Ep.08 最初の数人のみが報酬を受け取れる。
2012年1月12日、午後9時18分。
「……一度読むと消える詩、ねえ」
僕はモニターに表示された英文を読み返した。
昨夜、エヴァから送られてきたワルシャワのポスター。そこに載せられたQRコードをきっかけに、僕たちは2種類の書籍暗号を見つけた。
1つは全29巻のブリタニカ百科事典を示しているらしいのだが、もう1つが今調べている奇妙な詩だった。
A poem of fading death, named for a king
Meant to be read only once and vanish
Alas, it could not remain unseen.
――死と消失を思わせる、王の名を冠した詩。
――一度だけ読まれ、消えるはずだった。
――しかし、人目に触れずに終わることはできなかった。
最初は古代の王にまつわる詩かと思ったが、それらしい作品は見つからなかった。そもそも、一度読んだら消えるというのがよく分からない。
「……消えるって、何が?」
紙に書かれた文字なら、読むたびに消えていくなんて普通はあり得ない。もちろん特殊なインクを使えば不可能ではないだろうが、それにしては妙な言い回しだった。
僕は検索欄に入力しかけていた文字を消した。
……待てよ。
別に紙とは書いていない。
電子データならどうだろう。プログラムで文章を表示させ、読み終えたあとに削除する。そんな仕組みなら作れるはずだ。
試しに《self-erasing poem》と検索してみた。
検索結果を眺めていると、ある作家の名前が目に留まった。
William Gibson。
「……ギブソン?」
思わず記事を開いた。
ウィリアム・ギブソンといえば、『ニューロマンサー』を書いたSF作家だ。僕も以前読んだことがある。サイバースペースという言葉が似合う、あの独特な世界観が好きだった。
ところが今回見つけたのは、小説ではなかった。
『Agrippa (A Book of the Dead)』
1992年に発表された、電子媒体を利用した詩の作品らしい。
「……アグリッパ?」
僕は紹介記事を読み進めた。
作品にはフロッピーディスクが使われていて、詩を一度表示すると、その後は再び読めないように設計されていたという。付属する美術書にも、光によって薄れていく特殊な加工が施されていたらしい。
「うわ、すご……」
思わず声が漏れた。
一度読むと消える詩。
これほど条件に合う作品があるとは思わなかった。
しかも題名の《Agrippa》は、古代ローマの人物名でもある。王の名前という表現とは完全には一致しないが、手がかりとしてはかなり有力だろう。
僕は早速、チャットルームへ戻った。
NIL:I think I found the poem. Agrippa, by William Gibson.
――詩を見つけたと思う。ウィリアム・ギブソンの『アグリッパ』だ。
数秒後、エヴァから返信が届いた。
EWA_N:Why Agrippa?
――どうしてアグリッパなの?
僕は作品の仕組みを簡単に説明した。一度表示すると読めなくなる電子的な詩であること、そして1992年に実際に発表されている作品だということ。
アレックスも会話に加わった。
WALKER:That's a very good match.
――かなり有力な候補だな。
「……でしょ?」
もちろん、声に出しただけだ。相手には聞こえていない。
ところが、続けて届いたエヴァのメッセージで、少し浮かれた気分が引っ込んだ。
EWA_N:Can you actually decode the book cipher with it?
――それを使って、実際に書籍暗号を解ける?
「……ですよねえ」
そうだった。
本の候補を見つけたところで、暗号が解けなければ意味がない。
僕は『アグリッパ』の全文を探し始めた。作品そのものは特殊な仕組みで作られていたが、文章の転写はインターネット上に残されているらしい。
幸い、いくつかのテキストを見つけることができた。
ただし、問題もあった。
「……また改行か」
ページによって、文章の区切り方が違うのである。
あるサイトでは1行になっている部分が、別のサイトでは途中で折り返されている。空白の数も一定ではない。
数日前、『泉の貴婦人』を使った書籍暗号で苦労したばかりだというのに、まさかまた同じ問題にぶつかるとは。
僕は候補のテキストを保存し、行数と文字数を比較するプログラムを作った。
暗号には、1:5や152:24といった数字の組が並んでいる。前の数字を行番号、後ろの数字を文字の位置として扱えば、文章から指定された文字を抜き出せるはずだった。
ただ、今回は数字の間に妙な指示が混ざっていた。
the product of the first two primes
――最初の2つの素数の積。
この指示が、22個の指定の中に2回現れている。
「……2掛ける3だから、6か」
普通に考えれば、これは数字の6をそのまま出力する指示だろう。
だが、そうだとすれば、わざわざ文章で書いている理由が気になる。
書籍暗号で取り出すのは基本的に文字だ。そこへ数字を混ぜたいから、別の指示を用意したのかもしれない。
僕はプログラムにその処理を追加し、最初のテキストを読み込ませた。
結果は意味不明。
次のテキストでも試してみる。
こちらも外れだった。
「……うーん」
改行の位置を変えたり、空白の扱いを変えたりしてみたものの、まともな英文は出てこなかった。
時計を見ると、もう午後11時を過ぎている。
明日も学校だというのに、ずいぶん時間を使ってしまった。
「……本は合ってると思うんだけどな」
僕は椅子の背もたれに身体を預け、画面を眺めた。
作品の特徴は一致している。数字の形式も、これまで解いてきた書籍暗号とよく似ている。
となれば、やはり問題は使用するテキストなのだろうか。
そのとき、チャットに通知が届いた。
エヴァだった。
EWA_N:I found another transcription. Sending it now.
――別の転写テキストを見つけたわ。今送る。
「……おっ」
僕は送られてきたファイルを開いた。
先ほどまで使っていた文章と比較すると、内容はほとんど同じだったが、改行や空白の位置に違いがある。
すぐに解析用のプログラムへ読み込ませた。
結果を確認する。
「…………」
やはり意味不明だった。
「……駄目かあ」
今度こそ当たりかと思ったのに。
僕はもう一度、暗号の数字を見直した。
今回の指定は22個。途中に数字の6を2つ挟むなら、出力結果にはアルファベットと数字が混ざることになる。
それなのに、僕はさっきから普通の英文ばかり探していた。
「……あれ?」
もしかして、そもそも答えは文章ではないのかもしれない。
例えば、URLだったらどうだろう。
アルファベットと数字が混ざっていても不自然ではないし、22文字という長さもあり得る。
そう考えると、さっきまで意味不明に見えていた文字列が少し違って見えた。
僕は抽出結果の後半を確認した。
「……これ、ドメイン名になるんじゃないか?」
今度は英単語として読めるかどうかではなく、アドレスとして成立するかを調べることにした。
複数の転写テキストを並べ、文字のずれている位置を確認する。どの行が違っているのか、元の文章ではどう区切られていたのか。候補を1つずつ絞っていく。
エヴァが送ってくれたテキストも、ようやく役に立ち始めた。
しばらく作業を続け、最後の修正を加える。
「……頼むぞ」
Enterキーを押した。
画面に、22文字の文字列が表示された。
sq6wmgv2zcsrix6t.onion
「…………」
僕は思わず身を乗り出した。
見覚えのある末尾だった。
「……onion?」
.onion。
Torという匿名通信ネットワークで使われる、特殊なアドレスだ。
Torは通信を複数の中継地点へ通す仕組みで、接続元や通信先を特定されにくくするために利用される。こうしたアドレスは、通常のブラウザから直接開くことができない。
「……なるほど、今度はTorか」
僕はもう一度、復号した文字列を確かめた。
アルファベットと数字の並びも、アドレスとして不自然ではない。
もちろん、実際に接続できるか試すまでは確定できないが、今までの結果と比べればずっと有力だった。
「……よし!」
思わず小さく拳を握った。
苦労した甲斐があった。
僕はチャットルームへ戻り、結果を共有した。
NIL:I solved the Agrippa book cipher.
――アグリッパの書籍暗号を解いた。
エヴァからすぐに返事が届いた。
EWA_N:Already? What's the result?
――もう? 結果は何だったの?
僕はアドレスと、使用したテキストを送った。
それから、英単語ではなくURLを想定して調べ直したことも説明する。
アレックスも反応した。
WALKER:I was still working on the line breaks. How did you get it?
――こっちはまだ改行を調べていたところだ。どうやって解いた?
NIL:I stopped looking for English words. It was an address.
――英単語を探すのをやめたんだ。答えはアドレスだった。
EWA_N:That's clever. Very clever.
――見事ね。本当に。
エヴァからの返信を見て、思わず頬が緩んだ。
学校では数学の問題が解けても、誰かがそこまで喜んでくれることはあまりない。けれど、ここでは違った。
僕が見つけた答えを、同じ問題に取り組んでいる人たちが評価してくれる。
単純なことだが、やっぱり嬉しい。
WALKER:I knew you would find a way through.
――君なら突破すると思っていたよ。
アレックスからも、そんなメッセージが届いた。
「……へへ」
僕は少し笑ってから、Torの接続環境を確認した。
次は、実際にこのアドレスへアクセスしてみる番だ。
ブラウザへ文字列を入力し、接続を試みる。
しかし、しばらく待ってもページは表示されなかった。
「……あれ?」
入力ミスだろうか。
アドレスをコピーし直し、もう一度試してみる。
結果は変わらない。
「……え、ちょっと待って」
ほかのTorの接続先には問題なくアクセスできる。どうやら、自分の環境だけが原因ではなさそうだった。
チャットに戻ると、アレックスからメッセージが届いていた。
WALKER:I can't reach it either.
――こっちからも接続できない。
エヴァも同じらしい。
EWA_N:Same here. It may already be closed.
――私も駄目。もう閉鎖されているのかもしれない。
「……閉鎖?」
僕は画面を見つめた。
そういえば、ポスターから取り出したメッセージには、最初に到達した少数の人間だけが次へ進めることを示唆する文章があった。
つまり、正しく解けば誰でも最後まで参加できるというわけではないのかもしれない。
「……嘘でしょ」
もう一度接続を試す。
それでも、ページは表示されなかった。
僕は椅子の背もたれに身体を預けた。
ようやく見つけたアドレスだった。
文章を探し、改行を調べ、数字を1つずつ検証して、やっとここまで来た。それなのに、接続先はもう存在しないかもしれない。
「……マジかあ」
思わず天井を仰いだ。
悔しい。
暗号そのものは解けたはずなのに、その先を見ることができない。
しばらくして、エヴァから新しいメッセージが届いた。
EWA_N:Some people got through before us.
――私たちより先に到達した人たちがいるみたい。
さらに別の参加者からも情報が共有された。
どうやら、Torの接続先にはメールアドレスを入力するためのページがあったらしい。登録できたという報告もあるが、その後に何が起こったのかは分からないという。
僕はその内容を読み、少し考えた。
メールアドレスを登録させるということは、そこから先は出題者と個別に連絡を取る仕組みだったのだろうか。
もしそうなら、選ばれた人たちだけが次の問題を受け取っている可能性もある。
それでは、外から調べるのは相当難しそうだった。
「……どうするかな」
ここで終わりにすることもできる。
そもそも、僕は何かの報酬が欲しくて参加したわけではない。面白そうな暗号を見つけたから、解いてみたかっただけだ。
けれど、最初の画像に書かれていた文章が、どうしても気になっていた。
高度な知性を持つ人間を探している。
最後まで到達した、ごく少数の人間を待っている。
そこまでして、いったい何をしようとしているのだろう。
僕はチャットへ戻った。
NIL:Then let's find out what happened to the people who got in.
――だったら、先に入れた人たちがどうなったのか調べよう。
アレックスから返事が届いた。
WALKER:You never give up, do you?
――君は本当に諦めないな。
NIL:Not when it's this interesting.
――こんなに面白い問題ならね。




