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Cicada 3301 〜 紡がれた最後の記録 〜  作者: LALA
第2章 偽りの救世主
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21/25

Ep.20 駆け巡る名前

第2章スタートです。

第2章は主にNIL vs 世界を描いていきます。

そして、NILの成長回でもあります。

ぜひ、楽しんでいってください!


 2012年7月12日、木曜日。

 僕が最後にNILとして国際チャットで発言してから、およそ3週間が経とうとしていた。

 それなのに、僕のNILという名前は勝手に世界中を飛び回っていた。

 「……何これ」

 昼休み。早瀬がスマートフォンを見ながら、妙な声を上げた。

 「どうしたの?」

 「いや、なんかすげえニュース見つけた」

 早瀬は画面をこちらに向けた。

 そこにな英語の記事が表示されていた。

 『チリの災害を事前に警告した謎の暗号解読者』

 「知ってる? こいつ」

 心臓が嫌な音を立てた。

 「……知らない」

 嘘だった。

 「だよな。俺もさっぱりなんだけど、なんか世界中で話題らしいぞ」

 早瀬は画面を自分に戻し、記事をスクロールした。

 「シケイダなんとかっていう暗号を解いて、地震の場所を当てたんだって」

 「……地震を当てたわけじゃないと思うよ」

 思わず口が動いてしまった。

 早瀬が驚いた顔で顔を上げる。

 「え、知ってんの?」

 「いや、記事の見出しを見る限り、暗号を解いたってだけでしょ。予測したのとは違うんじゃないかなって」

 「おお、なるほど」

 早瀬はあっさり納得した。

 「まあ、俺にはどっちでもすげえけどな。地震の暗号って何だよ。まじ意味分かんねえ」

 僕も、まだなにも分かっていなかった。

 暗号を解いて、文章を読んで、そこに書かれた場所や日時を、仲間たちと検証した。

 僕がしたのは、それだけだ。

 なのに、418人が亡くなった。

 「相沢?」

 「……何?」

 「お前、何か顔色悪くね?」

 「ちょっと寝不足で」

 「また夜更かししてゲームしてたんだろ」

 「まあ、そんなところ」

 「ほどほどにしとけよ。お前、体育のとき倒れそうだもん」

 早瀬は笑って、購買のパンをかじった。

 その隣で、真琴が「パンの袋、机に置きっぱなしにしないでよ」と注意している。

 玲奈も一緒に笑っていて。

 いつもの……僕以外は何も変わらない、いつもの昼休みだった。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


 記事が出た理由は、すぐに分かった。

 サン・ルシオの災害について、現地当局が調査資料の一部を公開したのだ。

 その資料には、災害前に行われた警告や避難判断の経緯がまとめられていた。

 地震が起きる前から、ある匿名の集団が特定の地域に注意を呼びかけていたこと。

 複数の研究者や現地協力者が、その情報を検証していたこと。

 そして、資料の中に、僕たちが使用していたオンライン名が残っていたこと。


 "NIL"

 "WALKER"

 "EWA_N"


 ほかにも、見覚えのある名前がいくつか並んでいた。

 僕たちにとっては、ただのアカウント名だった。

 けれど、調査資料に記載されたことで、それらは突然、事件に関わった人物の名前になった。

 記事を書いた記者たちは、まずNILに注目した。

 最も早く暗号を解読し、危険を示す情報の一部を取り出した人物。

 そう説明されていたからだ。

 僕はベッドの上でノートパソコンを開き、記事を読み進めた。

 ある記事は、僕を英雄のように扱っていた。

 別の記事は、僕たちの警告が住民を混乱させた可能性を指摘していた。

 どちらも、完全な嘘ではない。

 それが一番、苦しかった。

 あのとき、何が正しかったのか、それは今でも僕には分からなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 翌日には、さらに多くの記事が出た。

 きっかけは、ある海外の掲示板に投稿された質問だった。

 『NILとは何者なのか?』

 それまでCicada 3301の解読コミュニティでは、NILはそこそこ知られた存在だった。

 難しい暗号や問題を驚くほど早く正確に解く、天才暗号解読師。

 でも、それ以上のことを知っている人間はほとんどいなかった。

 それでも、

 『大学の研究者だろう』

 『NSAの関係者じゃないか?』

 『いや、文章の癖からするとイギリス人だ』

 『少なくとも一人の人間ではないはずだ』

 様々な憶測がネット上を飛び交っていた。

 アレックスからも、エヴァからも、何度か連絡が届いている。

 サン・ルシオの事件以来、一度も僕は返事をしていない。

 その日、久しぶりにチャットルームを開いた。

 最後に交わされた会話が、画面に残っていた。


 WALKER:NIL, you don't have to answer right now.

 ――NIL、今すぐ返事をしなくてもいい。


 WALKER:Just let us know you're okay when you can.

 ――落ち着いたら、無事だってことだけ知らせてくれ。


 その下には、エヴァからのメッセージ。


 EWA_N:We're still checking the reports. We don't have all the answers.

 ――私たちはまだ報告書を確認している。すべての答えが出たわけじゃない。


 EWA_N:Please don't try to carry this alone.

 ――お願いだから、一人で全部背負おうとしないで。


 僕は返信欄をクリックした。

 無事だよ。

 その一言だけでも送ろうと思った。

 でも、指が止まった。

 ……僕は、本当に無事なんだろうか。

 体に怪我はない。

 学校にも通っている。

 ご飯も食べているし、普通に眠ることだってある。

 なのに、マテオのことを思い出すたび、胸の中に大きな穴が開いたような気がする。

 僕が無事だと伝えたら、二人はきっと安心する。

 それでいいはずなのに。

 僕は結局、何も打たずに画面を閉じた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 数日後。

 NILという名前は、さらに広がっていた。

 海外のニュースサイトだけではない。

 暗号研究者のブログ、技術系の掲示板、動画共有サイト。

 それぞれが独自に調査を始め、僕について都市伝説じみた噂まで流れ、それぞれが好き勝手なことを書いている。

 『NILは災害を防ごうとした英雄だ』

 『情報を知っていたのに、なぜもっと早く公表しなかった?』

 『そもそも、なぜ暗号に災害の情報が書かれていた?』

 『本当に予測だったのか?』

 『Cicada 3301の関係者ではないか?』

 広がり続ける憶測や噂は、一切の発言をやめた僕には止める手立てはなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 2012年7月18日。

 放課後の教室で、僕は机に伏せていた。

 授業が終わってからしばらく経つのに、帰る気になれなかった。

 「相沢くん?」

 顔を上げると、玲奈が立っていた。

 「まだ帰らないの?」

 「ああ……うん。もう少ししたら」

 「そっか」

 玲奈は少し迷ったあと、近くの椅子に座った。

 「最近、元気ないよね」

 「……そうかな」

 「うん」

 あっさり肯定された。

 「授業中もぼーっとしてるし、休み時間もあんまり喋らないし」

 「元からそんなに喋る方じゃないけど」

 「それはそうだけど」

 玲奈は笑った。

 「でも、前はもっと楽しそうだったよ」

 僕は返事ができなかった。

 「……ちょっと、考え事があって」

 「そっか」

 玲奈は、それ以上聞かなかった。

 しばらく沈黙が続く。

 気まずくなるかと思ったけれど、不思議とそうでもなかった。

 やがて玲奈が言った。

 「ねえ、相沢くん」

 「何?」

 「今度、みんなで遊びに行かない?」

 「……みんな?」

 「うん。私と真琴と、早瀬くん。夏休み入ったらさ」

 「早瀬も?」

 「早瀬くんが言い出したんだよ。相沢、最近付き合い悪いって」

 「……あいつ」

 思わず笑ってしまった。

 玲奈も笑う。

 「映画とか見に行って、そのあとご飯食べたり。まだちゃんと決まってないんだけど」

 「いいね」

 自分でも驚くくらい、自然に答えていた。

 「本当?」

 「うん。予定が合えば」

 「よかった!」

 玲奈は嬉しそうに笑った。

 「じゃあ、早瀬くんに言っておくね」

 「……僕が断ると思ってた?」

 「ちょっとだけ」

 「そんなに付き合い悪いかな、僕」

 「うーん」

 玲奈は少し考えた。

 「悪いっていうか、たまにすごく遠くにいる感じがする」

 胸が、少しだけ痛んだ。

 「……遠く?」

 「うん。同じ教室にいるのに、どこか別の場所にいるみたいな」

 玲奈は慌てたように手を振った。

 「あ、ごめん! 変なこと言ったね」

 「いや……」

 僕は首を横に振った。

 「そんなことないよ」

 玲奈は安心したように笑った。

 「じゃあ、夏休み、楽しみにしてるね」

 「うん」

 玲奈が教室を出ていく。

 僕はしばらく、その背中を見送っていた。

 遠くにいると言われれば、確かにそうなのかもしれない。

 僕の頭の中には、今でもサン・ルシオの風景がある。

 実際に行ったこともない町なのに、写真や映像で何度も見たせいで、よく知っている場所のように感じる。

 そして、そこで起きたことから、まだ抜け出せずにいる。

 でも。

 さっき、玲奈と話している間だけは。

 少しだけ、普通の高校生に戻れた気がした。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 その夜、僕はまたNILについての記事を読んでいた。

 我ながら、どうかしていると思う。

 読めば嫌な気持ちになると分かって入るのに、つい開いてしまう。

 新しい記事には、災害で生き残った人たちの証言が掲載されていた。

 警告のおかげで避難を始められたという人。

 家族が助かったという人。

 逆に、避難先で親しい人を失ったという人。

 どの言葉も、簡単には読み飛ばせなかった。

 その中に、短いコメントがあった。

 『警告を送ってくれた人に、ありがとうと伝えたい』

 僕は、その一文を何度も読み返した。

 ……ありがとう。

 そんなことを言われる資格が、僕にあるのだろうか。

 僕が答えを出せなかったせいで、助からなかった人がいる。

 でも、警告によって助かった人もいる。

 その二つの事実は、どうやら同時に存在するらしい。

 どちらか一方だけなら、もっと簡単だったのかもしれない。

 僕が間違っていたなら、責められればいい。

 正しかったなら、少しは安心できたのかもしれない。

 でも、現実はそんなに単純じゃなかった。

 僕は記事を閉じた。

 ちょうどそのとき、新しい通知が表示された。

 NILに関するスレッドが、また立っていた。

 タイトルは英語だった。


 "Who is NIL?"

 ――NILとは何者なのか?


 僕はしばらく、その文字を見つめた。

 ……僕だよ。

 答えは、たった3文字の向こうにいる。

 日本の高校に通っていて、数学のテストがあって、夏休みには友達と映画を見に行く予定がある。

 暗号を解くのが好きで、誰かに褒められると嬉しくなる。

 そんな、どこにでもいる17歳だ。

 だけど、そのことを世界中の誰も知らない。

 みんなが探しているNILは、いつの間にか僕とは別の人間になっていた。

 誰かにとっては英雄。

 誰かにとっては無責任な解読者。

 誰かにとっては、正体不明の天才。

 そのどれもが、僕自身とは少しずつ違っている。

 「……勝手なこと言うなよ」

 小さな声で呟いても、誰にも届かなかった。

 そして、画面の向こうでは。

 僕の知らない誰かが、またNILについて語り始めていた。

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