第1章 その5
リビングを抜ける。ガラス戸を抜ける。
優しく夜を包み込むような月の下、≪幽体≫の俺は浮いている。
ウチは9階だから、見下ろせばなかなかの高さである。不思議と恐怖は感じなかった。
「さてと……」
少し冷静になろう。家の中でやりたかった実験は既にした。合計4つのマークを二つのカレンダーに書き込んである。
だがしかし、まだメジコンのオーバードーズが見せる幻覚の可能性がある。
つまり、トビ過ぎで見た幻覚に飲まれて印を刻んだというオチを、100%否定するにはまだカードが足らないということだ。
俺は目を閉じて(閉じれるのだ)神経を集中する。
そして。
強くイメージするのは、通っていた小学校近くの公園だ。幼少時の遊び場だった。今では少し古くなっているが、「思い出」の場所というやつだ。
「――◯◯公園に…………」
みんなと遊んだ記憶が蘇る。みんなの名前は何だっただろう。
「――飛べ!!」
全集中。
視界が一瞬暗転する。
果たして俺の前に広がる、懐かしくもわずかに違う◯◯公園。
「よっしゃあああ!!」
感極まって声を上げる。
≪転移≫した! 出来るんだ!
興奮もそこそこに再び思考に戻る。
◯◯公園は自宅から直線で2キロはある。
空の月は相変わらずの輝きだ。≪転移≫にかかった時間は、ほぼない、と考えていいだろう。月の高さに変化がないのだ。
「月のうさぎにでも導かれたのか」
不思議の国のアリス以降、うさぎは、異界への案内役のような感じだったと思う。
少し思考がズレた。本来の目的に戻ろう。
≪幽体≫の高度は5メートル程か。ゆっくりと地に降りていく。
丁度目の前には砂山とブランコがある。
目的はこの奥の木々の並ぶところだ。
ふわふわと、お化けみたいに、俺は公園を横断していく。
周囲を見渡すが、夜ということもあってか、誰もいない。
人がいるとまた実験がややこしくなりそうだが。≪幽体≫を視える霊感ある人なんかいたら最悪だ。
妄想の中では何度か除霊されてしまった……。
愚痴はともかく、林と言うほどでもないがその木立に入っていく。スズムシが鳴いている。聴覚は問題ない。
3メートル先にそれはあった。
木々の中でもひときわ大きく太い幹をした木が、俺を見下ろしている。
「やあ、こんばんは」
大木に向かってそう挨拶した。…………返事はない。
「生き物」と会話できる可能性もと思ったものの、あてが外れた。
「まあいいや」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、俺は足元から鋭く「使えそうな」石を二つ手に取り、さらに浮上を始める。
そうだ。家から距離があり、オーバードーズ中には不可能な木登りを要する場所、それがこの公園の大木である。
自宅でのカレンダーと同じように、石で◯と△を少し場所を離して刻印する。
――――と。
「あ! こんばんわ!」
快活な、だが見知らぬ少女らしき声が≪幽体≫の後ろから響いた。




