10.恋の芽吹き
そして彼らは食事を取ったあとに訓練を再開した。
休憩中にあんなに動いても疲れひとつ見せないマリアンヌの訓練風景を見て私は目を輝かせる。今の私は疲れて座り込んでいると言うのに、体力の差だろうか。
もっと頑張らなくては……と思っていれば、ふと視界が暗くなる。ふわりと顔になにかが被せられたのだ。
これは…………タオル?
不思議に思って見上げれば、私をのぞき込む魔王陛下の顔がそこにあった。このアングルからでも彫刻のように美しいご尊顔だ。
やはり彼の気配は背後に立たれても全く察知できない。魔王である彼が一番強いのだから、手合わせしたら私はどうなってしまうのだろうと考える。やはり木っ端微塵だろうか。
「魔王陛下、どうしてここに」
「アンタが騎士訓練場で大暴れしてるって報告を聞いたから見に来たのよ。見るに、五体満足のようね」
元気そうな私を見てどこか安堵したような雰囲気を感じる。もしかしたら心配してわざわざ来てくれたのかもしれないなと思う。
「あぁ、私は手加減してもらったから怪我は全くない。
それにしてもやはり騎士団の方は強かった!凄いな!マリアンヌ様に手合わせしてもらったんだが、同じ女性でありながらすごい筋肉量とパワーで、それでいて繊細な剣術で、戦いの最中でさえ美しかった!」
私がいつになくいい笑みと熱量の喋りをしていたからか、魔王様は眩しそうに目を細めた。
「はいはい、分かったから。それより水分もしっかり取りなさいよ。そのうちぶっ倒れるわよ」
「ありがとう!」
そう言って水を渡される。これが女子力……いや、気配り力か。飲み物まで差し入れしてくれるとはどれだけ優しいのだ。
一国の王に使用人のようなことをさせてしまっている罪悪感はあるが、喉が渇いていたので有難く口にする。
「今更だけど、アンタは人間なのに魔族を恐れないのね」
私はグビグビと水を飲んでいた最中なので、視線だけで何故だ?という返事をした。
「ほら、ルネディア王国とヴァルディア王国。人間と魔族で深い確執があるじゃない」
「あー……そんな歴史も学んだ記憶がある。昔は長い間戦争が行われていたとか。
国を出てヴァルディア王国のことを実際に知った今だからわかることだが……情報が遮断されているからか悪意故か、魔族側が悪く捉えられるよう操作されているようにも感じる」
私の言葉に魔王様は深く頷き、遠い目をしていた。
「アタシが思うに、人間側の魔族への嫌悪って恐怖からきていると思うの。圧倒的な力、自分達を脅かす存在。だから嫌っているのね」
「なるほど」
「……本当にわかっているのかしら。もしかしたらその水だって毒が入っているかもしれないわよ」
「それは困ったな、もう全部飲み干してしまった」
「まぁ、入れてはないけどもっと警戒心を持ちなさいということよ」
本当に毒入りならもう苦しんでいるはずだし、遅効性だとしても毒特有の香りも違和感もなかった。最悪カバンの中の毒消し草を食えばいいかと楽観的だった。
確かに、最近の私は少し腑抜けているのかもしれない。母国にいた時はずっと気を張っていたというのに、ここでは伸び伸びと過ごさせてもらっているのだから。
黙ってしまった魔王様を不思議に思っていると、首元に冷たい感触がした。
「アタシたちは、アンタをいつでも殺せるのよ」
気がつけば魔王様は、麗しく大きい手を私の首に当てていた。避ける間もなかった。
彼の赤く染められた長い爪は鋭く、首を掻き切ることは赤子の首をひねるように容易いだろう。私は息を飲み、しかし抵抗をする訳でもなく魔王様の瞳を見つめ返す。
生きることに執着が無いわけでも、死ぬ事が怖くない訳でもない。ただ、ここに来てからは幸せが続いてツケが回ってくるのではないかとずっと怯えていた。
今がその時なのかもしれないと、思ってしまったのだ。
そして、優しい魔王様がそんなことはしないと、彼のことを大して知りもしないのに期待してしまっている。
しばらく無言で見つめ合う時間が続き、彼は深いため息をついてその手を離した。首が絞められていた訳ではなく苦しくはなかったが、緊張からようやく息ができた気がする。
「うちの騎士とやり合えるほどの実力の持ち主なら、もっと抵抗するかと思ったわ。私は優しいからいいけど、他の人にされたら死ぬ気で抵抗なさい」
冷たい目で見下ろされ、冷たい言葉を吐かれる。しかし言葉に滲んでいるのは不器用な優しさと私への心配だというのが丸わかりで私はつい笑ってしまう。
「……私はただ、大切な人を守る強さが欲しかっただけなんだ」
意地悪な義兄姉達の暴力から、大好きなお兄様を守りたかった。
陰湿な正妃や側室達の嫌がらせから、大好きなお母様を守りたかった。
結局のところ私ではお母様のことは守れなかったし、お兄様は守り守られる素敵な相手が見つかった。私はお役御免だ。それでも力をつけることを辞めなかったのは、私にはそれしか無かったからだ。
だから、この力は自分を守るための力ではない。
「そうして私は力を求めた結果、社交界で男勝り姫って馬鹿にされるようになった。本当は可愛い服も着てみたかったが、今でも馬鹿にされるのが怖くて着れないんだ。笑えるよな」
「強さを求めるからって、可愛いを諦めるなんてもったいないわよ」
「え?」
私が驚いて彼の目を見れば、魔王様は不敵な笑みを浮かべた。
「アタシを見なさいよ。私は魔王で強いから、この口調も服装も全部文句を言わせないの。そして馬鹿にするヤツらをみんな張り倒して、好きに生きれるのよ」
「……そうか。それはとても素敵だな」
そう自信を持って胸を張る魔王様の姿がとてもかっこよくて美しいと思った。
トクトクと、走った後とはまた違う心臓の高鳴りに私は首を傾げる。先程首を狙われた時の恐怖が遅れてきたのだろうか。でも最近、魔王様と一緒にいるとよく心臓が煩く、頬が熱くなる。
一体これは……
と考え込んでいると、私のお腹が盛大に鳴ってしまった。
「そういえばアンタ、料理人達から今日も朝も昼も食べてないって聞いたわよ。少食だとしても一日三食はちゃんと食べなさいって言ってるでしょうが!!」
「すまない、今まで一日一食でも食べられればいい方だったから中々慣れなくてな……」
眉を吊り上げて食事の大切さを熱弁する魔王様に身体を縮めていれば、ため息をつかれる。
「全くもう。そろそろ夕食の時間ね、行きましょうか。沢山食べるのよ」
彼は魔王という忙しい立場だろうに、ここに来てから夕食は必ず私と一緒に食べてくれるのだ。一人で食べる食事は味気ないから、その心遣いが有難かった。
私は自分のお腹を触る。
「これでも最近は肉がついてきたのだが」
「元々が細すぎたのよ。もっと肉をつけなさい」
「……魔王様は肉付きがいいのが好みなんだったか」
「ガリガリよりはね。もう少し健康的になったらアタシが選んだ可愛いドレスを贈ってあげるから頑張りなさい」
そう言って魔王様はいつものように私に腕を掴むようにと向けてくれる。ただのエスコートと分かっているが、何故か触れたところが何故か熱くなる。魔王様の体温は低く、むしろ彼の手は冷たいというのに。
その日の熱はなかなか消えなくて、私は夜に眠るのに十秒ほどかけてしまったのだった。
その後、魔王陛下が私が隣国の姫であるという身分を騎士団の人達に伝えた時には、皆とても驚いていたらしい。
それでも次に私が見学に行った時も変に恭しく接したりはせずに、普通に練習に混ぜてくれたのが私にとって嬉しくて、騎士団の人達に懐くようになった。そしてマリアンヌ様を始めとした騎士団の皆も可愛がってくれるようになって、くすぐったいけど嬉しい。
優しいけど訓練中の教えはとても厳しく、この短期間でも体力の向上や剣の腕が上達してきたように感じる。
そして私は騎士訓練場に毎日のように通うようになったのだった。




