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ギグ・マーガの星に捧ぐ唄  作者: 改易庇護之介
し 第一部 五章 最低の星
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★閑話2−3話『静かなる灯火の日々』

 ※デオブルグ帝国 星記録局 書記官視点

 とある文字から、極端にインクの濃淡が変わり始める。

 インクの供給が変わったのか、もしくは製造元でも変わったのか。


 いいや違う。明確に記録の筆致が、変わっていた。

 文字を扱い、読み解き、訳す自分の職業病からかその時の文字の動きや跳ねの角度、強さに……感情の熱が入り始める。


 これまで私は56年前、テオブルグ帝国に勝利をもたらした英雄。

 ヴァルテリア・アミューゼの遺した歴史を戦術的な史料として読み進めていた。


 命を選び名を告げ、ヴィエル・マーガの星を働かせた選定者。

 しかし、今めくっている数頁には、それらの痕跡は見当たらない。


 激しさも冷たさもない。

 ただ、穏やかで、あたたかい。

 まるで心の中にだけ灯った小さな灯火の記憶。


「そうかここから……これはただ、一人の人間としての日記だ」


 記録者としてではなく、ひとりの人間として残された言葉たち。

 私はそう直感した。



 ◇ ◇ ◇

「彼はどこかの国から『貢物』としてここに来たらしい」


 しかし彼は自分の本名を決して明かさなかった。

 その貢物として捧げて来た国に確認をしても不明。


 そして彼はどの様な尋問、拷問にあっても決して名を明かさなかったらしい。


 彼の存在が、戦術的価値が私には不明瞭なままだった。

 だが軍部はある名目を立てた。


「アレともしも情を通わせれば本名を引き出せるかもしれない――」


 その名目のもと彼は私の前に、椅子に固定されたまま定期的に配置された。


 選定者と力を持ちながら沈黙する者。

 偶然を装い計画された偶然。


 「彼は決して本名を明かそうとしなかった。

 だから私との交流は結局、帝国の思惑を一度も満たさなかったと思う」


 「それでも、私はその時間を恨まなかった。

 むしろ、それこそが――救いだった」


 英雄の筆致。

 その筆致はまるで踊る様に、軽やかだった。


 ◇ ◇ ◇

「私は選定者。彼はただそこにいた。

 ……だというのに私は――笑ってしまった」


 その一文に、私はページを押さえる手を止めた。


 微笑。この記録の中で初めて現れたそんな柔らかな言葉。


「彼は遠い村の話をよくしてくれた。

 麦畑、木の実の色、土の匂いに冬の白」


「くだらない話ばかりでごめん、と彼は笑ったけれど私はそれが嬉しかった」


 ヴァルテリアは名を呼ぶことのない時間の中で、ようやく人間に戻れたのか。


「誰かを選ばない日があるなんて、思っていなかった。

 星を使わずに過ごせる時間が、こんなにも静かで、美しいなんて」


 命令もなかった。

 戦況も動かなかった。

 ただ、声と声が交わされた……ヴァルテリアの日々。



「彼は、私の名を訊かなかった。


 私も、彼の名を聞かなかった。


 彼は私の星の名を聞かなかった。


 私も彼の星の名を聞かなかった。


 でも、そこに彼がいた。それだけで、十分だった」



 この時間は彼女にとって唯一祈らなくていい日々だったのかもしれない。



 ◇ ◇ ◇

 とあるページの最後の行に書かれていたのは、ごく短い文。


「私にとって何も起きなかった時間。

 でも――何も起きない日々こそが、こんなにも幸せだったと初めて知った」


 私の筆は何時の間にか止まっていた。

 これは記録にはならない。戦果にも戦術にも還元されない。


 だが確かに、ここに生きた誰かがいた。


 私はページを閉じる。

 星の運命も帝国の命令も関係のない静かな日々の記録が、今ここに灯っていた。

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