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婚約者がまた病弱な幼なじみのお見舞いへ行ったので、婚約式は私ひとりで終わらせました【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


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18/32

第十八話 今度は、あなたが待つ番です

 セシリア様との面談から二日後、王妃宮相談役のエヴァ夫人から追加の報告が届いた。


 青い札がついている。


 緊急ではない。


 けれど、慎重に扱うべき案件。


 私はその札を見るだけで、もう少しだけ胸の奥が静かに構えるようになっていた。



「アリシア補佐」



 ユリア書記官が、いつもの落ち着いた声で言った。



「今回も、あなたが必ず読む必要はありません」


「内容は、セシリア様の件ですか」


「はい」



 ユリアは書面を一枚、机の上へ置いた。



「王妃宮相談役より、セシリア・ロイス令嬢とディオン・ハーグレイヴ令息の境界確認面談について、登録院にも同席依頼が来ています」


「境界確認面談」


「はい」



 その言葉は、少し硬い。


 けれど、何をするのかは分かった。


 セシリア様は、不安になるとディオン様を呼んでいた。


 ディオン様は、呼ばれれば行っていた。


 それが二人の間で当然になっていた。


 その当然を、終わらせるための面談なのだろう。



「私も同席対象ですか」


「王妃宮相談役からは、あなたへの同席依頼は出ていません」


「では、なぜ私に共有を?」


「暫定要綱の病弱者対応欄、依存関係がある支援者の扱いに関わるためです」


「なるほど」



 私は書面へ視線を落とした。


 依存関係がある支援者。


 それは、かなり正確な言葉だった。


 ディオン様は医師ではない。


 神官でもない。


 相談役でもない。


 けれど、セシリア様にとっては、不安を落ち着かせるための特別な相手だった。


 そして、その特別さが、私の婚約式を壊した。



「ヴィクトル様は」


「王妃宮で内容を確認中です」


「私の同席については?」


「必要なら、ご本人に確認すると」


「そうですか」



 私は書面を開いた。


 そこには、王妃宮相談役エヴァ夫人の整った筆跡で、面談の目的が記されていた。



 目的。


 一、セシリア・ロイス令嬢が不安時に医師・侍女長・相談役へ連絡する手順を確認する。


 二、ディオン・ハーグレイヴ令息が、私的呼び出しに応じないことを本人の前で明言する。


 三、両名が、今後正式儀式や公的予定を中断させないための連絡線を確認する。


 四、謝罪や許しの場ではなく、再発防止の場とする。



 私は四番目の文を、少し長く見つめた。


 謝罪や許しの場ではなく、再発防止の場。


 それなら、私がいる必要はない。


 少なくとも、中心に立つ必要はない。


 私がいると、どうしても謝罪の色が濃くなる。


 セシリア様も、ディオン様も、私へ何かを言いたくなるかもしれない。


 それでは、面談の目的がずれる。



「ユリアさん」


「はい」


「私は同席しなくてよいと思います」


「理由は」


「私がいると、二人が私へ向いてしまうかもしれません」


「はい」


「今回、向き合うべきなのは、私ではなく、二人の間の手順です」


 ユリアは、ほんの少しだけ目元を緩めた。



「よい判断だと思います」


「ただし、要綱に関わるので、面談結果は読みます」


「その形がよいでしょう」


 私が返事を決めたところで、確認室の扉が開いた。


 ヴィクトル様だった。


 手には、王妃宮からの正式依頼書がある。



「アリシア嬢」


「はい」


「境界確認面談について、あなたの同席は求めません」


 私は少しだけ息を吐いた。



「今、同じ判断をしたところです」


「理由は」


「私がいると、再発防止の面談ではなく、私への謝罪の場になりかねないからです」


「一致しましたね」


 ヴィクトル様は、短く頷いた。



「ただし、面談後の要綱反映には加わっていただきます」


「承知しました」


「面談中、必要があれば別室で待機することは可能です。途中であなたに確認すべき事態になった場合のみ、同意を取ってから呼びます」


「分かりました」


「無理は」


「しません」


 私が先に言うと、ヴィクトル様はほんの少しだけ目を細めた。



「よい返答です」


「最近、先に言えるようになりました」


「進歩です」


 その短い評価に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 同時に、私は自分の中の緊張が、以前ほど大きくないことにも気づいた。


 セシリア様とディオン様が会う。


 かつてなら、それだけで心がざわついたかもしれない。


 今は、少し違う。


 気にはなる。


 けれど、私はそこに何かを期待していない。


 謝ってほしいとも、後悔してほしいとも、やり直してほしいとも思っていない。


 それは、もう私の予定ではなかった。




 面談は、王妃宮の小面談室で行われた。


 私はその隣の記録待機室にいた。


 同席者ではない。


 面談後の要綱反映を行う登録院補佐として、結果を待つ立場だった。


 部屋には、ユリア書記官と私だけ。


 壁の向こうの声は聞こえない。


 聞こえないように厚い壁になっている。


 それも、必要な配慮なのだろう。


 誰かの弱さを、必要以上に周囲へ漏らさないために。



「気になりますか」


 ユリアが尋ねた。


 彼女は面談記録用の控え紙を揃えている。



「気にはなります」


「心配ですか」


「少し」


「どちらを?」


 私は、少しだけ考えた。



「面談そのものを、です」


「二人ではなく?」


「二人も、全く気にならないわけではありません」


 私は正直に答えた。



「でも、私が心配する立場ではないのだと思います」


「そうですね」


「ディオン様がどう答えるかも、セシリア様がどう受け止めるかも、二人と相談役の方々の仕事です」


「はい」


「私は、その結果を要綱に反映する」


「その通りです」


 ユリアは、淡々と頷いた。


 彼女のこういうところも、私は少しずつ好きになってきている。


 気持ちを否定しない。


 けれど、仕事の位置へ戻してくれる。



 待機室の机には、昨日まで作っていた暫定要綱の控えが置かれていた。


 病弱者への配慮。


 不安時の連絡手順。


 正式儀式の誓約者本人を私的安心のために呼び出さないこと。


 その下に、まだ空欄がある。


 依存関係にある支援者との境界。


 そこへ、今日の結果が入るのだろう。



「ユリアさん」


「はい」


「支援者とは、難しいですね」


「そうですね」


「助けているつもりで、本人が別の手順を使えなくなることがある」


「あります」


「ディオン様は、セシリア様にとって支援者だったのでしょうか」


「少なくとも、ご本人たちはそう思っていたのでしょう」


 ユリアは言った。



「ですが、支援者としての役目を持つなら、支援しない選択も必要です」


「支援しない選択」


「はい」


 彼女は資料を一枚見た。



「専門職は、依存を深める対応を避けます。王妃宮相談役の資料にありました」


「専門職」


「ディオン様は専門職ではありませんが、セシリア様にとっては支援者の位置に置かれていた。ならば、彼が何をしないかを決める必要があります」


 何をするかではなく、何をしないか。


 それは、今のディオン様にとって一番難しいことかもしれない。


 困っている人のもとへ行く。


 泣いている人を慰める。


 苦しそうな人を抱きしめる。


 それは、見た目には優しい。


 けれど、その結果、相手が医師を呼べなくなるなら。


 それはもう、支援ではないのだろう。



 面談は、予定の半刻を少し過ぎたところで終わった。


 まず、ヴィクトル様が待機室へ来た。


 彼の顔はいつも通り静かだったが、少しだけ疲れて見えた。



「終わりましたか」


「はい」


「大丈夫でしたか」


「大きな混乱はありません」


 その言い方で、まったく穏やかではなかったのだと分かった。



「記録を共有します」


「はい」


 少しして、王妃宮相談役エヴァ夫人が入ってきた。


 彼女もまた、疲れた顔をしていた。


 けれど、表情には安堵があった。



「アリシア様、同席しない判断をしてくださって助かりました」


「やはり、私がいない方がよかったですか」


「はい」


 エヴァ夫人は、はっきり答えた。



「セシリア様は、あなたがいないことで、謝罪ではなく自分の不安について話せました」


「そうですか」


「ディオン様も、あなたの前ではなく、セシリア様の前で境界を言うことができました」


 私は、静かに頷いた。



「それが必要だったのですね」


「必要でした」


 エヴァ夫人は記録紙を広げる。



「要綱へ反映すべき点を共有します」


 私とユリアは、それぞれペンを取った。



「まず、セシリア様は不安時に『誰かが来てくれなければ見捨てられる』と感じる傾向が強い」


 エヴァ夫人が言う。



「そのため、呼び出しに即応することは、一時的には安心を与えますが、長期的には依存を強めます」


「はい」


「次に、ディオン様は、呼ばれたら行くことを優しさだと認識していました」


「はい」


「今回の面談で、彼は『今後、医師や侍女長への連絡前に自分が呼ばれても行かない』と明言しました」


 私は、ペンを止めた。


 行かない。


 その一言は、彼にとって重かったはずだ。



「セシリア様は、どう受け止めましたか」


 思わず尋ねていた。


 エヴァ夫人は、少しだけ目を伏せる。



「泣かれました」


「……そうですか」


「ただし、泣いた後で、ご自分で手順紙を出しました」


「手順紙を」


「はい。前回決めたものです」


 エヴァ夫人の声が、少しだけやわらぐ。



「息苦しくなったら侍女長へ伝える。侍女長は医師へ連絡する。正式儀式や公的予定に関わる相手を私的に呼び出さない。その紙です」


「それを、セシリア様が自分で?」


「はい」


 私は、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


 それは、許しとは違う。


 でも、前へ進んだことへの反応だった。



「ディオン様は?」


「席を立ちかけました」


 エヴァ夫人は正直に言った。



「けれど、途中で止まりました」


 ヴィクトル様が、そこで静かに口を開いた。



「彼には、席を立つ前に確認するよう伝えていました」


「確認」


「はい。自分が立つことで、セシリア令嬢が医師や相談役へ向かう手順を妨げないか」


「それで、止まったのですね」


「はい」


 私は想像した。


 泣いているセシリア様。


 立ちかけるディオン様。


 でも、そこで止まる。


 行かない。


 代わりに、彼女が手順紙を使うのを待つ。


 それはきっと、彼にとって初めての待つ時間だったのだろう。



「彼は、何と?」


 私が尋ねると、エヴァ夫人は記録を確認した。



「セシリア様へ、こう言いました」


 彼女は読み上げる。



「私は、あなたを見捨てるために行かないのではありません。私が行くことで、あなたが医師を呼べなくなるなら、私は待ちます。あなたが手順を使えるようになるのを、待ちます」


 部屋が静かになった。


 私は、しばらく何も言えなかった。


 ディオン様が待つ。


 あの人が。


 呼ばれたらすぐに行っていた人が。


 誰かを待たせることに慣れきっていた人が。


 今度は、自分が待つ側に立った。



「セシリア様は」


 私はやっと訊いた。



「その言葉を聞いて、どうされましたか」


「泣きながら、侍女長を呼びました」


 エヴァ夫人は答えた。



「そして、医師をお願いします、と言えました」


 その報告を聞いた瞬間、胸の奥にあった何かが、少しだけほどけた気がした。


 私の婚約式は戻らない。


 それは変わらない。


 でも、あの日の出来事がなければ、この二人はずっと同じことを繰り返していたのかもしれない。


 誰かを待たせながら。


 誰かの時間を使いながら。



「要綱には」



 私はペンを取り直した。



「依存関係にある支援者は、本人の医療・相談手順を妨げない位置に置く、と入れた方がよいと思います」


「続けてください」


 ヴィクトル様が言う。



「支援者が即時対応することを原則にしない。まず医師、侍女長、相談役、神官など、正式な支援線へつなぐ」


「はい」


「支援者本人には『行くこと』だけでなく『行かずに待つこと』も支援であると説明する」


「よいですね」


 ユリアが記録する。


 私はさらに言葉を探した。



「それから、本人に手順紙を持たせること。声が出ない時は、その紙を示せばよいと明記する」


「前回の面談内容ですね」


「はい」


「加えましょう」


 ミレーヌ女官長も、ちょうど部屋へ戻ってきた。


 彼女は話を聞きながら頷く。



「王妃宮でも使える形です。病弱な令嬢に限らず、不安発作や強い緊張のある方にも」


「はい」


 エヴァ夫人は、少しだけ微笑んだ。



「今日、セシリア様は初めて、ディオン様以外を呼べました」


 その言葉は、私の中に静かに落ちた。


 初めて。


 それは小さな一歩だ。


 でも、大きな一歩でもある。



「ディオン様は」



 私は尋ねた。



「面談後、どうされましたか」


「王妃宮相談役の指示で、別室へ移りました。セシリア様とは、しばらく私的面会を行いません」


「彼は納得を?」


「苦しそうでしたが、納得していました」


「そうですか」


 私は少しだけ目を伏せた。


 苦しいだろう。


 でも、必要だ。


 優しさの向け先を変えるのは、きっと簡単ではない。


 呼ばれて行かないことは、彼にとって冷たい行為に感じるかもしれない。


 けれど、それをしなければ、セシリア様も彼も変われない。



 その日の午後、私たちは暫定要綱に新しい項目を追加した。



 依存関係にある支援者の扱い。


 一、支援者は、本人の医療・相談手順を妨げない位置に置く。


 二、不安時の第一連絡先は、医師、侍女長、相談役、神官など正式支援者とする。


 三、支援者には、即時に駆けつけることだけが支援ではないと説明する。


 四、本人が正式支援線を使えるようになるまで、支援者は待つことも支援である。


 五、正式儀式または公的予定の誓約者・当事者を、私的安心のために呼び出さない。



 私は四番目の一文を、何度も見た。


 支援者は待つことも支援である。


 待つ。


 その言葉は、私にとってずっと痛いものだった。


 でも、今は少し違う意味を持ち始めている。



 待つことが悪いのではない。


 誰が、誰のために、どのような形で待つのか。


 それが大切なのだ。



 勤務の終わり頃、ヴィクトル様が確認室の窓際で声をかけてきた。



「アリシア嬢」


「はい」


「今日の所感は」


「ディオン様が、初めて待ったのだと思いました」


「はい」


「今までは、私が待っていました」


「はい」


「でも今日、彼はセシリア様が手順を使えるようになるまで待った」


「そうですね」


「それは、少しだけよかったと思います」


 ヴィクトル様は、静かに私を見ていた。



「あなたがそう思えるなら、今日の面談には意味がありました」


「許したわけではありません」


「はい」


「戻りたいわけでもありません」


「もちろん」


「ただ、変わろうとしている人を、見てもいいとは思いました」


 ヴィクトル様の目が、少しやわらいだ。



「十分です」


「十分でしょうか」


「はい」


 彼は短く答えた。



「あなたが彼らを待つ必要はありません。けれど、彼らが変わろうとしている事実を、記録として見てもいい」


 記録として。


 それが、この人らしい言い方だった。


 私は少しだけ笑う。



「やはり、何でも記録にしますね」


「記録は便利です」


「最近、少し分かってきました」


「よいことです」


 夕方の光が、確認室の床に長く伸びている。


 私は机の上の要綱を閉じた。


 その中には、今日の面談から生まれた一文が入っている。


 支援者は待つことも支援である。



「ヴィクトル様」


「はい」


「今日は、お茶をいただいてもよろしいでしょうか」


 彼は少しだけ目を瞬いた。


 それから、ほんのわずかに笑った。



「もちろん」


「今日は、甘すぎないお菓子がいいです」


「承知しました」


「仕事の話は」


「半分以下」


「はい」


「努力します」


 そのやりとりに、私は笑った。


 今日は、疲れている。


 けれど、お茶を断りたい疲れではない。


 温かい茶を飲みながら、今日のことを少しだけ静かに置きたい。


 そう思った。



 王妃宮の小庭には、淡い夕風が吹いていた。


 茶卓には、甘さ控えめの焼き菓子が並んでいる。


 本当にそうしてくれたのだと思うと、胸が温かくなった。



「アリシア嬢」


「はい」


「今日は、よく待ちました」


 ヴィクトル様が言った。


 私は少しだけ首を傾げる。



「私が?」


「はい」


「面談には同席していません」


「だからです」


 彼は茶器を置いた。



「あなたは、彼らの面談を自分で見に行かず、結果を待ちました。必要な距離で」


 その言葉に、胸の奥が静かに鳴った。


 必要な距離で待つ。


 そういう待ち方もあるのだ。



「それは、悪くない待ち方ですね」


「はい」


「では、今日は私も少し待てたのですね」


「ええ」


 ヴィクトル様は、穏やかに頷いた。



「よい待ち方でした」


 私は、少しだけ目を伏せた。


 待つという言葉が、また少し変わっていく。


 誰かに当然のように待たされるものではなく。


 自分で選び、距離を決め、相手の領分を尊重するための時間。


 それなら、私はこれからも使っていけるかもしれない。



 茶は、温かかった。


 菓子は、本当に甘すぎなかった。


 私はそのことが少し嬉しくて、ヴィクトル様へ言った。



「今日のお菓子は、ちょうどよいです」


「よかった」


「誰に聞きましたか」


「今日は、自分で選びました」


 思わず顔を上げた。


 ヴィクトル様は、少しだけ真面目な顔で続ける。



「あなたが、前回は少し甘いと言っていたので」


 胸の奥が、ふわりと温かくなった。


 覚えていたのだ。


 私の言葉を。


 それも、困る程度ではなく、ちょうどよい程度に。



「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 夕方の小庭に、しばらく静かな時間が流れた。


 それは、待たされる時間ではなかった。


 誰かに奪われる時間でもなかった。


 私が選んで、ここに置いた時間だった。

読んでいただきありがとうございます。


第十九話は明日18:10に投稿予定です。

次回は、ロイス男爵家側の家族面談と、セシリアの不安の根にもう少し踏み込みます。


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