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第七十二話 戦争のない日

アルカディア。


朝。


司たちは基地内の補給区画にいた。


「……これがスイートオイル?」


シルヴィアが手にした容器を眺める。


「そうらしい。」


司も確認する。


透明度の高いオイル。


普通の燃料とは明らかに違っていた。


「悪魔軍との通常貿易が再開した影響ですね。」


アルマが端末を確認する。


「以前より品質の高い燃料や、悪魔軍側から輸入された商品が増えています。」


「へえ……。」


シルヴィアが嬉しそうに容器を見る。


「飲んでみたい。」


「燃料だからな。」


「分かってるよ。」


シルヴィアが補給口へ接続する。


しばらくして。


「……おいしい。」


「燃料に味を求めるなよ。」


「でも、普通のオイルより全然違うよ。」


シルヴィアが笑う。


その横で、アウラも補給する。


「……甘いですね。」


「そういうものらしい。」


ステラも容器を持ち上げた。


「……私も。」


「お前もか。」


「……甘いなら。」


「分かったよ。」


ステラも補給する。


「……おいしい。」


そのまま目を閉じる。


「……。」


「ステラ?」


シルヴィアが覗き込む。


ステラは容器を口元に当てたまま、眠っていた。


「……寝てる?」


アウラが心配そうに尋ねる。


「寝てるな。」


司が呆れる。


「しかも補給しながら寝てる。」


ステラは眠ったまま、器用に容器を傾け続けている。


「……器用だな、お前。」


司がツッコむ。


「ステラ、寝ながらでも飲めるんだ……。」


「感心するところじゃありません。」


アルマが淡々と言った。


司がステラの手から容器を外す。


「ほら。もう終わり。」


「……うん。」


寝言のように返事をして、ステラはそのまま眠り続けた。


「起きてから飲めばいいだろ。」


「……眠い。」


「分かったよ。」


司は苦笑した。


◇ ◇ ◇


補給を終えた司たちは、アルカディアのショッピングモールへ向かった。


基地の商業区とは規模が違う。


数階にわたる巨大な建物。


衣料品店。


工具店。


家電店。


飲食店。


輸入品を扱う店。


以前よりも、明らかに店が増えていた。


「……すごい。」


シルヴィアが周囲を見回す。


「こんなに店あったんだ。」


「前に来た時より増えたな。」


司も辺りを見る。


悪魔軍側から輸入された商品も多い。


衣服。


装飾品。


工具。


高品質な部品。


そして、燃料関連の商品。


「交易が再開した影響ですね。」


アルマが説明する。


「天使軍と悪魔軍の講和によって、通常貿易が段階的に再開しました。」


「だから、こんなに増えたんだ。」


シルヴィアが納得する。


「そういうこと。」


司はモールの吹き抜けを見上げる。


戦争をしていた二つの軍が、今は商品をやり取りしている。


不思議な感じだった。


「でも、講和って本当に戦争が終わっただけなんだよね?」


シルヴィアが尋ねる。


「仲良くなったわけじゃない。」


「たぶんな。」


司が答える。


「何百年も戦ってた相手だ。簡単に信用できるわけじゃない。」


「でも、今は戦ってない。」


「それだけでも大きいだろ。」


「……そっか。」


シルヴィアは頷いた。


◇ ◇ ◇


ショッピングモール中央の大型モニターから、ニュースが流れていた。


『本日、天使軍と悪魔軍の講和条約が正式に発効しました』


シルヴィアが足を止める。


『長年続いていた両軍の戦争状態は、これをもって終了します』


アウラもモニターを見る。


「……本当に、戦争が終わったんですね。」


「正式にはな。」


司が答える。


画面には条約の内容が表示されていく。


『相互不可侵条項』


『一部占領地域の返還協議』


『捕虜交換の段階的実施』


『戦時賠償は双方とも請求せず』


『相手側の政治・軍事体制への相互不干渉』


『謎のヴァルキリーフレームに関する重大情報の相互通報』


『軍事同盟および共同軍の編成については否定』


「ヴァルキリーフレームも?」


シルヴィアが驚く。


「両軍とも、無視できなくなったんだろ。」


司はモニターを見る。


「自分たちが戦ってる間に、別の敵が強くなってたら困るからな。」


アルマが頷く。


「双方に共通する脅威として認識されたのでしょう。」


アウラは少し考える。


「……それなら、天使軍と悪魔軍が一緒に戦うんですか?」


「そこまではいかないだろ。」


司が首を振る。


「共同軍を作るわけでもない。」


「ただ、見つけた情報を隠さない。」


「必要なら協議する。」


「それくらいだろ。」


「……なるほど。」


アウラが頷く。


シルヴィアはモニターを見ながら、少し不思議そうな顔をした。


「ねえ、お兄ちゃん。」


「ん?」


「悪魔軍って呼んでるけど……。」


シルヴィアは少し考える。


「こうして普通に服を作ったり、燃料を作ったりしてるんだよね?」


「そうだな。」


「本当に悪魔なのかな?」


司は少し黙った。


アウラもモニターを見る。


「私も……少し不思議です。」


「悪魔という名前から、もっと恐ろしい存在を想像していました。」


「でも、こうして普通に生活して、物を作って、私たちと取引している。」


司は肩をすくめた。


「まあ、名前だけじゃ分からないってことだろ。」


「……うん。」


シルヴィアは頷いた。


その時、ニュースが切り替わる。


『なお、天使軍と悪魔軍は講和後も国境付近の軍事施設を維持する方針です』


『双方の情報機関も活動を継続します』


『両軍は警戒態勢を解除せず、相互の軍事動向を注視するとのことです』


「……戦争は終わったけど、信用したわけじゃない。」


シルヴィアが言う。


「そういうことだな。」


司は頷く。


「冷戦みたいなもんだ。」


◇ ◇ ◇


ニュースはさらに別の情報へ切り替わった。


『一方、エデンとオルビス連合の戦闘は現在も継続しています』


司の表情が変わる。


『ネメシア周辺宙域では複数の戦闘が確認されており、航行制限も継続されています』


「……まだか。」


アルマが頷く。


「ネメシアへの航路は、現在も安全が確認されていません。」


「アルカディアから行くなと言われてるのも、そのためだな。」


「はい。」


シルヴィアが少し残念そうにする。


「ネメシア、まだ行けないんだね。」


「今はな。」


司はモニターを見る。


「アルカディアがオルビスと敵対してるわけじゃない。」


「ただ、あの宙域ではエデンとオルビスが戦ってる。」


「そんな場所に入ったら、敵味方関係なく巻き込まれる。」


「だから行くな、ってことだ。」


アウラが頷く。


「……分かりました。」


「焦って行っても仕方ない。」


司は視線を外した。


「安全になってから行けばいい。」


シルヴィアは少し考えた。


そして。


「じゃあ、今は買い物しよう。」


「切り替え早いな。」


「だって、せっかく来たんだもん。」


シルヴィアが笑う。


「お兄ちゃん、これどう?」


服を一着持ち上げる。


「いいんじゃないか。」


「本当に?」


「ああ。」


「じゃあ、これにする!」


「……買いすぎじゃないか?」


「かわいいからいいの!」


司は苦笑した。


その横では、アウラも服を選んでいる。


「私はこれを……。」


「それも似合うと思うぞ。」


「ありがとうございます。」


アウラの表情が明るくなる。


司は二人を眺めた。


戦争。


ヴァルキリーフレーム。


ペネトレーションツール。


最近は、そんな話ばかりだった。


だからこそ。


こういう時間があることが、少しだけありがたかった。


「……まあ。」


司は小さく呟く。


「こうしてシルヴィアが笑ってくれてるなら、いいか。」


「お兄ちゃん?」


「何でもない。」


シルヴィアは笑った。


◇ ◇ ◇


ショッピングモールの中央広場。


そこには、悪魔軍との交易再開を記念した特設コーナーが設けられていた。


悪魔軍側から輸入された衣服。


装飾品。


高品質な工具。


そして、スイートオイル。


「……これも買っていい?」


シルヴィアが瓶を持ち上げる。


「さっき飲んだだろ。」


「だって美味しかったから。」


「まあ……一本くらいなら。」


「やった!」


アウラも商品を見る。


「私も少し欲しいです。」


「いいぞ。」


ステラは展示台の前で立ち止まる。


「……スイートオイル。」


「お前、また飲むのか?」


「……飲みたい。」


「分かったよ。」


司は三人分のスイートオイルを買う。


店を出てすぐ。


シルヴィアが嬉しそうに補給する。


「……おいしい。」


アウラも続く。


「やっぱり、普通のオイルとは違いますね。」


ステラは容器を持ったまま、しばらく立っていた。


「……また?」


司が半分呆れたように尋ねる。


「……美味しいから。」


答えになっていない返事をしながら、ステラは補給を始めた。


数秒後には、もう目を閉じている。


「……本当に懲りないな。」


司はステラの手から容器を引き抜いた。


「ほら。終わり。」


「……うん。」


ステラは眠ったまま返事をする。


シルヴィアが笑う。


「ステラって、本当に眠るの好きだね。」


「燃料補給しながら寝る奴は初めて見た。」


司は呆れながらも笑った。


アルマが淡々と言う。


「少なくとも、効率的ではあります。」


「そこを評価するのかよ。」


司は苦笑した。


ショッピングモールの吹き抜けから、柔らかな光が差し込んでいる。


人々が歩いている。


店から音楽が流れている。


戦争はまだ続いている。


ヴァルキリーフレームも消えていない。


ネメシアにも、まだ戻れない。


それでも。


今日だけは。


こうして普通に買い物をして。


高品質な燃料を補給して。


くだらないことで笑っていられる。


「……こういう日が続けばいいんだけどな。」


司が呟く。


「お兄ちゃん。」


「ん?」


「きっと続くよ。」


シルヴィアが笑う。


司は少しだけ笑った。


「……そうだな。」


アルカディアのショッピングモール。


その日。


司たちは久しぶりに、戦争から少しだけ離れた時間を過ごしていた。


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