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Cicada 3301 〜 紡がれた最後の記録 〜  作者: LALA
第2章 偽りの救世主
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23/25

Ep.22 NILを名乗る男


 2012年7月26日。

 夏休みに入って、まだ6日しか経っていない。

 それなのに、早瀬航はすでに宿題のことで騒いでいた。

 『相沢、数学どこまで終わった?』

 『半分くらい』

 『は?』

 『何?』

 『裏切り者』

 『何を裏切ったの?』

 『夏休みを楽しもうという……俺たちの漢と漢の約束だよ!』

 そんな約束はしていない。そもそも、僕が宿題を半分終わらせたところで、早瀬の夏休みに何の影響があるのだろう。

 『早瀬はどこまで終わった?』

 『名前は書いた』

 『お疲れさま』

 『もっと褒めろよ』

 僕はスマートフォンを置き、数学の問題集に戻った。

 夏休みの宿題は、早めに終わらせた方がいい。去年の8月31日にそれを学んだ。もっとも、去年も同じことを考えていた気がするけど。

 ところが、数分もしないうちに早瀬からまた連絡が来た。

 『そういやニュース見た? NILってやつ』

 「……ん?」

 思わず手が止まった。

 『暗号の人?』

 『そう。取材受けるらしいぞ』

 『取材?』

 『なんか本人が見つかったんだって』


 ……いや、待ってほしい。


 本人なら、今まさに数学の問題集を開いている。

 僕は早瀬から送られてきたニュース記事を確認した。


 "NIL HAS AGREED TO AN INTERVIEW?"

 ――NILが取材に応じることに同意した?


 記事によると、サン・ルシオ災害に関する調査を進めていた記者が、NILを名乗る人物と接触したらしい。

 その人物はアメリカ在住の男性で、近日中に取材を受ける予定だという。


 "His identity has not been independently verified."

 ――本人であることは、第三者によって確認されていない。


 「……誰?」

 僕は記事をもう一度読んだ。

 何かの勘違いかと思ったけど、どうやらそうではないらしい。その男性は自分こそがNILだと主張しており、サン・ルシオ災害のあとに活動を休止したとも説明していた。

 そこまで僕と同じだった。

 NILという名前は公開掲示板で使っていたものだから、誰でも知っている。僕が6月から活動をやめていることも、投稿履歴を見れば分かる。

 つまり、誰でもNILを名乗れてしまう。

 ……いや、名乗っていいかは別だけど。

 コメント欄では、早くも議論が始まっていた。


 "Has he posted from the original NIL account?"

 ――元のNILのアカウントから投稿したのか?


 "No. He says he no longer uses it."

 ――いや。もう使っていないそうだ。


 "Then how can he prove he's NIL?"

 ――それなら、どうやって本人だと証明するんだ?


 ごもっともである。

 僕は自分のアカウントを開こうとして、やめた。

 元のアカウントから一言書き込めば、少なくともこの話が怪しいことは伝えられる。

 ただ、それをすれば僕が戻ってきたことも世界中に知られてしまう。

 サン・ルシオのあと、アレックスたちのチャットにもほとんど顔を出していない。記者から届いた質問にも答えていなかった。

 そんな状態で、いきなり公開掲示板に戻るのは気が重い。

 『見た?』

 早瀬から催促が来た。

 『うん。まだ本人か分からないみたい』

 『でもすげえよな。俺、絶対おっさんだと思ってた』

 『どうして?』

 『だって世界中の暗号解いてんだろ?』

 『……そうだね』

 『お前も暗号好きなんだし、挑戦してみれば?』

 『僕には難しいと思う』

 『お前、頭いいくせにそういうとこ謙虚だよな』

 ……別に謙虚なわけじゃない。

 僕は返信を終えると、もう一度記事を開いた。

 NILを名乗る男。

 有名になりたいだけなのか、それとも別の目的があるのか。

 いずれにしても、ずいぶん面倒な人が現れたものだ。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 2012年7月27日。

 翌日には、NILを名乗る人物の記事がいくつも増えていた。

 しかも、今度は本人とされる男性の発言まで掲載されている。


 "Solving a cipher is not the same as understanding its consequences."

 ――暗号を解くことと、その結果を理解することは同じではありません。


 "San Lucio showed us how dangerous an incorrect interpretation can be."

 ――サン・ルシオは、誤った解釈がどれほど危険かを私たちに教えました。


 僕は思わず眉をひそめた。

 言っていること自体は、間違っていない。

 あの暗号に書かれていた日付や座標は、実際に起きた出来事と関係していた。けれど、僕たちはその意味を正しく理解できなかった。

 ただし、記事を読んでいると、まるでその男性自身が僕たちと一緒に暗号を解いていたような書き方になっていた。

 そんな人間がいた覚えはない。

 記事の下には、匿名掲示板で見覚えのある研究者たちのコメントも紹介されていた。

 本人だと証明できるものがない以上、発言内容が正しくても身元を認めることはできない。

 そういう指摘だった。

 当然だと思う。

 でも、一般の読者の反応は少し違っていた。


 "At least he's taking responsibility."

 ――少なくとも、責任を受け止めようとしている。


 "I hope he continues his work."

 ――これからも活動を続けてほしい。


 "We need someone who can understand the next warning."

 ――次の警告を理解できる人が必要だ。


 僕は最後のコメントをしばらく見つめた。

 次の警告。

 そんなものが本当にあるのかは、まだ分からない。

 けれど、Cicadaの問題は終わっていない。僕たちが解けていない暗号も、調べきれていない資料も残っている。

 もし次に何か見つかったら、また誰かが解読しようとするだろう。

 ……僕が参加しなくても。

 そのとき、アレックスからメッセージが届いた。


 WALKER:Have you seen the reports about NIL?

 ――NILについての記事は見たか?


 WALKER:Someone is claiming to be you. We haven't been able to verify anything he's said about his identity.

 ――君を名乗っている人物がいる。今のところ、本人だという主張を裏付けるものは確認できていない。


 アレックスも気づいていたらしい。

 続けて、もう1通。


 WALKER:I'll challenge the claim publicly if necessary. You don't need to respond.

 ――必要なら、こちらから公に疑義を示す。君は返事をしなくていい。


 僕はメッセージを読んで、少しだけ安心した。

 アレックスは、僕が返事をしていない間も気にかけてくれている。

 チャットを開けば、いつでも話せるのだろう。

 ただ、ソフィアやほかのみんなの名前を思い浮かべると、今はまだ気軽に戻れなかった。

 僕は返信しようか迷ったあと、画面を閉じた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 2012年7月29日。

 日本時間、午前10時。

 NILを名乗る人物が、ついにオンライン会見を開いた。

 僕は自室のパソコンで、その中継を見ていた。

 会見場はアメリカの小さな貸会議室らしい。集まった記者たちの前に、30代くらいの男性が現れた。

 茶色の髪を短く整え、紺色のジャケットを着ている。特に目立つ格好ではなかったけど、カメラの前でも落ち着いていた。


 "Good morning. My name is Leon Gray."

 ――おはようございます。レオン・グレイと申します。


 画面の下にプロフィールが表示される。

 レオン・グレイ。35歳。アメリカ出身のソフトウェア技術者で、独立研究者。

 ……まったく知らない人だった。

 最初の質問は、当然ながら本人確認についてだった。

 

 "Mr. Gray, are you claiming to be the cryptanalyst known online as NIL?"

 ――グレイさん。あなたは、インターネット上でNILとして知られている暗号解読者本人だと主張しているのですか?


 "Yes. That's correct."

 ――はい。そのとおりです。


 「……いや、違うけど!?」

 僕は思わず画面に向かって突っ込んだ。

 いやまあ、聞こえるわけがないんだけど。

 続けて、別の記者が質問した。


 "Can you prove that you controlled the original NIL account?"

 ――元のNILのアカウントを使っていたことを証明できますか?


 レオンは少しも慌てなかった。


 "That's a fair question. But after San Lucio, I decided to leave those accounts behind."

 ――当然の質問です。しかし、サン・ルシオのあと、私は以前のアカウントを使わないことに決めました。


 "Why not log in just once to confirm your identity?"

 ――本人確認のために、一度だけログインすることはできませんか?


 "Because I don't believe returning to that environment would help anyone. I would rather be judged by the work I do from this point forward."

 ――以前の環境に戻ることが誰かの助けになるとは思わないからです。それよりも、これからの活動で判断していただきたい。


 ……なるほど。

 ずいぶん上手な答え方だと思った。

 本人確認を避けているのに、まるで前向きな決断をしたように聞こえる。

 もちろん、納得していない記者もいたけど、レオンはその後も落ち着いて質問に答え続けた。

 Cicadaの初期問題について聞かれると、画像に隠されたメッセージや書籍暗号について説明した。解法自体はすでに公開されているものだったけど、内容は正確だった。

 少なくとも、暗号について何も知らない人間ではないらしい。

 むしろ、説明はかなり上手だった。

 専門用語を使いすぎず、初めてCicadaを知った人にも理解できるように話している。

 ……こういうところは、ちょっと羨ましい。

 僕だったら、記者が10人も並んでいたら、それだけで帰りたくなると思う。

 けれど、会見の雰囲気が変わったのは、サン・ルシオについての質問が出たときだった。


 "Mr. Gray, 418 people died in San Lucio. Do you accept any responsibility for what happened?"

 ――グレイさん。サン・ルシオでは418人が亡くなりました。あなたは、あの出来事について何らかの責任を認めますか?


 レオンはすぐには答えなかった。


 "First, I want to express my condolences to everyone who lost someone in San Lucio."

 ――まず、サン・ルシオで大切な人を失ったすべての方々に、哀悼の意を表します。


 それから、少し間を置いて続けた。


 "We solved the message. But we didn't fully understand it. That distinction matters."

 ――私たちは暗号を解きました。しかし、その意味を完全には理解できていなかった。その違いが重要なのです。


 僕は画面を見つめた。

 私たち……

 彼は確かにそう言った。

 あのとき、僕たちと一緒に暗号を解いていたかのように。


 "And what did you believe 'remain there until the second silence' meant?"

 ――では、「2度目の静穏までそこに留まれ」という一文を、どう解釈していたのですか?


 その質問を聞いて、僕は思わず姿勢を正した。

 数日前、チリの調査記者から僕に届いた質問と、まったく同じだった。

 レオンは答えた。


 "At the time, I believed it referred to a period of stability following the initial event."

 ――当時は、最初の現象のあとに訪れる安定した期間を指していると考えていました。


 "And now?"

 ――今は?


 "I believe that interpretation was incomplete."

 ――その解釈は不十分だったと考えています。

 僕は首を傾げた。


 間違った説明ではない。

 実際、似た解釈は僕たちも検討していた。ただし、それだけでは確定できないからこそ、最後まで議論していたのだ。

 レオンの答えには、公開されている記事以上の情報がなかった。

 記者がさらに尋ねる。


 "So what would you do differently next time?"

 ――では、次に同じようなことが起きたら、何を変えますか?


 "I wouldn't leave the decision to a handful of people working anonymously online."

 ――匿名で活動する少数の人間だけに、判断を任せることはしません。


 レオンはそこで、初めて今後の計画について話し始めた。

 暗号解読に詳しい技術者と、地球科学や防災の専門家を集めること。暗号の内容を独立して検証し、必要なら行政機関へ適切な情報を提供できる仕組みを作ること。


 "We need a system that can turn information into responsible action."

 ――情報を、責任ある行動につなげる仕組みが必要なのです。


 僕は少し驚いた。

 思っていたより、ずっとまともな話だったからだ。

 正直、偽物が会見を開くなんて、単に有名になりたいだけだと思っていた。

 でも、レオンは具体的な協力体制まで考えているらしい。


 "Are you announcing a new organization?"

 ――新しい組織を設立するということですか?


 "We're still in the early stages. But yes, that's the direction we're moving in."

 ――まだ初期段階ですが、その方向で進めています。


 コメント欄が一気に賑やかになった。


 "This is exactly what we need."

 ――まさに必要な取り組みだ。


 "He's making sense."

 ――言っていることは筋が通っている。


 "He still hasn't proved he's NIL."

 ――まだNIL本人だと証明していない。


 "Does that really matter if his plan works?"

 ――計画が成功するなら、本人かどうかは本当に重要なのか?


 「……いや、重要でしょ」

 僕はつい口に出した。

 そこは重要だと思う。

 少なくとも、僕にとっては。

 けれど、会見を見ている人たちの関心は、少しずつ変わっていた。

 レオンがNIL本人なのかどうかよりも、彼が次に何をするのか。

 そちらに注目が集まっている。

 会見の終盤には、研究者や企業から協力の申し出があったことも明かされた。

 どうやら、単なる思いつきではなかったらしい。


 "No single person should have to carry this responsibility alone."

 ――この責任を、たった1人に背負わせるべきではありません。


 その言葉で、会見は締めくくられた。

 中継が終了すると、僕はしばらく考えた。

 ……困った。

 レオンの主張には、賛成できる部分が多かった。

 サン・ルシオで起きたことを繰り返さないために、研究者や専門家が協力する。それ自体は、むしろ僕たちが必要だと考えていたことだった。

 だからといって、彼がNILを名乗っていいわけではない。

 なんとも面倒な話である。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 昼過ぎ、リビングへ行くと、姉ちゃんがテレビを見ていた。

 「あ、透。例の暗号の人、正体分かったんだって」

 「……分かってないよ」

 「え、そうなの?」

 テレビには、さっきの会見の映像が流れていた。

 《謎の暗号解読者NILを名乗る米国人男性が会見》

 という字幕が出ている。

 「まだ本人確認できてないって」

 「へえ。じゃあ、もしかしたら偽物?」

 「そうかもね」

 「でも、この人すごそうだよね。頭よさそう」

 「まあ、話は上手だった」

 「透もこういうの得意なんでしょ? 挑戦してみれば?」

 「……難しいと思うよ」

 「そう? 透なら案外できるかもよ」

 姉ちゃんは笑いながら言った。

 僕は曖昧に笑って返した。

 もし目の前にいる弟が本物のNILだと知ったら、どんな反応をするのだろう。

 ……絶対に面倒なことになる。

 少なくとも、しばらくは黙っておこう。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 その日の夜、アレックスから新しいメッセージが届いた。


 WALKER:I watched the interview. He knows the public solutions, but that doesn't prove anything.

 ――会見を見た。公開済みの解法は理解しているようだが、本人である証拠にはならない。


 WALKER:I've already told two journalists that his identity is unverified.

 ――彼が本人だと確認されていないことは、すでに記者2人に伝えた。


 さらに、少し間を置いて続けた。


 WALKER:I'm not asking you to return. But I think you should know what's happening.

 ――戻ってこいと言っているわけじゃない。ただ、何が起きているのかは知っておいてほしい。


 僕は画面を見つめた。

 アレックスらしい文章だった。

 彼はいつも、必要なことをはっきり言ってくれる。

 その一方で、僕が返事をしない理由を無理に聞こうとはしなかった。

 僕は返信欄を開いた。


 NIL:Thanks, Alex. I saw it too.

 ――ありがとう、アレックス。僕も見たよ。


 書いてから、少し迷った。

 でも今回は、そのまま送信した。

 しばらくすると、返信が来た。


 WALKER:Good to hear from you.

 ――返事がもらえてよかった。


 たったそれだけだった。

 サン・ルシオのことも、僕が今まで何をしていたのかも、何も聞かれなかった。

 僕は少しほっとした。


 WALKER:For what it's worth, the rest of us don't believe he's NIL.

 ――一応伝えておくが、僕たちは誰も、あの男がNILだとは思っていない。


 NIL:Even if he sounds convincing?

 ――あんなに説得力があっても?


 WALKER:Especially because he sounds convincing.

 ――むしろ、説得力がありすぎるからな。


 僕は思わず笑った。

 その意味は、何となく分かる。

 レオンの話は、どれも綺麗にまとまっていた。技術的な質問にもそれらしく答え、記者が聞きたがっている言葉を選んでいる。

 ただ、過去の解読に関する説明は、すべて公開情報の範囲内だった。

 僕たちが実際に暗号を解いていたときの議論や、未公開の検証内容には一度も触れていない。


 WALKER:He's a capable speaker. Maybe even a capable engineer. But neither makes him NIL.

 ――彼は優れた話し手だ。技術者としても優秀なのかもしれない。だが、それでNILになるわけじゃない。


 NIL:I know.

 ――分かってる。


 少し考えて、もう一言送った。


 NIL:What do you think he wants?

 ――あの人、何が目的だと思う?


 アレックスの返事は、すぐには来なかった。


 WALKER:I don't know yet. And that worries me more than the interview itself.

 ――まだ分からない。会見そのものより、その点の方が気になっている。


 僕も同じだった。

 単なる売名行為なら、もっと派手なことを言えばいい。

 けれど、レオンは専門家を集め、新しい研究組織を作ろうとしている。

 それも、すでに協力者を確保し始めているらしい。

 どうしてそこまでするのだろう。

 僕はアレックスにお礼を伝え、チャットを終えた。

 久しぶりに会話できたことは、少し嬉しかった。

 ただ、まだグループチャットを開く勇気はなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 2012年7月30日。

 レオン・グレイの会見から、わずか1日。

 彼についての記事は、さらに増えていた。


 "Mystery Cryptanalyst NIL Seeks International Collaboration"

 ――謎の暗号解読者NIL、国際的な協力を呼びかけ。


 "Researchers Express Interest in New Cipher Analysis Project"

 ――研究者たち、新たな暗号解析プロジェクトに関心。


 僕はニュースサイトを読みながら、少し呆れていた。

 本人かどうかさえ確認できていないのに、もう組織の設立がニュースになっている。

 記事によると、数人の技術者と研究者が協力に前向きな姿勢を見せており、民間からの資金提供についても話が進んでいるという。

 もっとも、実際にどんな活動をするのかは、まだ発表されていなかった。

 NILのアカウントには、相変わらず大量の未読メッセージが届いている。

 その多くが、レオンについての質問だった。

 本物なのか。

 本人なら、なぜ別の名前で会見しているのか。

 偽物なら、どうして何も言わないのか。

 僕は一番新しいメッセージを開いた。


 "If you're the real NIL, please say something. People are starting to trust this man."

 ――あなたが本物のNILなら、何か言ってください。人々は、あの男を信じ始めています。


 僕はしばらく文章を読んでいた。

 ……そうだよな。

 このまま黙っていたら、レオンが本物だと思われても仕方がない。

 今のところ、彼がやろうとしていること自体は悪くなさそうだ。

 でも、NILを名乗っている以上、彼の発言や行動は僕と結び付けられる。

 そのことを考えると、いつまでも放っておくわけにはいかない気がした。

 僕は公開掲示板の投稿欄を開いた。


 "Leon Gray is not NIL."

 ――レオン・グレイはNILではない。


 それだけ書いた。

 送信ボタンは、すぐ下にある。

 押せば終わりだ。

 いや、正確には、そこからまたいろいろ始まってしまうのだろう。

 僕は少し迷った。

 サン・ルシオのことを思い出したからだ。

 あのとき、僕たちは暗号を解けたと思っていた。

 でも、結果は違った。

 その話を、また大勢の人に説明しなければならないかもしれない。

 マテオのことだって、きっと聞かれる。

 僕は一度画面から目を離した。

 しばらくして、入力した文章を消した。

 ……やっぱり、まだ無理だった。

 ただ、以前とは少し違った。

 このままではいけないことくらい、もう分かっている。

 そんなとき、ニュースサイトに新しい通知が表示された。


 "Leon Gray's research initiative attracts further support"

 ――レオン・グレイの研究構想に、さらなる支援の申し出。


 記事を開くと、会見後に複数の研究者や技術者が参加を申し出ており、組織の準備が進められていると書かれていた。

 その中には、レオンの発言も引用されていた。


 "We cannot change what happened in San Lucio. But we can make sure the next warning is handled differently."

 ――サン・ルシオで起きたことは変えられません。しかし、次の警告には違う形で対応できるはずです。


 僕はその文章を読んだ。

 次の警告。

 その言葉が、少し気になった。

 もし、次の暗号が現れたら。

 レオンは本当に解けるのだろうか。

 ……いや、そもそも次の暗号があるのかどうかも分からない。

 僕はニュースサイトを閉じた。

 そのあと、久しぶりにCicadaのページへアクセスした。

 灰色の円には、まだ3つの点が残っている。

 6月から何も変わっていなかった。

 ただし、僕たちが解けていない問題は、まだ残されている。

 これからレオンが何をするつもりなのかは分からない。

 でも、もし彼がNILとして暗号を解き始めたら、そのときはきっと、僕にも分かる。

 本物かどうかを判断するのに、肩書きなんて必要ない。

 暗号を解けばいいのだから。

 僕はパソコンを閉じた。

 机の上には、まだ数学の問題集が残っている。

 そういえば、今日はほとんど宿題が進んでいなかった。

 ……全部、あの偽物のせいにしてもいいだろうか。

 さすがに、それは無理か。

 僕はシャープペンシルを手に取った。

 ただ、ひとつだけ気になっていた。

 レオン・グレイという男は、本当に暗号を解くつもりなのだろうか。

 それとも、誰かが解いた答えを、自分のものとして発表するだけなのだろうか。

 今の僕には、まだ分からなかった。


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