番外編.ルークの恐怖。
崩れることなく高々と積み上げられた書類の山の隙間に、ルークのプラチナブロンドが埋もれて見える。
近衛隊の所用から戻ったレナードはその姿に眉を寄せた。
レナードがルークの傍を離れてから一刻近く時が流れているのだが、その間に休憩を取ったようには思えない。
ルークの傍に控えていたランディにちらりと視線を向けると、レナードの考えが伝わったのか肯定するように頷いた。
「陛下、一度休憩を取られたほうがよろしいのではないでしょうか?」
ランディに合図を送って交代したレナードは、そっとルークに話しかけた。
しかし、ルークは聞こえていないかのように書類に署名をし、また次の書類へと手を伸ばす。
これだけ働いているのに、レナードが傍を離れた時よりも書類の山が高くなっている気がする。
「お前だ」
「は?」
「お前と同じ顔の悪霊が私を追い詰めている」
「それはディアンです」
「レナード、ちょっと悪霊退治に行ってこい」
「無理です」
「やる前から無理などと、子供のようなことを言うな」
「やる前から殺られることがわかっておりますから」
「そうか」
レナードの反論に素直に納得して、ルークはそのまま仕事を続けた。
そのあり得ない反応にレナードは驚愕した。
ひょっとして天変地異の前触れ――再び虚無が暴走を始めるのかもしれない。
「ル、ルーク……?」
まさかどこか体調が悪いのではないかと恐れつつ、レナードは呼びかけた。
動揺のあまり敬称も忘れている。
もちろんルークの体調が悪いなど花が存在する限りあるはずがなく、創造神ユシュタルが空から堕ちてくるより可能性は低い。
「レナード」
「ど、どうした?」
「私はかなり恵まれていると思う」
「……そうだな」
いったい何が始まるんだ、とレナードは周囲を警戒したが、異変はない。
実際、多くの者たちからすれば、ルークは恵まれているという言葉では表せないほどだろう。
ヴィシュヌの再来とまで言われる魔力を有し、マグノリア帝国皇帝の地位にあり、贅を尽くした皇宮に住み、ユシュタルの祝福を受けている。
さらにはユシュタルの御使いと呼ばれる花を正妃とし、そのお腹にはユシュタルの祝福を受けた子までいるのだ。
おまけに花が言うには後光が見えるというほどの容姿でもある。
だが、これまで――花が現れるまでの苦難の日々を思えば、レナードにはルークが恵まれているとは言えなかった。
それなのに本当にルークはどうしてしまったのだろうと、レナードは目の前の光り輝くプラチナブロンドを見下ろした。
「はっきり言って……」
「何だ?」
「幸せすぎて怖い」
ごんっと何かをぶつけた音がしたのは、扉の内側に立つ近衛騎士のものだった。
ランディやアレックスなら耐えられたであろうズッコケ――ではなく脱力するような皇帝陛下の言葉に、近衛騎士としてはまだ経験の浅い彼は耐えられなかったらしい。
すぐに体勢を立て直し、異常があったのかと心配する外側の近衛に異変なしと伝えようとしたその時――。
悪霊ならぬ冥府からやってきた王のような存在――ディアンが扉を開けて入ってきた。
「ノックは省きましたよ。私の存在にはすでに皆が気付いていらしたようですので」
「存在に気付こうと気付いてなかろうと、ノックとは入っていいかと許可を得るものであって、私は許可をしていない。よって出ていけ」
「では、レナードが出ていくべきですね」
「何でだよ!?」
「不本意ながら同じ顔ですから」
「理由になってねえ!」
またくだらない兄弟喧嘩が始まった、とため息を吐くルークに、ディアンは腕に抱えていた新たな書類の束を差し出した。
「陛下、これは急を要するものですので、夕の刻までにお願いいたします」
「……ディアン、我が国には優秀な政務官が数多くいる。それなのに何故私が直接目を通し、判断しなければならないものがこれほどにあるんだ?」
「それはもちろん、私が類稀なる優秀な政務官だからです」
「自分で言うなよ」
ツッコミを入れるレナードを無視したまま、さらにはルークの冷たい視線にも怯まず、ディアンは書類の束を山に重ねた。
ただ驚くべきは、レナードが戻った時に見た山よりも若干低くなっていることだ。
この会話の間もルークの手が止まることはなかったからだろう。
その仕事内容にミスがあるとも思えない。
「幸せすぎて怖い、などと聞いているこちらのほうが恐怖のあまり三日三晩うなされそうなお言葉を吐き出されるお暇が陛下にはあるようですので。頭と手を忙しく働かせていれば、そのような寝言をおっしゃるお暇もないでしょう? それでは私はこれで失礼いたします。もうお一方、似たような寝言をおっしゃって周囲を恐怖に陥れている方がいらっしゃるようですので、私が優しく目覚めさせてあげなければ」
そう言い残して姿を消したディアンの微笑みを見たレナードは、金縛りにあったように動けなかった。
その呪縛を解いたのはルークの苛立った声である。
「レナード、今すぐジャスティンに援護を頼んで花とセレナたちを悪夢から救い出してこい」
「――かしこまりました」
レナードは敬礼すると、すぐにその場から転移した。
自分で救出に向かいたいだろうに、執務を続けるルークの生真面目さをわずかに不憫に思いながら。
何だかんだと毎日忙しく騒がしくしていれば、あの本物の悪夢のような日々を忘れていられる。
ルークは積み上がった書類の束を見てわずかに顔をしかめると、また目の前の書類に集中したのだった。
皆様、いつもありがとうございます。
本日で初投稿から9周年を迎えることができました。
おかげさまで、処女作であるこの『猫かぶり姫と天上の音楽』は書籍化することができ、由貴海里様の素敵なイラストで花やルークを楽しむことができます。
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ここまで続けることができたのも、いつも応援してくださる皆様のおかげです。
10年目も変わらず色々な物語を書けるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。