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Cicada 3301 〜 紡がれた最後の記録 〜  作者: LALA
第1章 Cicada 3301
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19/25

Ep.18 サン・ルシオの悲劇


 2012年6月21日、午後。


 「……600人?」

 僕はソフィアから届いた報告を読み、思わず声を漏らした。

 サン・ルシオでは、午前中から始まった避難が順調に進んでいるらしい。海岸近くに住んでいた人たちは、いくつかの高台へ分かれて移動していた。

 その中でも、Cicadaの暗号が示した座標の周辺には、多くの住民が集まっているという。


 SAMIR:Population estimate?

 ――人数は?


 SOFIA_A:A little over six hundred in the central area. More along the surrounding roads.

 ――中心区域に600人強。周辺道路にもいるわ。


 「……そんなに…………」


✳︎ ✳︎ ✳︎


 チリ北部、サン・ルシオ


 指定座標周辺の高台には、避難してきた住民たちが集まっていた。

 臨時の受付では水や毛布が配られ、スタッフが人数を確認している。道路の脇には車が並び、家族連れが荷物を下ろしていた。

 今のところ、微弱な地震は頻発しているものの、大きな地震は起きていない。

 子供たちは退屈し始め、大人たちも携帯電話で家族や知人と連絡を取っている。

 ソフィアはスタッフから新しい連絡がないか確認したあと、弟の隣に腰を下ろした。


 "¿Cuánto tiempo tenemos que quedarnos aquí?"

 ――いつまでここにいないといけないの?


 マテオが尋ねた。


 "No lo sé. Hasta que tengamos más información."

 ――分からない。もっと情報が出るまでよ。


 "Excelente plan."

 ――素晴らしい計画だね。


 "Mateo."

 ――マテオ。


 "Estoy bromeando."

 ――冗談だって。


 ソフィアは小さくため息をついた。だが、その横顔にはわずかな笑みが混じっていた。避難の最中も、マテオは「お姉ちゃん、走るの遅くなった?」などと冗談を言って緊張をほぐそうとしてくれていたのだ。

 マテオは鞄からソフィアの携帯電話を取り出すと、慣れた手つきでチャットを開いた。


 SOFIA_A:Still boring.

 ――まだ暇。


 少しして、マテオからのメッセージだと察したNILから返事が届く。


 NIL:Good. Keep it that way.

 ――そのままでいて。


 SOFIA_A:You sound like Sofia.

 ――ソフィアみたいなこと言うね。


 NIL:That's worrying.

 ――それはちょっと嫌だな。


 SOFIA_A:I'll tell her.

 ――本人に言っとく。


 NIL:Don't.

 ――やめて。


 マテオは声を出して笑った。


 "¿NIL?"

 ――NIL?


 ソフィアが隣から画面を覗いた。


 "Sí. Dice que hablas demasiado."

 ――うん。ソフィアは話が長いって。


 "¿Qué?"

 ――何ですって?


 マテオが得意げに画面を見せると、すぐに新しいメッセージが表示された。


 NIL:I did not say that.

 ――言ってないよ。


 ソフィアも思わず吹き出した。

 数時間前まで避難の準備で慌ただしかったが、今はこうして弟と冗談を言えている。周囲にも少しずつ落ち着きが戻っていた。

 マテオが無事で、こうして隣にいること。それが今のソフィアにとって何よりの救いだった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 午後2時14分。


 強い揺れで2人は目を覚ました。

 

 "¡Al suelo! ¡Protejan la cabeza!"

 ――伏せて! 頭を守って!


 スタッフの叫び声が響いた。

 ソフィアはその場にしゃがみ、マテオの肩を掴んだ。

 周囲で悲鳴が上がる。

 地面が大きく揺れるたび、近くに積まれた荷物が崩れ、停車していた車の警報音が鳴った。

 マテオは両腕で頭を守り、姉の隣に身を寄せた。

 揺れは20秒ほど続いた。

 やがて、足元の動きが収まる。

 ソフィアは弟の顔を確認した。


 "¿Estás bien?"

 ――大丈夫?


 "Sí……t'

 ――うん……。


 マテオは驚いた様子だったが、怪我はしていないようだった。

 周囲ではスタッフが負傷者の確認を始めている。

 ソフィアは携帯電話を取り出し、観測データを確認した。

 画面には、さっきまでとは明らかに違う波形が表示されていた。


 SOFIA_A:We have a significant event.

 ――大きな地震が起きたわ。


 AMAGI_S:Magnitude?

 ――規模は?


 SOFIA_A:Preliminary 6.1. Offshore, west of San Lucio.

 ――暫定でマグニチュード6.1。サン・ルシオ西方の沖合よ。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 「……沖合?」

 僕は共有地図を開いた。

 暫定震源が表示されているのは、サン・ルシオの西側だった。

 海だ。

 Cicadaの暗号には、沿岸区画から離れよと書かれていた。

 そして実際に、海側で地震が起きた。

 数分後には津波注意情報も出され、港の周辺では警戒が強まっているという。

 「……本当に来たのか」

 僕は画面を見つめた。

 津波という最初の脅威に対して、沿岸部から住民を遠ざけたこの避難判断は、結果的に正しかった。

 しかし、それはあくまで「最初の現象」に対する避難にすぎなかった。

 暗号には、さらに先が示されていたはずだ。


 WALKER:It knew.

 ――知ってたんだ。


 AMAGI_S:We don't know that.

 ――まだ分からない。


 WALKER:The coast is the dangerous side. The coordinate is inland.

 ――危険なのは海側だ。座標は内陸にある。


 AMAGI_S:For the first event.

 ――最初の現象については、ね。


 「……最初?」

 僕はその言葉を読み、暗号の最後の1行を思い出した。


 "REMAIN THERE UNTIL THE SECOND SILENCE"

 ――2度目の静穏まで、その場に留まれ。


 そうだ。

 わざわざご丁寧に2度目と書いてある。

 津波のあとに何かが続けて起きることを想定している、とも読める。

 「……まだ終わりじゃない?」

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


 午後2時31分。

 港では津波の第1波が到達し、一部の場所で水位が急上昇した。

 しかし、事前に住民の避難が進んでいたこともあり、その時点で人的被害は確認されていなかった。

 指定座標周辺の高台でも、大きな混乱は起きていない。


 SOFIA_A:So far the evacuation worked.

 ――今のところ、避難はうまくいってるわ。


 NIL:That's good to hear.

 ――それはよかった。


 僕は素直にそう返信した。

 海岸から人を離すという判断は、少なくとも最初の地震と津波に対しては正しかったようだ。

 ただ、まだ観測記録の更新は続いている。

 僕は地殻変動のグラフを確認しようとした。

 そこで、天城さんから新しいメッセージが届いた。


 AMAGI_S:I'm seeing something odd east of the town.

 ――町の東側で変な動きが出てる。


 NIL:What kind?

 ――何が?


 AMAGI_S:The microseismic signals are dropping out in one area.

 ――ある区域だけ、微小地震の信号が消え始めてる。


 「……消える?」

 僕は共有された地図を開いた。

 サン・ルシオ周辺には、微小地震の発生位置を示す点が表示されている。

 その分布に、妙な偏りができていた。

 町の東側だけ、その点がほとんどなくなっている。

 そして、その空白の中に、Cicadaが示した座標があった。

 「…………」

 僕は思わず地図を拡大した。

 観測機器が壊れたのだろうか。

 それとも、単にその場所だけ地震が起きていないのか。


 WALKER:Silent side?

 ――沈黙した側?


 「……あっ」

 僕はすぐにTorページを開いた。

 "THE QUIET SIDE IS NOT THE SILENT SIDE"

 ――静かな側は、沈黙した側ではない。


 6月19日に追加された、あの文章だ。


 周囲では地震が起きているのに、ある範囲だけ活動が少ない状態を、地震活動の空白域というらしい。


 SOFIA_A:Could stress be locking there?

 ――そこでひずみが解放されずに溜まってる可能性は?


 AMAGI_S:Possibly. We don't have enough data to confirm it, but I don't like the location anymore.

 ――あり得る。断定できるほどのデータはないけど、もうあの場所を安全側とは考えたくない。


 「…………」

 僕はもう一度、地図を見た。

 指定座標の周辺には、600人以上の住民が集まっている。

 もし、そこが地震活動の空白域で、ひずみが蓄積している場所だったとしたら。

 津波を避けるための避難場所が、皮肉にも次の危険地帯と重なっていることになる。

 「……まずい」

 僕はチャットへ書き込んだ。


 NIL:Move them.

 ――移動させよう。


 NIL:We need to move them out of that zone now.

 ――今すぐ、あの区域から出した方がいい。


 送信してから、心臓が速く打っていることに気づいた。

 僕は地震の専門家じゃない。

 でも、天城さんがあの場所を安全だと考えたくないと言っている。

 それなら、少なくとも移動を検討する理由にはなるはずだ。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 ソフィアはすぐに現地の避難責任者を探した。

 男性はスタッフと話しながら、負傷者の報告を確認していた。

 ソフィアが新しい観測地図を見せると、男性は眉をひそめた。


 "Tenemos que sacar a la gente de esta zona."

 ――この区域から人を出す必要があります。


 "¿Por qué? Hace treinta minutos usted dijo que era una zona razonable para evacuar."

 ――なぜです? 30分前には合理的な避難区域だと言っていたでしょう。


 "Los datos cambiaron. Hay una zona sin actividad sísmica justo debajo de este sector. Puede significar acumulación de tensión."

 ――データが変わりました。この区域の直下で地震活動が消えています。ひずみが蓄積している可能性があります。


 責任者は地図に目を落とした。


 "¿Puede asegurarlo?".

 ――断言できますか?


 ソフィアは一瞬、言葉に詰まった。

 空白域ができた理由は、まだ分からない。

 ひずみの蓄積を示しているのかどうかも、現段階では証明できない。

 しかし、それを確認できるまで待つべきなのか。

 彼女は顔を上げた。


 "No. Pero tampoco puedo asegurar que sea seguro quedarse."

 ――できません。でも、ここに留まることが安全だとも断言できません。


 責任者は地図を見ながら考え込んだ。

 海側には戻れない。津波への警戒が続いているし、道路の一部はまだ混雑している。

 移動させるなら、さらに北側の高地だろう。

 だが、数百人を再び動かすには時間が必要だった。

 責任者はほかのスタッフとも相談し、最終的に再移動を決めた。


 "Prepararemos el traslado hacia el norte. Primero los niños y las personas mayores."

 ――北側への移動を準備します。まず子供と高齢者からです。

 ソフィアは礼を言い、スタッフたちと一緒に準備を始めた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 「……よし」

 東京で再移動の報告を受けた僕は、少しだけ息を吐いた。

 少なくとも、現地でも危険性を考慮してくれたらしい。

 北側の高台へ向かう道路は、サミールが確認していた。途中に急な斜面はあるものの、車両が通れる経路も残っている。

 全部の住民を移すには、しばらくかかるだろう。

 でも、まだ時間はあるはずだ。

 僕は共有された避難計画図を見ながら、ソフィアの返事を待った。

 そのときだった。

 観測グラフの表示が、一瞬で変わった。

 「……え?」

 直前まで小さな変化を繰り返していた波形が、画面の端まで跳ね上がっている。

 続けて、ほかの観測点でも同じような反応が現れた。

 「……何だよ、これ」

 僕はすぐにチャットを開いた。


 AMAGI_S:Major event. Inland.

 ――大きい。内陸側。


 WALKER:Where?

 ――どこだ?


 AMAGI_S:Locating now.

 ――今、震源を特定してる。


 「…………」

 数秒後、暫定震源が地図に表示された。

 さっきまで、地震活動が少なくなっていた町の東側……そのほぼ中心に、Cicadaの座標があった。

 「……嘘だろ」

 暫定マグニチュードは7を超えている。

 震源も浅い。

 さっきの沖合地震より、はるかに大きな影響が出ている可能性があった。

 僕はソフィアへメッセージを送った。


 NIL:Sofia, are you okay?

 ――ソフィア、大丈夫?


 返事はない。

 もう一度送る。


 NIL:Please respond when you can.

 ――返事できるときでいいから、連絡して。


 既読も付かなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 サン・ルシオ。

 ソフィアは、最初の揺れを足元から感じた。

 低く、重い音。

 何かが地面の下で破裂したような感覚があった。

 次の瞬間、地面が持ち上がった。

 "¡Al suelo!"

 ――伏せて!


 誰かが叫んだ。

 ソフィアはマテオの腕を掴み、その場にしゃがもうとした。

 だが、間に合わなかった。

 地面が横へ大きく動き、身体が投げ出される。

 近くの仮設テントが倒れ、積まれていた物資が散乱した。道路脇に停まっていた車両も、揺れに押されて位置を変えていく。

 周囲の斜面から、土砂と岩が崩れ落ちた。

 ソフィアは地面に手をつき、必死に身体を支えた。


 "¡Mateo!"

 ――マテオ!


 弟の姿が見えた。

 ほんの数歩先だ。

 ソフィアは手を伸ばした。

 その瞬間、再び強い揺れが来た。

 掴んでいた腕が離れる。

 土埃が舞い上がり、目の前が茶色く染まった。


 "¡Mateo!"

 ――マテオ!


 返事はなかった。

 ソフィアは立ち上がろうとしたが、足元が揺れてうまく動けなかった。

 道路の一部に大きな亀裂が走り、周囲から悲鳴が上がっている。

 さらに、斜面から何かが崩れる音が響いた。

 ソフィアは弟の名前を呼び続けた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 僕は観測画面を見つめたまま、ほとんど動けずにいた。

 「……何で……どういうことだよ」

 あの場所へ人を集めるための指示だと思っていた。

 現地の研究者や行政も、地形や道路の条件を確認し、避難候補として採用していた。

 そして実際に、人々はそこへ向かった。

 でも、もしCicadaが最初から地震の起きる場所を知っていたのなら。

 なぜ、そこへ集合しろなんて書いたのだろう。

 僕は震源地図を開いたまま、ソフィアからの返事を待った。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 ソフィアが意識を取り戻したとき、辺りは土埃に覆われていた。

 身体を起こそうとして、左腕に強い痛みが走る。

 しかし、それどころではなかった。


 "……Mateo?"

 ──マテオ……?

 彼女は周囲を見回した。

 さっきまで人が集まっていた場所には、倒れたテントや車両が散乱している。

 道路を横切るように亀裂が走り、その先では斜面の一部が崩れていた。


 "¡Mateo!"

 ――マテオ!


 ソフィアは立ち上がり、弟がいた方向へ向かった。

 数十メートル先。

 そこには、崩れ落ちた土砂と倒れた車両が重なっていた。


 "¡Mateo! ¡Contéstame!"

 ――マテオ! 返事して!


 声を張り上げても、返事はない。

 ソフィアは土砂の方へ走ろうとした。

 その腕を、救助スタッフが掴んだ。


 "¡No pase! ¡Todavía están cayendo rocas!"

 ――行かないで! まだ岩が落ちています!


 "¡Mi hermano está ahí!"

 ――弟がいるの!


 "¡Espere! ¡Vamos a buscarlo!"

 ――待ってください! 私たちが探します!


 "¡Suélteme!"

 ――離して!


 ソフィアは振りほどこうとした。

 そのとき、小さな余震が来た。

 斜面から石が落ち、近くにいたスタッフたちが一斉に後退する。

 ソフィアも腕を引かれ、倒れた車両から離された。


 ".……Mateo……"

 弟の姿は、どこにも見えなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 通信が戻ったのは、それから約18分後だった。


 EWA_N:Sofia is online.

 ――ソフィアが戻ったわ。


 僕はすぐにチャットを開いた。


 SOFIA_A:The coordinate was hit. There are many injured.

 ――指定座標が直撃された。負傷者が大勢いる。


 「…………」

 指先が冷たくなった。

 僕は短いメッセージを送った。


 NIL:Mateo?

 ――マテオは?


 返事はなかった。

 ソフィアは現地で対応しているのだろう。通信も不安定かもしれない。

 それでも、僕は画面から目を離せなかった。

 1分。

 2分。

 チャットに新しいメッセージは届かない。

 アレックスもエヴァも、何も書き込んでいなかった。

 やがて、ソフィアから短い文章が届いた。


 SOFIA_A:I can't find him.

 ――見つからない。


 「…………」

 僕は返信欄をクリックした。

 何か送らないと──そう思った。

 でも、何を書けばいいのか分からなかった。

 大丈夫だよ、だとか、きっと見つかる、だとか、そんな安っぽい言葉が浮かんだけど、どちらも送れなかった。

 マテオがどこにいるのか、僕には分からない。

 無事なのかどうかも分からない。

 それなのに、大丈夫だなんて無責任なこと言えるはずがなかった。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


 救助活動は、夜になっても続いていた。

 最初の沖合地震による津波の被害は、事前の避難によってかなり抑えられていた。

 けれど、内陸側で発生した2度目の地震は違った。

 指定座標の周辺では、強い揺れと斜面崩壊によって多数の死傷者が出ているという。

 僕は報告を読むたびに、地図を開き直した。

 海岸から離れる判断は、最初の地震に対しては正しかった。

 でも、その避難先が2度目の地震で大きな被害を受けた。

 しかも、その場所を最初に示したのはCicadaの暗号だった。

 僕が解いた暗号だ。

 「……どこで間違えたんだ……」

 僕は解析プログラムをもう一度動かした。

 元画像やメタデータ、素数の間隔、区切り位置、復号された英文……すべてを再確認する。

 けれど、何度も何度も確認しても結果は変わらなかった。


 WALKER:Maybe "assemble" wasn't meant for civilians.

 ――『集合せよ』は住民に向けた指示じゃなかったのかもしれない。


 集合せよという言葉を、人を避難させる指示だと決めたのは僕たちだ。

 Cicadaは、誰が集まるのかまで説明していなかった。

 それなのに、僕たちはあの座標を避難先の候補として扱った。


 AMAGI_S:We knew the text. We didn't know its purpose. We filled in that gap ourselves.

 ――私たちは文章は読めていた。でも、その目的までは分かっていなかった。その空白を、自分たちで埋めてしまった。


 「…………」

 僕はその文章を読み返した。

 天城さんの言うとおりだと思った。

 もちろん、僕1人が避難先を決めたわけではない。

 現地の研究者も行政も、観測データや地形を確認している。あの時点では、それなりに合理的な判断だったはずだ。

 それでも、最初からCicadaの座標がなければ、あの場所を候補に入れることはなかったかもしれない。

 僕は暗号を解いた。

 その結果が、現実の避難計画に影響した。

 そのことだけは、変わらない。

 僕はCicadaのTorページを開いた。

 灰色の円。

 中には、まだ3つの点が残っていた。

 「……何で消えないんだ?」

 シアトルでは、指定された日時のあとで点が1つ消えた。

 でも、今回は変わっていない。

 サン・ルシオを示していると思っていた点も、そのままだった。

 まだ何かが起きるのだろうか。

 それとも、そもそも点と場所の対応を間違えていたのか。

 僕は画像を保存したが、それ以上調べる気にはなれなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎

 

 深夜。

 救助活動は続いていたが、マテオの所在はまだ確認できていなかった。

 ソフィアは左腕の応急処置を受けたあと、臨時医療所や搬送先の病院を回っていたという。

 負傷者名簿も確認した。

 しかし、そこにも弟の名前はなかった。

 午前1時を過ぎたころ。

 僕のもとへ、ソフィアから個別メッセージが届いた。


 SOFIA_A:NIL.

 ――NIL。


 NIL:I'm here.

 ――いるよ。


 しばらく返信がなかった。

 それから、質問が送られてきた。


 SOFIA_A:Did you decode it correctly?

 ――暗号は、正しく解いたの?


 「…………」

 僕は画面を見つめた。

 何と答えればいいのだろう。

 もちろん、解読は正しい。

 それは何度も確認した。

 アレックスたちも、同じ結果を再現している。

 でも、その結果が人々を危険な場所へ導くきっかけになったかもしれない。

 僕はキーボードに指を置いた。


 NIL:Yes.

 ――うん。


 すぐに返信が届いた。


 SOFIA_A:You're sure?

 ――本当に?


 NIL:Yes. I've checked it again. The coordinates and wording are correct.

 ――うん。もう一度確認した。座標も文章も、解読自体は合ってる。


 そこから、長い沈黙が続いた。

 僕は何も送らず、返事を待った。

 数分後。


 SOFIA_A:Okay.

 ――分かった。


 それだけだった。

 僕を責める言葉はなかった。

 何かを問い詰めることもなく、ソフィアはチャットから離れた。

 僕はしばらく画面を見ていた。

 怒ってくれた方がよかった、なんて簡単には思えなかった。

 ソフィアは今、弟を探している。

 僕のことを責める余裕なんてないのかもしれない。

 それなのに、僕は何もできない。

 「……くそっ」

 小さく呟いて、ノートを開いた。

 そこには、シアトルの観測が終わった日に書いた文章が残っていた。

 『次は人を助けられるかもしれない』

 あのときは、本気でそう思っていた。

 もし未来に何が起きるのか分かるなら、先に知らせることができる。暗号を解くことで、誰かの役に立てるかもしれない。

 だから、サン・ルシオの問題にも必死になった。

 何日もかけて暗号を解き、座標を調べ、観測結果を追いかけた。

でも、その結果はどうだ。

 たくさんの人が、あの場所へ集まった。

 そして、そこで大きな地震が起きた。

 僕はノートの文字を見つめた。

 消しゴムを手に取ろうとして、やめた。

 今さら消したところで、あのとき自分がそう考えていたことは変わらない。

 間違っていたのかもしれない。

 でも、少なくとも本気だった。

 僕はノートを閉じ、机の端へ置いた。

 時計は、午前2時を回っていた。

 それでも眠れる気がしなかった。

 ソフィアからの連絡がないか、何度も画面を確認する。

 そして、午前2時06分。

 通知音が鳴った。


 SOFIA_A:They found his bag.

 ――マテオの鞄が見つかった。


 「…………」

 僕は画面に表示された短い文章を、もう一度読んだ。

 見つかったのは、マテオ本人じゃない、鞄だけだ。

 僕は返信欄に指を置いた。

 何かを聞こうとして、言葉が出てこなかった。

 ただ、画面の向こうから次の連絡が届くのを待つことしかできなかった。


次で第1章は最終話となります。

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