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婚約者がまた病弱な幼なじみのお見舞いへ行ったので、婚約式は私ひとりで終わらせました【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


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第二十六話 婚姻式に必要なのは、花ではなく本人の意思です

 婚姻準備確認儀という名前は、あまり華やかではない。



 王宮政務局の補佐官は、最初にそう言った。


 王妃宮の白薔薇会議室には、前日に続いて多くの資料が並べられている。


 第一王女セレスティア殿下と、アストリア公爵家嫡男アルフォンス様の婚姻式は、当初の予定どおり行う。


 政務局が求めていた二十日の前倒しは却下された。


 その代わり、東方連盟使節団の滞在中に、王家とアストリア公爵家の結びつきが確かに進んでいることを示す小儀礼を行う。


 それが、婚姻準備確認儀だった。



 けれど。


 名前が地味だからといって、別の儀礼にしてよいわけではない。



「使節団に見せるには、少し印象が弱いのではないでしょうか」



 政務局の補佐官は、卓の上へ一枚の絵図を広げた。


 そこには、王宮大広間を使った華やかな配置案が描かれている。


 中央にセレスティア王女殿下とアルフォンス様。


 左右に王家とアストリア公爵家の紋章旗。


 奥には東方連盟から贈られる予定の双花冠。


 さらに、その下には細かな進行案が添えられていた。



 午後二刻、入場。


 午後二刻半、両家紹介。


 午後三刻、双花冠の受領。


 午後三刻半、両名による誓約文朗読。


 午後四刻、東方連盟代表による祝辞。


 午後四刻半、退場。



 私は、その紙の三行目と四行目で目を止めた。



 双花冠の受領。


 両名による誓約文朗読。



 隣に座るユリア書記官も、同じところを見ている。


 ミレーヌ女官長は表情を変えていない。


 ヴィクトル様は、資料全体を見てから静かに目を伏せた。


 その沈黙は、肯定のものではなかった。



「政務局としては」



 補佐官は続ける。



「婚姻式そのものを前倒しできない以上、使節団にはそれに準じるだけの絵を見せる必要があると考えます」


「それに準じるだけの絵、ですか」



 ヴィクトル様が問い返す。



「はい。婚姻式ではないにせよ、王女殿下とアルフォンス様が並び、祝福を受け、将来の誓いを示す場であれば、外交上の効果は十分かと」


「それは、婚姻式と何が違いますか」


 補佐官の言葉が止まった。


 政務局長は昨日よりも慎重な顔で座っているが、補佐官の案を完全に退けるつもりもないらしい。



「もちろん、正式な神殿婚姻式ではありません」


 政務局長が口を開く。



「ですが、外交儀礼としての象徴性は必要です」


「象徴性は必要です」


 王妃殿下が静かに言った。



「ただし、偽の婚姻式にしてはなりません」


 会議室が静まり返った。


 偽の婚姻式。


 その言葉は、やわらかくない。


 けれど、今の案に潜んでいる危うさを言い当てていた。



「アリシア」



 王妃殿下が私を見る。



「はい」


「この進行案を、要綱に照らして説明できますか」


「はい」



 私は立ち上がり、手元の特別配慮表を開いた。


 昨日、ヴィクトル様が仮に追加した欄がある。



 意思負担者。



 その欄に、私はすでに二つの名前を書いていた。



 セレスティア王女殿下。


 アルフォンス・アストリア様。



「まず、この案では、婚姻準備確認儀であるにもかかわらず、婚姻式に近い要素が複数入っています」


 私は絵図の上へ視線を落とした。



「双花冠の受領。両名による誓約文朗読。この二つです」


「花冠は、東方連盟からの友好の贈り物です」


 政務局補佐官が言う。



「それを拒むのは」


「拒む必要はありません」


 私は答えた。



「ですが、どの場で受け取るかは別です」


「別?」


「婚姻準備確認儀の中央で、王女殿下とアルフォンス様が二人で双花冠を受け取れば、参列者には婚姻祝福の受領に見えます」


「実際、祝福の品です」


「婚姻式前に、婚姻祝福の品を本人たちが婚姻式のような配置で受け取ることが問題です」


 補佐官は不満そうに口を閉じた。


 私は続ける。



「贈り物は、王妃宮が外交贈答として受領し、婚姻式当日まで保管する形にできます」


 ミレーヌ女官長がすぐに頷いた。



「王妃宮で可能です。使節団には、婚姻式当日に王女殿下へ正式にお届けする旨を記録書簡で返せます」


「では、誓約文は」


 政務局長が問う。



「両名の意思を示すために必要ではありませんか」


「意思を示すことは必要です」


 私は頷いた。



「ですが、婚姻式で述べる誓約文とは分けるべきです」


「どう分けるのですか」


「婚姻の誓いではなく、婚姻式を予定どおり迎える意思の確認にします」


 私は、あらかじめ考えていた文案を出した。



 私は、定められた日に婚姻式へ出席し、自らの意思で誓約する準備を進めています。



「この程度であれば、準備確認です」


 私は説明する。



「婚姻したことを示すものではありません。婚姻式当日の誓約を先取りするものでもありません」


「地味ではありませんか」


 補佐官が、少し苦い声で言った。


 私は彼を見た。



「地味です」


 あえて、そう答えた。


 補佐官が目を瞬く。


 会議室の数人も、少し意外そうな顔をした。



「婚姻準備確認儀は、婚姻式ではありません。婚姻式ではない儀礼が、婚姻式より華やかである必要はありません」


「しかし、外交上」


「外交上必要なのは、王家が婚姻を軽く扱わないことを示すことです」


 私は、そこで少しだけ息を吸った。



「婚姻式に必要なのは、花ではなく本人の意思です」


 その言葉が、会議室の中に落ちた。


 白薔薇会議室。


 外交書類。


 王家の紋章。


 政務局の視線。


 その中で言うには、少し単純すぎる言葉かもしれない。


 けれど、私は単純なところへ戻す必要があると思った。



「花は大切です。音楽も、衣装も、贈り物も、祝辞も、人の心を動かします」


 私は続けた。



「でも、それらは本人の意思を飾るためのものです。本人の意思の代わりにはなりません」


 王妃殿下が、静かに頷いた。


 ヴィクトル様も、私の横で何も言わずに聞いている。



「婚姻準備確認儀で示すべきなのは、王女殿下とアルフォンス様が、予定された日に自ら婚姻式へ立つ意思を持っていることです」


「それだけで、使節団に伝わるでしょうか」


 政務局長が言った。


 今度の声には、反論よりも確認の色があった。



「伝わる形に整えます」


 ミレーヌ女官長が答えた。



「王妃宮で、進行を組み直します。大広間ではなく、王妃宮の青花の間を使いましょう」


「青花の間」


「広すぎず、格式はあります。王女殿下とアルフォンス様が並び、王妃殿下、アストリア公爵、神殿代表、東方連盟使節団代表が立ち会う。そこで婚姻式の予定日、準備状況、本人の確認文を読み上げます」


 マルタ神官が続ける。



「神殿側からは、婚姻式当日の誓約を前倒ししない旨を明言できます」


「王家婚姻登録院からは、本人意思確認済み、日程変更なし、婚姻式当日に再確認予定と記録します」


 ヴィクトル様が言う。


 私は、特別配慮表へ新しい進行案を書いた。



 婚姻準備確認儀。


 一、王妃宮より婚姻式予定日を読み上げる。


 二、神殿より、婚姻式当日に正式誓約を行う旨を確認。


 三、王家婚姻登録院より、本人意思確認および日程変更なしを記録。


 四、セレスティア王女殿下とアルフォンス様が、予定日に婚姻式へ出席する意思を短く述べる。


 五、東方連盟からの双花冠は、外交贈答として王妃宮が受領し、婚姻式当日まで保管。


 六、式後、外交晩餐で友好の祝辞を受ける。



 書き終えると、ヴィクトル様がのぞき込むように確認した。



「よいです」


 短い評価。


 けれど、今日も胸に届く。



「政務局長」


 王妃殿下が言った。



「この形なら、使節団への説明は可能ですか」


 政務局長は、しばらく進行案を見ていた。


 外交上の見栄えだけを考えれば、最初の案の方が派手だっただろう。


 花冠を受け取り、誓約文を読み、二人が中央に立つ。


 けれど、それは婚姻式に似すぎている。



「可能です」



 やがて、政務局長は言った。



「むしろ、王家が正式手続きを重んじていることを示せるかもしれません」


「その説明で使節団へ伝えなさい」


「承知いたしました」


 補佐官はまだ少し不満そうだったが、政務局長が頷いた以上、これ以上は言わなかった。



 そこで、会議室の扉が静かに開いた。


 セレスティア王女殿下とアルフォンス様が入ってこられる。


 昨日と同じように、二人は本人意思を示すために来たのだろう。


 王女殿下は、進行案を見ると、少しだけ微笑んだ。



「青花の間ですか」


「はい、殿下」


 ミレーヌ女官長が答える。



「よいと思います。大広間では、どうしても婚姻式に見えすぎますもの」


 アルフォンス様も頷いた。



「双花冠を王妃宮で預かっていただけるなら、アストリア家としてもありがたいです。婚姻式前に私たちが受け取るより、礼を失いません」


 政務局補佐官の顔に、少しだけ驚きが浮かんだ。


 本人たちが、華やかな演出より手順の正しさを望んでいることを、今初めて実感したのかもしれない。



「アリシア特別補佐官」


 王女殿下が私を見る。



「はい」


「確認文案を見せていただけますか」


「もちろんです」


 私は文案を差し出した。


 王女殿下は一読し、少し考える。



「この一文を足してください」


 彼女は言った。



 私たちは、婚姻式当日、自らの声で誓約します。



 私は、その言葉を書き加えた。



「よろしいですか」


「ええ」


 王女殿下は穏やかに答えた。



「使節団にも、王国の諸侯にも、それを見せたいのです」


 アルフォンス様が続ける。



「政治の都合で早められた婚姻ではなく、本人が同じ日に立つ婚姻だと」


 同じ日に。


 同じ時刻に。


 その言葉は、何度聞いても胸に残る。



「承知いたしました」


 私は一礼した。



「確認文へ反映します」


 王妃殿下は満足げに頷いた。



「では、この形で進めましょう」


 会議は、それで決まった。




 婚姻準備確認儀は、二日後に王妃宮の青花の間で行われた。


 青花の間は、大広間ほど広くない。


 けれど、壁には淡い青の花模様が描かれ、窓からの光が柔らかく入る。


 中央には小さな署名台ではなく、確認台。


 そこに置かれているのは、婚姻式の誓約書ではない。


 婚姻準備確認記録だった。



 東方連盟の使節団代表は、最初こそ少し不思議そうにしていた。


 おそらく、もっと華やかな演出を予想していたのだろう。


 けれど、王妃殿下が最初に説明した。



「本日は婚姻式ではありません」


 その一言で、場が整った。



「婚姻式は、定められた日に、神殿と王家婚姻登録院の立会いのもとで行われます。本日は、その準備が正しく進んでいることを確認する場です」


 王妃殿下の声は、よく通った。


 続いて、マルタ神官が神殿側の確認を述べる。


 婚姻式当日に正式誓約を行うこと。


 神殿は、婚姻式前に誓約を先取りしないこと。


 そして、本人が当日、自らの声で誓うこと。



 次に、ヴィクトル様が王家婚姻登録院の記録を読み上げた。



「セレスティア王女殿下およびアルフォンス・アストリア様は、予定日どおりの婚姻式を望む意思を示されました。日程前倒しは行いません。婚姻式当日、本人意思を再確認します」


 その言葉が、青花の間に静かに響く。


 派手ではない。


 でも、とても重い。



 そして、セレスティア王女殿下とアルフォンス様が前へ進んだ。


 二人は並び、用意された確認文をそれぞれ手に取る。


 まず、王女殿下が言った。



「私は、定められた日に婚姻式へ出席し、自らの声で誓約します」


 次に、アルフォンス様。



「私も、定められた日に婚姻式へ出席し、自らの声で誓約します」


 最後に、二人で。



「私たちは、婚姻式当日、自らの声で誓約します」


 その声は、青花の間に静かに届いた。


 大きな拍手は起きなかった。


 これは婚姻式ではないからだ。


 けれど、東方連盟の使節団代表は、深く頷いた。



「王国は、誓いの日を軽んじないのですね」


 通訳を通じて、その言葉が伝えられた。


 王妃殿下は微笑む。



「ええ。誓いには、時刻がありますから」


 私は、記録欄へその言葉を書き留めた。


 誓いには、時刻がある。


 それは、今日の儀礼にふさわしい言葉だった。



 双花冠は、東方連盟代表から王妃宮へ贈られた。


 王女殿下とアルフォンス様本人は、受け取らない。


 ミレーヌ女官長が、王妃宮を代表して受領し、婚姻式当日まで保管する旨を告げる。


 使節団代表は、不快そうにはしなかった。


 むしろ、正式な扱いとして理解してくれたようだった。



 儀礼は短く終わった。


 でも、不足はなかった。


 婚姻式に見せかけることなく、婚姻式へ向かう意思を見せることができた。


 花や冠ではなく、本人の声で。



 式後、私は確認記録へ署名した。


 王家婚姻登録院特別補佐官として。


 手元の表には、意思負担者欄が埋まっている。



 セレスティア王女殿下。


 アルフォンス・アストリア。


 日程前倒しを望まず。


 婚姻式当日、自らの声で誓約することを望む。



 この欄も、今後の要綱に正式追加されるだろう。


 そう思うと、少しだけ背筋が伸びた。



 勤務後、ヴィクトル様が青花の間の外で声をかけてきた。



「アリシア嬢」


「はい」


「今日の所感は」


「婚姻式ではない儀礼を、婚姻式に見せかけないことも大切なのだと思いました」


「はい」


「準備確認は、準備確認として行う。誓約は、誓約の日に行う」


「その通りです」


「そして」


 私は少しだけ笑った。



「婚姻式に必要なのは、花ではなく本人の意思です」


 ヴィクトル様の口元が、ほんのわずかに動いた。



「要綱の前文に入れますか」


「それは少し、直接的すぎませんか」


「私は好きですが」


 その言葉に、少しだけ頬が熱くなった。


 仕事の文言が好きなのか。


 私の言葉が好きなのか。


 たぶん前者だと思う。


 でも、少しだけ後者も混じっていたらよいと思ってしまった。



「では、内部説明に」


「承知しました」


「本当に入れるのですね」


「よい言葉なので」


 私は笑った。


 青花の間の窓から、夕方の光が差している。


 今日もまた、ひとつの時刻が守られた。


 政治の都合で早められず、花や冠で覆われず、本人の声が残った。


 それは、私がこの仕事で守りたいものにとても近かった。



「ヴィクトル様」


「はい」


「次のお茶には、仕事に関係のない本を持っていきます」


「私も用意しました」


「本当に仕事と関係ありませんか」


「確認済みです」


「誰が確認を?」


「ミレーヌ女官長が」


 私は思わず笑ってしまった。



「厳正ですね」


「はい」


「では、楽しみにしています」


 そう言うと、ヴィクトル様は静かに微笑んだ。



「私もです」


 その短い返事が、今日のどんな花よりも、私には嬉しかった。

読んでいただきありがとうございます。


第二十六話では、婚姻式を前倒しせず、婚姻準備確認儀という形で本人意思を守りました。


第二十七話は明日18:10に投稿予定です。

次回は、ヴィクトルとの仕事外のお茶と、アリシア自身の新しい選択がさらに進みます。


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