第13話 アラフィフ介護士 お姫様抱っこされる。
状況をどう打破すべきか思案していると、ふと後ろから冷ややかな声が飛んできた。
「ちゃんとやってくれないと覚えられないでしょう…」
ローザさんのその一言に我に返り、なんとか移乗動作を終えることができた。振り返ると、彼女はどこか呆れたような、あるいは失望したような表情でこちらを見つめている。
どうやら、俺たちがどうなっていたのか状況を察したらしい。
時間の流れは、実際よりも遥かに長く感じられる。俺だけの錯覚なのか、よく見るとキョウカさんも頬を真っ赤に染め、こちらと一瞬目を合わせたものの、すぐに視線を逸らしていた。なんだか、まるで十代のガキのような行動だ……いや、身体的には俺も十代に若返っているのだが、その若さもまた、時に面倒なことを引き起こす。
気持ちを切り替え、他の介助ノウハウを教えようと準備を始めた矢先、突然、ローザさんが輪の中へと近寄ってきた。「待って!」と、彼女が声を上げる。先ほどの手際の乱れを責めるかと思いきや、次に出た言葉は全く予想外のものだった。
「さっきの動き、私にもやってくれない?」
プライドが高い彼女が「私見たら覚えるから!」で、自ら体を動かすとは思ってもみなかった。
だが、その一言には、介護技術の本質に気づいている証拠があった。
「この動きは、やり手側が楽なのは当たり前でしょうけど、される側が不快で危険では意味がないわよね。まずはされる側の立場にならないと」
その指摘に、俺は納得し、言葉通りの指導を始めることにした。
「では、ここに仰向けになってください」
ローザさんは仰臥位になり、胸元で両手を組んで、まるで眠れる森の美女のように目を閉じる。細身でありながら、その姿はとても絵になる。
俺はゆっくりと彼女に近寄り、移乗のための体起こし動作に入ろうとした。そして、首に腕を回しながら上体を起こす際、向き合う形で顔を近づけた。
その瞬間、またもや――
キョウカさんのときと同じように、ローザさんのおっぱい……いや、胸に顔が深く埋もれる状態になったのだ。
もしキョウカさんが「柔らかなマシュマロ」なら、ローザさんは「弾力あるプリン」とでも表現できるだろう。
シトラスのようなほのかな香りと共に、胸の動悸さえも伝わってくる。しばらくそのままの状態でいたい気もしたが、彼女の厳しい眼差しが怖く、すぐに我に返り、移乗を完了させた。
「これでどうでしょうか?」と確認すると、ローザさんは眼鏡を直しながら、そっけなくも「まあ悪くないわね」と応えた。しかし、その顔の端々には、夕焼けのせいかどこか赤みが帯びて見えた。
その後、二人一組で交代しながら、俺は各々の動作を細かく見て回り、時折修正を加える指導を続けた。逆に、俺自身が老人役となり、女の子たちに自分の移乗介助を実践してもらうと、彼女たちは驚きと興奮を隠せず、何度も「キャッキャ」と笑い声を上げた。俺の大柄な体が動くたびに、彼女たちの反応は明るく、どこか微笑ましいものがあった。
その光景を見たかのように、ローザさんが高らかに声を上げた。
「ちょっと、私たちにも練習させなさい!」
この養老院では、キョウカさんが一番背が高いが、ローザさんもそれに劣らぬ存在感を放っていた。彼女が俺を介助する場面は、「お~よちよち」とまるで母親が子供を優しく抱きかかえるかの様なしぐさを取るものだから、周囲は笑いに包まれた。
しばらくの沈黙の後、突如、キョウカさんが俺に向かって強引に声をかけた。
「次、私にやらせて下さい!」
その要求に少し戸惑いつつも、俺は目を閉じた。すると、ふと体が宙に浮いたような感覚とともに、キョウカさんのすました顔が至近距離に迫ってくる。――彼女は俺を「お姫様抱っこ」にしていたのだ。
次の瞬間、渋みのある低い声と決め顔で「姫、お怪我は?」と問いかけると、見ていた女の子たちは一斉に「キャー!」と歓声を上げ、まるでどこかの歌劇団のワンシーンのような光景となった。
その様子に、ローザさんも微笑みながら「やれやれ、あんたらねぇ…」と呟いた。
その騒ぎが集会室の外へも伝わったらしく、入居者たちの間から「何やってるんだ?」という声が聞こえ始めた。そして、しばらくの沈黙の後、コッズさんが冷静な面持ちで俺に近づき、 そして一言、極めて冷静に――
「……よい嫁になるんじゃぞ」
――もう、勘弁してくれ。




