Ep.21 夏休み
2012年7月21日、夏休み初日。
午前9時42分。
僕は池袋駅の改札前で、すでに帰りたくなっていた。
理由は簡単だ。人が多い。
いや、池袋なのだから人が多いのは当然だろう。僕だってそのくらい知っている。問題なのは、待ち合わせ場所を「中央改札のあたり」としか決めていなかったことだ。
中央改札って、どっちの?
そう聞いたときには、すでに早瀬から「着けば分かるって」と返信が来ていた。
そして現在、まったく分からない。
僕はスマートフォンを取り出した。
『着いたけど、みんなどこ?』
送信してすぐに返事が来る。
『柱のとこ』
早瀬だった。
柱。
僕は顔を上げた。
視界に入るだけで、柱が少なくとも6本ある。
……あいつ、ひょっとして僕のこと嫌いなのか?
『どの柱?』
『でかいやつ』
全部でかいんだよ。
「相沢くーん!」
聞き覚えのある声がして振り返ると、少し離れたところで桐生さんが手を振っていた。
白い半袖のブラウスに、淡い色のスカート。学校で見る制服姿とは随分印象が違う。
その隣には本田さんと早瀬もいた。
「おはよう!」
「……お、おはよう」
「おっそーい、相沢くん」
本田さんが笑う。
「まだ集合時間前じゃない?」
「私たち、もう10分くらい待ってたんだけど」
「それは早く来すぎなんじゃ……」
「相沢、言い訳はよくないぞ」
早瀬が偉そうに腕を組んだ。
「君が柱って言ったから迷ったんだよ」
「え? 分かりやすかっただろ?」
「柱が何本あると思ってるの?」
「……何本?」
「僕に聞かないでよ」
本田さんが吹き出した。
結局、僕が正しい待ち合わせ場所に到着できなかったことについては、なぜか全員一致で僕の方向音痴という結論になった。納得はいかないが、これ以上議論すると映画の時間に遅れるらしい。
今日の予定は映画を観て、そのあと適当に昼ご飯を食べるというものだった。
きっかけは終業式前の、何気ない会話である。最初は桐生さんと本田さんが映画へ行く予定だったらしいのだが、いつの間にか早瀬が加わり、なぜか僕まで誘われた。
僕としては、夏休み初日から外出するなんて予定外もいいところだ。
もっとも、誘ってもらえたのは普通に嬉しかった。
「ところで相沢くん、映画の内容って知ってる?」
桐生さんが歩きながら聞いてきた。
「えっと……詳しくは」
「ホラーなんだよね」
「…………え?」
「えっ、聞いてなかった?」
聞いてない。
というか、誰も言ってなかった。
「ちなみに、どのくらい怖いやつ?」
「予告だと結構怖そうだったよ」
桐生さんは悪気のない笑顔でそう答えた。
僕は本田さんを見る。
「大丈夫だって! 怖かったら目つぶってればいいじゃん」
いや無いだろ。意味が。
早瀬が僕の肩を叩いた。
「安心しろ。俺が隣に座ってやる」
「それ、何か意味ある?」
「怖かったら手握っていいぞ」
「遠慮しとく」
そう答えると、桐生さんが楽しそうに笑った。
結論から言えば、映画は思っていたより怖かった。
いや、正確には、怖がらせ方がずるかった。何も起きない場面が長く続いたかと思うと、突然とんでもない音量で何かが飛び出してくる。あれは怖いというより、びっくりする。
ちなみに僕は3回ほど肩を跳ねさせた。
早瀬は隣でずっと笑っていた。
映画が終わるころには、僕の精神力は随分と削られていた。
「いやー、面白かった!」
本田さんは満足そうだった。
「最後のあれ、絶対続編あるよね」
「あるだろうな。あの終わり方だし」
早瀬もうなずく。
「相沢はどうだった?」
「……音が大きかった」
「感想それだけ!?」
桐生さんが笑いながら僕を見た。
「途中、すごくびっくりしてたよね」
「そ、そんなことないよ」
「してたしてた。私もちょっとびっくりしちゃった」
「……じゃあ、仕方ないね」
「何が仕方ないの?」
うまく言い返せなかった。
そのあと、僕たちは近くのファミリーレストランへ入った。
夏休み初日ということもあって店内は混んでいたが、少し待ったところで4人席へ案内された。僕と早瀬が向かい側に座り、隣には桐生さんが座った。
メニューを開く。
ハンバーグ、パスタ、ドリア、カレー。
写真を眺めているだけで腹が減ってくる。
「相沢くん、決まった?」
「まだ。悩んでる」
「そんなに?」
「こういうの、一度決めたあとに他のメニューが美味しそうに見えるんだよね」
「あー、それ分かる!」
本田さんが大きくうなずいた。
「私、この前オムライス頼んだあと隣の人のパスタ見て後悔したもん」
「あるある」
「じゃあ相沢、全部頼めよ」
早瀬が言った。
「お金出してくれるなら」
「なんで俺が?」
「言い出したの早瀬でしょ」
結局、僕はハンバーグを注文した。
食事が運ばれてくるまでの間、早瀬と本田さんは映画の話で盛り上がっていた。途中から夏休みの宿題の話になり、早瀬が数学の課題を誰かに見せてもらおうとして、瀬川さんの名前が出た瞬間に全員から止められるという一幕もあった。
平和だった。
実に平和である。
僕がそんなことを思っていると、早瀬がスマートフォンを眺めながら言った。
「そういや、例の暗号のやつ、また記事出てるな」
フォークを持つ手が止まった。
「暗号?」
本田さんが聞き返す。
「ほら、チリの地震の前に場所を当てたってやつ。Cicadaなんとか」
「あー、前に話してたやつね」
「これさ、解読した人がすげえらしいんだよ」
早瀬が画面をこちらへ向ける。
海外の技術系ニュースサイトの記事を、日本語のまとめサイトが紹介したものだった。
見出しには、こう書かれている。
《謎の暗号Cicada 3301 災害前の警告を解いた「NIL」とは何者か》
つい数日前まで、現地の行政資料に書かれた名前でしかなかったNILが、記事の見出しになっていた。
「この人、1月からずっと暗号解いてたんだって」
「へえ。すごいね」
桐生さんが画面を覗き込む。
「でも、そもそも誰が暗号を出してるの?」
「それが分かんねえんだよ」
「え、出してる人も分からないの?」
「そうらしい。だから余計に謎なんだって」
本田さんが顔をしかめた。
「何それ、ちょっと怖くない? 変な宗教とかじゃないの?」
「いや、宗教ではないと思うけど」
僕は思わず口を挟んでいた。
3人がこちらを見る。
しまった。
「……ネットの記事で見たから」
慌てて付け足す。
「暗号の難易度が高くて、プログラマーとか数学に詳しい人も挑戦してたって」
「あ、相沢くんも読んだんだ」
桐生さんは特に疑っていないようだった。
早瀬が感心したようにうなずく。
「やっぱお前、こういうの好きなんだな」
「まあ、ちょっとは」
「なあ、このNILってどこの国の人だと思う?」
「さあ……」
「俺、アメリカ人だと思う」
「なんで?」
「なんとなく」
それは推理と呼んでいいのだろうか。
そんなことを話していると、注文していた料理が運ばれてきた。
話題はあっさり切り替わった。
「うわ、相沢のハンバーグうまそう」
「早瀬はパスタでしょ」
「ちょっとくれよ」
「嫌だよ」
「ケチ!」
その後も僕たちは夕方まで遊んだ。
ゲームセンターで早瀬がクレーンゲームに挑戦し、取れそうで取れない景品へ予定外の金額をつぎ込んだり、本田さんが妙に上手くて一発で小さなぬいぐるみを取ったりした。
桐生さんはそのぬいぐるみを見て、ずいぶん喜んでいた。
僕はというと、音楽ゲームでそこそこいい点数を出したものの、早瀬に「ゲームだけ運動神経あるのずるくね?」と言われた。
何もずるくない。
夕方、駅で解散することになった。
「今日は楽しかったね!」
桐生さんが言う。
「うん。また遊ぼう」
僕が答えると、本田さんがにやりと笑った。
「おっ、相沢くんから積極的なお言葉」
「え、何?」
「いやいや、何でもないよー」
意味が分からない。
早瀬はというと、まだクレーンゲームの景品を取れなかったことを引きずっていた。
「次こそ………絶対取ってやる!」
「いや……もう買った方が安いんじゃない?」
「わかってねえなあ、そういう問題じゃねえんだよ!」
まあ、その気持ちは少し分かる。
改札で3人と別れてから、僕は帰りの電車に乗った。
今日は久しぶりに楽しかった。
夏休みも、悪くないかもしれない。
そう思いながらスマートフォンを開き、何気なくニュースを確認する。
そこには、昼間早瀬が見せてきた記事とは別の、Cicadaに関する新しい話題が表示されていた。
《NILの解読は本物か? 暗号研究者らが公開記録を再検証》
僕は記事を開いた。
書いているのは、海外のセキュリティ研究者だった。
その人はサン・ルシオの記事を読んだあと、NILの過去の投稿を調べたらしい。1月の初期問題からシアトルに関する解読まで、公開されている資料を集め、各段階を自分で再現していた。
記事には解読順序や文字列の変換、座標を得るまでに必要だった資料など、実際の解読に使われたものが記されていた。
特にシアトルの暗号については、2つの目録の並び順を別々の役割で使った僕の解法が詳しく説明されていた。
あれは、当時かなり苦労した問題だった。
もちろん、僕1人では解けなかった。エヴァが2種類の目録を見つけてくれなければ、今でも同じ文字列を睨んでいたと思う。
研究者は僕の手順を再現したうえで、
《提示された復号結果には故意的な文字の追加や削除が見られず、独立して検証可能である》
と評価していた。
ただし続けて、
《暗号が正しく解けたことと、解読された内容が現実の災害を予測する能力を持つことは別問題である》
とも書いている。
僕はその一文をもう一度読んだ。
ようやく、まともな話をする人が出てきた気がした。
記事の末尾には、興味深い指摘もあった。
NILは複数の難解な暗号を解いているが、その素性を示す情報はほとんど残していない。使用言語は主に英語。投稿時間にも一定の規則性が見られない。
そのため、居住国も年齢も判断できないという。
僕は少し笑ってしまった。
投稿時間に規則性がない理由なら知っている。
学校があるからだ。
試験前はあまりログインできなかったし、宿題を忘れて瀬川さんに怒られた日もあった。時差のあるアレックスたちに合わせて夜更かししたこともある。
そんな事情を知らない人たちが、僕の投稿時間から国籍を推測している。
不思議なものだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
7月23日。
夏休みに入って3日目の朝、僕は母さんに起こされた。
「透! いつまで寝てるの!」
時計を見る。
午前10時半。
「……夏休みなんだけど」
「知ってるわよ。洗濯物取り込むの手伝って」
夏休みとは何だったのか。
僕は仕方なく起き上がり、顔を洗ってからベランダへ向かった。
洗濯物を取り込み終えて部屋へ戻ると、パソコンの画面には昨夜開いたままの技術系掲示板が表示されていた。
新しい書き込みが大量についている。
昨日紹介された検証記事が、別の解読コミュニティでも取り上げられたらしい。
Cicadaの初期問題について語る人。
PGP署名の真正性を確認する人。
NILの解法を実際に試してみる人。
中には、サン・ルシオの災害についてほとんど触れず、純粋に暗号問題の面白さだけを語っている人もいた。
それは少し懐かしかった。
僕も最初はそうだった。
2012年1月4日。
ただ面白そうな暗号を見つけたから、解いてみた。
そこに世界の秘密や災害予測が隠れているなんて、考えもしなかった。
掲示板を読み進めていると、1つの投稿が目に入った。
《NILは1人なのか?》
なるほど。
確かに、その疑問は出るだろう。
公開されている解読記録だけを見れば、NILが複数人で活動している可能性も否定できない。実際、僕が1人で全部解いたわけではないし、アレックスたちと相談した内容も多い。
別の参加者が返信していた。
《少なくとも同じ名前で投稿している人物の解法には、一貫した特徴がある。複数人で共有している可能性はあるが、中心となる解読者は同一人物だと思う》
その下には、
《なら、なぜ表に出てこない?》
という書き込み。
さらに、
《418人が亡くなった災害に関わったんだ。答えたくない理由くらいあるだろ》
と続く。
僕はしばらく画面を眺めた。
こんなふうに、僕の知らない人たちが僕のことを話している。
不思議だし、落ち着かない。
それでも、以前ほど現実味のない話ではなくなっていた。
だって今、早瀬までNILのことを知っているのだ。
昼過ぎ、今度はチリの調査記者による新しい記事が公開された。
これまでの記事とは少し内容が違った。
行政資料の検証だけではなく、実際に避難した住民たちへ取材していたのだ。
ある男性は、沿岸部から早く避難したことで家族が津波を免れたと話していた。
別の女性は、内陸の集合地点へ移動した夫を亡くしていた。
同じ避難判断によって助かった人と、亡くなった人がいた。
記事はその両方を紹介していた。
僕は途中で一度読むのをやめたが、しばらくして続きを開いた。
記事の最後には、調査を続ける記者からの問いが載っていた。
《なぜ災害発生前の暗号に、具体的な日時と座標が含まれていたのか。それを最初に解読した人物は、どのような意味だと考えていたのか。依然として説明は得られていない》
NILという名前も、その段落に書かれていた。
僕が答えられない問いだった。
正確には、答えられる部分もある。
暗号をどう解いたかは説明できる。
その解法が間違っていないことも証明できる。
でも、どうしてあの場所だったのか。
どうしてあの日だったのか。
そして、あの指示を作った誰かが何を意図していたのか。
そこまでは分からない。
僕は記事を閉じ、椅子から立ち上がった。
少し喉が渇いていたので、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
リビングでは姉ちゃんがテレビを見ていた。
「透、これ見た?」
「何?」
「ネットで話題になってるやつ」
テレビの画面には、海外ニュースを紹介する情報番組が映っていた。
画面の端にCicadaの蝉の画像がある。
《災害予告? 謎の暗号集団を追跡》
どうやらNILについても触れているらしい。
「知らない」
僕は麦茶を注ぎながら答えた。
姉ちゃんがこちらを見る。
「こういうの好きじゃなかったっけ?」
「まあ、暗号は好きだけど」
「じゃあ解いてみなよ」
「簡単に言うなあ」
「解けたらテレビ出られるんじゃない?」
「出たくないよ」
「えー、弟がテレビ出たら面白いのに」
僕は麦茶を飲んだ。
……それは勘弁してほしい。
画面では出演者が「暗号を解く天才って、どんな人なんでしょうね」と話していた。
姉ちゃんが適当に予想する。
「やっぱり、すごい大学の教授とかかな」
「どうだろうね」
「それか外国のハッカー」
「ハッカーって……」
「じゃあ、何なの?」
「……暗号が得意な人?」
「説明雑すぎない?」
姉ちゃんは笑った。
僕も笑ってから、麦茶を持って部屋へ戻った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
7月25日。
サン・ルシオの調査報道をきっかけに、Cicada 3301は海外の大手ニュースサイトでも取り上げられるようになった。
最初は技術記事だった。
そこから、災害前の警告という奇妙な話題が一般向けの記事へ転載され、さらに過去のCicada問題まで紹介されるようになった。
NILの名前が見出しに入っている記事も増えている。
もちろん、すべてが正確というわけではない。
なかには僕を「未来を読むハッカー」と呼ぶ記事もあったし、どこで入手したのか分からない人物写真をNIL本人だと紹介しているサイトまであった。
ちなみに、その写真の人物は、どう見ても僕ではない。
というか、いやもはやそれは誰なんだろう。
さすがにひどいと思って記事を開くと、コメント欄にも同じことが書かれていた。
《この写真、関係ないプログラマーだろ》
《いや、俳優じゃないか?》
《そもそもNILが男性だという根拠は?》
僕は思わず吹き出した。
確かに、公開された情報だけでは僕の性別すら分からない。
その日の夕方、アレックスから個人チャットへメッセージが届いた。
"Another reporter contacted me today."
――今日も別の記者から連絡が来た。
続けて、
"They're trying to work out who you are. No one has anything useful so far."
――君の正体を調べようとしている。今のところ、有力な情報は出ていない。
僕は少し考えてから、返信欄を開いた。
"Thanks."
ありがとう。
たったそれだけ打った。
でも、送信する直前で手が止まる。
今、これを送れば、きっとアレックスは返事をくれる。
近況を聞かれるかもしれない。
サン・ルシオのことも話すことになるかもしれない。
僕はまだ、その準備ができていなかった。
結局、文字を消して画面を閉じた。
代わりに、公開されているCicadaの掲示板を久しぶりに開く。
NILとして最後に書き込んだのは、サン・ルシオの災害の時だった。
その後にも何件か、僕へ宛てた返信が残っている。
ただ、今は以前と様子が違っていた。
新しく参加した人たちが、NILの過去の解法を読み直している。
そのうちの1人が、僕の解読について妙な指摘をしていた。
《NILの解読が正しかったなら、なぜ避難地点が被災した?》
その下で議論が続いている。
暗号の解釈が誤っていたのではないか。
そもそもCicadaが間違った情報を出したのではないか。
あるいは、避難地点は本当は別の場所だったのではないか。
僕は何も書き込まなかった。
今の僕には、正しい答えがない。
ただ、その中に気になる投稿が1つあった。
"Can anyone contact NIL directly?"
――誰か、NIL本人と直接連絡できないか?
その下には、
"Journalists have been asking around. Apparently nobody has heard from NIL since June."
――記者たちも探しているらしい。どうやら6月以来、NILから連絡がないようだ。
僕は少し迷ってから、自分のプロフィールページを開いた。
公開されているのは、ハンドルネームと過去の投稿履歴だけ。
本名も年齢も書いていないのにもかかわらず、今は多くの人がこのページを見ているのだろう。
受信箱の横には、未読メッセージを示す数字が表示されていた。
以前はせいぜい数件だったのに、今はかなり増えている。
僕はその受信箱を開いてみる。
"Are you really the one who solved the San Lucio cipher?"
――サン・ルシオの暗号を解いたのは本当にあなたですか?
"Can you predict another earthquake?"
――次の地震も予測できますか?
"Please tell us what happened."
――何が起きたのか教えてください。
ほかにも、いたずらのようなメッセージや、意味の分からない質問が並んでいた。
中には、僕を英雄と呼ぶ人もいた。
逆に、418人の死について責任を問う内容もあった。
僕は一通ずつ確認するのをやめ、画面を下へ送った。
そこで、送信者の肩書きが記されたメッセージが目に留まった。
チリの調査記者。
名前は記事で見覚えがあった。
サン・ルシオの避難判断を追い続けている人物だった。
メッセージは丁寧な文章で書かれていた。
"Hello, NIL. I am a journalist investigating the San Lucio disaster. I understand you may not wish to speak publicly."
――こんにちは、NIL。私はサン・ルシオ災害を調査している記者です。公に話したくない事情があることは理解しています。
"I'm not asking you to reveal your identity. I would like to understand how the warning was interpreted before June 21."
――あなたの正体を明かしてほしいわけではありません。6月21日以前に、あの警告をどのように解釈していたのか知りたいのです。
そして最後に、1つの質問があった。
"When you read 'remain there until the second silence,' what did you believe it meant?"
――「2度目の静寂までそこにとどまれ」という一文を読んだとき、あなたは何を意味すると考えましたか?
僕はその文章を何度か読み返した。
答えようと思えば、答えられる。
僕たちは「2度目の静寂」という表現の意味を最後まで確定できなかった。最初の地震が収まったあとの静穏期間だと考える意見もあったし、地殻活動の変化を指す可能性も検討していた。
けれど、あの場所に人々が集まったとき、僕たちはそれをどう受け止めていたのか。
そこだけは、簡単に文章へできなかった。
しばらくして、僕は受信箱を閉じた。
何も返信しないままパソコンの電源を落とす。
階下から母さんの声が聞こえた。
「透! お風呂、先に入りなさい!」
「はーい!」
僕は椅子から立ち上がった。
返事をしなかったことを、少しだけ後悔していた。
だからといって、もう一度パソコンを起動する気にもなれなかった。
せっかくの夏休みに、僕は溜息をつき、部屋を出た。




