第135話 神の火と、名誉の配分
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
ホワイトハウスの地下に設けられた、大統領直轄のセキュア・ルーム(極秘会議室)。
外部のあらゆる電磁波、音声、物理的振動を完全に遮断するこの密室は、つい数十分前まで、地球の裏側にいる日本の内閣官房参事官・日下部とのホットラインが繋がれ、人類の常識を覆すほどの『贈り物』が提示された舞台であった。
通信が切断され、巨大なモニターが暗転した今もなお、部屋の中には、強烈な目眩を誘うようなオーバーテクノロジーの余韻が重く、そして濃密に滞留していた。
円卓の上座に座る第48代アメリカ合衆国大統領、キャサリン・ヘイズは、両手でこめかみを強く揉みほぐしながら、目の前に置かれた印刷されたばかりの「日本側からのセッション要約」の書類をじっと睨みつけていた。
彼女の表情には、世界最強の国家を率いる指導者としての威厳よりも、理解不能な現実に直面し、処理能力の限界に達した一人の人間としての深い疲労と胃痛の影が色濃く浮かんでいる。
「……もう一度、言って?」
キャサリンは、絞り出すような、ひどく掠れた声で呟いた。
その一言が、この部屋の空気を完全に決定づけた。彼女は、書面で読んでもなお、自分の脳がその事実を正常に処理できていると確信が持てなかったのだ。
円卓の向かい側、革張りのソファに優雅に足を組んで座るノア・マクドウェルは、大統領の悲痛な声を聞いて、楽しげに口角を上げた。彼の青白い瞳には、未知の技術に対する狂気的な好奇心と、この状況そのものをエンターテインメントとして消費する、特権階級特有の嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
その隣に直立不動で立つCIA長官、エレノア・バーンズは、ノアの軽薄な態度とは対照的に、一切の感情を排した鉄面皮のまま、事務的に報告の再確認を開始した。
「はい、大統領」
エレノアの氷のように冷たく、そしてどこまでも平坦な声が、会議室に響く。
「日本政府から、我々アメリカ合衆国に対して『宇宙輸送基盤パッケージ』として、三つのテクノロジーの開示と共有の提案がありました。
一つ目は、『小型核融合炉』。
二つ目は、『秒速150キロメートルまで加速可能なスラスター推進剤および専用の酸化剤』。
三つ目は、『慣性ダンパー』……すなわち、極限の加速度から構造体を保護する重力制御技術です」
エレノアは、まるで明日の天気予報を読み上げるように淡々と事実を羅列した。
だが、その中身は、現代の科学技術の常識からすれば、悪魔が書いたデタラメなSF小説のプロットにしか聞こえない代物であった。
「日本は、私の胃にストレスを与えるのが生きがいなのかしら?」
キャサリンは、机に突っ伏しそうになるのを必死に堪えながら、半ば本気で、怨嗟の声を漏らした。
その言葉の響きに、ダグラス首席補佐官をはじめとする同席していた政府高官たちも、思わず苦笑いを禁じ得なかった。彼らもまた、大統領と同じように、日本という国がもたらす度重なる「技術的ショック療法」によって、胃粘膜をボロボロにすり減らしている同志だからだ。
「一個でもとんでもないのに、三つ? 発狂しそうなんだけど」
キャサリンは、デスクをバンッと軽く叩いた。
「しかも、どれもこれも……ちょっとした新技術とかいうレベルじゃないわよね!? 人類の歴史のステージを無理やり数段飛ばしにするような、とんでもない技術じゃない……!」
彼女の苛立ちと悲鳴は、この場にいる全員の偽らざる本音であった。
ただ驚愕しているだけではない。大統領である彼女には、この「劇薬」をどうアメリカという国家のシステムに組み込み、どう世界に対して政治的に「処理」するかを決定する、という重すぎる責任が圧しかかっているのだ。
「そうですね……。では、一度冷静に、一つずつ整理しましょう」
ノアが、わざとらしく深刻そうな顔を作って身を乗り出した。だが、その目は明らかに面白がっている。
「まず、第一の贈り物。『小型核融合炉』です。サイズは、おおよそ3メートル×3メートル」
ノアは、空中の何もない空間に、そのサイズ感を示すように両手で四角い形を描いてみせた。
「大統領。現在の地球の科学力における、核融合炉の実証実験の最前線をご存知ですか?
……フランスに建設中の、ITER(国際熱核融合実験炉)です。世界中の超大国が莫大な予算と最高の頭脳を結集させ、何十年もかけて建設しているあの巨大施設。あれのサイズは、高さ約30メートル、直径約30メートル、総重量はおよそ23,000トンにも及びます」
ノアは一拍置き、皮肉めいた笑みを深めた。
「しかも、それはあくまで『実験炉』です。数々の技術的困難に見舞われ、最初のプラズマ実験の予定は2034年まで延期されています。実用化となれば、今世紀の後半になるかどうか……。
それを、日本は。あの極東の島国に潜む天才は……。すでに『実用化』し、しかもたったの3メートル四方のサイズにまで『小型化』を終えているのです」
ノアは、肩をすくめて両手を広げた。
「まあ、原子を自由に操って魔法のような薬を作る彼らからしたら、この程度は普通のことなのかもしれませんね!」
「全然普通じゃないんだけど!?」
キャサリンは、即座に、そしてヒステリックにツッコミを入れた。
ノアの「魔法使い基準」の軽口は、現実の政治家である彼女の神経を逆撫でするには十分すぎた。
「どう考えてもおかしいでしょ!?
世界中の天才が集まって、何百億ドルも注ぎ込んで、まだ稼働すらしていない巨大な実験施設よ? それを、単独で? 実用化して、しかも小型化まで!?
……もう、科学の前提が根底から狂っているじゃないの!」
キャサリンの叫びは、まさに地球上のすべての科学者と政治家の代弁であった。
だが、その正論を、エレノア長官の氷の刃のような一言が、無慈悲に切り捨てた。
「大統領。狂っていようが何だろうが、すでに日本政府から、我々に対して一基の『実物』を引き渡す準備が進行中です。
……『あるものはある』で、割り切るしかありません」
エレノアの言葉は強烈だった。
理解できなくても、現実にそこにある。ならば、それを受け入れ、利用し、国家の覇権のためにどう運用するかを考えるしかない。それが情報機関の、そして国家運営の冷酷なリアリズムだ。
「日本の報告によれば、彼らはすでにこの小型核融合炉を五基製造済みであり、そのうちの一基を『検証と複製のため』にアメリカの管理下へ引き渡すとのことです。さらに、炉心に使用されている新素材の製法データも、すでに暗号化回線を通じて我々のサーバーに受領済みです」
エレノアが淡々と報告を続ける。
その事実の重さに、キャサリンは少しだけ嫌そうに顔をしかめた。
「それで、一基をそっくりそのままアメリカの管理に、ねぇ……。
日本は、自分たちのオーパーツの技術が、我々に盗まれるとは思わないのかしら?」
アメリカという国の強欲さを知っていれば、現物を渡すことのリスクは当然理解しているはずだ。
リバースエンジニアリングで技術を完全に解析され、アメリカが独自の力で核融合炉を量産し始めれば、日本の技術的優位性は失われる。
だが、ノアはキャサリンの懸念を一蹴するように、肩をすくめた。
「まあ、日本ですからねぇ」
ノアの口調には、日本政府……いや、あの見えない天才科学者に対する、ある種の畏敬と呆れが混じっていた。
「彼らは、核融合炉の運用に必要な新素材の製法も、データとして気前よくポンと渡してきました。……つまり彼らは、『盗めるものなら、盗んでみろ』と、そういう態度なのです。
彼らからすれば、我々に製法や現物を渡したところで、我々のアメリカの工業力と基礎科学のレベルでは、完璧にコピーして量産ラインに乗せるまでには何年も、あるいは何十年もかかるという絶対の自信があるのでしょう」
それは、技術力において完全にアメリカを見下しているという、屈辱的な事実の裏返しであった。
「……あるいは」
ノアは少しだけ意地悪く笑った。
「さすがに、アメリカが日本を差し置いて『我々が核融合炉を独自開発しました!』と先行して発表して手柄を独り占めしようとしたら、彼らも嫌悪感を出して、二度と技術を提供してくれなくなるでしょうが……」
「日本の機嫌を損ねるわ。絶対になしよ」
キャサリンは即座に、そして断固として否定した。
「我々は今、彼らが提供してくれる医療キットや監視システム、そしてこの圧倒的な技術の恩恵に依存しているのよ。ここで恩知らずな真似をして、彼らに愛想を尽かされれば、アメリカの覇権は終わるわ。
……我々はあくまで、技術を『受け取る側』の分をわきまえなければならないのよ」
世界最強の超大国のトップが、自ら「受け取る側(下位)」であることを完全に認めた瞬間であった。
だが、それが現実であり、アメリカ合衆国を生き延びさせるための唯一の正解なのだ。
「……ふー。
じゃあ、第一の贈り物は、現状を受け入れるとして」
キャサリンは大きく息を吐き出し、気分を切り替えるようにデスクの書類を叩いた。
「次は、第二の贈り物ね。
『150km/s(秒速150キロメートル)まで加速可能なスラスター推進剤と、専用の酸化剤』。
……私は軍事や宇宙工学の専門家じゃないわ。これがどれくらい異常な数字なのか、具体的に説明してちょうだい」
その問いに対し、ノアが楽しげに指を鳴らした。
彼にとって、この種の技術的な解説は、極上のワインのテイスティングを語るようなものだ。
「喜んで、大統領。
……まず、基礎的な比較から入りましょう」
ノアは立ち上がり、モニターの前に歩み寄った。
「地球の重力圏を振り切り、衛星として周回軌道に乗るために必要な最低速度——いわゆる『第一宇宙速度』は、約7.9km/sです。
そして、地球の重力圏を完全に脱出して他の惑星へ向かうための『第二宇宙速度』が、約11.2km/s。
現在、人類が保有する最も速い探査機や、最新鋭の大陸間弾道ミサイル(ICBM)、中国やロシアが開発を進めている極超音速滑空兵器(HGV)であっても、大気圏再突入時などの瞬間的な最高速度は、せいぜいマッハ20……約7km/s前後が関の山です」
ノアはそこで言葉を区切り、キャサリンを真っ直ぐに見据えた。
「それに対して、日本が提示してきた推進技術の加速限界は、150km/s。
……既存のミサイルやロケットの、実に【20倍以上】の速度です」
キャサリンの目が、驚愕に見開かれる。
20倍。それは単なる改良や進歩ではない。
馬車とジェット戦闘機ほどの、次元の異なる断絶だ。
「これは、表向きは宇宙空間の移動時間を劇的に短縮する『ロケット(宇宙輸送)技術』の皮を被っています。
……ですが、大統領。これがもし、弾頭を積んで地上の目標に向かって撃ち込まれたら、どうなると思いますか?」
ノアの青白い瞳が、狂気を帯びて妖しく光った。
「秒速150キロで飛来する飛翔体。
……現代のイージス艦やパトリオットといった防空システム(ミサイルディフェンス)は、レーダーで捕捉した瞬間に、迎撃ミサイルを発射する間もなく着弾を許します。
『迎撃』という概念そのものが、完全に無効化されるのです」
ノアは、ほとんど独り言のように、熱に浮かされた声で整理し始めた。
「迎撃不能のミサイル技術。
圧倒的な兵站速度の革命。
そして、宇宙空間からの絶対的な戦略打撃能力……。
……素晴らしい。これはまさに、神の槍ですね」
ノアの口から飛び出した「神の槍」という表現は、この技術が単なる宇宙船のエンジンではなく、地球上のあらゆる国家の防衛網を紙切れにする「究極の兵器」になり得るという事実を、これ以上ないほど正確に言い表していた。
「……とんでもない速度だということは、よく理解したわ」
キャサリンは、額の冷や汗を拭いながら、何とか冷静さを保ってまとめた。
宇宙開発の技術が、そのまま軍事バランスの完全崩壊に直結する。
これだけでも十分に胃が痛くなる話だが、彼女の政治家としての、そして元検事としての論理的思考が、ある一つの「現実的な矛盾点」に気がついた。
「だけど、ノア。
そんなとんでもない速度を出したら、ミサイルや宇宙船自体の強度が問題になるんじゃないの?
大気圏内での摩擦熱は当然として……宇宙空間だって、完全に空っぽじゃないわよね。微小なデブリ(宇宙ゴミ)やチリに、秒速150キロで激突したら、いくら硬い金属で作っても……」
「ええ、ミサイル自身が自壊してしまいますね。恐らく、タングステンやチタン合金でも耐えきれずに、標的に到達する前に粉微塵になるでしょう」
ノアが答える前に、エレノア長官が静かに、しかし確信を持った声で引き継いだ。
そして、彼女はキャサリンの言葉を待つように、一瞬のタメを作った。
「……あっ」
キャサリンは、手元にある日本の提示した「三つのパッケージ」のリストの最後の一つに目を落とし、自らの声で、その矛盾の解答を口にした。
「……そこで、『慣性ダンパー』ね」
「ええ、そうです、大統領」
エレノアが、氷のように冷たく頷いた。
「日本の提示した第三の技術。
それは、ただの衝撃吸収装置ではありません。高加速時に発生する殺人機なG(重力加速度)から内部の構造物や人体を保護し、同時に外部からのデブリ衝突を無効化する防護シールドとしても機能する……完全なる『重力制御技術』です」
エレノアの言葉に、ノアがさらに熱っぽく被せてくる。
「G軽減テクノロジー。……これは、あらゆる乗り物に使える、まさに神のテクノロジーです!
これが実用化されれば、戦闘機のパイロットはGを気にせず変態的な機動を行えるようになりますし、ミサイルは限界まで加速し、有人宇宙船も超高速での恒星間航行が可能になります。
……日本は、この三つの技術をセットにすることで、初めて成立する『究極の宇宙輸送(戦略打撃)システム』を、パッケージとして我々に提示してきたのです」
「……」
キャサリンは、深く、長く息を吐き出した。
核融合炉。
超絶的な推進剤。
そして、重力制御シールド。
「……説明ありがとう。
この三つの贈り物が、どれだけ恐ろしいものか。その重みは、十分に伝わったわ」
彼女は、机の上で両手を固く組んだ。
技術的な「驚愕」の時間は終わった。
ここからが、アメリカ合衆国大統領としての、最も困難で、泥にまみれた「政治的決断」の時間だ。
「ふー……。
それで、私は何を判断したら良いの?」
キャサリンは、疲れたように目を伏せながら問いかけた。
日本から突きつけられたこのオーパーツ群を、アメリカという国家のシステムにどう組み込み、そして世界に対してどう「名誉を配分」するか。それが彼女の仕事だ。
「まず、大統領に決断していただきたいのは……」
エレノア長官が、冷徹な外交官の顔で状況を整理し始めた。
「この技術を、どこまで他国——日本以外の同盟国と共有するか、です」
エレノアは、モニターにヨーロッパの地図を表示させた。
「150km/sの加速技術と重力制御シールド。これは軍事力に直結する、あまりにも危険な技術です。他国は絶対に欲しがるでしょう。
特に、この二つが組み合わさった時にもたらされる兵器革命のインパクトは計り知れません」
「……超機動力の戦闘機や、迎撃不可能なミサイルが出来るわね」
キャサリンは、半分独り言のように呟いた。
宇宙開発の皮を被っているが、これは地球上のすべての防空網を無力化する絶対的な軍事力だ。
「ええ。ですから、この推進技術と重力制御については、現物の共有はもってのほかです。
……ですが、日本政府はあくまでこれを『宇宙輸送基盤パッケージ』として、平和的な宇宙開発のための技術だと言い張っています。彼らの建前を尊重し、我々もそれに乗っかる必要があります」
「宇宙輸送基盤パッケージ……。
あくまで日本は、これは宇宙開発用だと言っているのね?」
「ええ、そうです」
エレノアの確認に、キャサリンは一つ頷き、大統領としての最初の「政治判断」を下した。
「そうね。
加速テクノロジーと慣性ダンパーについては……『存在だけ』を知らせて良いわ」
その大胆な決断に、会議室の空気が少しだけ動いた。
存在を知らせる。それはつまり、アメリカがその技術を保有していることを世界に誇示し、牽制に使うということだ。
「日本から公式に発表され次第、NASAやスペースXといった民間企業と、この技術の『概念』や『基礎データの一部』だけを共有してあげて。
……宇宙開発をリードするのは、あくまでアメリカよ」
キャサリンの瞳には、冷徹な国家指導者としての野心が光っていた。
裏で日本が宇宙要塞を作って先に手垢をつけていようが、表向きの歴史の教科書に「新時代の宇宙開発を主導した」と名が残るのは、アメリカとNASAでなければならない。
それが、超大国の「表の名誉」というものだ。
「承知いたしました、大統領。
宇宙開発のブランドは、アメリカがしっかりと握り、国内の宇宙産業を活性化させる方向で進めます」
ダグラス首席補佐官が、安堵したようにメモを取る。
「……だが」
キャサリンは、表情を再び険しいものへと変え、最も厄介な火種へと視線を向けた。
「問題は、核融合炉ね……」
彼女は、デスクの上のペンを弄りながら、嫌そうに呻いた。
「こればかりは、フランスが絶対に噛みついてくるわ……!
いやな判断を任されたわね……!」
キャサリンの言う通りだった。
核融合炉の開発は、フランスが国家の威信を懸けて主導してきた『ITERプロジェクト』という国際的な協力枠組みが存在する。
日本とアメリカだけで「我々は小型核融合炉を実用化しました。お前たちの実験炉はもう不要です」などと発表すれば、フランスのプライドはズタズタに引き裂かれ、彼らはメンツを保つために確実に猛反発してくる。
「強硬姿勢を取ってもおかしくないかと」
ノアが、わざと少し強めの口調で、悪役としての案を提示してきた。
「『フランスなど知らない、我々日米の独自技術だ』と突っぱねてしまえば良いのではありませんか?
彼らが文句を言ってきても、現実として彼らには我々の技術に追いつく術はありません」
だが、その強硬策のリスクは計り知れない。
エレノアが、冷徹な分析官として即座にそのデメリットを整理した。
「マクドウェル氏の案を採用した場合、悪役としてアメリカが世界中から叩かれることになります。
EU全体を完全に敵に回し、フランスの自尊心は爆発するでしょう。すでに我々の管理下で『フェーズグレイ(医療用ナノマシン)』の恩恵に与っているイギリスでさえも、欧州での居心地が極めて悪くなります。
……最悪の場合、欧州がアメリカを切り捨てて、独自に日本へ直接接近し、すり寄る可能性すらあります」
それは、アメリカが最も恐れるシナリオだ。
日本の技術を独占し、世界をコントロールする「ドアマン」としての地位を失うこと。
「いやよ。
フランスは、味方にしたい」
キャサリンは、一瞬の迷いもなく即断した。
彼女は、正義と理想を掲げる大統領だ。同盟国を切り捨てて孤立を選ぶような下策は取らない。
「核融合炉については、『情報共有はする』で確定よ」
キャサリンは、力強く宣言した。
「ただし、彼らに主導権は渡さない。
どこまで詳細なデータを共有するか、現物を見せるかどうかは、今後の彼らの態度や貢献度合いを様子見しながら、慎重に調整するわ」
全面開示でもなく、全面拒否でもない。
「席には座らせてやるが、好き放題はさせない」。
フランスの顔を立て、EUを敵に回さず、しかし主導権はアメリカが完全に握り続ける。そして何より、日本との関係も壊さないための、極めて高度でバランスの取れた政治判断であった。
「……素晴らしい決断です、大統領」
エレノアが、わずかに感服したような声で応じた。
「では、フランスに対しては、我々から『日本との共同開発の成果の一部を共有する用意がある』と、恩を売る形でアプローチを開始します」
「ええ。頼むわ」
キャサリンは深く息を吐き出し、まるで激しいフルマラソンを走り終えたかのように、背もたれに深く寄りかかった。
「……日本は、次々と奇跡を投げてくる。
そして私たちは、その奇跡に必死に『値札』と『席順』を付けて回る。
……本当に、いやな仕事ね」
彼女の自嘲気味な呟きに、ノアが立ち上がり、優雅にスーツのボタンを留めながら、少しだけ笑って言った。
「それでも、我々はその『神の奇跡』の席に座る権利を与えられている。
……それだけでも、蚊帳の外にいる他の国々から比べれば、遥かにマシな特権ですよ、大統領」
ノアの言葉は残酷な真実であった。
振り回されているとはいえ、彼らは間違いなく「支配者」の側にいるのだ。
キャサリンは、苦い顔でノアを見上げ、そして力なく同意した。
「ええ。
……だから、降りられないのよ」
オーバル・オフィスの重厚な扉の向こうでは、まだ冷たい雨が降り続いている。
神の火と、絶対的な速度、そして重力という神の領域。
日本から突きつけられた三つの贈り物は、アメリカという超大国をさらに深く、逃れられない狂気のシステムの中へと縛り付けた。
名誉の配分は終わった。
だが、この超技術が世界に放たれた時、果たして彼らは最後までその手綱を握り続けることができるのだろうか。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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