第132話 FTLは却下です
第十部 列に並ぶ列強と、配られる奇跡編開始
紫がかった異星の空に、二つの月が淡い光を投げかけている。
地球からはるか彼方、次元の壁を越えた先にある惑星『テラ・ノヴァ』。その広大な荒野の一部を切り拓いて作られた工藤創一の工房は、今や一人の人間が管理する領域を完全に逸脱した、巨大な未来都市の様相を呈しつつあった。
無数に張り巡らされたパイプラインには未知の流体が脈動し、巨大な化学プラントのような建造物群が、昼夜を問わず低く重厚な駆動音を響かせている。空には、工藤の指示を完璧にトレースする自律型の作業ドローンが群れをなして飛び交い、瞬く間に新たな施設を組み上げていく。
そしてその一角、ガラス張りの巨大なオペレーションルームの中で。
工藤創一は、地球のホームセンターで買ってきたような着古した作業着姿のまま、宙に浮かぶホログラムディスプレイを指先で弾き、鼻歌交じりに何かを設計していた。画面には、青白く脈動する見慣れない炉心のような構造図と、地球の物理法則では説明のつかない複雑な数式が乱舞している。
『——というわけで、官邸との連絡頻度を増やしてください。可能なら事前に、何をするか教えてください』
突如として、オペレーションルームの一角に設置された大型モニターが切り替わり、スーツ姿の中年男の顔が映し出された。
内閣官房参事官、日下部。地球側で工藤の生み出すオーパーツの数々を直接受け止め、どうにかして現実社会の枠組みの中に落とし込もうと日夜奔走している、胃痛持ちの官僚である。
日下部は挨拶もそこそこに、ひどく疲労の滲んだ声でそう告げた。表情は硬く、目の下には消えかけたクマがうっすらと居座っている。
工藤はホログラムの操作から顔を上げ、カメラに向かって無邪気な笑顔を向けた。
「へー、分かりました!!!」
その、あまりにも軽すぎる即答。
モニターの向こう側で、日下部の眉間がピクリと引き攣るのが見えた。
(絶対分かってないな、こいつ……)
日下部の心の声が、電波に乗らずとも工藤の耳に聞こえてきそうなほどの沈黙が、両者の間に数秒間横たわった。
だが、今日の日下部は、説教のために通信を繋いできたわけではない。
彼が今一番必要としているのは、謝罪でも反省でもなく、『次の奇跡を、少しでも早く事前把握すること』であった。
「工藤さん」
日下部は、一つ大きなため息を吐き出してから、かなり珍しく、己の置かれた状況について率直な愚痴をこぼし始めた。
「今の日本政府は、あなたから出てくる奇跡に、完全に場当たり的に対応しているだけです。……もうちょっと、計画的にお願いしたい」
工藤は、手元のホログラムを操作しながら、特に悪びれる様子もなく答えた。
「へー、なるほど。なんか大変そうですねえ」
日下部は軽くこめかみを押さえた。
この男にとっては、『がんしぼり君』という現代医療の常識を破壊する技術の投入も、一瞬で百兆円が動いた『中東基金』の騒動も、空飛ぶ巨大要塞『ヤタガラス』の運用も、全てが等しく『なんか大変そう』という程度の温度感なのだろう。
「大変どころの話ではありません」
日下部は、言葉に熱を帯びさせて続ける。
「新しい技術が出てくるたびに、我々は法律を後追いで解釈し、国際社会からの疑念の目を誤魔化すために外交の辻褄を合わせているんです。病院の窓口では現場の職員が悲鳴を上げ、ネット上の世論は『日本政府には全てを見通す悪魔のような黒幕がいる』という完璧な陰謀論を勝手に作り上げている。我々は、その陰謀論の仮面を被りながら、水面下で泥水をすするようにして必死に制度というパッチを当て続けているんですよ」
日下部は、モニター越しに工藤の目をじっと見つめた。
「だから、お願いです。少なくとも、次に何が来るかくらいは、事前に知りたいんです。そうすれば、我々にも準備というものができる」
その切実な声に、工藤もさすがに手を止め、「それはそうか」というように少しだけ考え込む素振りを見せた。
「まあ、急に凄いのが来たら、地球の皆さんもびっくりしちゃいますもんね。すみません、俺も自分のやりたいことばっかり進めちゃってて」
「ええ、本当に。びっくりで済むならいいんですが、国が消し飛びかねない代物ばかりですからね。……それで」
日下部は、深呼吸をして、本日の最大の核心を突いた。
「今回は、何が来るんです?」
その問いに対し、工藤はあっけらかんと言い放った。
「えー、何が良いですか? 今、宇宙サイエンスパックを使ってテクノロジーツリーを解禁してるんで、いろいろ選べるんですよねー」
ドクン、と。日下部の胃の腑が、物理的な痛みを伴って跳ねた。
『何が良いですか?』ではないのだ。
これはレストランのメニュー選びではない。国家という枠組みが、社会というシステムが、一体どの程度のオーパーツまでなら受け止めきれるかという、致命的な耐荷重テストの話なのだ。
だが工藤は、そんな日下部の苦悩など知る由もなく、まるでカタログでもめくるかのように、次々と恐るべき候補を並べ立て始めた。
「まず、軌道への大量輸送を考えるなら『宇宙エレベーター』はどうですか? カーボンナノチューブよりずっと頑丈な素材のレシピも解禁されてるんで、すぐに建てられますよ!」
「却下します」
日下部は、即座に、そして完璧な真顔で切り捨てた。
「宇宙エレベーターなど地球の赤道直下に建造しようものなら、物流革命どころの騒ぎではありません。世界の覇権構造そのものが覆る。建設地の領有権を巡って確実に第三次世界大戦が起きますし、テロリストの標的になれば、倒壊したケーブルで地球の半周が物理的に叩き割られる。日本単独で維持・管理できる代物ではありません」
「えー、安全対策のシールドも張れるんですけどね。じゃあ、軌道上じゃなくて地上の移動を便利にするなら、『大陸間瞬間移動ゲート』なんかどうです? ワームホールで空間を繋いで、擬似的に瞬間移動するやつです。実際はゲートの中の異空間を十分くらい歩くんですけど、出たらニューヨーク! みたいな」
「絶対に却下です」
日下部の声が、一段と低く、重くなった。
「そんなものを実用化すれば、国境という概念が死にます。税関も、入国管理局も、検疫所も全て無意味になる。未知の感染症が数十分で世界中を覆い尽くし、麻薬も兵器もテロリストもフリーパスで出入りするようになる。既存の航空産業と海運産業が即日倒産し、世界中の経済と治安維持システムが発狂しますよ」
「……うーん、地球の事情ってめんどくさいんですね」
工藤は頬を掻きながら、全く悪びれずに、さらに一段階上のメニューを引き抜いた。
「じゃあ、地球のことは置いといて、宇宙の遠くまで行けるように『FTL航行(超光速航行)』のシステムはどうです?」
「FTLは却下です」
日下部は、もはや怒りを通り越して、静かな諦念を帯びた声で言った。
「地球政治の外に出る気ですか。アメリカがどうこうというレベルではない。人類という種が、宇宙の法則を捻じ曲げる段階にはまだ達していません。……どれも魅力的ではありますが、お願いですから、もう少し段階を踏ませてください」
日下部が、胃薬を握りしめるような思いでそうまとめると、工藤は不満そうに唇を尖らせた。
「えー、贅沢ですねぇ……。こっちはせっかくツリー進めてるのに」
贅沢、という言葉のチョイスに、日下部は頭を抱えたくなった。国家の崩壊を防ぐための懇願が、この男の耳には「もっとすごいのがいい」というワガママに聞こえているらしい。この圧倒的な感覚差こそが、日下部を日々苛ませる最大の原因であった。
「じゃあ、もうちょっと基礎的なところにしましょうか」
工藤は気を取り直したように、パチンと指を鳴らした。
「今、テクノロジーツリー的には『反物質エンジン』まで進んでるんですが——」
ピタッ、と。
モニター越しの通信が途絶えたのかと錯覚するほど、日下部の動きが完全に停止した。
FTLの直後に、反物質エンジン。
たった数グラムの反物質が対消滅を起こせば、大都市一つが綺麗に消し飛ぶ。もはや胃痛というより、致死性の眩暈に近い衝撃が日下部の脳天を突き抜けた。
「——そ、それは……」
「あ、でもその前が『常温核融合炉』なんですけど、いきなりこれ出すのはマズイかなって俺も思うんですよ。だから、さらにその前の段階の、ただの『核融合炉』にしますか?」
工藤の言葉に、日下部は絶句した。
工藤の頭の中では、『反物質エンジン』も『常温核融合炉』も『核融合炉』も、ただの並列な、少しずつ性能を下げた「選択肢」に過ぎないのだ。
日下部は、己の震える手を必死に抑え込みながら、懸命に思考を回転させた。
常温核融合炉。それは、人類が夢見る究極のクリーンエネルギーであり、実用化されれば石油も石炭も過去の遺物となる。既存のエネルギー産業を完全に破壊し、中東諸国の経済を一夜にして崩壊させる劇薬中の劇薬だ。いくらパックス・ファンドでサウジと手を結んだとはいえ、今出すにはあまりにも角が立ちすぎる。
だが。
『ただの核融合炉』ならば?
現在、地球上でも各国の研究機関がトカマク型やレーザー核融合の研究を血眼になって進めている。もし、その延長線上にあるものとして、「日本が極秘裏に開発を完了した、小型・高出力で安定した次世代国家実証炉」という形でパッケージングできれば……。
いきなり全家庭向けにバラ撒くのではなく、宇宙港の電源や、一部の基幹産業、軍事・戦略拠点のみに限定投入するという形をとれば、まだなんとか「地球の常識の枠内」で言い訳が立つかもしれない。反物質やFTLに比べれば、遥かに「人類が理解しそうな範囲」の技術に見える。
「……常温核融合炉も、十分に世界をひっくり返す超テクノロジーなんですけど、確かにまだ早すぎますね。研究はそちらで続けておいてください」
日下部は、一つ大きな息を吐き出して決断した。
「出すなら、さらに前の段階——『核融合炉』にしましょう」
この日下部の一言で、日本の、いや人類の次のステップが決定づけられた。
「お、いいですね! じゃあ核融合炉の設計図を地球向けにまとめておきます」
工藤は嬉しそうに頷いた。しかし、彼の思考はそこで止まらなかった。
「でも、核融合炉だけあっても、宇宙開発とセットにするならちょっと足りないですよね。やっぱり、宇宙に行くための『足』がいります」
「足、ですか」
「はい! 炭素をベースにして作成する、特殊スラスター燃料剤と酸化剤のレシピがあります。これを使えば、現行の化学ロケットなんか目じゃない推力が出せますよ。最高で秒速百五十キロメートル級まで加速可能です! どうやって宇宙へ安く大量に行くのかっていう課題に対する、俺なりの答えです。宇宙開発にピッタリでしょ?」
秒速百五十キロ。
それは、地球の重力圏を振り切るための第三宇宙速度(秒速約十六キロ)を文字通り桁違いに凌駕する異常な数値だった。太陽系の外へ向かう探査機すらも置き去りにする、途方もない速度域だ。
「……ちょっと待ってください。そんな速度、そんな加速度を出したら、乗っている人間にかかるG(重力加速度)が凄いことになるのでは? 物理的に肉塊になりますよ」
日下部が至極真っ当な突っ込みを入れると、工藤は、またしても「何を当たり前のことを」という顔で返してきた。
「あー、まあ当然、G相殺技術は必須になりますね。慣性ダンパーの技術もツリーでゲットしてて、すでにヤタガラスでも実用化してるんで。高加速時の人体負荷を大幅に軽減する限定的な技術として、地球のロケットや宇宙船に組み込めるように技術書でも作りますよ」
ここで、日下部の脳裏に一つのピースがはまった。
あの大質量を誇る巨大な要塞『ヤタガラス』が、まるで無重力空間を滑るかのように異常な機動性を見せていた理由。それは、工藤がすでに『慣性ダンパー』というSFの産物を実用化し、組み込んでいたからだったのだ。
日下部は、工藤が提示してきた三つの技術を脳内で並べた。
一つ、無限のエネルギー源となる『核融合炉』。
二つ、既存のロケットを過去の遺物に変える『特殊スラスター燃料剤と酸化剤』。
三つ、その異常な加速を人間が制御するための『G相殺技術』。
「なるほど……」
日下部は、ゆっくりと頷いた。
これは、宇宙エレベーターのようにいきなり地上の景色を変える露骨な代物ではない。大陸間瞬間移動ゲートのように、既存の秩序を即座に破壊するものでもない。
だが、この三つが揃えば、地球と宇宙の距離は決定的に縮まる。
「つまり今回は、『日本が本格的に宇宙へ行ける国になるための、基盤技術のパッケージ』ということですね」
日下部が国家運営の目線でそう整理すると、工藤はポンと手を叩いた。
「そうですそうです! いきなり軌道上に宇宙工場を作ったり、月面で採掘基地を作ったりするのは、さすがに地球の皆さんも準備ができてないと思うんで。それはその後でいいかなって」
その言葉に、日下部は密かに戦慄した。
工藤の頭の中には、すでに『宇宙工場』や『月面基地』という次のフェーズが明確に存在しているのだ。今回は、単にそこへ至るための『道作り』に過ぎない。
「……分かりました。技術の方向性は見えました。しかし、問題はどうやってこれを世に出すか、です」
日下部の表情が、再び政治家と官僚のそれに戻った。
「我が国が単独で、突然核融合炉と新型ロケット技術を発表すれば、同盟国であるアメリカが間違いなく黙っていません。我々が密かに軍事的な優位性を確保しようとしていると疑われ、最悪の場合、強烈な制裁や干渉を受けることになります」
日下部は、副島総理らと練り上げてきた外交上のカードを切り出すことにした。
「すでに、アメリカの政権上層部と、彼らを裏で操る『ディープステート』の連中は、ヤタガラスが宇宙空間を航行している事実を掴んでいます。ならば逆に、その既知の情報を使って辻褄を合わせるべきでしょう」
「辻褄、ですか?」
「ええ。宇宙開発はアメリカのプライドそのものですからね。……今回の新技術群は、『アメリカとの共同開発』という名目にします」
日下部は、淀みなく計画を語る。
「『日米共同・次世代宇宙輸送実証計画』。日本が基礎技術を提供し、アメリカの広大な土地と既存の宇宙インフラを使って実証実験を行う。アメリカの顔を立てつつ、彼らの政権には『これがヤタガラスに積まれていた技術の一部だ』と仄めかす。そうすれば、彼らもヤタガラスの異常な機動性に納得し、共同開発という建前の下で技術の恩恵に与ろうとするはずです」
日本単独の暴走ではなく、日米共同という強固なパッケージで世界に衝撃を与える。それが、日下部が導き出した最適解だった。
工藤は、その複雑な国際政治の駆け引きには全く興味がないらしく、肩をすくめた。
「あー、政治的な見せ方とかは俺よくわかんないんで、日下部さんたちにお任せします。それならそれでいいですよ」
あっさりとしたものだった。
「じゃあ、この『三点セット』をお持ち帰りってことで、準備進めときますね」
工藤は、まるでコンビニのレジ袋に弁当とお茶を詰めるような軽やかさでそう宣言した。
日下部は、その圧倒的な軽薄さに、少しだけ遠い目になった。
核融合炉。
新型推進剤と酸化剤。
G相殺技術。
いずれも、地球の科学史を数世紀分は早送りするような、国家の未来を根底から変える劇薬だ。それが今、「お持ち帰り」という言葉で、一つのパッケージとしてまとまってしまった。
「……工藤さん」
日下部は、ひきつった笑みを浮かべながら言った。
「その『お持ち帰り』という言い方、やめていただけませんか。まるで、技術文明を一袋の福袋にまとめているみたいで、胃が痛くなります」
工藤は、本気で不思議そうな顔をした。
「え? でも、今回渡すのって、炉の基本設計データと、燃料の調合レシピと、慣性ダンパーの技術書だけですよ? 別に現物を送るわけじゃないですし、そんなに重いものじゃないですって」
(『だけ』、ではない……)
日下部は、心の中で血を吐くようなツッコミを入れたが、口には出さなかった。この男に地球の常識を説いても無駄であることは、これまでの経験で痛いほど理解していたからだ。
通信の終了が近づく中、日下部は手元の暗号化端末を開き、副島総理と官邸のコアメンバーに向けた報告文の作成に取り掛かった。
件名の欄に、彼は少しだけ自嘲気味にタイピングする。
『件名:新テクノロジーについて(今回は比較的穏当です)』
そして本文に、先ほど決定したばかりの技術のリストを簡潔に並べていく。
・次世代実証型・核融合炉の基本設計
・炭素由来・特殊スラスター燃料剤および酸化剤の製造レシピ
・G(重力加速度)相殺技術(慣性ダンパー)の限定的地球向けマニュアル
・対米共同宇宙輸送実証計画の名目で公開想定
・なお、常温核融合炉については開発存在を秘匿し、公表を見送る。
その無機質な文字列を眺めながら、日下部は自分で自分の頭を抱えたくなった。
無限のエネルギーと、圧倒的な宇宙への足。これのどこが「穏当」なのか。
しかし、宇宙エレベーターで世界が物理的に分断される恐怖や、空間ゲートで国境が消滅する絶望、そしてFTLや反物質エンジンという人類の存在意義を消し飛ばしかねない狂気のメニューを見せられた後では。
確かに、この三点セットは、まだ『地球の延長線上にある』と思えてしまうのだ。自分の感覚が、すでに修復不可能なほどに麻痺していることを、日下部は自覚せざるを得なかった。
モニターの向こう側で、工藤が明るく手を振っている。
「じゃあ、今回はこんなところで! 次は、もっと前に相談するようにしますね!」
その言葉を信じるほど、日下部もナイーブではない。
「……相談だけでなく、行動を起こす前に『待って』ください」
日下部が最後の念押しをすると、工藤は満面の笑みで、親指を立てた。
「善処します!」
(……絶対に、しないな)
日下部は、通信が切れて真っ暗になったモニターを見つめながら、深く、長く、本日最後のため息をついた。
かくして。
第十部の幕開けにおいて、日本政府が手にした“比較的穏当な奇跡”は、『核融合炉』と『宇宙輸送革命』であった。
国家の尺度は、一人の天才の非常識によって、もうとっくに壊れ始めていた。
だが、彼らはその壊れたスケールを片手に、列強が並ぶ世界の最前線へと、再びハッタリの勝負を挑まなければならないのだ。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。




