第二章3 『名乗らぬまま、言葉は重なる』
※シルバー視点――マクガイア王都裏路地
裏路地の石段に腰を下ろすと、ようやく喧騒が遠のいた。
王都の街中で起きたひったくり騒ぎは、無事――かどうかはともかく終わった。
犯人は転倒して御用。
被害品は無事。
ルーシェはブチ切れ、プンスコ帰宅である。
ただ街中で下半身ふんどしおっさんを縛り上げるという、俺の自尊心に関わる出来事。
もう……アレだ、無かった事にしよう。
早めに帰ってナディアさんの上半身のふくらみでも眺め、目を清めねば。
そんな事を考えていると後方より、野太い声で声を掛けられる。
「フン、なんじゃ詫びする為に残ってたんかい」
ふんどし男、再登場。
一瞬で俺の目が汚れていく。もうおうち帰りたい。
「……いや、あれは俺じゃない。
マクガイアの風が泣いていた、だから俺は悪くない」
「フン、してその泣き虫の風とやらは、おぬしのパンツだけは切らぬよう仕込まれておるのか?」
更に渋い声。
見ればふんどしを締め直し終えたばかりの髭面の大男は、俺から三段離れたところに腰を下ろしている。
誰にも何も言われてないのに、当然のように座るその姿勢になぜか文句が出なかった。
「……え、もしかして、まだ怒ってるのか?」
「儂の感情が顔に出るように見えるか?」
「完全に『この場で投げ飛ばすか検討中』みたいな顔してるがな……」
「ならば笑っておる証拠よ」
「こええよ」
◇ ◇ ◇
なぜか立ち去ろうとは思わなかった。
話す必要はない。でも、なぜか会話は始まっていた。
「まったく……市民らは騒がしきものよ。盗人ひとりにあれほど慌ておって」
「そりゃまあ実際困るからな。財布なくしたら飯にもありつけないし。
まあ俺も少し腹が減ってきたな」
「そこの通りの炭火焼きの魚、知っとるか?
あれは、儂ら騎士団の糧食もかなわぬな」
「ああ、あの戦う味のやつな。
表面パリ、中ふわ脂ジュワ……あれは兵器」
「ほう……なかなか語れるではないか」
話題が、星のことでも剣のことでもない。
ただの食い物の話。どうでもいい日常。だけど、それが妙に心地よかった。
不意にこのふんどし男が俺に問いかける。
「そなたは妙に言葉の間合いが抜けておる。齢いくつじゃ?」
「十六」
「儂も、十六」
「お子さんが?」
「抜かせど阿呆。同い年じゃ」
沈黙が落ちた。でも不思議と気まずくはならない。
騒がしさの裏で、まるでここだけ時間が止まっているような錯覚すらあった。
◇ ◇ ◇
「……ところでそなた、武器は何を使っておる?」
急に問われ、俺は肩をすくめた。
「まあ、お前さんも絡まったあの銀糸だ。
細くてすぐ絡まる、こっちの服もよく切るし」
ちなみにラスティーナ王女のスカートの被害率は高く、最近は待女の子が控えのスカートを常に持ち歩くようになっている。
まったく、ギグ・マーガの星にも困ったもんだ。
「扱いづらいのは儂の剣も同じよ。
長いしでかいし、狭い裏路地じゃと壁に当たる」
「でも、抜けって言われたら抜くんだろ?」
「あたりまえじゃ。儂のは……まぁ斬るというより叩くほうが近いがの」
「鈍器の発想……」
「叩けば物事は進む。儂の経験則じゃ」
「それ文官にも言ってるのか?」
「……書状より先に拳を出したことも、なくはない」
お互い、何かを守ってきた気配がある。
でもその『何か』が何かまでは、たぶん互いに踏み込む気もなかった。
「……友達少なそうだな、お前さん」
「そなた、意外とえぐるな」
「いや、同類かと思ってな。俺もまあ……少ない方か」
「儂もあまりおらぬな。
あれじゃ『ふんどし騎士』として今日から独立勢力じゃな」
「独立って、どこから切り離されたんだよ……」
それでも何時の間にか二人笑っている。
それは誰にも明かせない何かを、そっと火にくべるような時間だった。
やがて、騎士団の使者が路地に現れる。
「おい、観察任務が再開されるらしい! 戻れ!」
「あーい、了解ですー」
俺が立ち上がると、ふんどしの男もつられて立ち上がった。
その動きは、まるで剣を抜く前の呼吸のように滑らかだった。
「さて、儂はこのまま足の向くまま行こうかの」
「お互い、どこかでまた転がってるかもな」
俺は名前は名乗らず、そして向こうの名も聞かないまま。
聞かなくてもこの言葉に出来ない、何か不思議な感覚を残したまま。
少しだけ手を挙げて、俺は彼に背を向ける。
すると、背中越しに一言だけ聞こえた。
「……銀糸。次は儂のズボンよりも、敵に向けてくれ」
「検討しとくよ、剛剣」
俺は背中越しに笑みを飛ばす。
あいつの背中も、何故か少しだけ笑ってるように見えた。
……だけど、一応ズボンは履いた方が良いぞ、剛剣。
◇ ◇ ◇
※ディオン・バルザス視点――マクガイア王都裏路地
妙な男であった。
そんな事を考えながら一人王都の石畳を歩く。
騒ぎは既に収束し、人波も戻りつつある。
だが、儂の足はまっすぐに裏を目指していた。
本当は名乗るべきであったのではないか。
ハルメリオス騎士国所属、ディオン・バルザスだと。
だが以前、ハルメリオスの城で星局の学者に聞いた一つの指示。
『マーガの星の民は、本名と星の名を決して他国の者に言ってはならぬ』
どういう意味かは知らぬが……それが何かに引っかかっておったのやもな。
さきほどの名乗らぬ……銀糸を使う男。
糸を操り、空気を読む間合い。
そして細身の割に鍛え上げられた体幹。
そして……全身より溢れ出る、不思議な戦の気配。
「間合いの感覚……そして、軽口と沈黙の呼吸。あれは――」
足が、止まった。
「……まさかな」
首を少しだけ振る。
そうであっては困るという意味ではない。
そうであっても別段、構わぬ。
儂は自分に言い聞かせる様に息を吐く。
儂のマーガの星は沈黙したまま。
だが儂の背にあるそれは、ほんのわずかに熱を帯びていた。




