第319章 【別伝】ソフィア・シュテンの日記㉛ 突撃隊とナポリ料理(後編)
前菜のアンチョビマリネの皿は、すぐに空になった。
食前酒のロゼワインも空になった。
「給仕さん、葡萄酒空になったよォ!」
「料理もなくなったよ!」
顔を赤くしたウラリとゾリアーヌが、大声で叫んだ。
ほかのテーブルでは、まだ前菜を食べている最中だが、体格が大きく食欲旺盛な若い二人は、もう前菜を食べ終え、葡萄酒の瓶もとっくに空にしていた。
客室の様子を見ていたあのラビットニディオスの給仕さんが、あわてて調理場の方に駆けて行った。
すぐに大皿を持ってもどって来た。
「お待たせしました。ピッツア・マルゲリータでございます」
窯から出したばかりの焼きたての料理がテーブルに置かれた。
大きな皿の上には、直径30センチほどの平べったく丸い形をした、ピッツア・マルゲリータという料理が乗っていた。どうやらパンのようにトリゴ粉で作られる料理のようで、薄切りにしたトマトやチーズのとろけたものが上に乗っている。
焼きたての香ばしいトリゴ麦の生地に、濃厚なチーズの匂いと酸味のあるトマトの香りが漂い、思わずゴクンと生唾を飲みこんでしまった。
ラビットニディオス《ウサギ人族》の給仕さんが、すでに八頭分に切り分けられていたピッツアを手際よく、シャベルのような形状をした器具でとり、それぞれのお皿に入れてくれる。
ピッツア・マルゲリータ
ウラリとゾリアーヌは、アツアツのピッツア・マルゲリータを、熱いのでハフハフ言いながらも猛烈な勢いで食べはじめた。
「チーズとトマトとバジルの調和が最高!」
「生地の香ばしさとモチモチ感がサイコーだね!」
私も皿に乗せられたアツアツのピッツア・マルゲリータを食べる。
トマトの酸味のある熱い汁に、トロ~っと溶けたチーズのほのかな甘みと酸味はトマト汁の旨さと合い、すごくうまい。添えられているバジルの香りもすごく合う。
料理のお供にと給仕さんが持って来たのは、『ヴェルブ・ファネ・リセネール』という名前の発泡性葡萄酒だった。
「すっきりした味わいの上品な葡萄酒ね!」
「ナシとかリンゴの新鮮な香と果実味がするわ!」
ウラリとゾリアーヌは、すでに二切れ目のピッツアを食べ終わり、三切れ目を食べながらゴクゴクと泡の立つ白葡萄酒を飲んでいる。
女傑隊員二人の食べるスピードに慣れたラビットニディオスの給仕さんは、次々と新しいピッツァを運んで来る。
クワットロ・チーズのピッツァ、サラミソーセージとチーズのピッツァ、アンショーバの塩漬けとバジリクと胡椒を乗せたピッツァ...
と連続して四種類のピッツァが来た後は、さすがの女傑隊員二人も食べる速さが遅くなりはじめた。
「すみません。ピッツァはこれくらいでいいので、次の料理をお願いします」
マノンが気を利かせて、別の料理が運ばれて来た。
ラザーニア
「ラザーニアでございます」
ラビットニディオスの給仕さんがサービスワゴンに乗せて持って来たのは、具材を何層にも重ねた料理だった。
給仕さんが、切り分けてめいめいのお皿に乗せてくれる。
ラザーニアは分厚く、高さは10センチほどある。
ひき肉とトマトと香料で作られたソースたっぷりでとろけたチーズにバジリが乗っている。ナイフを入れると、ラザニアの生地が何層にも重ねられ、その間にトマトソース、生ハム、チーズ、ひき肉などがたっぷり入っている。
一口頬張ると、まず表面のカリッと焼けたチーズの香ばしさが広がり、続いてもちもちとしたパスタの食感、そして肉汁がたっぷりのひき肉のソースととろりとしたホワイトソースが口の中で混ざり合い濃厚な味がした。
それからも―
「ルイカルネ貝の胡椒蒸しでございます」
「タコのトマト煮込みでございます」
次々と料理が運ばれて来た。
さらに―
「カルツォーネでございます」
「スパゲッティ・アッラ・ヴォンゴレでございます」
「アクアパッツァでございます」
ムール貝の胡椒蒸し
タコとセリノンのサラダ
アクアパッツア
次から次へと運ばれて来る料理に、さすがの女傑二人も最初のころの猛烈な勢いはなくなってしまったようだ。それでも最後のデザートが運ばれて来たときは、目を輝かせた。
「ドルチェ・ナポリターノでございます」
「デザートは別腹よ!」
「そうそう。デザートを食べないで帰ったなんて知られたら名を落とすわ!」
ドルチェ・ナポリターノ
トラットリア『アマルフィターナの海岸』でたらふくナポリ料理を食べ、午後からふたたび魔都見物をするという隊員たちと別れた後で、私たちはマホリムジンに乗ってアリシア総督の屋敷がある東区に向かった。
魔都の東区は、この都市がマビンハミアン帝国の首都であった時代から貴族たちの館が多かったらしい。
魔王も貴族の館が多数ある東区は手を付けずに、上下水道や通りの整備だけにとどめていたらしい。
アリシアの屋敷に着いたのは午後2時を過ぎていた。
今日は特別な客人が来るとアリシアから知らされたので、学校での授業を午前中だけにして早めに帰宅していたアリシア総督の母上のラーニアさまやモナさまにご挨拶をして、持参した鬼人族国のお土産の『鬼せんべい』や『鬼ダンゴ』などをお渡しした。
地酒『ロークシュテン』は、非常に甘く、麦芽の味がする酒だが、アルコール度数は60パーセントなので甘くて飲みやすいと飲み過ぎるとあとで大変なことになってしまう。
アリシアの母上やモナさまなどが強い酒を飲むことはないだろうが、酒好きの客などには珍しがられるだろう。あと『鬼せんべい』や『鬼ダンゴ』は、大人も子どもも食べられるお土産だが、誰だか知らないが、よくこんな変わった菓子を考え出したものだ。
アリシアの母上のラーニアさまやモナさま、それにアリシアの異母姉弟であるルナレイラ王妃とカリブの母上であるマイテさまは、元ブレストピア国の王であったデルン・リッグラム・ゲネンドルの王妃だったが、現在は三人とも魔王の妻となっている。
マイテさまの娘のルナレイラ元王女は、魔王と結婚してから魔王国の王妃となったが、マイテさまもラーニアさまもモナさまも魔王国の王妃とはなっていない。三人はブレストピア国の元王妃だったそうだが、“魔王国の王妃”という地位とか名誉などに執着がまったくないらしい。欲のない人たちなのだろう。
まあ、王族といっても、公式の行事に参加とか、魔王さまの代理としての他国への公式訪問とか、いろいろと面倒なことが多いからな。
現在、ラーニアさまとモナさまは、魔都の公立校で教鞭をとり、マイテさまはたくさんの孫に囲まれて暮らしているそうだ。
鬼人族国のお土産
アリシアは、魔王城で用事があるらしく、まだ屋敷にはもどって来てない。
ラーニアさまからは昼食を勧められたが、トラットリアで食べていたので丁重に断ってメイドに案内してもらった二階の寝室に入った。
私は子爵であり、突撃隊の隊長でもあるので、私には一人用の部屋が用意されていた。おそらくアリシア総督の心配りだろう。だが、私はもっとマリコッチたちと話したいと思って、荷物と買い物袋を部屋に置いてから、マリコッチとニーナとソレヌの三人が使う部屋に向かった。
ニーナもソレヌもじきに副隊長に昇進するので、マリコッチも加え、いろいろと話ておきたいこともある。
マリコッチたちは、『アマルフィターナの海岸』でさんざん酒を飲み、トラットリアからの出際に「もう栓を開けているから」と席を立った隊員たちのテーブルにあった飲みかけの葡萄酒の瓶をニーナとソレヌが2本ずつ抱えて出て、そのままアリシアの屋敷に持ちこんでグラスを借りて飲んでいた。
酒の勢いもあり、マリコッチたちは饒舌になっていた。
私は、 『アマルフィターナの海岸』では、最初の甘い葡萄酒と次の発泡酒を3杯飲んだだけで、あとはジュースやリモネードだけを飲んだのであまり酔ってなかった。
みんなの話題は、やはり魔都のすごさだった。
多様な文化が共存する街。多様な種族が共存する街。新しいファッション発祥の町。
他国の追従を許さない軍事力と経済力を持ち、貿易で豊かになった魔王国の首都魔都は、テルースの世界の経済・文化の中心となり、さらに人をモノを金を集めているようだった。
氷神竜と火神竜
そして話題は、アングルスト国での戦いの話になった。
『ファロスラウグ作戦』と『アグラッド作戦』はこの二つの作戦は大成功した。とくに『ファロスラウグ作戦』は、われわれ突撃隊とヴィンイスタリーたちの大活躍によって...
“あれ、『ファロスラウグ作戦』は作案されたが、『アグラッド作戦』の成功によって中止になったのではなかったか?”
いや、どうも酒のせいで、昨日の激しい戦いのせいで記憶に錯誤が生じているようだ。
トロール兵どもやあの屈強で全身頑丈な鎧に包まれたトロール警備兵との戦いは突撃隊の隊長である私にとっては問題ではなかった。
衝撃だったのは、殺したはずのトロール兵たちが、あの褐色エルフのク〇ジジイ魔術師たちの呪術で魂のない体で蘇り、倒しても倒しても襲いかかって来たことだ。
脚を切断されても両手で這って、頭を切り落とされていても敵味方の区別なく襲って来る。腸を引きずり、頭頂を切断され、眼球を眼窩から垂らし、灰白色の脳と脳漿でベッタリと濡れた顔で迫って来る死に損ないのトロール兵ども...
思い返しただけでも身の毛がよだつ。
そして、まるで夢を見ているかのような、アンジェリーヌ王妃とジョスリーヌ王妃が魔術で作り出した30メートルを越す巨大な氷の竜と炎の竜。
“いや、あんなもの存在するわけないだろう?いや、だが大広間でちゃんとこの眼で見たではないか?”
「それにしても、あのミタンの妖女姉妹の魔術は凄かったな!」
マリコッチたちに話をふってみた。
「え、ミタンの妖女姉妹って... 何のことですか?」
ニーナが、キョトンとした目で私を見た。
「ミタンの妖女姉妹って、ミタン国出身のアンジェリーヌ王妃さまとジョスリーヌ王妃さまのことよ」
マリコッチがニーナに教える。さすがに彼女は物知りだ。ミタンの妖女姉妹のことを私に教えてくれたのも彼女だった。
「それで、そのミタン国の王妃さまたちがどうしたんですか?」
ソレヌがニーナと同じことを聞いた。
「え...おまえたち覚えてないのか?そのアンジェリーヌ王妃とジョスリーヌ王妃が、妹のジョスリーヌ王妃が水の竜、いや氷の竜か。水の竜から氷の竜に変身して、姉のアンジェリーヌ王妃が火の竜になって、生き返ったトロール兵どもを氷漬けにしてから焼き尽くしたのを!」
「水の竜...氷の竜、火の竜?」
「それ、ヴァスマーヤ王妃さまが作り出した魔法ですか?」
「違う。大広間で、あの皺だらけの顔の褐色エルフの魔術師が、呪術で生き返えらせたトロールどもと苦戦していた時に助けに来てくれたのが、アンジェリーヌ王妃とジョスリーヌ王妃ではないか?」
「え...私、そんなの全然覚えていません」
「私は、あとから大広間に行ったので見逃したかも知れません」
マリコッチが、言い訳っぽく言ったが、それは私の話を真っ向から否定するのを避けるためだとわかった。
「......」
ニーナは黙ってしまった。
私は、眠くなったので部屋にもどってシャワーを浴びると、言ってマリコッチたちの部屋を出た。
熱いシャワーを浴びれば、酔いも少しは覚めるだろう。そうすれば、この記憶の混乱を整理できるかもしれない...




