Ep.09 小さな違和感
2012年1月16日、午前8時19分。
週明けの教室は、相変わらず騒がしかった。
窓際では男子が週末に遊んだゲームの話をしていて、教室の後ろからは女子たちの笑い声が聞こえる。僕はといえば……そのどちらにも加わらず、自分の席でノートを開いていた。
ページの隅には、昨夜まで調べていたCicada 3301の情報が書き込まれている。
「……何がしたいんだろうな」
ここ数日、ずっと考えていることだった。
出題者は、数学や暗号、プログラミングに関する知識を要求するだけでなく、世界各地にポスターまで設置していた。明らかに、かなりの手間と費用がかかっている。
それなのに、先に到達した少数の参加者だけを次へ進ませ、ほかの解読者には何の説明もない。
単に優秀な人間を集めたいなら、もっと簡単な方法がありそうなものだ
「おい、相沢」
「……えっ?」
顔を上げると、クラスの男子が立っていた。
「そこ、通っていい?」
見れば、僕の足が通路にはみ出していた。
「あっ、ごめん」
慌てて椅子を引くと、男子は「サンキュ」と言って通り過ぎていった。
その後ろから、小さな声が聞こえる。
「相沢、また何か計算してたな」
「数学好きなんじゃね?」
「あいつ毎朝やってるよな」
僕はノートを閉じた。
聞こえてはいるが、振り返るほどのことでもない。実際、毎朝変な数字を書いているのは事実だった。
ただ、できればもう少し小さい声で話してほしい。
鞄から読みかけのライトノベルを取り出す。表紙には赤い瞳の少女が描かれていて、去年から続きを楽しみにしていた作品だ。
数ページ読んだところで、今度は聞き慣れた声がした。
「相沢、いたいた」
早瀬だった。
「ああ、早瀬か、おはよ」
「おう。ゲーム持ってきた?」
「うん、今日はちゃんと」
僕がケースを取り出すと、早瀬は受け取って中身を確認した。
「サンキュ。面白かった?」
「面白かったよ。最後のボス戦とか、なんか」
「ちょまった! 俺ってばまだそこまで行ってねえから、ネタバレすんなよな」
「……あ、ごめんそうだった」
危ないところだった。
早瀬は笑いながらケースを鞄へしまった。
「ま、クリアしたら話そうぜ。たぶん今週中には終わっからさ」
「了解」
「つか、今日は寝不足じゃなさそうだな」
「昨日はちゃんと寝た」
「珍しーな」
「僕だって寝るときは寝るって」
「そりゃそうだろ」
そんな話をしていると、早瀬が後ろから呼ばれた。彼は軽く手を上げてそちらへ向かい、僕は再び本を開く。
✳︎ ✳︎ ✳︎
午前10時46分。
3時間目の現代社会で、菅野先生が黒板に〝情報と社会〟と書いた。
「今日はちょっとした調べ学習をやる。テーマは、情報をどうやって確かめるか、だ」
先生は新聞記事や統計資料、インターネット上の情報などを例に挙げた。班ごとに資料を集め、内容を比較して、次の授業で簡単に発表するらしい。
「4人ずつ。近くの席で組んでくれ」
その一言で、僕は少し困った。
こういう活動は、あまり得意ではない。
調べること自体は好きだし、資料をまとめるのも苦にならない。けれど、誰と組むかを決めるところから始まると、途端に難しくなる。
隣の男子はすでに友達と机を寄せていた。後ろの席でも、何人かが声を掛け合っている。
僕は席を立ちかけ、そのまま止まった。
……どうしよう。
「相沢」
先生に呼ばれた。
「桐生のところ、3人だな。そこに入ってくれ」
「……はい」
よりによって、桐生さんの班だった。
僕が机を動かしていくと、桐生さんが顔を上げた。
「あ、相沢くん。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
「……また敬語?」
桐生さんは少し笑った。
「あっ、いや、よろしく……」
どうして毎回こうなるのだろう。
班には桐生玲奈さんと本田真琴さん、それからもう1人の女子がいた。3人とも普段話さない相手なので、正直、どこに目を向ければいいのか分からない。
僕はひとまず、配られたプリントを机に置いた。
「テーマどうする?」
本田さんが言った。
「ネットのデマとか?」
「それでもいいけど、範囲広くない?」
桐生さんはプリントを見ながら少し考えた。
「去年の地震のとき、いろんな情報が出回ったじゃん。そういうのを比べるのはどうかな」
「ああ、確かに」
「日本と海外でニュースの内容が違うか、とか?」
3人の間で話が進んでいく。
僕は口を挟むタイミングを見つけられず、ひとまずノートに調査項目を書き始めた。
やがて本田さんがこちらを見た。
「相沢くん、調べ物とか得意?」
「えっ? あ、うん。まあ……」
「じゃあ、資料探すのお願いしてもいい?」
「う、うん。大丈夫」
役割が決まって、少し安心した。
僕は学校のパソコンで資料を探し始めた。国内の記事をいくつか確認してから、海外の報道にも目を通す。
しばらくして、班で使おうとしていた2つの資料に気になる点が見つかった。
「あの……」
声をかけると、桐生さんが振り返った。
「どうしたの?」
「これ、比較するのはちょっと難しいかも」
「え、そうなの?」
僕は画面を示した。
「こっちは地震から24時間以内の情報をまとめたものなんだけど、こっちは72時間後の集計なんだ。調べてる対象も違うから、そのまま割合を比べても正しくないと思う」
「……ああ」
桐生さんは画面を見比べた。
「つまり、集めた時期が違うってこと?」
「うん。それに対象も違うから、条件を揃えた方がいいかなって」
本田さんが横から画面を覗き込む。
「じゃあ、その2つは使わない方がいい?」
「そうだね。ほかの資料を探した方がいいと思う」
「そっか。じゃあお願いしていい?」
「うん」
そこで会話が終わり、僕は少し拍子抜けした。
いつもなら、余計な専門用語を使って説明が長くなってしまう。今回はそれを意識して、必要なことだけ話したつもりだった。
どうやら、ちゃんと伝わったらしい。
僕は条件の近い資料を探し直し、使えそうな記事を3つほど見つけた。そのうち1つは海外のニュースサイトだった。
「あれ、これ英語?」
本田さんが言った。
「うん。海外の記事だから」
「読めるの?」
「……一応」
「すご。私、これ全部読むの無理なんだけど」
僕は何と答えればいいのか迷った。
「……必要なところなら、日本語にまとめるよ」
「あ、助かる」
その横から、桐生さんも画面を見た。
「相沢くん、英語も得意なんだね」
「えっ。あ、いや、そんな……」
「海外のサイトとかよく見るの?」
「ま、まあ、ちょっと……」
嘘ではない。
むしろ毎日のように見ている。
「へえ。私、英語の記事なんて全然読まないから」
桐生さんはそう言って笑った。
僕も何か返そうとしたが、適当な言葉が出てこなかった。仕方なく曖昧に笑うと、彼女はまた本田さんとの相談へ戻っていった。
……危なかった。
何が危なかったのかは、自分でもよく分からないけれど。
その後は資料の内容を整理し、発表で使う項目を分担した。僕は海外の記事を日本語で要約する担当になった。
授業の終わりが近づいたころ、桐生さんがこちらを向いた。
「相沢くん、さっきの資料、次の時間までにまとめてもらっても大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
「ありがと。助かる!」
「……あ、うん」
桐生さんは小さく笑い、机を元の位置へ戻し始めた。
僕も慌てて立ち上がる。
特別なことをしたわけではない。ただ、言われた資料を探して、少し説明しただけだ。
それでも、いつもの授業よりは悪くなかった気がした。
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午後4時12分。
帰り道、僕は駅前の書店に寄って、新刊の漫画を1冊買った。
外へ出ると、冬の冷たい空気が頬に当たる。
「……なんか疲れたな」
思わず独り言が漏れた。
普段なら、1時間近く暗号を調べていても大して疲れない。けれど、今日の班活動では、何を話すか考えるだけで妙に神経を使ってしまった。
数学や暗号なら、正しい手順を見つければ答えに辿り着ける。
しかし、人との会話はそうはいかない。相手が何を考えているのか分からないし、自分の言い方が正しかったのかも、あとから考えてしまう。
それでも今日は、少しだけ手応えがあった。
説明が伝わって、仕事を任されて、最後には礼を言われた。
まあ、たったそれだけのことだ。
だけど、あの教室で自分の得意なことが役に立ったのは、少し嬉しかった。
僕は買った漫画を鞄へしまい、家へ向かって歩き始めた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
午後8時37分。
夕飯と風呂を済ませてからパソコンを起動すると、エヴァの調査グループに新しい書き込みがいくつか届いていた。
Torの接続先は、相変わらず閉じたままだった。先に到達した人たちが何をしているのかも、まだ分からない。
ただ、ポスターについての資料は少しずつ増えている。世界各地で撮影された写真を比較し、誰がどの場所で何を見つけたのか、エヴァが整理を進めていた。
僕がログを読んでいると、アレックスから個別メッセージが届いた。
WALKER:NIL, have you had any luck finding out who runs this?
――NIL、運営者について何か分かったか?
NIL:Nothing definitive. But I don't think this was just a puzzle.
――確かなことは何も。でも、ただの謎解きってわけじゃない気がする。
WALKERWhat makes you say that?
――どうしてそう思う?
僕は少し考えた。
最初の画像から、ここまでの流れを思い返す。
古典暗号、画像解析、書籍暗号、素数、電子署名、匿名通信。それぞれ必要な知識は違っていたが、共通しているのは、問題の指示が直接的ではないことだった。
何を使うべきなのか、どこを調べるべきなのか、参加者自身が判断しなければならない。
さらに途中からは、世界各地にポスターが設置され、個人の知識だけでは調べられない問題も出てきた。
つまり、単に暗号を解けるかどうかだけではなく、情報を集め、ほかの人間と協力できるかどうかも重要になっている。
僕はその考えを、アレックスに送った。
NIL:They forced us to work across borders, then limited who could enter. I think they're testing more than intelligence.
――国境を越えて協力する必要がある問題を出しておきながら、最後は入れる人数を制限した。知能以外のものも試している気がする。
WALKER:Such as?
――例えば?
NIL:Maybe how we handle information. Who we trust. What we choose to share.
――情報をどう扱うか。誰を信用するか。何を共有するか、とかね。
送信してから、僕は少し考え込んだ。
とはいえとはいえ、あくまで仮説だ。出題者が何を考えているのか、確かめる方法は今の所ない。
ただ、ここまで手間をかけている以上、単に難しい問題を解かせたいだけとは思えなかった。
しばらくして、アレックスから返信が届いた。
WALKER:That's an interesting theory. We still don't know what happens after selection, though.
――興味深い仮説だ。ただ、選ばれた後に何が起きるのかは、まだ分からないな。
「……そこなんだよなあ」
僕は小さく呟いた。
選ばれた人たちは、その後どうなったのだろう。
新しい問題を受け取ったのか。それとも、何か別のことを求められたのか。
そこまで調べなければ、この謎は終わらない気がしていた。
そんなことを考えていると、調査グループにエヴァからメッセージが届いた。
EWA_N:I've organized all the poster photographs and their metadata. Something doesn't match.
――ポスターの写真と付随情報を整理したの。どうも一致しないものがある。
「……ん?」
僕は添付されたファイルを開いた。
世界各地のポスター写真と、その撮影日時、位置情報、画像の詳細が一覧表になっている。
最初は、特におかしなところは見つからなかった。
だが、同じ場所で撮影されたという2枚の写真を見比べているうちに、少し気になる点があった。
街灯の位置は同じ。
歩道の形も、ほとんど一致している。
なのに、背景に写っている建物が違って見えた。
「……あれ?」
僕は2枚の写真を見比べ、同じ大きさに調整した。
片方の写真では、街灯の後ろに四角い窓が並んだ建物が写っている。もう片方では、その窓の並び方が微妙に違うように見えた。
もちろん、撮影した角度が違えば建物の見え方も変わる。写真が縮小された際に、細部が潰れている可能性もある。
それでも、少し気になった。
僕が画像を重ねて確認していると、エヴァから続けてメッセージが届いた。
EWA_N:I thought it was a mistake in the location data. But both photographers insist they were standing at the same spot.
――位置情報の間違いだと思ったんだけど、撮影した2人とも同じ場所に立っていたと言っているの。
僕はもう一度、写真を見比べた。
同じ街灯。同じ通り。
その背後にある、少し違って見える建物。
「……うーん」
まずは撮影条件の違いを疑うべきだろう。レンズの焦点距離や撮影角度が違えば、同じ場所でも写真の印象は変わる。
ただ、それだけで説明できるかどうかは、きちんと調べてみないと分からない。
僕は画像を保存し、解析用のソフトウェアを起動した。




