第三部 序章5『不憫な剣』
※リヒト視点――ノバル・ハン国港
シリアスモード――星の民同士が刃を交えるとき、互いの存在が刺激になって能力が跳ね上がる現象。
今の僕、そしてこの目の前の男も同じように、その状態に踏み込んでいる。
全身の筋肉が熱を帯び、弾けるように軽い。
体重移動も滑らかで、視界の端までが冴えている。
この勢いのまま――
石畳を蹴ろうと足の力を脱力し、そしてその反動を生かすべく力を込める。
その力の生かせば僕の剣が風のように、光のように舞い、相手へ最短距離を貫く。
筈だった――
「フゥン!」
目の前の男の振るう剣が地面を叩く。
港の地面が爆ぜるように割れ、その瞬間込めるべき僕の下半身の力が無散する。
飛び散った石片が肌を叩き、息を呑む。
男は一歩も退かず、そこに根を張ったように立っている。
踏み込んだはずの間合いが、なぜか遠い。
距離感が狂っているのか、それとも――
ふと気づくと背後から、桟橋を駆け下りる多数の足音を耳にする。
軍船から帝国兵が降りてくる音だ。
「……邪魔するでない! 消えろ!」
その声と同時に、男の全身が爆ぜたように跳躍。
振り抜かれた大剣が港の側面を切り裂き、軍船の船体を中央から裂いた。
爆ぜる破片と炎、兵の叫び。
戦場の形をこうまでも軽々しく、無作為に変えていく目の前の男。
そいつが再度こちらへ向き、薄い笑みを浮かべる。
……息が詰まる。
いや、それだけじゃない。肺が縮み、空気を吸うことすら鈍くなっている。
怖い。
これはもう、人間じゃない。
僕と同じ『戦士』という枠ですらない。
目の前の存在は、生き物というより『災害』だ。
視線を向けるだけで、体温が下がる。
皮膚が粟立ち、指先から感覚が消えていく。
――逃げろ。
既に僕の頭の奥で、理性とは違う別の何かが叫んでいる。
足に震えが走る。口元は歯を噛みしめ続けないと、声が漏れそうだ。
初めてだ、こんな恐怖は。
どれだけ剣を振るい、幾度と他のマーガの星を斬り捨ててきても、ここまで心臓を握り潰される圧はなかった。
再度下半身に力を込め、全身のばねを解き放つかのような渾身の突き。
体重を預け、重心を乗せ、足裏から伝わる力を刃先へ流し込む。
速さも鋭さも、今の僕にできる限りの一撃。
ガァン!
だが、それは――相手の片手で構えた手甲で軽く弾かれた。
鈍い金属音。腕が痺れ、力が抜ける。
追撃を狙って踏み込もうとした瞬間、視界が閃き横薙ぎの一撃が迫る。
反射的に剣を合わせるが、重さに押し潰され、石畳に足がめり込む。
衝撃で肩が外れそうになり、息が漏れた。
「かはぁっ! はぁっ、はぁっ」
疲労からの吐息じゃない、これは……恐怖からの吐息。
……怖い、怖い、怖い。
気づけば僕は、知らず知らずのうちに間合いを取っている。
「……おい、そっち方面に行くでない。
そこのチビ二人と女子を巻き込んでしまうじゃろ」
相手の低い声が耳に落ち、手招きに身震いが走る。
はっとして視線をそちらへ向けた瞬間、胸が重くなる。
いつの間にか僕は、この男から距離を取りたくて――弟妹とマリスの近くまで下がっていた。
「ここまでかのう……銀糸の奴も戻ってこんし、小僧は儂に怯えとるし……」
大剣を肩に乗せたまま、男は頭をがしがし掻き、間を詰めてくる。
石畳が踏まれるたび、心臓が一緒に脈打った。
「ひっ……」
情けない声が出る。
剣を前へ突き出そうとしたが、足がもつれ、尻もちをつく。石の冷たさが背中へ広がる。
「お主も不憫な剣を使う……今まで自分よりも弱い者としか戦ってこなかったんじゃろうなあ」
――不憫な剣。
母を殺され、弟妹を人質に取られ、マーガの戦いで何人も斬ってきた。
それでも、この男には届かない。僕の剣は空を切るだけだ。
「馬鹿にするな! 僕は、僕は……」
言葉が震えて、声が詰まる。
気付けばもう、僕のこの身体、即ち命がこの男の間合いに入っている。
剣を突き出す事も、立ち上がり構えも取れないまま。全身が震えていた。
「ふん、いつの間にかシリアスモードも切れておるな。ここまでか」
刃先が月明かりを弾く。
帝国兵は沈没船の救助に追われ、僕らに目を向ける者はほとんどいない。
――どうする、どうすればいい? 死にたくない、死ぬわけにはいかない。
僕が死ねば、残った弟妹を……帝国はきっと処分する。
『何故ならあの二人は、何れ僕の能力向上の為の、云わばストックとして生かされているだけにすぎないから』
僕のショーネ・マーガの星の恩恵。
それは『目の前で大切に想っている者の死ぬ所を目にした時に、爆発的に能力を上げる星』だから。
だからこそ、冷たく振舞った、だからこそ心を壊そうとした。
そうすれば、僕の目の前で誰の命を奪っても、何も変わらないと思って欲しかったから。
がさがさと音を立てながら、僕は横に転がった剣に手を伸ばす。
しかし、柄に触れた瞬間――汗で滑る。
手のひらは冷たく湿り、鉄の感触が爪先に触れるたび、ぞっとした感覚が背を這う。
震える指が何度も滑り、剣の柄をかすめ、石畳をかすってカチカチと嫌な音を立てた。
剣を持たなきゃ、構えなきゃ、けど僕の手と指はもう自分が思う様に動かない。
何度も何度も、剣の柄を掴もうと地面を手繰るのみ。
その時、不意に影が僕の眼前を横切った。
マリスだ。
彼女は僕とこの男の間に入り、両腕を大きく広げる。
港の灯を遮り、剣傷に赤く染まった小柄な背中を僕に向けて。
「ここまでですわ! もう決着はつきましたわ!」
鋭い声が夜を裂き、港のざわめきを押しのけた。
その響きが、僕の震える鼓膜に届き、張り詰めた空気をわずかに揺らした。




