どうしたものか。質問を一杯したいところだが、あまり質問攻めにしても印象が悪そうだ。ただまた会えるのかとか、≪幽体離脱≫の時間が長くないかもしれないとかがある。
俺が想像した≪幽体離脱≫の恐怖の一つは、≪実体≫戻れなくなるかもしれないことだ。
フィクションでよくある≪幽体≫と≪実体≫を重ねるようにすれば戻れるのか否か。
駄目だ本当に考えることが多すぎる。まだ戻り――そう思った瞬間だった。
俺の≪幽体≫が足でも掴まれて引っ張られているかのように、飛んでいく。レテがポカーンと、こちらを見つめているのも、見えなくなる。
何だ!? 足元から吸い込まれるような感覚だ。さながらランプの魔人のような――そこで気付く。
これは≪実体≫に強制的に戻されているのか!?
くっ、抗うべきか? だがやはり脳裏にちらつく「もし戻れなくなったら」の想像。
結局俺は、ランプの魔人か、西遊記のひょうたんに吸い込まれる人のように≪実体≫に戻されたのだった。
バチンッと電撃に似た衝撃音がして、肉体が床に叩きつけられるような感覚が全身を襲う。
俺は次いで闇に吸い込まれていった……。




