第134話 神の槍と、三つの贈り物
東京都千代田区永田町、首相官邸。
その地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、外の天候が荒れ模様であろうと、昼夜の区別すらつかない完全な静寂と無機質な空調音だけに支配された空間である。分厚い鉛の壁と最新鋭の電磁波吸収素材に覆われたこの部屋は、有事の際の国家中枢として機能するよう設計された絶対の密室だ。
円卓の上座に座る内閣官房参事官の日下部は、深く息を吸い込み、手元のコンソールに指を這わせた。
これから繋ぐ相手は、同盟国の「表」の顔ではない。世界を裏側から動かす巨大なシステムそのもの——アメリカ合衆国のディープステートだ。
「——『位相干渉装置』、起動」
ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。テラ・ノヴァの技術を応用したこの装置が稼働した瞬間、この会議室は物理的にも電子的にも、そして位相空間的にも世界から完全に切り離される。アメリカのNSAの傍受衛星も、中国のレーザーマイクも、この部屋で交わされる言葉の断片すら拾うことはできない。
「ジャミング、正常に作動中。……通信、接続します」
日下部が手元のタブレットを操作すると、壁面の巨大な高精細モニターの暗転が晴れ、映像が浮かび上がった。
画面の向こう側に映し出されたのは、ワシントンD.C.のホワイトハウス地下、セキュア・ルームである。そこもまた、日本と同じように重厚で窓のない空間だ。
中央の革張りのソファに、二人の人物が座っている。
一人は、アメリカ最大の軍産複合体『タイタン・グループ』の次期総帥であり、アメリカの影の政府を実質的に束ねる若き怪物、ノア・マクドウェル。彼は最高級のイタリア製スーツを完璧に着こなし、まるでこれから極上のオペラでも鑑賞するかのように、リラックスした優雅な笑みを浮かべていた。
そしてもう一人は、その斜め向かいに背筋をピンと伸ばして座る、CIA長官エレノア・バーンズ。彼女は氷のように冷たく、一切の感情を排した碧眼をカメラのレンズ——すなわち日下部へと真っ直ぐに向けている。
「おはようございます、日下部参事官」
モニター越しに、ノアがグラスの水を軽く傾けるような仕草で挨拶をしてきた。その声は相変わらず滑らかで、どこか浮世離れした響きを持っている。
「こんばんは、マクドウェル氏。そちらは良い朝のようですね。バーンズ長官も、お時間をいただき感謝いたします」
日下部が事務的なトーンで応じると、エレノアは無言のまま微かに顎を引いてそれに応えた。彼女の視線は、日下部の表情の僅かな筋肉の動きや、声のトーンから「今日の手札」を推し量ろうと、すでに高速で情報処理を始めているのがわかる。
「ええ、素晴らしい朝ですよ。ワシントンの空は珍しく快晴です。……ですが、我々の心はそれ以上に晴れやかで、そして高鳴っています」
ノアは、本当に楽しそうに目を細めた。彼が日本のオーバーテクノロジーによって不治の病から蘇って以来、彼の瞳には常に、未知なる力への飢餓感と、それを弄ぶことへの嗜虐的な喜びが満ちている。
「本日は、どんな常識破壊が届くのか、非常に楽しみにしていますよ。極東の魔法使いは、今日は我々にどんなマジックを見せてくれるのでしょうか」
その余裕たっぷりで、かつ日本の技術を完全に「自分たちを楽しませるためのショー」として扱っているかのような言い回しに、日下部は内心でチッと舌打ちをした。
だが、表面上はどこまでも冷静な官僚の顔を崩さない。
「……その言い方はやめてください、マクドウェル氏」
日下部は、手元のタブレットを置き、少しだけ呆れたような声を出した。
「まるで我々が世界を滅ぼす爆弾でも投げつけるかのような期待をされると、困ります。今回は比較的、穏当な内容ですから」
日下部がそう言うと、ノアはこらえきれないというように、フフッと肩を揺らして笑い声を立てた。
「穏当、ですか。……日下部参事官、貴方のその“穏当”という言い回しで、今まで一度でも穏当だった試しがありませんよ」
ノアの青白い瞳が、楽しげに光る。
「5000万ドルの価値を持つ奇跡の消しゴムも、世界中を丸裸にする見えない眼も、貴方はいつも“ちょっとした技術です”と言って、こちらのテーブルに置いていきましたからね。……今回も、さぞかし『穏当』な世界変革を見せてくれるのでしょう」
その言葉に、日下部は微かに息を吐いた。
アメリカ側は完全に身構えている。いや、身構えながらも、その奥底では「もっと強烈な劇薬」を渇望しているのだ。
「……ところで」
ノアが、笑いを収めて少しだけ声のトーンを落とした。
これまでの重苦しい緊張感を解き、互いの空気感をすり合わせるための、高等な外交テクニックだ。
「先日、日本政府から正式に発表された『がんしぼり君』……あの名称は何度聞いても慣れませんが。あれは、キャサリン・ヘイズ大統領も非常に気に入っていましたよ」
ノアが軽く切り出したその言葉に、日下部は僅かに警戒のアンテナを立てた。
「がんしぼり君」。ガン細胞を完全に消滅させるのではなく、その増殖を極限まで抑制し、既存治療との併用を前提としたナノマシン製剤。価格は1万ドル程度と、アメリカの医療費の常識からすれば破格の安さである。
その「安価な奇跡」を、クリーンな正義を掲げるアメリカ大統領が気に入っている。それは一見すると良いニュースだが、アメリカの複雑な国内政治においては、必ずしもそうとは言い切れない。
「……それは光栄ですが。何よりですね」
日下部が当たり障りのない言葉で返すと、エレノアがその背後にある「現実的な評価」を補足するように口を開いた。
「大統領が個人的に評価しているのは事実です。あれほどの効果がありながら安価であることは、彼女が掲げる『医療の透明化』と『中間層への還元』という公約に合致していますからね。
……しかし、アメリカの製薬会社にとっては、大打撃です。彼らの株価は連日乱高下し、ロビイストたちがワシントンを走り回っています」
エレノアは、冷たい目でモニター越しの日下部を見つめた。
「ですが、致命傷にはならないでしょう」
彼女の氷のような声が続く。
「どのみち、あの薬は既存治療との『併用』が前提ですからね。抗がん剤や放射線治療の土台があってこそ、あのナノマシンの抑制効果が最大限に活きる。製薬会社も、それを理解し始めています。
彼らは今、既存の抗がん剤と『がんしぼり君』をセットにした新しい治療プロトコルを構築し、それを高額なパッケージとして売り出す方向にシフトしつつあります。……むしろ、これによってガン患者の生存期間が延びる分、長期的な『延命市場』としてはパイが伸びる可能性すらある。……ただ、がんしぼり君単体で使う患者も一定数は出るでしょうね」
エレノアの言葉は、アメリカという国家の恐るべき適応力を示していた。
どんなオーパーツが投げ込まれようとも、それを「ビジネス」の枠組みに組み込み、利益を生み出すシステムへと再構築してしまう。
「ええ、まさにその通りです」
ノアが楽しそうに同調する。
「あれは、ガンをこれ以上大きくするのを抑制できる。……最悪、『ガンと共存する』という道が、本当に現実になるかもしれない。患者は死の恐怖から解放され、我々は安定した市場を得る。素晴らしい技術ですよ、本当に」
アメリカの影の支配者たちは、すでに「がんしぼり君」を自らのシステムの一部として完全に消化し、その果実を味わっていた。
だが、彼らがその技術を過剰に神格化し、あるいは「都合の良い魔法の杖」として扱いすぎることは、日本側としては少し釘を刺しておかなければならない部分であった。
技術の本来の仕様と限界を正しく認識させておかなければ、後々「もっと出来るはずだ」と無茶な要求を突きつけられる原因になるからだ。
「……がんしぼり君は、あくまで既存治療との『併用』が前提なんですけどねぇ……」
日下部は、わざとらしく、少しだけ困ったような、ボヤキのようなトーンで言った。
この一言で、日本側が過剰な神格化を少し引き戻す。
「あくまで工業製品であり、仕様の限界がある」。その事実を再確認させることで、日本が技術の手綱をしっかりと握っていることを示したのだ。
「さて」
日下部は、ここで大きく息を吸い込み、居住まいを正した。
前置きは終わった。空気のすり合わせも完了した。
ここからは、世界の根幹を揺るがす「本題」である。
「雑談はここまでにして、本題に入りましょうか」
その日下部の言葉のトーンが、先ほどまでの「調整役の官僚」から、「超大国と対峙する交渉人」へと劇的に切り替わった瞬間。
モニターの向こうのアメリカ側の空気が、ピタリと締まるのが手にとるように分かった。
ノアはソファの背もたれから少し身を起こし、その青白い瞳に獰猛な好奇心の光を宿らせた。エレノアは完全に分析モードに入り、瞬きすら忘れて日下部の一挙手一投足を観察し始めている。
「本日は、我が国から貴国へ、極めて重要な技術パッケージの共有をご提案させていただきます」
日下部は、手元のコンソールを操作し、アメリカ側のスクリーンに一つの大きなタイトルを表示させた。
「今回は、“宇宙輸送基盤パッケージ”と称して、三つのテクノロジーを共有したいと思います」
その言葉が発せられた直後。
ノアが、微かに目を瞬かせた。
“宇宙”という単語。それは彼らの脳内で、以前観測された「見えない巨大な浮遊要塞」と即座に結びついたはずだ。
「……宇宙輸送基盤。これはまた、かなり率直な名前ですね」
ノアの口元に浮かんだ笑みは、警戒と興奮が入り混じったものだった。
「率直に言った方が、話が早いでしょう」
日下部は、一切の衒いもなく答えた。
テラ・ノヴァの存在は伏せているが、工藤創一が『ヤタガラス』という巨大な「空飛ぶ何か」を運用していることは、すでにアメリカ側に察知されている。ならば、変に隠し立てするよりも、堂々と「宇宙関連技術」として提示した方が、彼らの警戒心を解き、交渉をスムーズに進めることができるという判断だ。
「まず、一つ目です」
日下部はタブレットを操作し、スクリーンに一枚の設計図を投影した。
それは、複雑なパイプと配線が絡み合った、無骨な円筒形の装置だった。
「小型核融合炉(Portable Fusion Reactor)です。
サイズは、おおよそ3メートル×3メートルのモジュール級となります」
シン……と。
ワシントンのセキュア・ルームの空気が、完全に凍りついた。
ノアの顔から、余裕の表情が完全に消え去る。
エレノアが一瞬だけ目を細め、背後に控えていたアメリカの科学顧問や将官たちが、信じられないものを見るような顔でざわめき始めたのが、画面越しにもはっきりと伝わってきた。
「……核融合炉……」
エレノアが、震えを抑え込んだ、極めて慎重な声で確認を求めた。
「なるほど。科学的・技術的な実証は進んでいる領域ですが……まさか、すでに実用化の段階にあるということですか?」
「ええ」
日下部は、淡々と、しかし絶対的な事実として答えた。
「すでに実物があります。……五基、製造済みです」
その一言が、アメリカ側に与えた衝撃は計り知れなかった。
理論でも、シミュレーションでもない。
すでに「現物」が存在し、しかも「複数」製造されている。
それは、日本が人類の悲願である「無限のクリーンエネルギー」を、すでに手中に収め、実運用フェーズに移行しているという、決定的な証明であった。
「素晴らしい……!」
ノアが、抑えきれない興奮を露わにして身を乗り出した。
彼の青白い瞳が、狂気的な知的好奇心に燃え上がっている。
「すでに量産済みですか! あの超重力下のプラズマ制御を、わずか3メートルの筐体に収めるなど……!」
「そのうちの一基を、アメリカ政府にお渡しします」
日下部は、ノアの熱狂を冷や水で断ち切るように、静かに宣言した。
「検証と複製を試みてください」
アメリカからすれば、情報共有ではなく「現物」が直接渡されるのだ。
これ以上の誠意——あるいは、圧倒的な技術格差の見せつけはない。
「部品には、新開発の未知の素材が大量に使われていますので、その製法データも合わせて共有します」
「……急いで、受け入れの用意をします」
エレノアが、深く頷いた。
もはや疑う段階ではない。彼女たちは完全に「受け取る側」として、日本の技術の前に平伏していた。
「では、次の議題です」
日下部が、間髪入れずに次のカードを切る。
「こちらも、ロケット技術関連になります。
……炭素から生成する特殊スラスター燃料、および専用の酸化剤です。
規模感としては、おおよそ150km/s(秒速150キロメートル)まで加速可能です」
再び、アメリカ側の動きがピタリと止まった。
秒速150キロ。
それは、地球の航空宇宙工学の常識を遥かに凌駕する、暴力的なまでの速度だ。
「……それは、素晴らしい……!」
ノアが、ほとんど独り言のように、熱に浮かされた声で呟き始めた。
「秒速150キロ……。
ミサイル技術、ロケット技術、宇宙開発、兵站、宇宙迎撃、戦略打撃……。
あらゆる分野が、根底から書き換わります。……まさに、神の槍ですね」
ノアは、その恐るべき技術の「本質」を正確に理解していた。
宇宙輸送という平和的な名目を被ってはいるが、これほどの速度を出せる飛翔体があれば、それは事実上の「迎撃不可能な絶対兵器」となる。
「迎撃という概念を、ほとんど無効化するミサイルです……!」
「試算だけで言えば、単純にぶつかるだけでも、小型の核兵器に近い破壊力を出せますね」
日下部が、淡々と補足する。
日本側もまた、この技術の危険性を重々承知しているのだと示すために。
「素晴らしい……!」
ノアはさらに歓喜の声を上げたが、すぐにその類稀なる頭脳を回転させ、一つの現実的な問題点に突き当たった。
「しかし……秒速150キロも出せば、大気圏内での摩擦熱はもちろん、宇宙空間での微小なデブリとの衝突でさえ、ミサイルや船体は自壊してしまいますね。
恐らく、タングステンでも耐えきれないでしょう」
「ええ。お察しの通りです」
日下部は、待ってましたとばかりに静かに頷いた。
「宇宙輸送基盤パッケージの三つ目は、それを解決します。
……三つ目は、『慣性ダンパー』です」
その瞬間、ノアとエレノアの表情が、はっきりと強張った。
彼らはすでに、日本の『ヤタガラス』が見せた、物理法則を無視した異常な機動を衛星データで確認している。
その謎が、今ここで解き明かされようとしているのだ。
「つまり、重力制御技術ですね。
今回はあくまで、強烈なGの軽減、あるいはデブリからの防護シールドとして利用するシステムとして提供しますが……これで、どれだけ加速しようと、ミサイルや宇宙船の内部構造は保護されるというわけです」
『重力制御……!』
ノア・マクドウェルは、その言葉を慈しむように、ゆっくりと唇の上で転がした。
彼の背後にあるモニターには、慣性ダンパーモジュールの複雑な内部構造——既存の電磁気学の教科書が紙屑と化すような、重力子の位相を強制的に書き換える回路図——が映し出されている。
ノアはソファから立ち上がり、まるでその不可視の力に手を伸ばすかのように、空中のホログラムへと歩み寄った。彼の瞳の奥に宿る青白い光が、興奮によって一段と強く、不気味に瞬く。
『魔法使いには、毎度のことながら驚かされますよ。……重力。人類が万有引力の法則を発見してから数世紀。我々はただ、その不可抗力に従うことしかできなかった。それを「制御」して、箱の中に押し込めてしまったと言うのですか?』
ノアは、愉快でたまらないといった様子で、肩を揺らして笑い声を漏らした。
『SFの領域ですね。……いや、ナノマシンによる細胞の初期化を実用化している時点で、すでに物理法則の壁など日本にとっては存在しないも同然なのかもしれない。今さら驚く方が、野暮というものか』
その言葉は、称賛であると同時に、アメリカという超大国が抱える絶望的なまでの無力感の裏返しでもあった。これまで「世界最強」を自負し、核兵器と空母打撃群で秩序を管理してきた国が、今や日本から投げ与えられる「奇跡の欠片」を、子供が親から貰うプレゼントのように喜んで受け取っている。
エレノア・バーンズ長官は、ノアの熱狂を横目で見やりながら、冷徹な分析官としての視線を日下部へと向けたままだった。彼女の脳内では、提示された三つのパッケージ——核融合炉、特殊燃料、慣性ダンパー——が組み合わさった時に生じる、新たなる世界の輪郭が凄まじい勢いでシミュレートされていた。
『……しかし、日下部参事官。今回のこれらは、ナノマシン関連ではないのですね?』
「ええ。基盤技術としてのナノマシンは製造工程に使われていますが、システムとしての系統は別物です。純粋に、エネルギーと推進工学、そして物理学的な空間制御の領域に属する技術です」
日下部は、淀みなく答えた。
実際には、テラ・ノヴァの工藤創一が「宇宙に行くために必要だから作った」という、極めてパーソナルな拡張の産物なのだが、それを説明したところでアメリカ側には「そんなわけがない」と一蹴されるだけだ。
『純粋に、別系統の三つの超テクノロジー……。日本は、一体どれだけ深い技術の系譜を隠し持っているというのですか。医療、監視、そして次は宇宙の覇権。貴方たちが次に「お散歩」に行こうとしている場所が、月や火星ではなく、銀河の果てだと言われても、今の私は驚かないでしょうね』
エレノアの声には、隠しきれない畏怖が混じっていた。彼女は、日本が自分たちに見せているものは、依然として「氷山の一角」ですらないのではないかという疑念を、日増しに強めていた。
「過大評価ですよ、長官。我々はただ、持続可能な未来を構築するために必要な『基盤』を整えているに過ぎません」
日下部は、空いた湯呑みをコンソールの上に置き、再び居住まいを正した。
ここまでは技術の開示だ。ここからは、この劇薬を地球という現実の枠組みにどう「ラッピング」して発表するかという、最も泥臭く、そして重要な政治的調整の時間である。
「——さて。これら三つのパッケージを、アメリカ政府と正式に共有します。小型核融合炉の一基については、近日中に極秘裏に横田基地経由で貴国へ輸送する手筈を整えましょう」
『感謝いたします、日下部参事官。受領準備は、CIAとタイタン・グループが責任を持って、最高度の秘匿体制で進めさせます』
エレノアが、短く、しかし重みのある声で応じた。
「そして、今後の対外的な対応についてです」
日下部の目が、鋭く細められる。
「建前上は、これらは日本政府単独の、長年の基礎研究の成果として発表することにします。……もちろん、そのまま公表すれば世界がパニックになりますから、『次世代宇宙輸送インフラに関する実験的成功』という、極めてマイルドな言葉で包んで発表するつもりです」
『なるほど。我々アメリカ政府の立ち位置は?』
「日本政府の発表の直後に、ホワイトハウス、あるいはペンタゴンから公式な声明を出していただきます。『アメリカ政府は以前より日本とこの分野で共同研究を行っており、今回の成果は日米同盟の絆が生んだ偉大な勝利である』と。……つまり、アメリカも最初からこの『開発側』にいたのだ、というポーズを取っていただくのです」
日下部の提案に、ノアが「お見事」というように指をパチンと鳴らした。
『素晴らしい。アメリカを「客」ではなく「共犯者」としての共同開発者に格上げするわけですね。そうすれば、アメリカ国内の不満も抑え込めるし、我々の軍事的メンツも保たれる。……そして何より、他国からの追求に対しても、「これは日米の二国間機密である」という最強の盾を使えるようになりますからね』
「ええ。日本国内の世論についても、アメリカとの共同開発ということであれば、左派の反発や核へのアレルギーをある程度は緩和できる。……お互いにとって、これが最も被害の少ないシナリオです」
日下部の言葉は、冷徹なまでに計算され尽くしていた。
技術は日本が提供し、名誉はアメリカと分け合う。その代わり、運用と管理の責任はアメリカにも負わせる。それは、アメリカを日本の「技術の鎖」でさらに深く繋ぎ止める行為に他ならない。
『了解しました。そのシナリオで行きましょう。ダグラス首席補佐官を通じて、プレスリリースの文面調整に入らせます。……ですが、日下部参事官』
ノアが、ふと話題を変えた。
彼の視線が、モニターの端に表示された世界地図の一部——ヨーロッパ大陸へと向けられた。
『……イギリスとフランスが、間違いなくこの「席」に座りたがると思いますが、どうします?』
その一言で、会議室の空気が一気に張り詰めた。
欧州の大国。アメリカの同盟国でありながら、常に独自の国益とプライドを優先する彼らが、日米が独占しようとしている「神の火(核融合)」の噂を聞きつけて黙っているはずがない。
「……核融合炉は、元々ITER(国際熱核融合実験炉)などを通じて、各国が莫大な予算と時間を投じて協力して進めてきた人類共通の技術分野です」
日下部は、慎重に言葉を選んだ。
「日本がそれらの国際協力を出し抜いて、先んじて独自に実用化してしまった……という事実は、彼らにとっては致命的な屈辱であり、同時に抗いがたい誘惑になる。……我々としても、全てを独占し続けることが必ずしも得策だとは考えていません。日本が先んじて成功させたという『名誉』と『先行者利益』さえ確実に確保できるのであれば、信頼できる他国にも限定的な形で共有しても良い、とは考えています」
『……ほう? 意外に寛大ですね』
エレノアが、探るような目を向けた。
「独占は、いつか反発による破壊を招きます。……彼らにも少しだけ恩恵を分け与え、彼らを我々の『システム』に取り込んだ方が、長期的には日本の安全保障には寄与する。日下部参事官の、いつもの「首輪」理論ですね?」
ノアの茶化すような一言に、日下部は否定も肯定もせず、ただ淡々と続けた。
「特にフランスです。あそこは、ITERの建設地でもあり、核融合研究に関しては欧州随一の自負がある。……あそこは、絶対に首を突っ込んでくるでしょう」
『うーん。それは非常に判断に迷うところですね……』
ノアが、ソファの背もたれに頭を預け、考え込むように天井を仰いだ。
『フランス。彼らはイギリスのように、アメリカの背中に隠れて大人しくおこぼれを待つような従順な国ではありません。あそこは常に「対等」であることを求め、自分たちがヨーロッパの、いや世界の中心であることを証明したがる。……もし彼らに核融合の断片でも渡せば、彼らはすぐにそれを「欧州独自の次世代エネルギー主権」として掲げ、我々のコントロールから外れようとするかもしれません』
『同感ね』
エレノアが、冷ややかに付け加える。
『イギリスは軍事と諜報で日本に近い。彼らは使い勝手の良い「窓口」になりますが、フランスは技術と名誉、そしてヨーロッパの正統性を巡って噛んでくる。核融合という、彼らが最も力を入れていた分野で日本に先を越されたとなれば、彼らのプライドはズタズタでしょう。……その歪んだプライドをどう手懐けるかは、我々アメリカにとっても、非常に頭の痛い問題になりそうです』
アメリカの影の支配者たちにとっても、欧州の扱い、特に「フランスの自尊心」の処理は、一筋縄ではいかない厄介な難題であった。
『……すみません、日下部参事官。これは、我々単独では即答できません』
ノアが、真剣な眼差しでモニターを見つめ返した。
『今回の「宇宙輸送パッケージ」を欧州へどう展開するか、あるいはしないか。……キャサリン・ヘイズ大統領と、至急協議を行う必要があります。大統領の政治的判断を仰がなければ、方針は決められません』
「承知いたしました」
日下部は、深く頷いた。
アメリカ側が「持ち帰り」を選んだこと。それは、彼らが日本の提示した三つの技術の重みを、正確に理解したという証左でもあった。
「では、アメリカ政府の判断を待つということにしましょう。一基の核融合炉の輸送については、予定通り進めます。……本日は、ありがとうございました」
『ええ。非常に有意義なセッションでした。……次は、どんな「贈り物」が空から降ってくるのか、楽しみに待たせてもらいますよ』
ノアが、最後にいつもの皮肉めいた笑みを浮かべて答えた。
『受領準備のロジスティクスを直ちに構築します。……それでは、また』
エレノアの短い言葉を最後に、モニターの通信がプツンと切断された。
巨大な画面が暗転し、特別情報分析室には、再びジャミング装置の低い、腹に響くような駆動音だけが戻ってきた。
日下部は、手元のタブレットを置き、ふうっと長く、肺の中の空気を全て吐き出すようにため息をついた。
「……終わりましたね」
背後に控えていた技術担当の補佐官が、緊張から解放されたように声をかけた。
「ああ。……だが、始まったばかりだとも言えるな」
日下部は、椅子から立ち上がり、窓のない鉛の壁を見つめた。
がんしぼり君は、まだ「医療」の枠に収まっていた。
中東基金は、まだ「資本」と「資源」の枠に収まっていた。
だが今日、日本がついに差し出したのは、「エネルギー」「推進力」、そして「重力制御」という、現代文明の屋台骨そのものを支え、同時に破壊しうる絶対的な力だ。
アメリカは、その力を確かに受け取った。
そして、それを受け取った瞬間。彼らは自分たちが、もはや日本の列から絶対に抜け出せないことを、骨の髄まで理解したはずだ。一度「神の槍(150km/sのミサイル)」と「無限の火(核融合炉)」の味を知ってしまった者が、元の非力な人間に戻れるはずがないのだから。
日下部は、ポケットの中から胃薬のパッケージを取り出し、指先で弄んだ。
日米の距離は、今日、確実に一段近づいた。
だがそれは、友情や同盟といった美しい絆などではない。
逃れることのできない、甘く冷たい「隷属の鎖」を、より強固に巻き直しただけのことだ。
この三つの贈り物が、これから地球の空をどう塗り替えていくのか。
フランスがどう暴れ、イギリスがどう立ち回るのか。
日下部には、その混沌とした未来の情景が、手に取るように見えていた。
「……さて。……総理に報告だな」
日下部は胃薬を口に放り込み、水なしで飲み下すと、重い足取りで分析室の扉へと向かった。
極東の島国から発せられた三つの閃光は、すでに太平洋を越え、世界の均衡を跡形もなく焼き尽くそうとしていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。




