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星が降る、雨が降る、猫が降る  作者: 文月ゆり
月を掴んで
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4

 美帆は目を開けた。長いこと手を合わせていた気がする。美帆は立ち上がると、「また来るね」と小さく墓石に声をかけた。そう、どこぞの歌詞のように、そこに景介が 居るわけではない。景介はもういないのだ。いない。美帆は胸の辺りに鈍い痛みを覚えた。それと同時に腹も立った。


――景介の嘘つき。先に行かないでって言ったじゃん。置いてくなんて許せない……。


 美帆は、この終わりなど存在しない深淵の中、気持ちをぶつける相手を探すこともできなかった。いや、もう探すまでもなく、一生現れないのだ。心が壊れていくのがわかった。また崩れた。立て直そうとするが、すぐ歪んで崩れていくのだ。キリがない。セロテープや、接着剤なんかじゃ固定できやしない。そんな合間にも、それは崩れていくのだ。


 墓参りから花住に帰ってきた美帆を見て、夏菜子さんは目を丸くした。


「あら、今日はそのまま終わりで良かったのに。大丈夫なの?」

「はい、平気です。ちょっと遅くなってしまってすみません」

「それは全然いいのだけど……」


 美帆が無理していることは明らかだった。平静をよそおっているが、夏菜子には分かった。


「無理だけはしないでね」


 夏菜子がそう言うと美帆は小さく微笑んだ。そして、お客さんが訪れると、語調を整えてから、いらっしゃいと明るく言った。


 十九時。閉店準備も終えて、美帆は帰る支度をしていた。すると、夏菜子さんはあるものを手に持って駆け寄ってきた。


「美帆ちゃん、これあげる。ネロリのアロマオイルなんだけどね。心が疲れた時に嗅ぐと安らぐのよ。湯舟に垂らしてもいいし、枕とかにつけて寝るとぐっすり眠れるのよ」


 花住には花だけでなく、アロマオイルも売っていた。専用のコーナーもあり、そこにはいろんな種類のアロマオイルが置いてある。お客さんの要望に応えて調合することもできる。


「ありがとうございます。早速、今日使わせてもらいます」


 美帆は、嬉しそうに夏菜子さんにお礼を言うと。アロマオイルの瓶が入った、ピンクのリボンが可愛らしい透明の包みを見て、口角を上げた。


「じゃぁ、今日もお疲れ様。気を付けて帰ってね」


 夏菜子さんは、そう言って店奥に戻っていった。


「お疲れ様です」


 そして、美帆は家路についた。顔が冷たい。マフラーを目元の方まで覆い、寒さをしのいだ。今日は一段と冷え込んでいる。昼とは大違いだ。美帆は足早に自宅に向かった。


 早速、美帆は自宅に帰ると、風呂を沸かし、湯舟にオイルを垂らしてみた。少し甘く、優雅でフローラルな香りが風呂場に漂いだした。心が一瞬、洗われていくのが分かった。崩れかけている形が、ほんの少しだけ静止している気がする。美帆は湯舟の中に顔ごと潜った。音が聞こえる。――水の音? 近くで響いている。なにか落ち着く。このまま浴槽の底が抜け落ちて、どこまでも深く沈んでいってみたい。誰の助けもいらない。底もなく、止まることもなく、このままずっと奥深くへ。


 お湯を掻きわけるように大きな音を立て、もがく様に美帆は顔を上げた。現実に戻った。美帆の気息は緩やかに戻っていった。


 風呂を出て、髪を乾かし。いつもの時間に猫が窓際で爪を鳴らしてきた。窓を開けると、ひんやりとした空気が美帆の火照った頬を冷やす。猫に餌を与えると、前に月があることに気が付いた。美しい月だ。手を伸ばしたら掴めるんじゃないかと、美帆は窓から上半身を乗り出して右手を伸ばしてみた。ゆっくり月に手を近づける。その時だった、下から男の素っ頓狂な声が聞こえた。


 「お腹空いてんのか? ん?」


 黒猫はいつの間にか男に抱きかかえられていた。


 「今、あげたから平気よ」


 美帆はそう言うと、男はまごつくように狼狽していた。その反応が面白くて美帆はつい笑ってしまった。男はそんな美帆を見て、恥ずかしそうにはにかんでいた。

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